驟雨の前に珈琲を

 二輪連中が区画から出る直前で頭を押さえてくれるので都合よく、賞金首が何処の路を通過して区画から脱出しようとしているのか簡単に解る。
 障害物の多いハムスターのケージを連想させた。
 ……だが、先ほどから覚えている、この違和感。
 確かに賞金首は逃げているだろう。
 確かに自分たちは賞金首を追いかけているだろう。
 だが、しかしだ。
 賞金首の包囲網は縮まっているのに……縮まるに連れて、その分追いかける側の人間が減っているのだ。
 自分たちで仲間割れをしているのだから、椅子取りゲームの相を呈している。
 従って、包囲する面積は縮まっているが同時に厚くなるはずの包囲網の厚さも薄くなっている。
 二輪連中が機動力を捨ててこの区画に侵入してきたとしても、当初にここに注ぎ込まれた人員よりは少ない……そして賞金首が予想以上に土地鑑があった場合、自分の手を汚さずに賞金首を返り討ちにした挙句に、遁走に成功する可能性も出てきた。
 今更、賞金稼ぎ連中に仲間割れをしている場合ではないと呼びかけるのも時機を逸している。
 路地裏を駆けているが、辺りの賞金稼ぎ同士の肩幅は狭まり、頻りに銃声が聞こえる。
 何人の賞金稼ぎがここに集合しているのかは不明。
 バトルロイヤルに近い銃撃戦が各所で展開されている。
 修羅場と鉄火場が同時に繰り広げられている。
 この狭い空間では殴り合いができる距離での銃撃戦が殆どだ。
 それを咄嗟に思いついての行動だとするのなら、追いかけている賞金首は策士としかいいようがなかった。
 そして……長々と逃げ回っていられるだけの体力。流動的に変化する状況を考慮して逃走ルートを割り出す判断力。路地裏での最速がすなわち最強ではないことを思い知らされる。
「!」
 ジャージの風で翻る裾に孔が開く。……背後からの銃声と同時に。
 振り向きざまに牽制の1発を発砲。残弾3発。頭の中でシリンダーに残る実包の数を数えながら、視界が大きく仰け反る。
 空き缶か空き瓶かそれとも誰かが撒いた空薬莢でも踏みつけたか、望実は軸足の踵を取られて大きく仰向けに倒れた。
 文字通りに転んでも只で起き上がりたくない望実は、左手で受身を取って背面から全身に伝わる衝撃を緩和し、即座に右足の膝を折りできるだけ腹側に寄せた。
 仰向けのまま、上体を僅かに浮かせる。
 マテバMTR―8を握る右手首の甲を折った右足の太腿に密着させて寝転ぶに等しい姿勢から、薄暗い路地に浮かぶ賞金稼ぎの姿をサイト越しに捉えて呼吸を1回。
 申しわけ程度の突起物である撃鉄を起す。
 この撃鉄は左右どちらの手でも操作できるが、左右の撃鉄はバーで連結されていないために、右側が倒れていても左側は起き上がったままだ。
 10m手前に迫ったときに躊躇わず引き金を引く。
 軽いトリガープル。ダブルアクションの自動拳銃に酷似したトリガーフィーリング。
 リコイルが伝わる。全身で受け止めるべき反動は背中や尻を通じて地面に押し流される。
 理屈の上ではいつもより軽い反動だが、やや無理をした体勢からの発砲だったので反動は腕を伝い、いつもより余分に肩で受け止める。
 無理な体勢で左右の掌を用いたカップ&ソーサーでの構え方から感じる、新しいリコイルショックを知識として拾う望実。
 サイトの向こうでは腹部を中心に体を折り畳みナイフのように折って膝から崩れる同業者を確認した。
 仰向け倒れて咄嗟に受け身を取って、起き上がる駄賃に1人、邪魔者を排除して呼吸1回。
 路地裏で寝転がるのにそろそろ嫌気が差してきた自分を発見する。
 業腹ながら被弾面積の少ない今の体勢……仰向けに寝転がったままマテバMTR―8の特殊ローダーを交換する。まだ2発の実包が残っていたが起き上がった途端に新手の襲撃で対応が遅れる可能性があったからだ。
「……あ」
 再装填の際に気がついた。
 銃口を狭い夜空に向けて掌に特殊ローダーを落とし込んだときに、ふとみえた大きな流れ星。
 その流れ星から何の紐付けもなく、すうっとマテバMTR―8のアイアンサイトに視線を向ける。
 自分のオーダーで打ち込ませた蓄光ドットの塗料が光りを充分に蓄えていないことに気がついた。
――――ツイてない。
 験担ぎをする性格ではないが、何が起きてもおかしくない状況では何に足元を掬われるのかが解らないので、できるだけ万全の体制で臨みたかったのに……仕事に対する遺漏を発見して軽く凹んだ。
 カーゴパンツのベルトループに通したポーチ――小物を仕舞う普通のベルトポーチ。薄利多売の量産品――には合計で14個の特殊ローダーを押し込んでいる。
 8発の38splを束ねる特殊ローダー本体が完全に実包の尻を挟み込むので、乱雑に扱っても特殊ローダーから実包から外れることはない。
 この点は、普通の輪胴式で用いるスピードローダーより優れていると評価できる。樹脂でできているスピードローダーでは外圧で変形して銜え込んでいる実包が外れる事例が案外と多い。
 再装填を終え、呼吸3回分の短い休憩を入れると立ち上がり、辺りに神経を注ぎながら再び追跡を開始する。
 各所で勃発している銃撃戦の数が少なくなってきた。
 望実を敵視して銃撃する同業者も少ない。
 賞金稼ぎ同士の殺し合いも終わりに近づいている。
 頭を押さえる一方の二輪連中も、痺れを切らせたか区画の内情を悟って商売敵が少なくなった時期を見計らったのか、この区画に侵入してくる者もでてきた。
 自分の武器である機動力を捨てた連中がどのような働きをみせるか不明だが、矢張り、最初は区画内部で繰り広げられている同業者同士の銃撃戦に目を白黒させることだろう。
 発砲。発砲された。
 被弾しなかった。
 鼓膜を劈く銃声。
 その後に続く胎にくぐもる木霊。
 連射なれど広い間隔を置いた発砲。
 微かに聞こえる、革の水袋を横倒しにするのに似た鈍い水音。
 誰かが撃たれた。
 この近い距離で誰かが撃たれて、負傷して脱落した。
 今までは背中や左右の手側の死角から襲い来る銃声。
 今度は違う。『明らかに向こうから聞こえた。向こうから撃ってきた。誰かを狙った結果、誰かが仕留められた』。
 望実の背筋が凍る。改めて危険な区域に自分がいることを思い知らされる。
 賞金稼ぎも生きている。賞金首も生きている。撃つ一方のワンサイドゲームで終わらないことをそれは告げていた。
 再び発砲音。あの発砲音。輪胴式。恐らくマグナム。
 突き抜ける鋭い咆哮。
 恐らく長い銃身。
 賞金首の反撃も充分に予測していたが、事前に買い取った情報に拳銃を遣う……あるいは拳銃も遣えるという特記事項はなかった。
 なのに、賞金首の拳銃の腕前は音だけで解る。
 音だけで理解させられてしまう。 
 現実として発砲回数に比例して賞金稼ぎ側の発砲音が少なくなってきている。
――――!
――――『違う!』
 賞金首は賞金首じゃない! ……その答えに到る。確証はない。少なくとも事前に目を通していた資料以外のことが頻発している。
――――いつから『情報は正しいと錯覚していた』!
 情報屋の情報は正しいだろう。
 ……だが、賞金首がそれ以上の秘匿した情報を今、ここで披露しているとなったら、それは最早情報以外の情報で、情報を超えた情報ということだ。
 情報屋の落ち度も責められよう。しかし、情報屋の耳と目すら韜晦できる能力を持った賞金首ということでもある。
 眩暈を覚える。脂汗が吹き出る。喉が渇く。滝のようなアドレナリンが沸き立つ。
――――遊ばれていた!
――――『自分達が遊ばれていた!』
 追い駆けていたのではない。
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