驟雨の前に珈琲を

 人間の心理の裏を掻く戦術を基礎に組み立てられたスキルを修得した人間は、トリッキー、奇抜、奇手烈な戦法で裏を掻くことを前提に行動する。
 奇襲対策ありきでのタクティカルテクニック。
 腹に一発、熱い鉛弾を受ける覚悟で臨まないと呆気なく返り討ちにされる。
 勝機があるのなら一瞬。
 勝機を逃せば後続の同業者連中の人海戦術に頼るしかない。
 勝機がなくなっても、賞金首である明塚一臣の遁走を許すという選択はしない。
 あくまで信用商売。自分が落とした信用は自分が尻を拭けばいい。
 だが、賞金稼ぎとしてこの場に臨んでいる望実が破れるということは賞金稼ぎという職業全体のネームのクオリティを下げる結果を招く。
 悔しいが、獲物を横取りされても最終的に『賞金稼ぎが仕留めれば恰好はつく』。
 勿論、そんな心の保険に易々と頼るような望実ではない。
 この場を荒らされないように高額の料金を払って複数の腕利きの情報屋にブラフをばら撒いて貰った。その上に足元をみられて口止め料まで払わされたのだ。
 明塚一臣という元フィクサーを仕留めなければ彼女の矜持とプロ意識が許さない。
 唯一解らないのは、『何故、望実、あるいは賞金稼ぎを弄ぶ真似をしたのか?』に集約する。
 明塚一臣に何のメリットもないはずの無為な行為。
 海外逃亡を目論むにあたり、愛銃は邪魔なので処分したい。
 その上で残弾を腐らせるのは惜しいから撃ち捲くった……とは考え難い。
 充分に計算された銃撃と砲撃。
 無駄弾は、ない。
 遮蔽……大きな遮蔽ほど、指切り連射で、みえぬ賞金稼ぎの頭を押さえ込もうと9mmパラベラムが風穴を開ける。
 明塚一臣の足音が聞こえる。
 小まめにリップミラーを翳して動向を探る。
――――!
――――知ってる!
――――『知られて』いる!
 望実がリップミラーあるいは、鏡状のもので視界の死角から外部を窺っているのを知っている動きだ。
 明塚一臣も遮蔽伝いに移動を繰り返している。
 38口径の豆鉄砲を恐れている動きではない。
 奇襲を仕掛けにくいポジションを模索している動きだ。
 同じ拳銃弾でも、同じ9mm口径でも基本的なスペックが違う。
 火力で押し切るのなら、短期決戦を仕掛ければ明塚一臣の勝率が高い。それをしない理由……狙撃の精度だろう。
 マテバMTR-8。腐っても射的競技を前提に設計された拳銃。
 下手な命中精度ではすぐに廃れる。
 珍妙なスタイルだけでは欧米の市場では生き残れない。
 その命中精度はハイエースのタイヤを撃ち抜いたときに悟ったのだろう。
 腕だけでカバーできない精度。精度だけでカバーできない腕。合わさることで発揮できる能力。
 勝機は一瞬。
 望実は何度も自分の頭にいい聞かせる。
 明塚一臣が既に半径50m以内に近付いている現在、その姿をみせたときがお互いの最期。
 お互いのどちらかの最期。
 トイレブースからプレハブ事務所、瓦礫の飯場と移動を繰り返す。
 望実も明塚一臣もお互いの姿を隠しながらのイタチごっこ。
 互いの気配だけを頼りに追い、追い駆ける。
 互いの体臭や呼吸が聞こえてきそうなほどに近い位置にいる。
 互いの潜伏場所に飛び込めば、互いが先ほどまで潜伏していた場所に飛び込む。
 自分の尻尾を追い駆ける犬のような間抜けな展開。
 本人たちは到って正常で、正統で、王道で、見事なまでに教科書通りだった。
 自分の尻尾をみせずに、相手の尻尾をみつけ、追い、仕留める。流石の40mmグレネードも出番が少なそうな展開。
 無為にフルオートで居場所を報せることもない。無為に38口径で威嚇することもない。
 自分が停まれば相手も停まる。
 自分が呼吸をすれば相手も呼吸をする。
 姿も位置も解らない、然し、気配は解る奇妙な関係。
 殺気や敵意といったネガティブなニュアンスを持つ気配だけが独特の、殺伐としたフィールドを形成する。
 足音も衣擦れも吐息も聞こえる。
 心底、窺いたいのは相手の無防備な背中だけ。
 これだけの近距離だと38口径も短機関銃も関係ない。
 熱く焼けたタマを叩き込んだ者勝ちだ。
 38splの豆鉄砲なれど、弾頭はジャケッテッドホローポイント。停止力には自信がある。9mmパラベラム。弾痕からフルメタルジャケットだと思われるが、短機関銃で問題なく使用できることを鑑みるにハイベロシティの強装弾だろう。双方、1発的中すれば勝負はつく。
 鼓膜が破れそうな耳鳴りが襲いくる。
 眩暈に似た不快感を覚える。
 過呼吸発作直前の荒い呼吸が口から漏れる。
 嫌な汗が背中を走る。
 遮蔽から遮蔽に滑り込むたびに寿命が削られる錯覚。
 明塚一臣も望実と全く同じ症状を訴えているのなら、人間的に好意を覚えるが、生憎と、足場を構築する長い鉄パイプから漏れ聞こえる呼吸は一定で鉄の心肺機能を具えているのが理解できた。
――――『理解』?
――――!
 鉄パイプ。
 遮蔽の間を、瓦礫の間を縦横に走る鉄パイプ。
 連結部位にエルボーを用いた塩ビパイプの雨樋もある。
 突き出る鉄パイプやパイプに耳を当てれば自分以外の人間の『音』が限定的に聞こえる。
 自然と呼吸を止める。
 荒い呼吸を堪える。
 腕時計は残り1分を告げている。
 荒い呼吸を無理矢理呑み込んで、息を止める。末端まで充分な血液が循環せずに震えが始まる。そのピークが訪れるまでにカタがつく。
 カタがつくには充分過ぎる時間だ。
 今なら呼吸を止めたまま全力疾走をしても肺が壊れることより、自分の命が消えるか否かの瀬戸際に急かされて『何でもできそうだった』。
 直線。
 目前にも直線。
 左手側から伸びた鉄パイプも直線。
 明塚一臣が同じことを考えていたとしても、先に引き金を引いた者勝ちだった。
 先手を打って起こるべくして起こるクリティカルヒットを狙った方が勝つ。
 躊躇はない。
 二つの直線を交互にみながら、鉄パイプに銃口を突っ込んでダブルアクションで引き金を引く。
 『撃鉄を起こす音を聞かれると全てが狂う』。
 勢いよく、5発の38splは弾き出される。鉄パイプの向こうの、直線上の向こうにいる明塚一臣を狙って鉄パイプの中を38口径の弾頭が内壁を削りながら直進する。
 直径4cmほどの鉄パイプの中を音速より僅かに遅い弾頭が突き進む。
 音速より遅いとはいえ、普通の人間では対処できない速度。
 普通の人間なら、だ。
 戦果と手応えを今は、確認しない。
 5発放った後、彼女は左踵を軸に体を90度右に回転させ、『何もないであろう直線上の夜陰に向かって発砲した』。
 その夜の虚空、目線の高さの、銃口の直線状に飛び出した人型を象る、一層黒い影に命中した。
 たった1発。38口径の変形しやすい弾頭は充分なマッシュルーミングを発揮して直線上、25m先に飛び出した明塚一臣の右脇腹に射入孔を拵えて、体を半回転させて地面に倒れこむ。
 せめての抵抗にウジーが唸るが、ことごとく弾頭は地面を縫い、空薬莢を無秩序にばら撒いただけだった。
 悲鳴も何も聞こえない。
 横隔膜が破裂した生々しい破裂音が聞こえたような気がした。
「…………」
 きっかり1分経過。すなわち、タイムリミット。
 マテバMTR-8を握る手首全体がガタガタと震える。
 鼻と口を使い大きく深呼吸。
 喉の渇きが皮肉にも、脳味噌の回転力が劣っている彼女に活を入れる。
 彼女にミントのタブレットの存在を知らしめる喉の渇き。
 少しでも清涼感を得ようと助けを求めるようにミントのタブレットを噛む。
 更に深呼吸。ミントの清涼感が肺に一杯入り込み、混濁しかけていた意識を呼び戻す。
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