驟雨の前に珈琲を

 左右の、挟み撃ちに近いルートを辿るしかない。
 その道しかみえない。
 いまだに連中の手にイニシアティブが握られている証拠だ。
 滑り込んだトイレブース……の、砲弾の着弾点。
 瓦礫の山を築いているが、人工の造形物らしくない瓦礫に仕上がった部分なので、不規則な遮蔽が多い。
 その材質こそはFRPだが、遮蔽の脅威と特徴は、『そこに潜り込まれると、潜った人間の動向が窺えない』ということだ。
 遮蔽物とは防弾板ではない。
 相手から姿を晦ませる物体だ。
 弾が貫通しようがするまいが、相手が敵の姿を確認できなくなるのは、それだけで心理的優位性が保てる。
 火力では劣っているが、小回りの利く移動を繰り返して飯場の、連中の背後に回ることができたら勝利も同然。……だと信じたい。
 再装填。
 シリンダーに特殊ローダーを落とし込みフレームに嵌め込む。
 空薬莢しか挟まれていない特殊ローダーはカーゴパンツのサイドポケットに落とす。その手で新しい特殊ローダーをベルトポーチから抜き取る。
 いい加減、銃声の大合唱で鼓膜に耳鳴りを覚える。
 銃弾が遮蔽を叩く度に遮蔽が金切り声の悲鳴を挙げる。
 連中の弾切れを誘うのも作戦のうちだが、連中は『護り屋』だ。
 『護り屋』は基本的には戦わない。
 連中が発砲するのは弾幕を張り、襲撃者を足止めさせて、その隙に警護対象をエスコートして逃走するのが本来のスタイルだ。
 つまり、今現在、賞金首の明塚一臣を連れて飛び出る機会が連中にはみえていないのだ。
 訓練度はバラバラ。なれど、M203A1をアッドオンしたウジーの存在は大きく、短機関銃の銃声は犬笛さながらに、やや遅れを取る拳銃を構えた連中を導く。
 銃口の走る先をみていてようやく、看破する……ウジーを遣う『護り屋』が連中のリーダーだ。
 指揮官でなくとも、要を任された最大戦力であることには違いない。物騒極まりない短機関銃を黙らせるのが先決だ。
 ダッシュ。イニシアティブも奪取。
 駆ける。遮蔽物から飛び出る。
 片手一本くらいくれてやる気分で駆ける。
 ミントのタブレットで自己暗示をかけ、恐怖に慄く自分を無理矢理宥めてからの自殺行為と紙一重の吶喊。
 目標は飯場の壁面。
 廊下の真下に滑り込み、ウジーを構える男がいる事務所の死角に飛び込めばいい。
 予想通り短機関銃の洗礼が足元を縫いながら迫ってくる。
 ノクトビジョンを装備しない状態の暗がりで、直に銃口を60m以上離れている標的に定めないだけ、『腕』がいい。地面を縫う着弾の小さな土煙を目印に銃口の向きを操作して標的に決定打を与える方法を知っている。
 それは『護り屋』というより殺し屋のスキルだった。
 トレーサーでもブレンドしていない限り、暗い場所での発砲で銃口からの火線を頼りに照準を修正していくのは至難の業だ。
 お互いが立った状態である程度の距離が開き、形成されたばかりの戦闘区域なら、地面の着弾で集弾を調整した方が早い。
 多少の無駄弾は必要だが一度距離感を掴めば後はその感覚を応用すればいい。
 それほど光源が乏しいとのだ。
 目印として用いていたであろう、トイレブースとそれに取り付けられた外灯はグレネードランチャーの砲撃で満遍なく被弾して破損。瓦礫に転じた遮蔽の山が残った。
 流石にウジーの遣い手も舌打ちを禁じえないだろう。
 飯場のプレハブの廊下に潜り込めた望実は、すぐには階段を駆け上がらずに、ウジーの男に向かって牽制の銃撃を浴びせる。
 当たらなくてもいい。
 ほんの少し、あの男を反射的に遮蔽に飛び込ませたらそれで成功だ。
 相変わらず影を背負った男は、携えたアンバランスなウジーを抱えたままバックステップを踏んで遮蔽に身を潜める。
 マテバMTR-8の銃火をみた瞬間の判断。
 身のこなしから、どう考えても『護り屋』には向かないスキルばかりを修得している気がしてならない。
――――残弾5発。
 シリンダーの残弾と同じく小指に挟んだ特殊ローダーを意識する。
 撃鉄を起し、ウジーの男の死角にある階段側へ廻り、階段の裏側に立つ。
 連中が賢ければ、この階段の上に集まり、床下に向かって銃火を浴びせるだろう。
 ウジーの男がやってくるまでに、飯場に篭城する明塚一臣を仕留めるまで3人の『護り屋』を始末しなければならない。
 この場で1人でも残していれば、その1人が明塚一臣を連れて遁走するのが容易に予想できた。
 マテバMTR-8を口に横銜えにし、ひょいと飛び、階段の裏側に飛びつく。両方の指先を突起に引っ掛けぶらさがる。
 段と段の間には向こうがみえる。
 ステップ型の階段だ。
 指を掛けられる場所があれば、この程度の階段ならボルタリングのオーバーハング攻略と同じ理屈で登りきることができる。
 撃鉄が起きたままのマテバMTR-8を顎から落とさないように慎重に指先と爪先を階段裏に掛け、重力に引っ張られながら登攀する。
 矢張りチョークバッグは必要だったか、と少し後悔。
 予想通りに足音が集中してくる。
 ステンレスで拵えられた足場パーツの流用で組み立てた階段や廊下の裏側の振動が連中の焦り具合を報せてくれる。
 連中からすれば、飯場に潜り込んだはずの襲撃者の姿がどこにも見当たらないのだ。
 連中が立っている場所の丁度裏側で、ナマケモノのごとくぶら下がっているとは予想できまい。
 イニシアティブが望実の手に渡ったのを実感。
 思わず口角が上がってしまう。だが、余裕も猶予もない。
 ウジーの男がこちら側に回り込む前に、飯場の廊下を制圧しなければならない。
 最優先事項の警護対象の死守に失敗すれば連中の敗北だ。
 連中に『護り屋』としての矜持があるのなら、失敗と同時に戦意の喪失を訴えておとなしく引き下がるだろう。
 今までもそうだった。
 商売柄、全ての『護り屋』とは因縁の仲だ。
 故に連中の矜持も理解している。
 藜直衛を仕留めたときに、賞金稼ぎ連中は望実の得物を横取りしなかった。
 望実を殺してでも奪う真似はしなかった。
 それが賞金稼ぎ……信用商売でなり立つあらゆるプロの世界での矜持といえた。
 賞金首に生死不問の札が張られている限り、賞金首――警護対象――が死体になれば連中は失敗だと判断し、手を引く。『この夜のことをなかったことにしようと目論んだりしない限りは』。
 ちらりと腕時計をみる。
 残り7分。
 カウントダウンする回転ベゼルがタイムリミットまでの時間を報せる。
 蓄光塗料でみやすく文字盤と針とベゼルのタイマーが塗られている。 階段からおっかなびっくり降りてくる足音。1人分。腕時計から眼を離す。五月蝿い鼓動を握り潰したい。横銜えにしたマテバMTR-8を右手に構える。
 右肘と小脇を大きく引いて自分の体にマテバMTR-8を密着させる体勢を取る。
 左手と両足の爪先だけでぶら下がっている。
 その体勢からの、発砲。
 階段の段差の隙間から覗いた右足首を撃つ。怪鳥のような悲鳴を挙げて、千切れかけた右足首を抱えたままの男がシグP226か、そのコピーと思われる大型自動拳銃を放り出して階段から転げ落ちる。
 体が回転するたびに血液を大きく撒き散らす。
 慌てふためく頭の真上10cm。目前の分厚いステンレスの向こうに2人いる。
 左手の指先に膂力の全てを任せる。
 爪先を階段のステップから離す。
 体は重力に従ってだらりと下がる。
 そのだらりと下がった瞬間に発生した運動エネルギーを体幹と爪先の振り子の力で増幅させ、左指先を中心に大きく体を振る。
 連中からすれば黒い虚空に大きな人影が躍るように浮かび上がったとみえたことだろう。
 2人の驚愕一色の顔色が滑稽にみえた。
 望実は階段の手摺に飛び乗る前に糸で縫いつけられたように動けない2人に容赦なく、躊躇なく、呵責なく発砲する。
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