驟雨の前に珈琲を
20分という数字を頼りにする最大の根拠は、情報屋に有料でブラフの情報をばら撒いてもらったからだ。
『賞金首は1時間後に到着』する、と。
嘘ではない。偽情報ではない。
わざと信頼性の低い情報をばら撒いてもらった。
いくつかの有力な情報屋を用いて時間感覚を欺瞞させる情報をばら撒いてもらった。それだけの別途料金が発生したが、この仕事を完遂させれば充分に報われる金額が振り込まれる。
残り15分。
夜陰に紛れて充分な観察を終えると、漸くマテバMTR-8を抜き放ち、撃鉄を起した。
相変わらず軽い撃鉄で、コッキングの感触がなかったらいつまでも撃鉄を押し込んでいそうだ。
小指に予備の特殊ローダーを挟む。
いつもの滑り止めの粉末が入ったチョークバッグはぶら提げていない。プレハブの壁面を攀じ登ることは想定していない。その代わり錆や突起による負傷から手首から先、指先を守るために、両手ともゴムの滑り止めがついた軍手――左右の人差し指と親指はハサミで切り落とされて指が露出している――を嵌めていた。
先程、視界に捉えたウジー短機関銃を携える男の背後に回りこんでプレハブのトイレブースの陰から慎重に狙いを定める。
あの男には今回の仕事の鏑矢となってもらう。
彼我の距離25m余り。
感覚だけでも的中させることができる距離。
月明かりの下に蓄光塗料のドットが浮かび上がる。
標的の男、フロントサイト、リアサイト、望実の眼が一直線に合わさった。……呼吸をスッと止めて引き金を引いた。
軽い力で、引くというより押し込むというのに似たフィーリングが指先に伝わる。
同時にリコイルショック。
掌で充分に吸収できるリコイル。
38口径の軽い発砲音が鏑矢として放たれる。
38口径の弾頭は音速よりも僅かに遅い速度で、しかし、今の人類では対処できない速さで飛び出し、男の背中の真ん中に命中する。
背後からタックルを喰らったようなモーションで前のめりに倒れる男。背骨だろうが背筋だろうがバイタルゾーンの裏側だ。無力化には成功した。
男を撃ち倒した銃声でプレハブの飯場の騒動を待つ。
突如の銃声に蜂の巣を突ついたような騒動を起こし、すぐにプレハブの飯場の電灯は全て落とされた。
セオリー通りの対処だ。
『護り屋』は5人。その内1人脱落。4人の『護り屋』との交戦を想定する。
事前の情報を信頼するのなら、明塚一臣と云う人物の戦闘力は知れている。
「……!」
背筋を氷で撫でられる気配。咄嗟に振り向く。
振り向きざまにマテバMTR-8を1発、発砲。
牽制の弾頭はトイレブースの15m向こうにあるプレハブの事務所の窓ガラスを叩き割る。
間髪入れずに銃撃。連なる銃声。短機関銃。小脇に抱えられる程度の短機関銃。……だが、違和感。
「!」
月光にまとわりつき気味だった群雲が晴れる直前に、望実は咄嗟にトイレブース沿いに駆けて走った。直線ではなく、ジグザグを描きながらだ。
シュポンという間抜けな『砲撃音』。
グレネードランチャーの砲撃だ。新手の短機関銃の男が使う得物のシルエットが異様だったので、頭の中のデータベースがすぐにパーツを集めて一つの答えに辿り着いた。
ウジー短機関銃のカービンモデル用銃身を捩じ込んだロングバレルモデル。そのハンドガード下部にシングルアクションの40mmグレネードランチャーで馴染み深いM203A1をアッドオンしたシルエットが脳内で完成した。
そしてそれを携える男。
ウジーの絶妙な重心バランスを台なしにするのと引き換えに手に入れた大火力。
折り畳みストックを伸ばし、何処にもM203A1用の照準器が見当たらないコンビネーションサブマシンガン。
感覚だけでM203A1を砲撃しているのだろう。
先ほどの砲撃で40mmグレネードランチャーはトイレブースを大きな握り拳で叩き壊したような残骸を造りあげた。
弾頭は対人用の擲弾だろう。直撃を受けなくとも半径10m以内で炸裂されては対処のしようが難しい。
手榴弾と違って転がって爆発しない。
手榴弾ならその場に爪先を手榴弾側に向けてうつ伏せに倒れ込めば助かる可能性は高い。だが、擲弾は違う。着弾点を中心に破裂する。
――――グレネードランチャーの弾頭には!
――――『安全装置』があるはず!
秒速80m程度で飛翔する40mmグレネードランチャーの弾頭には安全装置の役目を果たす信管が取り付けられている。
一定以上飛翔し、砲手から弾頭が離れなければこの安全装置は解除されない。弾頭の種類により設定されている数値は様々だ。
望実の知識ではM203や40mmグレネードランチャーを多用する米軍のマニュアルでは30m以内を危険域としている。
離れれば砲撃が。近付けば銃撃が。
近距離の応戦と牽制を主眼とした火器としては理想的な組み合わせだ。重心バランスが悪いという点を除けば。
M203A1による水平の砲撃。
悔しい話だが、この砲声の方が鏑矢として適している。
この温くも暑い不快指数の高い時期にトレンチコートをまとったシルエットが、プレハブの角ごとに取り付けられた街灯で浮かび上がる。
顔までは解らないが筋骨が盛ったよいガタイだというのは解った。
飯場の2階のスライドドアが開き、足場の廊下の左右に3人が展開して拳銃を乱射する。
2階外周をぐるりと囲むように取り付けられた足場の廊下。
4つの隅に1箇所ずつ階段が取り付けられており、ちょっとした篭城ができる櫓状の拵えになっている。
身を潜ませる遮蔽に乏しいこの場所ではトイレブースと事務所のプレハブが命綱だった。
事務所に近い駐車場には白いハイエースが2台停まっていた。恐らく逃走用に確保した車輌だろう。こんな場所でいつまでも潜伏していられるわけはない。今夜中に移動を始めるという事前の情報も正しい。
小癪な拳銃の乱射。命中精度は低い。
遮蔽から遮蔽への移動を繰り返すたびに、頭を押さえつけられて、いつも一拍分のタイミングがずれる。
追い立てるようなウジーの9mmパラベラムが、遮蔽にしているトイレブースや資材の山を激しく叩いて胆を冷やす。
面倒臭いと判断すればM203A1の水平での砲撃。応戦の機会すら掴み難い。
意図してタイミングがずらされている。
連中は自分たちの手に渡ったイニシアティブを奪われまいと必死で弾幕を張っている。
空薬莢がパチンコ玉の如く弾き出されて砂利の地面に転がる。
砂利に転がる小癪な金属音が耳障り。
背後の砲撃に気をつけながら前方のプレハブの飯場を睨む。
標的は十中八九、飯場の中だ。
教科書通りの展開なら、飯場の廊下から銃撃を浴びせているうち、誰かが賞金首の明塚一臣を連れて駐車場のハイエースに向かう。
目下のところ、駐車場とその近辺で遮蔽を活用している襲撃者である望実が潜んでいるので、真っすぐ駐車場に走ってくるとは考えられない……つまるところ、『護り屋』連中を殲滅させないと埒が開かない。
無駄弾をばら撒いて、下手に再装填のロスを増やすのは賢い牽制ではない。
それでも牽制無しでは易々と次の遮蔽に移れない。
一所に留まっていると40mmグレネードランチャーの大雑把な砲撃で挽肉にされる。
近付きも離れもしない移動を繰り返す。
心の中で残弾を数えながらの発砲。
『賞金首は1時間後に到着』する、と。
嘘ではない。偽情報ではない。
わざと信頼性の低い情報をばら撒いてもらった。
いくつかの有力な情報屋を用いて時間感覚を欺瞞させる情報をばら撒いてもらった。それだけの別途料金が発生したが、この仕事を完遂させれば充分に報われる金額が振り込まれる。
残り15分。
夜陰に紛れて充分な観察を終えると、漸くマテバMTR-8を抜き放ち、撃鉄を起した。
相変わらず軽い撃鉄で、コッキングの感触がなかったらいつまでも撃鉄を押し込んでいそうだ。
小指に予備の特殊ローダーを挟む。
いつもの滑り止めの粉末が入ったチョークバッグはぶら提げていない。プレハブの壁面を攀じ登ることは想定していない。その代わり錆や突起による負傷から手首から先、指先を守るために、両手ともゴムの滑り止めがついた軍手――左右の人差し指と親指はハサミで切り落とされて指が露出している――を嵌めていた。
先程、視界に捉えたウジー短機関銃を携える男の背後に回りこんでプレハブのトイレブースの陰から慎重に狙いを定める。
あの男には今回の仕事の鏑矢となってもらう。
彼我の距離25m余り。
感覚だけでも的中させることができる距離。
月明かりの下に蓄光塗料のドットが浮かび上がる。
標的の男、フロントサイト、リアサイト、望実の眼が一直線に合わさった。……呼吸をスッと止めて引き金を引いた。
軽い力で、引くというより押し込むというのに似たフィーリングが指先に伝わる。
同時にリコイルショック。
掌で充分に吸収できるリコイル。
38口径の軽い発砲音が鏑矢として放たれる。
38口径の弾頭は音速よりも僅かに遅い速度で、しかし、今の人類では対処できない速さで飛び出し、男の背中の真ん中に命中する。
背後からタックルを喰らったようなモーションで前のめりに倒れる男。背骨だろうが背筋だろうがバイタルゾーンの裏側だ。無力化には成功した。
男を撃ち倒した銃声でプレハブの飯場の騒動を待つ。
突如の銃声に蜂の巣を突ついたような騒動を起こし、すぐにプレハブの飯場の電灯は全て落とされた。
セオリー通りの対処だ。
『護り屋』は5人。その内1人脱落。4人の『護り屋』との交戦を想定する。
事前の情報を信頼するのなら、明塚一臣と云う人物の戦闘力は知れている。
「……!」
背筋を氷で撫でられる気配。咄嗟に振り向く。
振り向きざまにマテバMTR-8を1発、発砲。
牽制の弾頭はトイレブースの15m向こうにあるプレハブの事務所の窓ガラスを叩き割る。
間髪入れずに銃撃。連なる銃声。短機関銃。小脇に抱えられる程度の短機関銃。……だが、違和感。
「!」
月光にまとわりつき気味だった群雲が晴れる直前に、望実は咄嗟にトイレブース沿いに駆けて走った。直線ではなく、ジグザグを描きながらだ。
シュポンという間抜けな『砲撃音』。
グレネードランチャーの砲撃だ。新手の短機関銃の男が使う得物のシルエットが異様だったので、頭の中のデータベースがすぐにパーツを集めて一つの答えに辿り着いた。
ウジー短機関銃のカービンモデル用銃身を捩じ込んだロングバレルモデル。そのハンドガード下部にシングルアクションの40mmグレネードランチャーで馴染み深いM203A1をアッドオンしたシルエットが脳内で完成した。
そしてそれを携える男。
ウジーの絶妙な重心バランスを台なしにするのと引き換えに手に入れた大火力。
折り畳みストックを伸ばし、何処にもM203A1用の照準器が見当たらないコンビネーションサブマシンガン。
感覚だけでM203A1を砲撃しているのだろう。
先ほどの砲撃で40mmグレネードランチャーはトイレブースを大きな握り拳で叩き壊したような残骸を造りあげた。
弾頭は対人用の擲弾だろう。直撃を受けなくとも半径10m以内で炸裂されては対処のしようが難しい。
手榴弾と違って転がって爆発しない。
手榴弾ならその場に爪先を手榴弾側に向けてうつ伏せに倒れ込めば助かる可能性は高い。だが、擲弾は違う。着弾点を中心に破裂する。
――――グレネードランチャーの弾頭には!
――――『安全装置』があるはず!
秒速80m程度で飛翔する40mmグレネードランチャーの弾頭には安全装置の役目を果たす信管が取り付けられている。
一定以上飛翔し、砲手から弾頭が離れなければこの安全装置は解除されない。弾頭の種類により設定されている数値は様々だ。
望実の知識ではM203や40mmグレネードランチャーを多用する米軍のマニュアルでは30m以内を危険域としている。
離れれば砲撃が。近付けば銃撃が。
近距離の応戦と牽制を主眼とした火器としては理想的な組み合わせだ。重心バランスが悪いという点を除けば。
M203A1による水平の砲撃。
悔しい話だが、この砲声の方が鏑矢として適している。
この温くも暑い不快指数の高い時期にトレンチコートをまとったシルエットが、プレハブの角ごとに取り付けられた街灯で浮かび上がる。
顔までは解らないが筋骨が盛ったよいガタイだというのは解った。
飯場の2階のスライドドアが開き、足場の廊下の左右に3人が展開して拳銃を乱射する。
2階外周をぐるりと囲むように取り付けられた足場の廊下。
4つの隅に1箇所ずつ階段が取り付けられており、ちょっとした篭城ができる櫓状の拵えになっている。
身を潜ませる遮蔽に乏しいこの場所ではトイレブースと事務所のプレハブが命綱だった。
事務所に近い駐車場には白いハイエースが2台停まっていた。恐らく逃走用に確保した車輌だろう。こんな場所でいつまでも潜伏していられるわけはない。今夜中に移動を始めるという事前の情報も正しい。
小癪な拳銃の乱射。命中精度は低い。
遮蔽から遮蔽への移動を繰り返すたびに、頭を押さえつけられて、いつも一拍分のタイミングがずれる。
追い立てるようなウジーの9mmパラベラムが、遮蔽にしているトイレブースや資材の山を激しく叩いて胆を冷やす。
面倒臭いと判断すればM203A1の水平での砲撃。応戦の機会すら掴み難い。
意図してタイミングがずらされている。
連中は自分たちの手に渡ったイニシアティブを奪われまいと必死で弾幕を張っている。
空薬莢がパチンコ玉の如く弾き出されて砂利の地面に転がる。
砂利に転がる小癪な金属音が耳障り。
背後の砲撃に気をつけながら前方のプレハブの飯場を睨む。
標的は十中八九、飯場の中だ。
教科書通りの展開なら、飯場の廊下から銃撃を浴びせているうち、誰かが賞金首の明塚一臣を連れて駐車場のハイエースに向かう。
目下のところ、駐車場とその近辺で遮蔽を活用している襲撃者である望実が潜んでいるので、真っすぐ駐車場に走ってくるとは考えられない……つまるところ、『護り屋』連中を殲滅させないと埒が開かない。
無駄弾をばら撒いて、下手に再装填のロスを増やすのは賢い牽制ではない。
それでも牽制無しでは易々と次の遮蔽に移れない。
一所に留まっていると40mmグレネードランチャーの大雑把な砲撃で挽肉にされる。
近付きも離れもしない移動を繰り返す。
心の中で残弾を数えながらの発砲。