驟雨の前に珈琲を

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 メンテナンス、上々。作動も問題無し。弾薬もいつも通りのジャケッテッドホローポイント。
 年々特殊ローダーの入手が困難になってきているので、映画のように空の弾倉を捨てる感覚で扱えない。
 海外のオークションサイトでみつけ次第落札しているが、殆どが中古品ですぐに経年劣化による破損が発生する。
 特殊ローダーは本を開くように開いて実包を落とす穴に実包を差込み、本を閉じるように合わせる。
 そして小さな、爪の先でしか操作できない90度に捻る簡素なロックを掛けて締め付ける。
 そんなわけで特殊ローダーによる再装填は素早いが特殊ローダーに実包を詰める動作や空薬莢を抜き出す動作は、命の危険が及ばない場所で時間のあるときにゆっくり行わないといけない。
 元々戦闘用にデザインされた拳銃ではない。
 嘗ての名称もマテバ・スポーツ&ディフェンスだが、ホームディフェンス程度の火力しか有しない拳銃にモダンピストルの即応性を求める方が間違いなのだ。
 そこそこの命中精度と輪胴式の信頼性、グリッピングの感触だけで選んだ。
 外見を問わないチョイスを敢行し、実際に使いこなす望実はある種の変わり者といえた。
 彼女にいわせれば、下手な自動拳銃より扱いやすく、反撃の余地を与える前に仕留めれば何も問題はない。
 だからグリップのフィーリングと『長いサイト』――フロントサイトからリアサイトまでの距離――は照準を合わせやすいらしい。
 藜直衛との死闘前に遺漏していたサイトの蓄光ドットも新しい塗料で塗り替えてサイティングも済んでいる。
 微調整が可能なアジャスタブルサイトではないので、リアサイトの左右の調整とフロントサイトの上下の調整でアイアンサイト越しにゼロインを行うしかない。
 尚、ゼロインの距離は30m。それ以上、それ以下では感覚と直感だけが頼りの職人芸が求められる。
 いつもの灰色のジャージ。いつもの灰色のカーゴパンツ。そろそろ長袖の上着も暑い時期。
 ここら辺でバカンスに出かけられるほどに大きな仕事を済ませて、大金を持って硝煙とは関係のない世界で休暇を取りたいものだ。
 長くなってきた髪も短く整えたい。
 今は雀の尾羽のような髪。それもゴムでまとめるのも無理が出てくるだろう。思い切ってベリーショートもいいかもしれない。
「……よし……行こう!」
 夜更けの玄関を開ける。
 湿った温い風が望実を歓迎する。
 最寄りの駅まで原付バイクで乗りつける。そこから電車とバスとタクシーを何度か乗り継ぎ、大回りで目的地に向かう。
 目的地は山間部の造成地。
 開発が進んで更地を広げている最中の、広く見晴らしがいいだけの土地……その地区を開発している作業員用の急造の飯場。
 プレハブ2階建て。
 近くにプレハブ2階建ての事務所とトイレブースがある。
 飯場の規模は40人の作業員が同時に食餌を摂れるほど広く、1階が飯場で2階が更衣室兼休憩室だ。
 事務所は飯場より小さな造りで、急造の駐車場に隣接しており、20を超える個室を繋げたトイレブースが近い。
 そのプレハブの飯場を見下ろす。
 左手首の簡素なデザインのダイビングウォッチが午後10時半を告げている。
 時刻が正確に解ればそれでいい。そんなデザインの腕時計だ。
 ダイビングでの用途を前提に設計されたビクトリノックスの腕時計で、回転ベゼルも当然のことながら左回転しかしない。
 あらゆるハードシチュエーションに耐えられる信頼性は流石にスイスの腕時計だ。
 その腕時計の回転ベゼルを左巻きに回転させて20分のカウントダウンを開始させる。
 背中に背負っていた小型のザックを足元に下ろす。
 彼女の狩りが始まった。
 休日の午後10時半。
 灯りが点るはずのないプレハブの飯場2階。
 そこに賞金首はいる。
 同業者より先んじたのは運がいい。
 あるいは送信されてきたリストに大物が多過ぎて賞金稼ぎ界隈が分散され過ぎたか。
 足元が整っていない斜面を、月光を頼りに滑るように降りる。
 街中での道なき道は得意でも、都会らしい建築群が跋扈していない場所では昔ながらに正攻法で攻めるしかない。
 事前の情報では『護り屋』という警護専門の暗黒社会の住人を5人、雇っている。
 賞金首の名前は明塚一臣(あかつか かずおみ)。47歳。
 地元の暴力団と第三国人勢力を繋ぐ調停者……所謂、フィクサーだったが、強欲に駆られて商談で失敗。
 地元の暴力団からも得体の知れない勢力からも命を狙われる。
 いくつかの情報を統合すれば、フィクサーを生業としつつあらゆる勢力とのパイプとコネを活かし、ダブルスパイを働いていたのが露見してしまったようだ。
 しかも最初に露見した相手が、明塚一臣に資金援助して私服を肥やしていた財界の大物で、その財界の周辺事情の裏情報まで売り捌いていた。
 情報を換金するスリルと多幸感や射幸性に煽られて火消しができない場所まで追い込まれていた。……その結果、生死不問の賞金首となった。
 自業自得。確かに新鮮な情報は強力な武器であり金蔓だ。
 同時に自らをいつでも破滅させられる危険を孕んだニトログリセリンだという認識を欠いていた。
 アルバイト感覚で情報を扱って、知らぬ間に消えていた人間などいくらでもいる……賞金稼ぎのような殺し屋と紙一重の存在のせいだ。
 プレハブの周囲に警戒要員と思われる人間の姿が確認出来る。1人。短機関銃を肩掛けしたスーツ姿の男だ。
 短機関銃はおぼろげなシルエットからウジーだと解る。
 折り畳んだストックとグリップエンドから伸びる弾倉の影が、名称を決定づける。
 明らかに手を抜いている。気を緩めている。
 緊張感が感じられない。……右回りにプレハブに回り込む。
 飯場のプレハブから150mほど離れ、そこを中心に監視。
 飯場の2階の窓際に立つ影は見当たらない。当面の脅威はウジーを携えた男だけだ。
 タイムリミットは残り17分。
 当初にタイムリミットを20分で切った理由は、同業者の到着を見越してのことだ。
 運良く一番乗りできたが、時間が経過すればそれだけ不利になる。
 過去の経験から一番乗りを果たしても、同業者と現場でカチ合う平均時間は20分だった。
 狙撃銃を用いる賞金稼ぎが既に狙いを定めている可能性は低い。
 射的屋は何かと条件が揃わなければ引き金を引かない。
 風見すら設置できず、試射すら怪しい条件で発砲は考えられない。
 腕のいい狙撃手は3発目で標的に着弾させる。1発目は銃と弾薬の相性。2発目が銃のコンディションを計るため。3発目で的に着弾。
 銃をばらして組み立てて狙撃するのはTVと銀幕の中の狙撃手だけだ。
 3発目で着弾するように修正された狙撃銃を持って来たとしても、スコープ越しの世界は全く違う。250m先に標的が有るのなら250m前後で着弾するように調整されている。つまり、約250m離れた場所に絶好のポジションが存在するとは限らない。
 軍隊の狙撃手や警察の狙撃手とは条件が違う。
 『出来ないことを金で買い取って達成して売り付ける』のがこの業界の真髄だ。
 出来ない狙撃の条件を好んで買い取って、態々しくじる奴はただの目立ちたがり屋だ。先の例を用いるなら250mの狙撃で最高のスペックを発揮する弾薬を選ぶか、自作するかという辺りから狙撃の勝負は始まっている。
 チームを組む賞金稼ぎの介入も視野に入れている。
 仕留めるべき対象ではないが、命懸けで排除する対象が増えるのだ。……それらの到着を考慮しての20分。
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