租界の陰の金牛宮
依頼主は外国資本の密売組織。
その橋頭堡を確保するための前段階として、みせしめとして血祭りに上げるだけの簡単な仕事だ。
仕事内容はシンプル。
ライバル組織同士の抗争をみせかけるだけなのだから。
実際は確実な死を提供するために速やかに突入し、暴れているかのような弾痕を穿ち、屠って消えること。
「楽じゃないわよね……確かに」
100mも歩かない。直ぐに目的地に到着。
正面のドアに人影はない。
五指を覆う右手用のシューティンググラブを手に嵌めてその手で引き開きのドアを開ける。
元気のない蛍光灯が出迎えてくれる。
足下まで辛うじて光りが届いている程度の頼りない光源。
足音をできるだけ殺して階段を上がる。エレベーターは使わない。
どの階にも人気はない。4階に近づくほど、喧騒が大きくなる。酒でも呑みながら収益の配分でもしているのだろう。
どんな札束が積まれていても一銭も手を付けてはいけない。
それは臨時収入ではない。現場荒らしだ。警察に対する妨害ではなく、依頼人の注文には書かれていなかった事項だからだ。
書かれていないから行ってもよいという考えではクライアントに無言で誠意をみせつけることができない。曳いては次回もまた雇ってくれる得意先になる確率が下がる。
4階へ向かう踊り場で一旦、足を止める。
人の気配が読みにくい。喧騒が大きすぎてまだみえぬドアの前の状況が窺い知れない。
コンパクトを床面付近から突き出して角の向こうを探索。
ドアが開きっ放しのため、喧騒がダダ漏れ。こんなに五月蝿いと廊下に配置された気配を察知できない。……結果的に誰も警備に立っていなかったのだが。
耳を澄ます。喧騒の声を分析。人数の割り出し。反響する音声の発生場所を解析。音と声の大きさと位置から人数、配置、立位か座位か、『誰が主人公か』を索く。
廊下。
直線距離7m。
無防備に開いたドア。
ペーパーリストでは今宵は合計8人以上12人以下の密売人が集まる。
その首魁と有力者の合計3人を仕留めることが最低の勝利条件。
その他全員を致死に足らしめることができれば大勝利。
7m先のドアを目前に、陸上選手のようにクラウチングスタート。
号砲もなく突如のスタート。
風が走る。風を走る。
切って落とされる火蓋。
7m。充分な加速がつく頃には室内。そしてゴール、すなわち敵地ど真ん中。
視線だけを左右に走らせる。
加速するエネルギーに憑りつかれた体は真正面の壁を蹴って天井付近まで大きく三角飛び。
景色が高速で流れ、転地逆さまにひっくり返る。
天が地。地が天。
視界が真っ逆さまになった瞬間に首を廻らせて室内の配置を視認、記憶。
彼女の突如とした無茶な侵入は、室内にいた一堂の真ん中に手榴弾でも放り込んだような効果を及ぼした。
誰しもが首を上げ、目を大きく引ん剥いて驚いていた。
素早い判断と運動神経を具えた誰かが後ろ腰に手を滑り込ませるのがみえた。
着地寸前の綾左は両足が着弾するより早くタウルスPT-908を抜き放ち、セフティを解除する。
残像を残さんばかりの速度で定められる銃口が、最初に獲物としたのは、後ろ腰に手を廻した男ではなく、その男の右側隣のソファで座っている、一番反応の遅い男だった。
9mm、吼える。
ソファに座った男の左胸部に9mmパラベラムのジャケッテッドホローポイントが約束されたように命中し、男はなす術もなくソファに座ったまま軽く体を震わせた。
自分の右側の男が被弾した事実に一番早い反応をみせた男の手が一瞬、止まる。
瞬間的に催されたチキンレースだと勝手に思い込んでいた男は眼の前で両掌の拍子で驚いたように硬直し、一瞬で攻撃のチャンスを奪われた。
その男に次の機会は訪れなかった。
無常に放たれる9mmパラベラムの弾頭の餌食となり、腹腔に孔を拵え、その場に伏せるように倒れる。
―――『一つ』。
標的の3人の内、1人を早くも屠る。
今し方のよい反応をみせた男ではない。
ソファに座っていた男だ。
血飛沫の飛び散り方や被弾箇所、被弾した瞬間に吹き出た血液の形状からして間違いなく心臓に銃弾がめり込んでいる。命に別状のある負傷を与えた。
室内の広さは目測で25平米。
事前に入手していたビルの見取り図とフロアの広さは体験してみないと、感覚として会得しにくい。
壁から出っ張った柱や本棚、机、ソファといった家具や調度品、人の密度などで、図面上の数値から大きく解離する。
この部屋は字型をなしている。
9mmパラベラムで充分ことたりる戦闘区域だが、相変わらず、敵陣ど真ん中で自ら鉄火場を展開する癖は悪癖だと思った。
床に下り立ち、膝のクッションを利かせ、低い姿勢から大きく跳ねる。
部屋の中央にあった汚れた札束と粉末が詰まったパケが乗った折り畳み事務テーブルの上を転げながら、右手を大きく伸ばし、2発発砲。2発とも、驚愕の渦の中にあった男の1人に命中する。
――――!
――――10人か!
――――今3人ヤッたな!
――――残り7人!
――――弾倉に4発。薬室に1発
テーブルの上から転げ落ち、今度は床を大きく踏み締めて、今転がってきた長いテーブルを左足で大きく蹴り上げる。
発砲するべく拳銃を抜いたばかりの男2人が罵声を浴びせながら銃口を向けつつ腰を落とす。
その2人に向け、今し方蹴り上げられた長テーブルが差し渡すように足刀で押し込む。
咄嗟のことに2人とも目前に広がる細長いテーブルを両手を翳して条件反射的に防御する。その間髪に露になる2人の腹部に9mmパラベラムを1発ずつ叩き込む。
テーブルの向こうから呻き声が聞こえ、テーブルが2人の足下に落ちた瞬間に、生気を失う表情の2人の胸部にさらに1発ずつ叩き込む。
マガジンキャッチを押しながら、右手を大きく右側に振る。
手刀の血振るいでもをするかのような動作。
背後にいた、判断も初動も鈍い男の顔面に空弾倉が直撃する。
顔面に重量物を叩きつけられた男が鼻を押さえて蹲る。捻った上体を戻しつつ、左手に用意した予備弾倉を胸の前でマグウェルに差し込む。抜き放った刀を芝居掛かったモーションで鞘に戻すのと同じアクションだ。
違うのはいまだ、この鉄火場は開帳したばかりだということだ。
――――1人、無力化。暫くは蹲ったままだね。
――――残り4人。
――――標的は……?
兎に角連中を逃がさないこと。
兎に角連中に増援を呼ばせないこと。
兎に角連中を速やかに屠ること。
綾左の辺りを囲むように位置していたそれぞれも、充分に反撃の体勢が整う。
発砲音が狭い空間で連なる。
綾左の一方的な攻撃ではなく、視界の端や死角からの攻撃。
アドレナリンが噴出する。背中を走る冷たいものが熱くなった体に凍みる。脳内麻薬が大量に分泌される。鼓膜から音響が離れていく。遊離を伴う乖離感。
自分を天井から見下ろす自分が存在するという錯覚と強迫観念。
自分が自分を観測する不思議な世界では、音も映像も全てがスローリーになる。
自分が速くなったという解釈はできない。
五つの感覚から世界が崩壊する気配を感じる。
破滅的で、破壊的で、破局的な思考のアプローチ。
無理。無茶。無謀。しかし、無駄ではない。
タウルスPT-908という名のタクトを揮う、この世界に於ける彼女は硝煙の世界にダイブすることで、死神と交渉するシャーマニックな存在となる。
四方から溢れる銃声が銃火が銃弾が彼女を蕩けさせる。
その橋頭堡を確保するための前段階として、みせしめとして血祭りに上げるだけの簡単な仕事だ。
仕事内容はシンプル。
ライバル組織同士の抗争をみせかけるだけなのだから。
実際は確実な死を提供するために速やかに突入し、暴れているかのような弾痕を穿ち、屠って消えること。
「楽じゃないわよね……確かに」
100mも歩かない。直ぐに目的地に到着。
正面のドアに人影はない。
五指を覆う右手用のシューティンググラブを手に嵌めてその手で引き開きのドアを開ける。
元気のない蛍光灯が出迎えてくれる。
足下まで辛うじて光りが届いている程度の頼りない光源。
足音をできるだけ殺して階段を上がる。エレベーターは使わない。
どの階にも人気はない。4階に近づくほど、喧騒が大きくなる。酒でも呑みながら収益の配分でもしているのだろう。
どんな札束が積まれていても一銭も手を付けてはいけない。
それは臨時収入ではない。現場荒らしだ。警察に対する妨害ではなく、依頼人の注文には書かれていなかった事項だからだ。
書かれていないから行ってもよいという考えではクライアントに無言で誠意をみせつけることができない。曳いては次回もまた雇ってくれる得意先になる確率が下がる。
4階へ向かう踊り場で一旦、足を止める。
人の気配が読みにくい。喧騒が大きすぎてまだみえぬドアの前の状況が窺い知れない。
コンパクトを床面付近から突き出して角の向こうを探索。
ドアが開きっ放しのため、喧騒がダダ漏れ。こんなに五月蝿いと廊下に配置された気配を察知できない。……結果的に誰も警備に立っていなかったのだが。
耳を澄ます。喧騒の声を分析。人数の割り出し。反響する音声の発生場所を解析。音と声の大きさと位置から人数、配置、立位か座位か、『誰が主人公か』を索く。
廊下。
直線距離7m。
無防備に開いたドア。
ペーパーリストでは今宵は合計8人以上12人以下の密売人が集まる。
その首魁と有力者の合計3人を仕留めることが最低の勝利条件。
その他全員を致死に足らしめることができれば大勝利。
7m先のドアを目前に、陸上選手のようにクラウチングスタート。
号砲もなく突如のスタート。
風が走る。風を走る。
切って落とされる火蓋。
7m。充分な加速がつく頃には室内。そしてゴール、すなわち敵地ど真ん中。
視線だけを左右に走らせる。
加速するエネルギーに憑りつかれた体は真正面の壁を蹴って天井付近まで大きく三角飛び。
景色が高速で流れ、転地逆さまにひっくり返る。
天が地。地が天。
視界が真っ逆さまになった瞬間に首を廻らせて室内の配置を視認、記憶。
彼女の突如とした無茶な侵入は、室内にいた一堂の真ん中に手榴弾でも放り込んだような効果を及ぼした。
誰しもが首を上げ、目を大きく引ん剥いて驚いていた。
素早い判断と運動神経を具えた誰かが後ろ腰に手を滑り込ませるのがみえた。
着地寸前の綾左は両足が着弾するより早くタウルスPT-908を抜き放ち、セフティを解除する。
残像を残さんばかりの速度で定められる銃口が、最初に獲物としたのは、後ろ腰に手を廻した男ではなく、その男の右側隣のソファで座っている、一番反応の遅い男だった。
9mm、吼える。
ソファに座った男の左胸部に9mmパラベラムのジャケッテッドホローポイントが約束されたように命中し、男はなす術もなくソファに座ったまま軽く体を震わせた。
自分の右側の男が被弾した事実に一番早い反応をみせた男の手が一瞬、止まる。
瞬間的に催されたチキンレースだと勝手に思い込んでいた男は眼の前で両掌の拍子で驚いたように硬直し、一瞬で攻撃のチャンスを奪われた。
その男に次の機会は訪れなかった。
無常に放たれる9mmパラベラムの弾頭の餌食となり、腹腔に孔を拵え、その場に伏せるように倒れる。
―――『一つ』。
標的の3人の内、1人を早くも屠る。
今し方のよい反応をみせた男ではない。
ソファに座っていた男だ。
血飛沫の飛び散り方や被弾箇所、被弾した瞬間に吹き出た血液の形状からして間違いなく心臓に銃弾がめり込んでいる。命に別状のある負傷を与えた。
室内の広さは目測で25平米。
事前に入手していたビルの見取り図とフロアの広さは体験してみないと、感覚として会得しにくい。
壁から出っ張った柱や本棚、机、ソファといった家具や調度品、人の密度などで、図面上の数値から大きく解離する。
この部屋は字型をなしている。
9mmパラベラムで充分ことたりる戦闘区域だが、相変わらず、敵陣ど真ん中で自ら鉄火場を展開する癖は悪癖だと思った。
床に下り立ち、膝のクッションを利かせ、低い姿勢から大きく跳ねる。
部屋の中央にあった汚れた札束と粉末が詰まったパケが乗った折り畳み事務テーブルの上を転げながら、右手を大きく伸ばし、2発発砲。2発とも、驚愕の渦の中にあった男の1人に命中する。
――――!
――――10人か!
――――今3人ヤッたな!
――――残り7人!
――――弾倉に4発。薬室に1発
テーブルの上から転げ落ち、今度は床を大きく踏み締めて、今転がってきた長いテーブルを左足で大きく蹴り上げる。
発砲するべく拳銃を抜いたばかりの男2人が罵声を浴びせながら銃口を向けつつ腰を落とす。
その2人に向け、今し方蹴り上げられた長テーブルが差し渡すように足刀で押し込む。
咄嗟のことに2人とも目前に広がる細長いテーブルを両手を翳して条件反射的に防御する。その間髪に露になる2人の腹部に9mmパラベラムを1発ずつ叩き込む。
テーブルの向こうから呻き声が聞こえ、テーブルが2人の足下に落ちた瞬間に、生気を失う表情の2人の胸部にさらに1発ずつ叩き込む。
マガジンキャッチを押しながら、右手を大きく右側に振る。
手刀の血振るいでもをするかのような動作。
背後にいた、判断も初動も鈍い男の顔面に空弾倉が直撃する。
顔面に重量物を叩きつけられた男が鼻を押さえて蹲る。捻った上体を戻しつつ、左手に用意した予備弾倉を胸の前でマグウェルに差し込む。抜き放った刀を芝居掛かったモーションで鞘に戻すのと同じアクションだ。
違うのはいまだ、この鉄火場は開帳したばかりだということだ。
――――1人、無力化。暫くは蹲ったままだね。
――――残り4人。
――――標的は……?
兎に角連中を逃がさないこと。
兎に角連中に増援を呼ばせないこと。
兎に角連中を速やかに屠ること。
綾左の辺りを囲むように位置していたそれぞれも、充分に反撃の体勢が整う。
発砲音が狭い空間で連なる。
綾左の一方的な攻撃ではなく、視界の端や死角からの攻撃。
アドレナリンが噴出する。背中を走る冷たいものが熱くなった体に凍みる。脳内麻薬が大量に分泌される。鼓膜から音響が離れていく。遊離を伴う乖離感。
自分を天井から見下ろす自分が存在するという錯覚と強迫観念。
自分が自分を観測する不思議な世界では、音も映像も全てがスローリーになる。
自分が速くなったという解釈はできない。
五つの感覚から世界が崩壊する気配を感じる。
破滅的で、破壊的で、破局的な思考のアプローチ。
無理。無茶。無謀。しかし、無駄ではない。
タウルスPT-908という名のタクトを揮う、この世界に於ける彼女は硝煙の世界にダイブすることで、死神と交渉するシャーマニックな存在となる。
四方から溢れる銃声が銃火が銃弾が彼女を蕩けさせる。