租界の陰の金牛宮
男の死体を棄てて辻の角に飛び込む。
肩で息をしてずり下がるように壁を背にして座り込む。
――――?
――――今、6発撃った? 15発?
――――それに何、これ? 壊れた?
スライドが後退して停止した状態の自動拳銃をみて大いに焦る。壊れているかもしれない自動拳銃を捨てようと思ったが、地面に転がる禿頭の男のジャケットが捲れているのをみて気が変わった。
男の右腋には予備の弾倉が収まっていると思われる細長いポーチ状のものが吊り下げられていた。
「…………」
腰が抜けそうな気の緩みを堪え、すらりと長い脚を伸ばして禿頭の男の両肩に掛かっているハーネスの一部を爪先に引っ掛けて引き摺り寄せる。
都合よくハーネスが千切れなかったが、手を伸ばせば予備弾倉と思しき細長い鉄の箱は回収できた。
――――これは……。
初めてみる予備弾倉。
予備弾倉を初めてみる。
これがこの銃の予備弾倉そのものだと瞬間的に理解した。
残弾を確認するための孔の部分に5発単位で数字が打ち込まれ、最大で15の数字がみて取れた。
15。
15発。
先ほどの銃撃で撃ちつくしたときも15発で弾切れだった。
片手で一通りの操作ができるようにデザインされているはずの自動拳銃だ。
映画の中でも主人公は大したアクションで弾倉を交換していない。
指だけで弾倉を抜き取り、簡単にこれを嵌め込むことができるはず。
脳内でこの拳銃が登場する映画を思い出して登場人物がどのように扱っていたかを必死で検索する。
自動拳銃のフレームの左右を見比べる。
その中でまだ触っていないボタンらしきものを押し込むと、自重で弾倉が抜け落ちた。
落下するように滑らかに取り出せた。
コロンブスの卵をみたような顔の綾左だったが、辻の向こうから空き缶を蹴り飛ばす音を聞きき、急いで新しい弾倉を差し込んだ。
カチッと乾いた音を立て、弾倉が嵌った。
納まるべきところに納まった感じだ。
次に、初めてこの自動拳銃を握った数分前に色々と触ったが、何も作動しなかったレバーの一つを思い切って押し下げるとスライドが前進して心地良い感触を掌に伝えた。
思わず「おお……」と唸ってしまう。
スライド後端の小さな歪な三角形の何かは倒れたままで、引き金も一段深く後退したままだ。これはこうなるように作られている。綾左はこの拳銃の構造の一部と使い方を理解した。
安全装置。弾倉交換。実包装填。
綾左はこの拳銃で戦い続ける方法を理解した。
気が緩んで本格的に一息吐きたがる体に再び活を入れて立ち上がる。 回収した予備弾倉の内、差し込んだ1本以外のもう1本は後ろ腰のベルトに差す。
娼婦稼業で生きていくために選んだつもりの、飾り気重視のセーターに防寒を無視したミニ気味のスカート、それに小さく纏めたハンドバッグ。
靴まで金が回らなかったために色気のない運動靴のようなデザインのパンプスがこの状況に限っては吉と出た。
足下を気にせずに大きな歩幅で走ったり地面を踏み締めたりできるのがこんなに尊いことだとは思わなかった。……何よりも咄嗟のこととはいえ、小型のハンドバッグを落とさないように腹のベルトに挟みこんだ自分の機転を褒めてやりたい。
なけなしの金額が納まった財布が入っている娼婦の商売道具としての抗生物質やコンドームも入っている。
抗生物質は性病の予防に必ず持っておけと高市久野にアドバイスされていたのだ。質の悪い病気を移されて早速、娼婦廃業では笑い話にならない。
立ち上がる綾左。
完全に立ち上がる瞬間に、脳天の頭皮に焼け火箸を押し当てられたような痛みと鼓膜が破れる寸前の轟音に見舞われる。
あと1cm立ち上がるのが早かったら脳天を銃弾によって開頭手術されていた。
退路と思っていた一時の安全地帯のはずのこの路地に、退路の逆側から侵入してきた新手がいた。
頭のヒリヒリする激痛が遠のく。
1cmの距離で自分が助かった事実に胆を冷やされて身震いをした。青褪めた顔を襲撃者の方向に向ける。
反射的な防衛反応として左手を大きく払う。
バカになった左鼓膜が僅かにギチッという歯車がかみ合ったような音を聞く。
振り払う左手が息を潜めて間合いを詰めてきた襲撃者の右手を払う。刹那の差で発砲。
火薬滓が顔面に吹き付ける。
大粒の滓が眼球に飛び込まなかっただけでも運が良い。
視界の端に大型のドーナツ状のマズルフラッシュが映る。
――――違う拳銃!
後に輪胴式だと知るその拳銃は明らかに装弾数で劣っているはずなのに、銃口の奥が覗きこめるほどの距離ゆえに強制的に死を覚悟させられた。それほどに獰猛だった。
銃身の長さは数値の割りに長く感じるもので、アニメや映画で幾度も登場する特徴的な拳銃だった。
それの名前を綾左は知っている。
コルトパイソン。
独特のシルエットで素人でも知っている。
357マグナムとかいう強力な弾薬を6発装填できる。
この強力な拳銃を使うジャケットにスラックスの30代前半と思しき男は、にやついた口角を作り、左手で綾左の自動拳銃を握る右手を掴もうと手を伸ばす。
綾左の反射的行動。
相手の指先を左掌の甲でしたたかに殴りつける。
「!」
サッと男の顔色が変わる。顔色が変わっても表情に変化がないのは恐ろしかった。
……男の掴むだけのはずだった左手の指の何れかが突き指をした。
綾左の掌の甲から嫌な感触が伝わる。
男の顔色で、男は指を挫かれたのだと感じた。
右手の自動拳銃の銃口を70cmと離れていない男の胸部に向けようとするが、男の左手の甲が自動拳銃のフレームを弾いて銃口を逸らせる。
暴発に似る発砲。
だが、暴発ではない。
意識して引き金を引いたのに銃口を逸らされたために無駄弾を放ったのだ。
空かさず、綾左は右足を踏み出し、全体重を乗せて男の左足爪先を踏む。パンプスの底とはいえ、硬い。
男が右肘を引いてコルトパイソンの銃口と綾左との距離を開こうとした。その手を掴んで引き戻そうと、思いつきだけで左手を伸ばした。
男の手首を掴むつもりがコルトパイソンのシリンダーを大きく掴んでしまった。
綾左はしまったと心の中で叫び、失策したと覚悟した。
コルトパイソンの銃口を自らの胸の真ん中に固定したと思い込んだのだ。
だが、それ以上に必死に綾左から距離を開こうと踏みつけられた爪先を引き抜いて抵抗する男。
――――?
――――何?
――――何なの?
男の逃避を試みる行動が異常だった。
いつでも撃てるのに撃たない。
そればかりか、力の込めにくい体勢から、左肘打ちや膝蹴りを繰り出し、攻撃しようと必死だ。
打点が明らかに違う足刀も繰り出してくる。
――――!
コルトパイソンのシリンダー部分を大きく握る左手から違和感を覚える感触が伝わってくる。
シリンダーが力なく、子犬のように震えているのだ。
綾左はもしかして、と思い至る。
男は撃たないんじゃない。撃てないのだ。
輪胴式に関しては大した知識のない綾左だったので詳しい仕組みは解らないが、シリンダーが回転しないように握られると発砲できないらしい。
後にこれがダブルアクションリボルバーの弱点の一つだと知る。
撃鉄を起していないダブルアクションリボルバーはシリンダーを捉まれ、固定されると引き金が引けなくなる。
少々優れているだけの女の握力でも無力化できる弱点。
肩で息をしてずり下がるように壁を背にして座り込む。
――――?
――――今、6発撃った? 15発?
――――それに何、これ? 壊れた?
スライドが後退して停止した状態の自動拳銃をみて大いに焦る。壊れているかもしれない自動拳銃を捨てようと思ったが、地面に転がる禿頭の男のジャケットが捲れているのをみて気が変わった。
男の右腋には予備の弾倉が収まっていると思われる細長いポーチ状のものが吊り下げられていた。
「…………」
腰が抜けそうな気の緩みを堪え、すらりと長い脚を伸ばして禿頭の男の両肩に掛かっているハーネスの一部を爪先に引っ掛けて引き摺り寄せる。
都合よくハーネスが千切れなかったが、手を伸ばせば予備弾倉と思しき細長い鉄の箱は回収できた。
――――これは……。
初めてみる予備弾倉。
予備弾倉を初めてみる。
これがこの銃の予備弾倉そのものだと瞬間的に理解した。
残弾を確認するための孔の部分に5発単位で数字が打ち込まれ、最大で15の数字がみて取れた。
15。
15発。
先ほどの銃撃で撃ちつくしたときも15発で弾切れだった。
片手で一通りの操作ができるようにデザインされているはずの自動拳銃だ。
映画の中でも主人公は大したアクションで弾倉を交換していない。
指だけで弾倉を抜き取り、簡単にこれを嵌め込むことができるはず。
脳内でこの拳銃が登場する映画を思い出して登場人物がどのように扱っていたかを必死で検索する。
自動拳銃のフレームの左右を見比べる。
その中でまだ触っていないボタンらしきものを押し込むと、自重で弾倉が抜け落ちた。
落下するように滑らかに取り出せた。
コロンブスの卵をみたような顔の綾左だったが、辻の向こうから空き缶を蹴り飛ばす音を聞きき、急いで新しい弾倉を差し込んだ。
カチッと乾いた音を立て、弾倉が嵌った。
納まるべきところに納まった感じだ。
次に、初めてこの自動拳銃を握った数分前に色々と触ったが、何も作動しなかったレバーの一つを思い切って押し下げるとスライドが前進して心地良い感触を掌に伝えた。
思わず「おお……」と唸ってしまう。
スライド後端の小さな歪な三角形の何かは倒れたままで、引き金も一段深く後退したままだ。これはこうなるように作られている。綾左はこの拳銃の構造の一部と使い方を理解した。
安全装置。弾倉交換。実包装填。
綾左はこの拳銃で戦い続ける方法を理解した。
気が緩んで本格的に一息吐きたがる体に再び活を入れて立ち上がる。 回収した予備弾倉の内、差し込んだ1本以外のもう1本は後ろ腰のベルトに差す。
娼婦稼業で生きていくために選んだつもりの、飾り気重視のセーターに防寒を無視したミニ気味のスカート、それに小さく纏めたハンドバッグ。
靴まで金が回らなかったために色気のない運動靴のようなデザインのパンプスがこの状況に限っては吉と出た。
足下を気にせずに大きな歩幅で走ったり地面を踏み締めたりできるのがこんなに尊いことだとは思わなかった。……何よりも咄嗟のこととはいえ、小型のハンドバッグを落とさないように腹のベルトに挟みこんだ自分の機転を褒めてやりたい。
なけなしの金額が納まった財布が入っている娼婦の商売道具としての抗生物質やコンドームも入っている。
抗生物質は性病の予防に必ず持っておけと高市久野にアドバイスされていたのだ。質の悪い病気を移されて早速、娼婦廃業では笑い話にならない。
立ち上がる綾左。
完全に立ち上がる瞬間に、脳天の頭皮に焼け火箸を押し当てられたような痛みと鼓膜が破れる寸前の轟音に見舞われる。
あと1cm立ち上がるのが早かったら脳天を銃弾によって開頭手術されていた。
退路と思っていた一時の安全地帯のはずのこの路地に、退路の逆側から侵入してきた新手がいた。
頭のヒリヒリする激痛が遠のく。
1cmの距離で自分が助かった事実に胆を冷やされて身震いをした。青褪めた顔を襲撃者の方向に向ける。
反射的な防衛反応として左手を大きく払う。
バカになった左鼓膜が僅かにギチッという歯車がかみ合ったような音を聞く。
振り払う左手が息を潜めて間合いを詰めてきた襲撃者の右手を払う。刹那の差で発砲。
火薬滓が顔面に吹き付ける。
大粒の滓が眼球に飛び込まなかっただけでも運が良い。
視界の端に大型のドーナツ状のマズルフラッシュが映る。
――――違う拳銃!
後に輪胴式だと知るその拳銃は明らかに装弾数で劣っているはずなのに、銃口の奥が覗きこめるほどの距離ゆえに強制的に死を覚悟させられた。それほどに獰猛だった。
銃身の長さは数値の割りに長く感じるもので、アニメや映画で幾度も登場する特徴的な拳銃だった。
それの名前を綾左は知っている。
コルトパイソン。
独特のシルエットで素人でも知っている。
357マグナムとかいう強力な弾薬を6発装填できる。
この強力な拳銃を使うジャケットにスラックスの30代前半と思しき男は、にやついた口角を作り、左手で綾左の自動拳銃を握る右手を掴もうと手を伸ばす。
綾左の反射的行動。
相手の指先を左掌の甲でしたたかに殴りつける。
「!」
サッと男の顔色が変わる。顔色が変わっても表情に変化がないのは恐ろしかった。
……男の掴むだけのはずだった左手の指の何れかが突き指をした。
綾左の掌の甲から嫌な感触が伝わる。
男の顔色で、男は指を挫かれたのだと感じた。
右手の自動拳銃の銃口を70cmと離れていない男の胸部に向けようとするが、男の左手の甲が自動拳銃のフレームを弾いて銃口を逸らせる。
暴発に似る発砲。
だが、暴発ではない。
意識して引き金を引いたのに銃口を逸らされたために無駄弾を放ったのだ。
空かさず、綾左は右足を踏み出し、全体重を乗せて男の左足爪先を踏む。パンプスの底とはいえ、硬い。
男が右肘を引いてコルトパイソンの銃口と綾左との距離を開こうとした。その手を掴んで引き戻そうと、思いつきだけで左手を伸ばした。
男の手首を掴むつもりがコルトパイソンのシリンダーを大きく掴んでしまった。
綾左はしまったと心の中で叫び、失策したと覚悟した。
コルトパイソンの銃口を自らの胸の真ん中に固定したと思い込んだのだ。
だが、それ以上に必死に綾左から距離を開こうと踏みつけられた爪先を引き抜いて抵抗する男。
――――?
――――何?
――――何なの?
男の逃避を試みる行動が異常だった。
いつでも撃てるのに撃たない。
そればかりか、力の込めにくい体勢から、左肘打ちや膝蹴りを繰り出し、攻撃しようと必死だ。
打点が明らかに違う足刀も繰り出してくる。
――――!
コルトパイソンのシリンダー部分を大きく握る左手から違和感を覚える感触が伝わってくる。
シリンダーが力なく、子犬のように震えているのだ。
綾左はもしかして、と思い至る。
男は撃たないんじゃない。撃てないのだ。
輪胴式に関しては大した知識のない綾左だったので詳しい仕組みは解らないが、シリンダーが回転しないように握られると発砲できないらしい。
後にこれがダブルアクションリボルバーの弱点の一つだと知る。
撃鉄を起していないダブルアクションリボルバーはシリンダーを捉まれ、固定されると引き金が引けなくなる。
少々優れているだけの女の握力でも無力化できる弱点。
