租界の陰の金牛宮
鼻腔が心地良い。硝煙の香り。頬を撫でる火薬滓と熱いガス。間断に聞こえる空薬莢が壁や床にぶつかる涼しい音。
彼女に銃弾が命中しないのではない。
命中させにくい場所に陣取っているのだ。
部屋のほぼ中央。半径約8mに納まる標的2人と取り巻き2人。
配置はややずれた前後左右。4人が発砲すれば同士討ちは免れない。連中はすぐにそれに気がついた。
それぞれが数発の発砲で、引き金に命令を送ることを逡巡してしまう。
逡巡や躊躇から黙りはじめる拳銃を握る男に向かって、体側にやや深めの擦過傷を作る程度の負傷を与える。小癪に戦力を低下させる。
満遍なく負傷させた手応えを感じると、未だ残弾が詰まっている弾倉をマガジンキャッチを押して落としながら、バックステップを踏んで3歩後退。
後退しつつ新しい弾倉を差し込む。
「!」
目前に背中から迫る襲撃者の女のトリッキーな行動に気が削がれる男。
この男も右脇を浅く負傷している。
無力化には程遠い負傷だが、戦意は大きく挫かれている。そこへ襲撃者の女がフィールドコートをはためかせて背中からの体当たりを敢行。その女の背中にコルト380ガバメントの銃口を向けた途端、女は銃口の前から左軸足左回転で急に振り向く。
左手でコルト380ガバメントのスライドを握り、押し込む。
薬室に送り込まれた実包が役目を果たすことなくエジェクションされる。さらに女の指がフレームに絡むように伸びてスライドストップを掛けて、男の親指越しに親指で押し込まれる……その下付近のマガジンキャッチが、柔らかく潰れて広がった皮膚肉で押し込まれて弾倉が自重で落下する。
「がっ!」
顔の色を失う男の右手をコルト380ガバメントごと捻り挙げ、絶叫させる。
男の全身に激痛が走る。
男は理解していた。早く自分の拳銃から自分の手を離せば楽になれると。だが、貼りついたように掌が開かない。
正確には掌を開くための命令を筋肉が受け付けていないのだ。
神経や筋肉、筋、腱といった全身の靭帯、それに連動する筋肉の束が拳銃を握る右掌の一箇所で引き攣らされて激痛以外の何も感じない。
激痛の余り立つ力すらなく座り込みたいのに、全身を内側から束縛されているのと同じなので、右手を吊り上げられた半立ちの無様な恰好から体勢をまんじりとも動かせない。逆らえない。
綾左はその男をさらに吊り上げる。
男からすれば凄惨な笑みを浮かべるこの女こそが悪魔の化身だと思えただろう。
その男の背中や腰に銃弾が命中し絶命する。
激痛を覚えることもなくなった死体だが、これはこれで使い道がある……勿論、遮蔽兼防弾板だ。
新しい弾倉を叩き込んだばかりのタウルスPT-908で男の体の端からみえる、他の連中の体側を執拗に狙って自分の体の正面……つまり、吊り上げている男の体が邪魔でみえない真正面に納まるように9mmパラベラムで追い立てる。
死体になっている吊り上げられたままの男は生存中に全身に体勢を変えられないように、姿勢にロックを掛けられたのと同じ状況なので死した後も同じ体勢のままだ。
勿論、綾左が吊り上げる手を緩めれば普通に脱力してものをいわない普通の死体となる。
酔い痴れて調子に乗ったか、タウルスPT-908のスライドが後退して停止した。
慌てる素振りはみせず、即座にタウルスPT-908を死体の男のズボンの腹ベルトに突っ込んで男の右腰にあるコルト380ガバメントの予備弾倉を引き抜き、永らく死体を吊り上げていた左手を解放し、自重で落ちるにコルト380ガバメントを片手に受け取る。
男の死体が目前からずり下がりきるまでにコルト380ガバメントに弾倉を叩き込んでスライドリリースレバーを押す。
タウルスPT-908とは違う軽快な作動音。
確実に薬室に実包が送り込まれる。
男の落下するようにずり下がる陰に潜みながら、片膝立ちで自身の体をその場に固定すると、目の前に現れた、団子状態に集まって互いの銃口が邪魔をして発砲出来ないでいる集団に容赦なく9mmショートを叩き込む。
同じ9mmでも薬莢長が2mm違うとこんなにも違うのかと驚く軽い反動。……プロペラント自体が違うのだから軽く感じられて当たり前なのだが。
トリガーストロークやグリップのインプレッションに違和感を覚えたが、片膝のウイーバースタンス気味に構えてフィストグリップで保持すれば目を瞑っていても目前7m程の3体の案山子は簡単に無力化できた。
7個の可愛らしい空薬莢が壁に当たり、元気に転がる。
「……」
この場のに、男連中は誰一人とて全力を出し切ることがなかった。全力を出し切る、髪の毛一本ほどの時間も与えてはくれなかった。
クラウチングスタートで走り出し、アクロバチックな登場で場を撹乱し、自分のポジションを常に中央に置くことで優位性を発揮した結果だ。
単に奇を衒わないアクションから始まる銃撃戦。
命の安売りもここまでくると芸術レベルだ。
コンシールドキャリーの域を出ないコルト380ガバメントを捨てて、仰向けに転がる男の死体の腹ベルトに差したタウルスPT-908を抜き取り、冷静に弾倉を交換する。
顔面を押さえて蹲っていた男が反撃に出る術を捨て、四つん這いで出入り口のドアに向かって遁走を図る。
殺虫剤を振り掛ける感覚でその男の後頭部を9mmパラベラムのジャケッテッドホローポイントで吹き飛ばす。
敗者を背中から撃つことに背徳や呵責の念は感じない。
絶望的な状況で逃げるというカードに賭けて華々しく散ったのだ。次回があるのなら、もっと強いカードにベットするべきだ。
虫の息だが、1時間以内に救急搬送すれば充分に回復する程度の負傷をした男が3人、芋虫のように床をのたうつ。
自ら溢れ出る血液にパニックを起こす者がいた。それは標的の1人だった。五月蝿いので黙らせる意味合いの強い止めを刺す。右頚部と右側頭部に1発ずつだ。
苦しみに喘ぐ声で命乞いをする残りの2人も表情の無い顔で射殺する。
「……臭い」
あれほど、脳髄を蕩けさせた硝煙の香りも興奮が冷めると鉄錆び臭い血の臭いばかりが鼻について、嗅覚と呼吸器が不快を訴える。
散らかしたタウルスPT-908の空弾倉を集めてダンプポーチに落とす。
いつものことながら、手前で撒いた空弾倉を拾い集める恰好悪さは登場のアクションが大きければ大きいほど比例する。
若者が祭りで酒を呑んではしゃぎ過ぎて若気の至りを発揮した後の恥ずかしさに似ている。
「……勿体ない……ま、致し方なし、かな」
床に汚れた札束や破れたパケから零れる白い粉末を一瞥する。
タウルスPT-908のハンマーをデコッキングさせてホルスターに仕舞う。
抜く右手には、代わりにゴロワーズ・レジェールのソフトパックを掴んでいた。いつもの仕草で中身を何本か迫り出させて1本銜える。
階段を下りながら使い捨てライターで愛飲の黒煙草に火を点けて大きく吸い込む。
不快な空気をさらに人体に悪影響な物質で消毒するため。
それは、詭弁。
単純にニコチンへの渇望を振りほどけずに、素直に本能に従って煙草を吸っただけだ。
頭脳労働の久野に肉体労働の綾左。
これでいただけるものは同じなのだから割に合わない。
……確かに久野がいっていた通りに割に合わない仕事だった。
左脇腹に擦過傷を見つけたのだ。
新陳代謝が始まったので脳内麻薬で停止していた神経が正常に働きだした。
彼女に銃弾が命中しないのではない。
命中させにくい場所に陣取っているのだ。
部屋のほぼ中央。半径約8mに納まる標的2人と取り巻き2人。
配置はややずれた前後左右。4人が発砲すれば同士討ちは免れない。連中はすぐにそれに気がついた。
それぞれが数発の発砲で、引き金に命令を送ることを逡巡してしまう。
逡巡や躊躇から黙りはじめる拳銃を握る男に向かって、体側にやや深めの擦過傷を作る程度の負傷を与える。小癪に戦力を低下させる。
満遍なく負傷させた手応えを感じると、未だ残弾が詰まっている弾倉をマガジンキャッチを押して落としながら、バックステップを踏んで3歩後退。
後退しつつ新しい弾倉を差し込む。
「!」
目前に背中から迫る襲撃者の女のトリッキーな行動に気が削がれる男。
この男も右脇を浅く負傷している。
無力化には程遠い負傷だが、戦意は大きく挫かれている。そこへ襲撃者の女がフィールドコートをはためかせて背中からの体当たりを敢行。その女の背中にコルト380ガバメントの銃口を向けた途端、女は銃口の前から左軸足左回転で急に振り向く。
左手でコルト380ガバメントのスライドを握り、押し込む。
薬室に送り込まれた実包が役目を果たすことなくエジェクションされる。さらに女の指がフレームに絡むように伸びてスライドストップを掛けて、男の親指越しに親指で押し込まれる……その下付近のマガジンキャッチが、柔らかく潰れて広がった皮膚肉で押し込まれて弾倉が自重で落下する。
「がっ!」
顔の色を失う男の右手をコルト380ガバメントごと捻り挙げ、絶叫させる。
男の全身に激痛が走る。
男は理解していた。早く自分の拳銃から自分の手を離せば楽になれると。だが、貼りついたように掌が開かない。
正確には掌を開くための命令を筋肉が受け付けていないのだ。
神経や筋肉、筋、腱といった全身の靭帯、それに連動する筋肉の束が拳銃を握る右掌の一箇所で引き攣らされて激痛以外の何も感じない。
激痛の余り立つ力すらなく座り込みたいのに、全身を内側から束縛されているのと同じなので、右手を吊り上げられた半立ちの無様な恰好から体勢をまんじりとも動かせない。逆らえない。
綾左はその男をさらに吊り上げる。
男からすれば凄惨な笑みを浮かべるこの女こそが悪魔の化身だと思えただろう。
その男の背中や腰に銃弾が命中し絶命する。
激痛を覚えることもなくなった死体だが、これはこれで使い道がある……勿論、遮蔽兼防弾板だ。
新しい弾倉を叩き込んだばかりのタウルスPT-908で男の体の端からみえる、他の連中の体側を執拗に狙って自分の体の正面……つまり、吊り上げている男の体が邪魔でみえない真正面に納まるように9mmパラベラムで追い立てる。
死体になっている吊り上げられたままの男は生存中に全身に体勢を変えられないように、姿勢にロックを掛けられたのと同じ状況なので死した後も同じ体勢のままだ。
勿論、綾左が吊り上げる手を緩めれば普通に脱力してものをいわない普通の死体となる。
酔い痴れて調子に乗ったか、タウルスPT-908のスライドが後退して停止した。
慌てる素振りはみせず、即座にタウルスPT-908を死体の男のズボンの腹ベルトに突っ込んで男の右腰にあるコルト380ガバメントの予備弾倉を引き抜き、永らく死体を吊り上げていた左手を解放し、自重で落ちるにコルト380ガバメントを片手に受け取る。
男の死体が目前からずり下がりきるまでにコルト380ガバメントに弾倉を叩き込んでスライドリリースレバーを押す。
タウルスPT-908とは違う軽快な作動音。
確実に薬室に実包が送り込まれる。
男の落下するようにずり下がる陰に潜みながら、片膝立ちで自身の体をその場に固定すると、目の前に現れた、団子状態に集まって互いの銃口が邪魔をして発砲出来ないでいる集団に容赦なく9mmショートを叩き込む。
同じ9mmでも薬莢長が2mm違うとこんなにも違うのかと驚く軽い反動。……プロペラント自体が違うのだから軽く感じられて当たり前なのだが。
トリガーストロークやグリップのインプレッションに違和感を覚えたが、片膝のウイーバースタンス気味に構えてフィストグリップで保持すれば目を瞑っていても目前7m程の3体の案山子は簡単に無力化できた。
7個の可愛らしい空薬莢が壁に当たり、元気に転がる。
「……」
この場のに、男連中は誰一人とて全力を出し切ることがなかった。全力を出し切る、髪の毛一本ほどの時間も与えてはくれなかった。
クラウチングスタートで走り出し、アクロバチックな登場で場を撹乱し、自分のポジションを常に中央に置くことで優位性を発揮した結果だ。
単に奇を衒わないアクションから始まる銃撃戦。
命の安売りもここまでくると芸術レベルだ。
コンシールドキャリーの域を出ないコルト380ガバメントを捨てて、仰向けに転がる男の死体の腹ベルトに差したタウルスPT-908を抜き取り、冷静に弾倉を交換する。
顔面を押さえて蹲っていた男が反撃に出る術を捨て、四つん這いで出入り口のドアに向かって遁走を図る。
殺虫剤を振り掛ける感覚でその男の後頭部を9mmパラベラムのジャケッテッドホローポイントで吹き飛ばす。
敗者を背中から撃つことに背徳や呵責の念は感じない。
絶望的な状況で逃げるというカードに賭けて華々しく散ったのだ。次回があるのなら、もっと強いカードにベットするべきだ。
虫の息だが、1時間以内に救急搬送すれば充分に回復する程度の負傷をした男が3人、芋虫のように床をのたうつ。
自ら溢れ出る血液にパニックを起こす者がいた。それは標的の1人だった。五月蝿いので黙らせる意味合いの強い止めを刺す。右頚部と右側頭部に1発ずつだ。
苦しみに喘ぐ声で命乞いをする残りの2人も表情の無い顔で射殺する。
「……臭い」
あれほど、脳髄を蕩けさせた硝煙の香りも興奮が冷めると鉄錆び臭い血の臭いばかりが鼻について、嗅覚と呼吸器が不快を訴える。
散らかしたタウルスPT-908の空弾倉を集めてダンプポーチに落とす。
いつものことながら、手前で撒いた空弾倉を拾い集める恰好悪さは登場のアクションが大きければ大きいほど比例する。
若者が祭りで酒を呑んではしゃぎ過ぎて若気の至りを発揮した後の恥ずかしさに似ている。
「……勿体ない……ま、致し方なし、かな」
床に汚れた札束や破れたパケから零れる白い粉末を一瞥する。
タウルスPT-908のハンマーをデコッキングさせてホルスターに仕舞う。
抜く右手には、代わりにゴロワーズ・レジェールのソフトパックを掴んでいた。いつもの仕草で中身を何本か迫り出させて1本銜える。
階段を下りながら使い捨てライターで愛飲の黒煙草に火を点けて大きく吸い込む。
不快な空気をさらに人体に悪影響な物質で消毒するため。
それは、詭弁。
単純にニコチンへの渇望を振りほどけずに、素直に本能に従って煙草を吸っただけだ。
頭脳労働の久野に肉体労働の綾左。
これでいただけるものは同じなのだから割に合わない。
……確かに久野がいっていた通りに割に合わない仕事だった。
左脇腹に擦過傷を見つけたのだ。
新陳代謝が始まったので脳内麻薬で停止していた神経が正常に働きだした。