夜、灯りの後ろにて。
男性の話では、襲撃者連中は、本来は男性の持つ商品が狙いだったが、これから2000万円で現金で売買すると口を割らされ、現場まで案内させられたという。
つまりただの掠め取り。便乗しただけの追い剥ぎ行為だ。
この夜、できるだけ近隣の路上から車を何台も窃盗し、乗り捨て、初老の男性を自宅近辺まで送り届けた。「またのご利用をお待ちしております」と愛想のいい顔でビジネス文句を残した。
その30分後、入手した商品をさらに上額で買ってくれる得意客に、目論みに近い金額の2800万前後で商談が成立。地下金融に利息もまとめて返済――返金というには時間がかかり過ぎた――を完了して、迂遠に迂遠を重ね、尾行を警戒しながら帰宅。
自宅に到着して後ろ手に鍵をかけるなり、急激な眠気と倦怠感を覚えて着替えも負傷箇所の処置もせずにベッドに倒れ込む。
急激な尿意で目を覚ましたときは午後2時を経過していた。ざっと8時間、泥のように眠っていた。
闖入者がいなければ地下金融に24時間以内に返金が可能で、利息分を払わずに済んだのに、と、舌打ちが絶えない一日だった。
※ ※ ※
腹部の腹筋に負った傷はかさぶたが剥がれ落ちて完治に近い状態だった。
浴室で熱い湯を張ったバスタブに浸かりながら数日前の商談を振り返る。矢張りカービン銃を携えた闖入者連中に考えが到ると舌打ちが出る。……そのたびに打ち消しの動作として深呼吸をするのだが、どこか溜息めいている。
湯船につかったままの早紀。
大きな溜め息を吐いて、バスタブから上がる。
引き締まった筋骨。骨太でひとひらの贅肉の存在も許さないストイックを感じさせる。病的な痩せ型とは程遠い。配置されるべき場所に、配置されるべき筋肉がベストな分量だけ育っている健康的な筋肉の束。
腰を中心に広がる美しいばかりの筋肉繊維は名うてのスプリンターを連想させ、同時に色香を含み優しく円熟した『オンナの香り』も漂わせる。
胸筋が発達しているので胸はつつましやかだ。それに引き換えての形の良さは自慢できる。美しく塑像されたBカップに近いAカップ。年齢のイメージを大きく裏切る淡い桜色の乳暈。可愛らしく元気に上を向いている、隠れたチャームポイントだ。
脇腹から腋、上腕部裏側に到るリンパ腺を経由する流麗なライン。清流を棲家とする絶滅危惧種の川魚のようになだらかで、思わず指先でなぞってみたくなる不思議な魅力が凝縮されている。
肌年齢の折り返しを感じさせない、艶やかで瑞々しく健康的な張りをした肌理の細かい肌。その表面を水滴が珠を作って滑り落ちる。
脂肪分の塊りだけを連想させない、小さく、然し鷲掴みで弄びたくなる柔らかい尻肉。少し上向き加減なところが彼女の性的な意味での健康な下半身機能を無言でアピール。
自慢の黒髪と違い、アンダーはやや色素が薄く、量も少なめ。少女の若草のように慎ましやかで清楚なヘアーは、こと、性交渉時には充分に女性フェロモンを蓄えておくのに本領を発揮するだろう。
うなじ、首筋、胸元から控えめな主張の双球。見事に割れた腹筋。股間部から始まる淡い部分からバネの利いた肢体。しっかりと踏みしめる爪先に到るまでの全てが畏怖すべき美として輝いていた。
それが包み隠されていない彼女の姿。
人間の本来の姿が具える機能美と意匠が渾然とした、完成形の一つであると錯覚させる。
ともすれば美しいという表現自体が美しくない。
美という文字を使わない、彼女の裸身を褒め称える形容や修飾や語彙を考案したくなる。
これが、実戦でのみ鍛えた女性の筋骨の一つ。
頭から熱いシャワーを浴び、バスルームを出る。
脱衣所の壁に掛けた防湿のデジタル時計は午前9時を指していた。
毎日が転売稼業で忙殺されるわけではない。
今日は休日のようなものだ。厳密には、いつ仕事が入るか解らないので準待機といったところか。
入浴前にパソコンを起動させてメールチェックをしたが、割に合わない仕事が幾つか舞い込んでいた。
自分にとって割に合わないだけの仕事は依頼人に『もっと相応しい転売人』を紹介して同業者に仕事を紹介する。
勿論、その転売人は自分よりも低い生活レベルを送っているルーキーが殆どだ。
ライバルになるかもしれない人材を育てる行為に、自分自身では矛盾した危機感を持つが、この転売稼業自体が廃れてしまって、あるいは一部の人間だけがシェアを握り、隆盛を誇るのは健全な競争とは思えないので、ささやかに後進の育成に力を注いでいる。
その後進が実力で早紀を排除するときがくれば、容赦なく『業界的に殺す』。
力を合わせねば躍進があり得ない風潮も読み取れない若輩には特別授業が必要だ……尤も、ルーキーたちが早紀と同じステージに立ったときに、早紀がそのステージで尚も現役で活躍中という保障はない。
短いながらも彼女の人生に紆余曲折があったようにこれからの人生にも紆余曲折は付きまとうだろう。
午前9時を少し経過した頃、早紀はリビングでTVを見ていた。
観ていた、ではなく、見ていた、だ。
網膜に朝方バラエティ番組が映っているだけで何も記憶に残らない。
番組のプロデューサーがヘボな腕前というわけではない。心地良い疲労感で何もする気が起きないのだ。
濡れた髪を乾かしていつものスエットに身を包み、ドテラを羽織る。簡素な折り畳みテーブルの上には熱いストレートティーを淹れたマグカップ。
時折それを口に運ぶ。
数日前の、地下金融に仕方なしに利息を取られた件は忘れ去っていた。……それに思考を割くのも面倒臭いほどに疲労感に襲われていた。
平日の午前中。朝食後の入浴。部屋着でだらけた仕草。折角の美貌が壊滅的に活かされていない。これで一升瓶でも抱えて寝転がっていれば世の異性はどんな面持ちで彼女をみることだろう。
欠伸を連発する。クローゼットに押し込んでいた起毛の分厚い毛布とクッションを取り出し、ソファベッドに倒れこんで睡魔が襲いかかるままに体を任せる……3分もしないうちに眠りの世界へ旅立つ。
不規則な生活に晒されると、疲労が時々、溢れ出てしまい、眠りでしか挽回できない事態に陥る。
不規則な生活の中でも生理機能は正常に作動している証拠だ。
過度のストレスに晒され続けると人間は眠気を覚えても眠れなくなる。酷い眠気なのに欠伸すら出なくなる。最後には眠気すら覚えなくなる。
人間は冬眠する動物ではない。寝溜めが利く機能を持っていない。
ストレスに晒されても眠りで以って回復、治癒、挽回できる状況ならば迷わず寝るのが正しい対処だ。
さもなくば思わぬ場面で思わぬ事態を招く。自身の健康管理の重要性を問われるのは表社会でも裏社会でも同じだ。体が資本でない業界などこの世には存在しない。
頭脳労働だとしても、頭脳を働かせるのは基本的に体内に溜め込んだエネルギーを効率よく燃焼させる体力だ。
その体力もストレスで異常をきたしていては本末転倒な事態と相成る。
休息を軽んじるものは長生きできない。早紀の哲学の一つだ。
早紀がソファベッドで目を覚ましたのは午後2時。TVは点けっ放し。枕代わりのクッションには涎の跡。テーブルの上の冷め切ったストレートティー。大きな欠伸の後、「また、やった……」という悔悟の顔でくしゃくしゃの髪を掻く。
ソファベッドから降りると台所へ向かう。
つまりただの掠め取り。便乗しただけの追い剥ぎ行為だ。
この夜、できるだけ近隣の路上から車を何台も窃盗し、乗り捨て、初老の男性を自宅近辺まで送り届けた。「またのご利用をお待ちしております」と愛想のいい顔でビジネス文句を残した。
その30分後、入手した商品をさらに上額で買ってくれる得意客に、目論みに近い金額の2800万前後で商談が成立。地下金融に利息もまとめて返済――返金というには時間がかかり過ぎた――を完了して、迂遠に迂遠を重ね、尾行を警戒しながら帰宅。
自宅に到着して後ろ手に鍵をかけるなり、急激な眠気と倦怠感を覚えて着替えも負傷箇所の処置もせずにベッドに倒れ込む。
急激な尿意で目を覚ましたときは午後2時を経過していた。ざっと8時間、泥のように眠っていた。
闖入者がいなければ地下金融に24時間以内に返金が可能で、利息分を払わずに済んだのに、と、舌打ちが絶えない一日だった。
※ ※ ※
腹部の腹筋に負った傷はかさぶたが剥がれ落ちて完治に近い状態だった。
浴室で熱い湯を張ったバスタブに浸かりながら数日前の商談を振り返る。矢張りカービン銃を携えた闖入者連中に考えが到ると舌打ちが出る。……そのたびに打ち消しの動作として深呼吸をするのだが、どこか溜息めいている。
湯船につかったままの早紀。
大きな溜め息を吐いて、バスタブから上がる。
引き締まった筋骨。骨太でひとひらの贅肉の存在も許さないストイックを感じさせる。病的な痩せ型とは程遠い。配置されるべき場所に、配置されるべき筋肉がベストな分量だけ育っている健康的な筋肉の束。
腰を中心に広がる美しいばかりの筋肉繊維は名うてのスプリンターを連想させ、同時に色香を含み優しく円熟した『オンナの香り』も漂わせる。
胸筋が発達しているので胸はつつましやかだ。それに引き換えての形の良さは自慢できる。美しく塑像されたBカップに近いAカップ。年齢のイメージを大きく裏切る淡い桜色の乳暈。可愛らしく元気に上を向いている、隠れたチャームポイントだ。
脇腹から腋、上腕部裏側に到るリンパ腺を経由する流麗なライン。清流を棲家とする絶滅危惧種の川魚のようになだらかで、思わず指先でなぞってみたくなる不思議な魅力が凝縮されている。
肌年齢の折り返しを感じさせない、艶やかで瑞々しく健康的な張りをした肌理の細かい肌。その表面を水滴が珠を作って滑り落ちる。
脂肪分の塊りだけを連想させない、小さく、然し鷲掴みで弄びたくなる柔らかい尻肉。少し上向き加減なところが彼女の性的な意味での健康な下半身機能を無言でアピール。
自慢の黒髪と違い、アンダーはやや色素が薄く、量も少なめ。少女の若草のように慎ましやかで清楚なヘアーは、こと、性交渉時には充分に女性フェロモンを蓄えておくのに本領を発揮するだろう。
うなじ、首筋、胸元から控えめな主張の双球。見事に割れた腹筋。股間部から始まる淡い部分からバネの利いた肢体。しっかりと踏みしめる爪先に到るまでの全てが畏怖すべき美として輝いていた。
それが包み隠されていない彼女の姿。
人間の本来の姿が具える機能美と意匠が渾然とした、完成形の一つであると錯覚させる。
ともすれば美しいという表現自体が美しくない。
美という文字を使わない、彼女の裸身を褒め称える形容や修飾や語彙を考案したくなる。
これが、実戦でのみ鍛えた女性の筋骨の一つ。
頭から熱いシャワーを浴び、バスルームを出る。
脱衣所の壁に掛けた防湿のデジタル時計は午前9時を指していた。
毎日が転売稼業で忙殺されるわけではない。
今日は休日のようなものだ。厳密には、いつ仕事が入るか解らないので準待機といったところか。
入浴前にパソコンを起動させてメールチェックをしたが、割に合わない仕事が幾つか舞い込んでいた。
自分にとって割に合わないだけの仕事は依頼人に『もっと相応しい転売人』を紹介して同業者に仕事を紹介する。
勿論、その転売人は自分よりも低い生活レベルを送っているルーキーが殆どだ。
ライバルになるかもしれない人材を育てる行為に、自分自身では矛盾した危機感を持つが、この転売稼業自体が廃れてしまって、あるいは一部の人間だけがシェアを握り、隆盛を誇るのは健全な競争とは思えないので、ささやかに後進の育成に力を注いでいる。
その後進が実力で早紀を排除するときがくれば、容赦なく『業界的に殺す』。
力を合わせねば躍進があり得ない風潮も読み取れない若輩には特別授業が必要だ……尤も、ルーキーたちが早紀と同じステージに立ったときに、早紀がそのステージで尚も現役で活躍中という保障はない。
短いながらも彼女の人生に紆余曲折があったようにこれからの人生にも紆余曲折は付きまとうだろう。
午前9時を少し経過した頃、早紀はリビングでTVを見ていた。
観ていた、ではなく、見ていた、だ。
網膜に朝方バラエティ番組が映っているだけで何も記憶に残らない。
番組のプロデューサーがヘボな腕前というわけではない。心地良い疲労感で何もする気が起きないのだ。
濡れた髪を乾かしていつものスエットに身を包み、ドテラを羽織る。簡素な折り畳みテーブルの上には熱いストレートティーを淹れたマグカップ。
時折それを口に運ぶ。
数日前の、地下金融に仕方なしに利息を取られた件は忘れ去っていた。……それに思考を割くのも面倒臭いほどに疲労感に襲われていた。
平日の午前中。朝食後の入浴。部屋着でだらけた仕草。折角の美貌が壊滅的に活かされていない。これで一升瓶でも抱えて寝転がっていれば世の異性はどんな面持ちで彼女をみることだろう。
欠伸を連発する。クローゼットに押し込んでいた起毛の分厚い毛布とクッションを取り出し、ソファベッドに倒れこんで睡魔が襲いかかるままに体を任せる……3分もしないうちに眠りの世界へ旅立つ。
不規則な生活に晒されると、疲労が時々、溢れ出てしまい、眠りでしか挽回できない事態に陥る。
不規則な生活の中でも生理機能は正常に作動している証拠だ。
過度のストレスに晒され続けると人間は眠気を覚えても眠れなくなる。酷い眠気なのに欠伸すら出なくなる。最後には眠気すら覚えなくなる。
人間は冬眠する動物ではない。寝溜めが利く機能を持っていない。
ストレスに晒されても眠りで以って回復、治癒、挽回できる状況ならば迷わず寝るのが正しい対処だ。
さもなくば思わぬ場面で思わぬ事態を招く。自身の健康管理の重要性を問われるのは表社会でも裏社会でも同じだ。体が資本でない業界などこの世には存在しない。
頭脳労働だとしても、頭脳を働かせるのは基本的に体内に溜め込んだエネルギーを効率よく燃焼させる体力だ。
その体力もストレスで異常をきたしていては本末転倒な事態と相成る。
休息を軽んじるものは長生きできない。早紀の哲学の一つだ。
早紀がソファベッドで目を覚ましたのは午後2時。TVは点けっ放し。枕代わりのクッションには涎の跡。テーブルの上の冷め切ったストレートティー。大きな欠伸の後、「また、やった……」という悔悟の顔でくしゃくしゃの髪を掻く。
ソファベッドから降りると台所へ向かう。