夜、灯りの後ろにて。

 殆どの銃弾は砕けるが、その破片の初速や軌道も看過できない。
 伏せも隠れもできない。全身に金属片と小銃弾が削って拵えるコンクリの破片を浴びる。
 眼を負傷しては反撃どころではないので真っ先に右手を翳して両目を覆う。右目をきつく閉じながら薄目で左の視界を確保し、S&W M64の銃口を軽四自動車の陰から突き出す。
 危険を承知で左顔面を晒しながらサイティング。
 いつの間にか完全に噛み千切っていたシガリロの屑が口中で滲んで苦い液体となる。唾を吐き、不快な苦味を追い出す。
 フルオートの銃声が止む。相手を負傷させることだけが目的の、最近の軽量級短縮型自動小銃でも、素人が乱射すればどこにどんな風に着弾させるのか解らないので脅威だ。
 3バーストが導入された切っ掛けは、訓練度の低い新兵が極限状況でトチ狂ってフルオート射撃させないために考案されたらしいと聞くがその意見には尤もだった。
「くっ……」
――――痛い……。
――――被弾?
――――熱い……。
――――お腹。何か、有る。
 腹部に熱い針金で突かれているような痛みを覚える。今は無視。
 フルオート射撃が止んだ好機を逃がしたくない。
 フルオート射撃中に移動を繰り返せばいいのに、2人の男のうち、1人が、銃火が尾を引く空間に飛び出る。
 仲間の銃声に気おされて飛び出す機会を失っていたのか?
 ともかく、そいつは『カモ』だ。
 フルオート射撃が止んでカービン銃が引っ込んだ。
 『カモ』が反対側の遮蔽に移動しようと走り出す。視界を遮る粉塵や金属片は落ち着きつつある。すぐさま、左手のS&W M64のグリップ底部に右掌を添えてカップ&ソーサーで保持。
 硬く閉じた右目は粉塵の心配がなくとも開かない。急に開くとピントがずれて空間や距離を計測する感覚が阻害されるからだ。
 撃鉄を起こして、撃つ。
 『カモ』を狙う。
 1発。命中。
 いつもの聞き馴染んだ発砲音の中に、熟したトマトが硬い地面に落ちるのに似た水分過多な音が聞こえる。
 『カモ』の腹部に命中した。前のめりに倒れ込む『カモ』。間髪いれず、追い討ちの1発。
 『カモ』の左脇に命中し盲管となった銃創から腹部の内圧で血液がピュッと吹き出る。致命傷には到らないだろうが無力化には成功した。
 銃口、素早く、索敵。
 カービン銃の男がリロードに梃子摺っている。
 ボルトを引いた際に二度引きでもして薬室に2発の実包を送り込んだか? ……冷静に弾倉を抜きボルトを引いて、再び弾倉を差し込めば解決する、良くあるトラブルだ。
 カービン銃の男が再び、遮蔽物の陰から銃口を覗かせる。その頃には地面を転がる……側転と前転を繰り返して移動した早紀が木製のパレットを積み上げただけの遮蔽の陰に接近していた。
「?」
 顔に怪訝な表情を浮かべる男。20代半ば。みたことはないが、指先や体臭から俄かのガンマンだと解る。
 『そう、解るのだ』。
 表情や体臭が解る距離まで接近し、パレットの隙間からカービン銃の男の挙動を伺っていたのだ。距離にして60cm。
 腕を伸ばせば遮蔽から飛び出たカービン銃の銃口部分を弾くことも、掴むこともできる……早紀はそれをしなかった。
 60cmの距離。
 その距離で両者がパレットの角部分で密接している。
 メキシカンスタンドオフに持ち込める状況なのに、早紀はカービン銃を無力化するよりも『男を無力化する』ことを選んだ。
 口笛。窄められた可憐な唇。早紀の唇から甲高い口笛が発せられる。
 カービン銃の男は何ごとかと焦り、表情をサッと変えて首の角度と銃口の角度を一致させようとする。パレットが邪魔で長物のカービン銃が振り回せない! カービン銃の男の顔がスイッチを切り替えたように今度は恐怖一色に染まる。
 カービン銃の男と早紀の目が合う。
 尤も、早紀の目はフロントサイトとリアサイトの向こうだった。
 60cmの距離。外さない。外せない。外すわけもない。
 ダブルアクションの引き金。5kgのトリガープル。7.4cmのトリガーリーチ。3mm幅のセレーテッドランプの向こうにある男の顔は死を拒否する顔だった。
 そして、それを狙うのは死を送りつける38口径の肉厚の銃口だった。
 撃発。
 60cmの彼方で男の顔に38spl+P+のセミジャケッテッドホローポイントが、フェデラルの125グレインの弾頭が命中し、男の首は後部へ直角に折れ曲がる。反動で揺らいだ体を大きくゆっくり回転させながら地面に仰向けに倒れ込む。
 首の角度が正反対なので厳密には『うつ伏せ』なのだが。
「……つっ!」
 新陳代謝が活発になり、熱さを感じていた腹部の銃創と思われる負傷箇所が痛みを訴える。S&W M64を右脇に収め、慌ててセーターやその下の白いタートルネックも捲り上げる。
「……」
――――あ……。
 シックスパックという形容が似合い始めている、育ちつつある腹筋に浅く、5.56mm弾の破片がめり込んで停止している。腹筋の美しさには自信が有ったが、エネルギーが低下した小銃弾を止められるほど頑強だとは思わなかった。これは……OLのフリをする偽装工作でスポーツジムに通っていた成果があったのか!? ……出血は大したことがない。
 表皮に埋まるそれをアーミーナイフのプライマーで捻るように摘出し、大判の絆創膏で簡易的に止血する。万が一に備えて所持している抗生物質も飲み込んでおく。タートルネックやセーターに沁みた血液もフライトジャケットのジッパーを締めれば充分に隠せる。
 足早に穴だらけの軽四自動車に駆け寄り、助手席から現金が詰まったボストンバッグを回収して立ち去ろうとする。
 この場所では奪う車も見当たらない。
 クライスラーPTクルーザーはみての通り、フロントガラスが風通しが良過ぎるので不可だ。
 早くほどよく人通りの少ない場所で駐車禁止の切符が張られる前の車を調達して現金を地下金融に返金せねば、と考えを廻らせながら歩く。
「……?」
 呻き声。自分が仕留めた男たちは呻き声を挙げることなど、難しい状態だ。
 誰の声かと、気配を伺いながら、フライトジャケットのジッパーをそろそろと下げて、静かに左手を右脇に差し込む。
「…………」
――――クライスラーから?
 さぞや修理代金が吹っかけられそうなクライスラーPTクルーザーから呻き声が聞こえる。僅かに車体も揺れている。
 足元にボストンバッグを落として、左手にS&W M64を抜き放つ。撃鉄を起こす。
 後部座席のドアを開けず、慎重に車体前部に回る。フロントガラスが粉砕された車中を伺う。
「……え?」
 思わず、間抜けな声が漏れる。
 後部座席の足元で初老の男性が寝転がされて悶えている。
 タオルで猿轡を噛まされ、手錠を架せられている。
 敵対勢力や残存戦力ではない……背格好と年齢からして「今夜の商談相手」だった。
 随分と髪が乱れ、洟と涙を垂らして恐怖に打ち震えていた。……間違いない。本来の商談相手だ。
 撃鉄に親指をかけて静かに引き金を引いてデコック。
 S&W M64を右脇に仕舞う。後部座席に回りこみドアを開ける。
「安心して……『連絡していたはずの転売人』よ」
 情けない泣き顔しか浮かべない初老の痩せた男性に向かって、できるだけ優しく接する。
 今夜は不運だったが、今のうちに恩と義理を売っておけば後に何かしらの奇貨として働くこともあるだろう。
 束縛された初老の男性を解放する。
 その場に座らせてできるだけの、あらん限りの愛想で、親にもみせたことがないような笑顔と商売用の話術でその場で商談を始める。
 PTクルーザーのトランクに商品が入っているのを確認すると2000万円が入ったボストンバッグを手渡す。
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