夜、灯りの後ろにて。

 嫌な予感は常に当る。よい感触は必ず裏切られる。
 この業界ではよく語られるジンクスだった。
 そのジンクスがピッタリと型に嵌めたように具現化すると、底冷えする寒さも相俟って、寒気が全身を襲う。
 精神的にも肉体的にも萎縮してしまい、尿意を催す。
 涙腺から涙が溢れるのは空気が乾燥しているからという理由だけではまい。
 指先がかじかんでバラ弾を装填するのに難儀する。指先に摘む小さな実包の金属の肌が氷のように冷たい。
 足音。3つ。足音、歩幅からして男。
 恐らく自分と同じ身長の男が1人はいる。
 擦れる金属音や風に乗って漂う硝煙の臭いで、専門のガンマンではないと分かった……風上からの銃撃だったからだ。
 夜中に『正体不明の襲撃者』というアドバンテージを捨ててまで、長物を発砲する辺り、商談相手を装うほどの頭脳は持ち合わせていないのだろう。
 商談相手に何があったのかは不明だが、この件も破談だ。だが、前回と違い遁走は許されない。
 モコの車中に置いた2000万のゲンナマを死守し、そっくりそのまま地下金融に返済して尚且つ1日単位で倍々ゲームのごとく増幅する利息分も返済しなければ、たちまちお尋ね者になる。
 表世界のキャッシングと違い、こちらの世界では取り立てと同時に追い立てが始まる。
 それを防ぐには24時間以内にゲンナマに手を付けず、返済……返品すればいい。
 24時間という猶予を設けてあるので、使い方と考え方次第では表世界のキャッシングローンより都合よく使える。
 従って、この場は生き延びるだけでは駄目なのだ。
 20m後方、遮蔽としているモコの向こうでカービン銃を構える男を中心とした簒奪者を排除し、現金を抱えて逃げ遂せなければならない。
 S&W M64は今宵も鈍く白く重く軽く冷たく熱く存在する。
 左手に抜いたそれをカップ&ソーサーで保持。体を横倒しにして横に並ぶ男達の足に狙いを付ける。
 最初の標的は右側の男。
 この男に被弾させれば、残りの男達は左側の遮蔽に飛び込んで一瞬だけ膠着する。心理的にそう動く可能性が高い。
 ……これが左右に一人ずつ、遮蔽に飛び込まれると前方の2箇所に注意を払いながら銃撃を展開する羽目になるので実に面倒臭くなるのだ。
 この場で最強の駒と思われるカービン銃の男も同時に仕留められれば理想だが、早紀の技量では可能性が低い。
 現況でも……明る過ぎるヘッドライトに浮かぶ男達の足の影を狙っているだけで、サイティングで狙っているのではない。この初弾が外れる可能性も大きいのだ。
 強力な光源に浮かぶ、右に立つ男の足首近辺を狙う。
 自動式より遅い。早紀にとっては全力での速射。
 初弾は撃鉄を起こした状態からの発砲。残りの2発はダブルアクションでの重い引き金を細い指先で必死で引き絞った。
 初弾が狙いの男の左足……靴の側面を削る。それが原因で男は左側に大きく揺らいで転倒。
 残りの2発は虚しく空を切る。
 なれど、モコの低い遮光の隙間一杯に広がった、転倒した男の体。足首を狙うより簡単に狙える。
 一拍の鼓動。呼吸が半分で停止。時間が止まった感覚に包まれる。
「!」
「!」
 男の影になって見えないはずの顔の変化が雰囲気で解る。
 男は足首を負傷しながらも体勢を立て直すことを止め、ジャンパーの左脇に手を走らせて拳銃を抜こうとする。
 明らかな焦りと驚愕が男の顔に貼り付いている。
 呼吸を止めたまま、早紀は再び引き金を引く。重くも軽い引き金。軽快な筈の銃声が腹にくぐもって聞こえる……こんな感覚を覚えるときは決まって一つの命が散華したときだ。
 38口径の熱く焼けた弾頭が男の心臓付近に命中。男は体を通電したように一度だけ震わせるとそれきり動かなくなった……その頃、早紀は男の消えゆく命を看取ってやることも看取ってやる義理もなく、起き上がり、薬室に残った2発を牽制で発砲して片膝突きの体勢でリロードを行っていた。
 予想通り、右側の男を銃撃した瞬間に、左側の遮蔽――山積みにした木製のパレット――に飛び込み、反撃の余地を伺う。
 そこへ牽制と思われる2発の発砲。
 男二人が慌てて頭を引っ込めたとき、早紀の再装填は終えていたのだ。
 仲間1人が落伍したのを尻目に男達は反撃すべく、遮蔽から顔を覗かせようとする。
 連携がなっていない。意思疎通や連携といった技術を持ち合わせていないのか、足の引っ張り合いだった。
 何しろお互いが同じ目線の高さで顔を突き出して銃口を覗かせようとする度に出鼻を38口径に塞がれる。緩慢な発射速度。一々、撃鉄を起こす機会を与えてくれているのではないかと疑うほどに稚拙。
 自慢のカービン銃は開戦劈頭のPTクルーザーのフロントガラスを車内から叩き割ったのが最大のハイライトだと思えた。
 連中の1人が持っているカービン銃はシルエットからM4系統だと窺い知れた。レールにフォアグリップ以外は何も見当たらないスッピンだ。
 一般的な5.56×45mm弾……フルメタルジャケットのミリタリーボールなら弾頭の直径は名前が示す通りに5.56mmだ。弾頭の全長は約2cmしかない。オマケに軽量。
 それゆえに高速で射出されると車のフロントガラスを易々と貫通できるが、さらに直進して銃口の先にある標的を狙うのは不可能に近かった。
 フロントガラスに初速と初活力の殆どを『吸収』されて歪に変形して砕け散るか、負傷を期待できない初速に低下してしまう。
 その理屈からフロントガラス越しに、襲撃者に対して応戦するM4系統のバレットM468と専用弾の6.8mm弾が開発された。……残念ながら、市場では人気が無く流通経路では滅多にみられない。明るい世界でも暗い世界でも今のところ、西側は5.56mmの独壇場だ。
 ミリタリーボールの長所短所を弁えたカービン銃の使い方も心得ていない襲撃者は、明らかに今夜の商談相手ではない。
 相手の気が変わったのか、元からゲンナマを強奪するつもりだったのか、こうなってしまってはどちらでも良い。
 軍資金を一銭たりとて減らさずに24時間……厳密には19時間以内に地下金融に返金して、無利息のラインを守らねばならない。
 この商談が上手く行ったとしても、速やかな返済を完遂せねば利息は恐ろしい速度で増えていく。
 今の早紀は現金を積んだ軽四自動車から遠くに離れられない。
 過去にもこのように商談相手が変貌して牙を剥くという事態は度々あった。だからこそのS&W M64だ。
 輪胴式の豆鉄砲でしか武装していない女、として転売人をしていると思わぬ鉄火場に巻き込まれる。
 信用商売で成り立つこの業界の人間としては命よりも、金と商品を守り抜く義務がある。
 早紀は義務に駆られて引き金を引いている人間だった。
 ……恐怖の度合いは別の話だ。 
 義務が発生する状況は、イコール生命の危機と捉えて間違いない。
「……!」
――――拙い!
 連中は遮蔽の陰からカービン銃の銃本体だけを潜望鏡のように突き出し、軽四自動車の手前の地面を狙って乱射した。
 ボトルネックの空薬莢が場違いに美しく輝く。
 地面に転がっても尚も輝きを失わない。空薬莢自体に蒐集の道をみつける愛好家の気持ちが理解できる……が、今は一部のマニアの心理を研究するより自分と現金のために次の一手を一考するべきと、考えを廻らせる。
 とにかく、拙い。
 地面に斜めの射角で撃ち込まれた小口径高速弾は、低い車高の隙間から反射し跳弾となり、軽四自動車のボディを遮蔽とする早紀の死角から襲いかかった。
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