夜、灯りの後ろにて。
水がいいか、温かい珈琲がいいか。
こんなときはストレートに白湯だけでも大助かりだ。
やや鼻歌交じりの彼が自動販売機の手前10mの辺りにきたとき、彼の完璧な仕事にケチをつける事態が発生した。
『女は生きていた』。
女の左手の輪胴式拳銃がこちら方を向いている!
女の左目が見開き、サイト越しにこちらをみている!
手にした小銭を落とし、M16を腰溜めで構え、セフティをカットし、照準を定めている間に女の拳銃の銃身が、輪胴式拳銃が、小口径高速弾と比較するのがバカらしくなるような、軽い発砲音を発して、38口径の銃弾を男に叩き込んだ。
男は38口径の豆鉄砲を舌骨下部に受け、何が間違いで、何が錯覚で、何が起きていたのかを必死で脳内で廻らせたが、答えが出る前に視界が暗く閉じる。
自分が地面に大の字に倒れたのも理解できていない……。
女……早紀は斜め上一杯に伸ばした左腕をゆっくりと下ろす。S&W M64が『軽い』。
あの自動小銃遣いは死んだのだと音で分かる。
S&W M64が異様に『軽く』感じられるときは得てして人の命を確実に吹き消したときだ。
自動小銃遣いがもっと近くに……上半身の、フライトジャケットを裏返して着ていることに気がついていたら、事態は早紀の死亡で終わりだった。
MA-1フライトジャケット。
一般的には裏地はオレンジ色で、裏返して着れば救難色として機能する。
元は航空機搭乗員の生存率を高めるための機能として派手なオレンジで拵えられるのが通例だ。
だが、早紀のフライトジャケットには裏地は表の色と同じ濃緑色で起毛生地で拵えられ、防寒性を高めた民間モデルだ。
つまり、本物のMA―1フライトジャケットではない。
ポケットの位置から、仕立てから、装飾から、全てが同一。起毛で濃緑色の裏地という一点を除いては。
勿論、差し入れ型の内ポケットのデザインや位置も同じ。
それを裏返して着れば……内ポケットの位置は反対になる。
左胸の内ポケットが右に変わる……その右になった内ポケットに差し込んでいたのは……。
早紀は咳き込みながら内ポケットに手を差し込む。コンクリブロックで叩き潰したスチールの空き缶5枚とシガリロの平たい缶、それにジッポー以上に分厚い金属で拵えられたマーベラスB/Wを引きずり出す。
マーベラスB/Wのど真ん中に5.56mm弾が拵えたと思われる大きな凹みがある。
弾頭自体は粉砕したのか、内ポケットの底に金属の欠片が溜まっていた。
必ず、右胸の真ん中を狙うように、マーベラスB/Wの真ん中に命中するように、自動小銃遣いの銃口を誘った。
5枚のスチール缶の間にラバー製のスピードローダーを挟み、マーベラスB/Wの位置を微調整するためにバラ弾のブリスターパックを折りたたんでポケットの底からの高さも調整した。
マーベラスB/Wに5.56mm弾が命中しても、その運動エネルギー……衝撃は消すことができない。
スピードローダーの弾力で僅かに緩和できるが、叩き潰したスチール缶が擂鉢状に変化していることから、想像以上の運動エネルギーが働いたと思われる……全身から冷たい汗が噴き出る。
早紀はその衝撃に胸骨が押されて、右半身を護る肋骨全てに皹が入っていると直感した。
臓器に損傷はないはずだ。ないと思いたい。
『二度も幸運は訪れない』。
ならば幸運を呼び込むまでだ。
緻密に、精密に、厳密に、計算された上の幸運。
計算通りの幸運。
訪れるべくして訪れた幸運。
自分の命をベットした幸運。
幸運を味方につける行動は現実には勝利を呼び込む公式にか他ならず、狙った通りの結末となった。
自動小銃の男がフライトジャケットの異変に気がついていなかったら?
自動販売機のディスプレイが発する光が上半身も照らしていたら?
自動小銃の男と早紀の思考がシンクロしなかったら?
自動小銃の男が何より欲しているのは、確実に発砲できる無風状態だと理解していなかったら?
軽い脳震盪を起こしている頭を充分に休めたあとに、真っ先に取った行動は……自動販売機で飲料水を買い、次々と飲み干して喉の渇きを潤すことだけだった。
万が一に備えて持ち歩いている鎮痛剤を4本目のペットボトルの水で嚥下すると、千鳥足で乗り付けた盗難車のある場所まで歩く。
自分がどれほど広範囲に走り回ったのかと、自分の健脚を恨みながら、定まらぬ焦点で夜陰に紛れる。
……彼女は自分が倒した強敵の亡骸を、とうとう一度も見なかった。
夜陰の向こうで小さな舌打ち。
調子の悪い蛍光灯が小さく瞬くと、そこには吐き捨てられたシガリロが落ちていた。
「……ライター、買わなきゃ」
※ ※ ※
自動小銃の男たちとの銃撃の最中。
現場に差し向けられた矢鎚朋堂会の末端構成員たちの報告によれば――現場に関して口出し不要を約束した美純だが、報告が遅すぎるので密かに放った信頼できる者たち――無人のハイエースを2台発見。
何れも銃殺の死体が乗せられており、本来の商談相手だったという。商品はそのままでラゲッジに載せられており、無傷。美純の指示を仰ごうとするも、足元が覚束ない早紀がペットボトル片手に、暗がりから現れ、死体を漁り、示し合わせていた携帯端末同士を無線で接触させて『何事もなく商談は成立した』と矢鎚朋堂会の者たちに伝えた。
全ての責任は持つと発言したのち、その場に早紀は疲労で崩れ落ちた。
これが後日談である。
※ ※ ※
美純と早紀はお互いの持ちうる情報を交換し、照合させて後日談を締めくくった。
白い天井。
設立に矢鎚朋堂会が大半を出資した総合病院の個室で点滴を受けながら早紀は大きく溜息を吐いた。
ベッドの傍らではいつものテイラーで仕立てたとしか思えないスーツ姿で美純はやや苦笑い気味に。
ギプスで達磨のように膨らんでいる早紀の上半身はどこか滑稽だった。
二言目にはシガリロが吸いたいと吐き捨てる早紀が、拗ねている子供のようで可愛らしくみえる。
「早紀さん。まだ、このお仕事を続けられるつもりですか?」
言葉の真意が解らない早紀。
掛け軸収集のための手下として働くのは契約済みだ。
何を今更問うことがあるのだ?
「ごめん……頭を働かせるのが面倒臭いの。はっきり言って」
少し不機嫌な早紀。
個室とはいえエアコンが効きすぎているのか寒さを感じる室内。自由に動けない上にシガリロが吸えない苛立たしさ。
「矢鎚朋堂会……財団で働いてみませんか?」
「?」
早紀の表情がサッと小さな憤慨を含んで変わる……が、急に体を動かしたために肋骨の痛みが神経を触り、表情を歪ませる。
「貴女が可哀想でいってるんじゃないんです。貴女を正式に職員として採用して……その……今までと同じ職掌で励んでもらいたいんです」
「な、何故?」
「そうした方が貴女を護れるからです。貴女と今まで以上に連携を取ることでもっとスムーズに仕事が進むと思います」
そうならば、早紀に迷う余地はない。
自分の人生、この辺りで根無し草を辞めたいと思っていた。
渡りに船……とはいかない。職掌は同じという条件だ。
危険度は変わりないと言外にいわれているのだ。
「……できれば……ご一考お願いします」
早紀の点滴を打っていない右手にそっと冷たい金属を渡す。
視線を廻らせてみると、破損して使えなくなったと思っていたマーベラスB/W握らされていた。
恐る恐るホイールを回転させると、何も変わらない温かみのある炎が昇り立つ。
自動小銃の男と戦って3日が経過した病室。
シガリロが切れて正常な判断を失った脳味噌が判断したのか、彼女の本心だったのか、それともヤケ気味だったのか、本当の捨て鉢だったのか……。
「……解ったわ。解ってるわ。『貴女に飼われてあげる』」
と返事したのち、こう、付け加えた。
「今すぐシガリロを吸わせてくれたらお礼にほっぺたに『ちゅっ』ってしてあげるけど?」
《夜、灯りの後ろにて・了》
こんなときはストレートに白湯だけでも大助かりだ。
やや鼻歌交じりの彼が自動販売機の手前10mの辺りにきたとき、彼の完璧な仕事にケチをつける事態が発生した。
『女は生きていた』。
女の左手の輪胴式拳銃がこちら方を向いている!
女の左目が見開き、サイト越しにこちらをみている!
手にした小銭を落とし、M16を腰溜めで構え、セフティをカットし、照準を定めている間に女の拳銃の銃身が、輪胴式拳銃が、小口径高速弾と比較するのがバカらしくなるような、軽い発砲音を発して、38口径の銃弾を男に叩き込んだ。
男は38口径の豆鉄砲を舌骨下部に受け、何が間違いで、何が錯覚で、何が起きていたのかを必死で脳内で廻らせたが、答えが出る前に視界が暗く閉じる。
自分が地面に大の字に倒れたのも理解できていない……。
女……早紀は斜め上一杯に伸ばした左腕をゆっくりと下ろす。S&W M64が『軽い』。
あの自動小銃遣いは死んだのだと音で分かる。
S&W M64が異様に『軽く』感じられるときは得てして人の命を確実に吹き消したときだ。
自動小銃遣いがもっと近くに……上半身の、フライトジャケットを裏返して着ていることに気がついていたら、事態は早紀の死亡で終わりだった。
MA-1フライトジャケット。
一般的には裏地はオレンジ色で、裏返して着れば救難色として機能する。
元は航空機搭乗員の生存率を高めるための機能として派手なオレンジで拵えられるのが通例だ。
だが、早紀のフライトジャケットには裏地は表の色と同じ濃緑色で起毛生地で拵えられ、防寒性を高めた民間モデルだ。
つまり、本物のMA―1フライトジャケットではない。
ポケットの位置から、仕立てから、装飾から、全てが同一。起毛で濃緑色の裏地という一点を除いては。
勿論、差し入れ型の内ポケットのデザインや位置も同じ。
それを裏返して着れば……内ポケットの位置は反対になる。
左胸の内ポケットが右に変わる……その右になった内ポケットに差し込んでいたのは……。
早紀は咳き込みながら内ポケットに手を差し込む。コンクリブロックで叩き潰したスチールの空き缶5枚とシガリロの平たい缶、それにジッポー以上に分厚い金属で拵えられたマーベラスB/Wを引きずり出す。
マーベラスB/Wのど真ん中に5.56mm弾が拵えたと思われる大きな凹みがある。
弾頭自体は粉砕したのか、内ポケットの底に金属の欠片が溜まっていた。
必ず、右胸の真ん中を狙うように、マーベラスB/Wの真ん中に命中するように、自動小銃遣いの銃口を誘った。
5枚のスチール缶の間にラバー製のスピードローダーを挟み、マーベラスB/Wの位置を微調整するためにバラ弾のブリスターパックを折りたたんでポケットの底からの高さも調整した。
マーベラスB/Wに5.56mm弾が命中しても、その運動エネルギー……衝撃は消すことができない。
スピードローダーの弾力で僅かに緩和できるが、叩き潰したスチール缶が擂鉢状に変化していることから、想像以上の運動エネルギーが働いたと思われる……全身から冷たい汗が噴き出る。
早紀はその衝撃に胸骨が押されて、右半身を護る肋骨全てに皹が入っていると直感した。
臓器に損傷はないはずだ。ないと思いたい。
『二度も幸運は訪れない』。
ならば幸運を呼び込むまでだ。
緻密に、精密に、厳密に、計算された上の幸運。
計算通りの幸運。
訪れるべくして訪れた幸運。
自分の命をベットした幸運。
幸運を味方につける行動は現実には勝利を呼び込む公式にか他ならず、狙った通りの結末となった。
自動小銃の男がフライトジャケットの異変に気がついていなかったら?
自動販売機のディスプレイが発する光が上半身も照らしていたら?
自動小銃の男と早紀の思考がシンクロしなかったら?
自動小銃の男が何より欲しているのは、確実に発砲できる無風状態だと理解していなかったら?
軽い脳震盪を起こしている頭を充分に休めたあとに、真っ先に取った行動は……自動販売機で飲料水を買い、次々と飲み干して喉の渇きを潤すことだけだった。
万が一に備えて持ち歩いている鎮痛剤を4本目のペットボトルの水で嚥下すると、千鳥足で乗り付けた盗難車のある場所まで歩く。
自分がどれほど広範囲に走り回ったのかと、自分の健脚を恨みながら、定まらぬ焦点で夜陰に紛れる。
……彼女は自分が倒した強敵の亡骸を、とうとう一度も見なかった。
夜陰の向こうで小さな舌打ち。
調子の悪い蛍光灯が小さく瞬くと、そこには吐き捨てられたシガリロが落ちていた。
「……ライター、買わなきゃ」
※ ※ ※
自動小銃の男たちとの銃撃の最中。
現場に差し向けられた矢鎚朋堂会の末端構成員たちの報告によれば――現場に関して口出し不要を約束した美純だが、報告が遅すぎるので密かに放った信頼できる者たち――無人のハイエースを2台発見。
何れも銃殺の死体が乗せられており、本来の商談相手だったという。商品はそのままでラゲッジに載せられており、無傷。美純の指示を仰ごうとするも、足元が覚束ない早紀がペットボトル片手に、暗がりから現れ、死体を漁り、示し合わせていた携帯端末同士を無線で接触させて『何事もなく商談は成立した』と矢鎚朋堂会の者たちに伝えた。
全ての責任は持つと発言したのち、その場に早紀は疲労で崩れ落ちた。
これが後日談である。
※ ※ ※
美純と早紀はお互いの持ちうる情報を交換し、照合させて後日談を締めくくった。
白い天井。
設立に矢鎚朋堂会が大半を出資した総合病院の個室で点滴を受けながら早紀は大きく溜息を吐いた。
ベッドの傍らではいつものテイラーで仕立てたとしか思えないスーツ姿で美純はやや苦笑い気味に。
ギプスで達磨のように膨らんでいる早紀の上半身はどこか滑稽だった。
二言目にはシガリロが吸いたいと吐き捨てる早紀が、拗ねている子供のようで可愛らしくみえる。
「早紀さん。まだ、このお仕事を続けられるつもりですか?」
言葉の真意が解らない早紀。
掛け軸収集のための手下として働くのは契約済みだ。
何を今更問うことがあるのだ?
「ごめん……頭を働かせるのが面倒臭いの。はっきり言って」
少し不機嫌な早紀。
個室とはいえエアコンが効きすぎているのか寒さを感じる室内。自由に動けない上にシガリロが吸えない苛立たしさ。
「矢鎚朋堂会……財団で働いてみませんか?」
「?」
早紀の表情がサッと小さな憤慨を含んで変わる……が、急に体を動かしたために肋骨の痛みが神経を触り、表情を歪ませる。
「貴女が可哀想でいってるんじゃないんです。貴女を正式に職員として採用して……その……今までと同じ職掌で励んでもらいたいんです」
「な、何故?」
「そうした方が貴女を護れるからです。貴女と今まで以上に連携を取ることでもっとスムーズに仕事が進むと思います」
そうならば、早紀に迷う余地はない。
自分の人生、この辺りで根無し草を辞めたいと思っていた。
渡りに船……とはいかない。職掌は同じという条件だ。
危険度は変わりないと言外にいわれているのだ。
「……できれば……ご一考お願いします」
早紀の点滴を打っていない右手にそっと冷たい金属を渡す。
視線を廻らせてみると、破損して使えなくなったと思っていたマーベラスB/W握らされていた。
恐る恐るホイールを回転させると、何も変わらない温かみのある炎が昇り立つ。
自動小銃の男と戦って3日が経過した病室。
シガリロが切れて正常な判断を失った脳味噌が判断したのか、彼女の本心だったのか、それともヤケ気味だったのか、本当の捨て鉢だったのか……。
「……解ったわ。解ってるわ。『貴女に飼われてあげる』」
と返事したのち、こう、付け加えた。
「今すぐシガリロを吸わせてくれたらお礼にほっぺたに『ちゅっ』ってしてあげるけど?」
《夜、灯りの後ろにて・了》
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