夜、灯りの後ろにて。

 ……とはいえ。
 喉が渇ききって、文字通り喉から水が欲しい状況で、目の前に水が有るというのに手に入らない悔しい状況。
 自分が敵を待ち構えて強襲を仕掛けるのなら、相手が身も心も無防備になるポイントで待ち構えると予想していたからこそ命拾いした。
 どんな状況でも視野狭窄に陥ることを拒否する早紀の性分が一時の命を拾った。……拒否しても飲み込まれる場合が多いが。
 命と水の二択で命を選んだ。
 渇きは死ぬほどつらいが、即座に死にはしない。
 命は大事だ。乾きも癒せず死んだとしたら死ぬ以上の苦しみを負わされて死ぬ。
 本当に、一口。
 コップ半分の冷たい水があれば全てが完治する錯覚。
 汗や涙や涎や小便でかなりの水分を失った。冬でも脱水症状で死ぬ。まだ脳味噌が正常に判断できるだけの水分は体内にある。
 体内の重要器官に巡回する水分を消費する前に決着をつけねばならない。
 S&W M64のシリンダーを開放して装填済みのスネークショットをジャケッテッドホローポイントに入れ替える。
 対人戦闘として極端に射程が短いスネークショットで自動小銃に喧嘩を売る気はない。
 牽制の発砲でも本来の弾頭の方が心強い。
 単純に計算すればスネークショットの1粒のエネルギーは通常の38spl+P+と比較して150分の1程度しかないのだ。そしてエネルギーの世界は倍数の世界ではない。累乗の世界だ。距離が開けばその分、劇的に停止力は下がる。
 結果、タマは届くが窓ガラスをノックする程度の威力しかないという事態が発生する。
 コンパクトを右手に持ち替え、背後を映しながら駆け出す。
 今までに逃走を繰り返してきたルートを脳内で組み立てる。マッピング。
 港湾部廃工場倉庫街。
 遮蔽が豊かなのが強みだが、それは敵にとっても同じこと。自動小銃対輪胴式拳銃という優位性を捨て、数で押したのに負けそうだからという理由で撤退する敵だとは思えない。
 早紀の衣服のどこに地下銀行のURLにアクセスできる携帯端末があるのか解らないはずなのに、自動小銃で大雑把な狙撃を繰り出してきたことから、相手の心に焦りがあるのを感じる。
 自動販売機の前で決着をつけるつもりだったのだろう。
 その意気が逸り過ぎたらしい。
 そのお陰で早紀は生きながらえた……今もこうして走っている。喉の渇きと倦怠感を押しながら走っている。自分の体の脇を小口径高速弾が過ぎても焦りはするが恐怖はしない。
 麻痺したのではない。敵も心に余裕のない人間だと解って、何故か安心したからだ。
 敵は自動小銃。
 その絶対的に埋められようのない射程と圧倒的火力で攻勢に出る。……絶対にだ。
 早紀のS&W M64は結局、ディフェンスガンなのだ。先ほどの……倉庫の隙間から壁をぶち破ってバラクラバの男に至近距離からスネークショットを叩き込んだような幸運は訪れない。
 1度だけだから幸運だ。2度目がこの状況下で起きるとすればそれは天文学的な数字の世界での偶然だ。そして3度目が起きるのなら、早紀は人智を超えた何かに護られていると思った方がいい。
 自動小銃と戦うのなら機動力で距離を縮めることが課題だ。
 自動小銃から逃げるのなら全周に目玉を持ち、後ろ向きに全力疾走する器用さが求められる。
 いずれにしても難関。
 今どき、時代遅れのフルオート機能を搭載した自動小銃でも、機関銃と同列の扱い方をされ、短機関銃と同じく軽々と扱われている……早紀は密売人以上の何かのスキルが上昇しつつあると感じるが、それは本来、望まないスキルのはずだった。
 距離、縮まる。銃声で解る。銃声の隙間に冷たい金属音が聞こえる。
 距離を縮めてきたのは自動小銃遣いだ。
 追い立てる銃撃ではない。確実にコロシにきている。脚を撃ち抜くとか腕を負傷させるなどという機動力や気力を低下させる銃撃ではない。 風に靡くMA―1フライトジャケットの裾や、風に揺れる長い黒髪が小銃弾に掠られる度に尿道口が緩みそうになる。内太腿の小便で濡れた不快感も早紀の本気の疾駆を邪魔していた。
 喉が渇く。冬の乾燥した空気が拍車をかける。脳内のマッピングでは自動販売機がある地点は先ほどの……コンパクトのお陰で命拾いした自動販売機しかない。
――――?
 距離は縮まる。自分の足は鈍る。だのに決定打の銃撃が襲い掛からない。
――――……ああ。
 すぐに謎は解決。街灯が多いのだ。この辺りは光源が多い。
 それも集合して明るいのではなく、一個一個、光量が乏しい街灯や蛍光灯が不規則に配置されているお陰で、明るい場所や暗い場所に出入りを繰り返す早紀が、サイト越しだと急に遠くなったり近くなったり錯覚してしまうのだ。
 フルオートだろうとセミオートだろうと、移動しながらの発砲と命中を阻害している。
 早紀はただ、見通しの利く明るい通路を選んでいただけだがそれが奇貨として働いたらしい。
 サイト上の標的が不安定に網膜に映るのは、小銃をメインにする射手には非常にストレスが大きい。
 フロントサイトとリアサイトの間隔が拳銃と比べられないほどに長いために的確なサイティングができない。
 両眼を開けてのCQCに於けるタクティカルな発砲ではない。
 ましてやそのような状況ではない。
 寒風が吹き荒れる中でワークスペースを確保しながら暗視スコープもなしで追撃しているのだ……追撃するバラクラバの男が遣うM16系統の自動小銃にはレールもマウントもない。
 M16系統……厳密にはモドキではなく、正統なM16だと謂えた。M16のベトナムモデルだ。
 M16の世界でも骨董品に類するモデルで、フラッシュハイダーが先割れで後続のモデルとは銃火の咲き方が違う。
 機関部を新古品に入れ替え、外装も交換が利く物は交換した。内部は事実上の現行品なのでベトナム戦争当時に疎まれた粗悪品――メーカーのいい分にカタを持つのなら粗悪品ではない。指定した弾薬を用いない軍が悪いのだが――ではない。外見がベトナムモデルというだけで中身はフルオート機能を有した現行モデルだ。
 それは彼の趣味だと謂えた。
 性能はいいが、性分や性格に合わない銃を用いても満足感が得られない。
 性能に難ありでも外見のインプレッションだけで魅入られる因子も自分のモチベーションに大きな影響を与えると思っている。
 最近、自分を慕ってくれる若者が、彼を真似してM4クローンを入手して仕事に臨んだが、腕を上げる途上で拳銃遣いに打ち倒されたと聞いた。
 強盗同然の稼業に三下を遣う依頼主に憤慨はしたが、恨みはしていない。
 何かとM16の彼に近付こうと意気込んでいたが、最期は頭部を損傷して酷い結末だったらしい。
 ガンマンの最期は必ずこうだ。
 一片でも救われる末路などない。
 若いM4クローン遣いに色々と、滔々と朗々と、語って聞かせてやりたいことはまだまだたくさんあった。
 『消えるときは一瞬』であることもいい聞かせておくべきだったと心の端がチクリと痛む。
 ……そんなことより目前の標的だ。
 M16のワークスペースを確保しながら、腹に掛けたチェストリグから予備弾倉を抜く。
 あと数発撃てばこの弾倉は空になる……それにしても、あの標的は……あの女は若いくせに素人ではない動きをする。
 環境の光源光量を自在に操り、且つ、複雑な気流を読んで、必要な数しか実包を消費していない。
 手下どもは必ずバイタルゾーンに至近距離から面妖な効果をもたらす弾頭で仕留められている。
15/17ページ
スキ