夜、灯りの後ろにて。

 直線の小道。厳密には倉庫と倉庫の間の保守用通路。
 左右はブリキを貼り付けてあるだけの倉庫の壁。錆が酷い。その下の合板も朽ちて虫が食ってる。触るとそれだけで崩れ落ちそうだ。
 廃棄区画なのでまともなメンテナンスは長い年月、受けていない。脆い壁……まるで『体当たりで壊れそうだ』。
 急ブレーキ。
 踵で踏ん張って地面を足裏で掴み、左肩から『壁に対して体当たり』。
 この辺りだと『目算していた』。
 この辺りに壁向こうで併走する追撃者がいるはずだった。
 足音はいつまで経っても1人の追撃者。
 早紀にピッタリ張り付いて離れない役目を仰せつかったのだろう。
 『体当たり』で崩壊した壁。人が一人通過できる大穴。ブリキが派手な音を立てて軋む。大鋸屑同然の木材が寒風に流されて大きく舞い上がる。
「!」
 表情は解らなかった。だが、その人物は驚いていた。気配がそう語っていた。
 その人物が大きな物音に対して急に踵を返すも、視線を走らせると倉庫の壁に大穴がポッカリ。
 自分の立ち位置より3歩ほど背後だった。
 大穴から差し込む乏しい光源は地面に寝転がっていた早紀を照らし出す。
 早紀と軍用自動拳銃――ベレッタM92FSと思われる――を握ったバラクラバの男と視線が合う……もっと正確にいうのなら、男の視線とS&W M64の銃口の向こうに有る早紀の視線とぶつかった。
 引き金を引く。
 軽いトリガープル。たった2kgの力学的作用。
 噛み合ったシアが生み出す大きな力は、さらに大きな力の権化である38splスネークショットを2インチの銃口から弾き出した。76mmのバレルを通過した150粒の散弾は3mも離れていない男の胸部に命中し、胸骨を叩き割る。
 臓器にまで深刻なダメージは与えていないはずだ。呼吸もままならず、やがて襲い来る苦痛の大波に全身を覆われ、痙攣するのが関の山になる。
 早紀はその人物の手元に転がっていたベレッタM92FSを右手で器用に通常分解する。零れ落ちたパーツを蹴り飛ばして踵を返す。
 背後や左右にアソセレススタンスで銃口を走らせる。次の標的を確認するが姿がみえない。
 闇から銃弾が飛来する前に再び大穴に戻り倉庫の隙間を伝って走り出す。
 3人。3人だ。追撃者は3人。今し方1人脱落。
 だが、本当の大物はもう1人……自動小銃の使い手がいることを忘れてはいけない。
 小口径高速弾が沈黙して長い。拳銃の発砲音しか聞こえない。
 2人+1人。敵戦力を交わしつつ、この場を離脱して生き延びる。
 商談は破談だ。
 相手の事情は知ったことではない。
 とにかく、自分は嵌められたといい張れるだけの体験をしている。この付近に乗りつけた盗難車に向かって走り続ける。
 ニコチンを欲する体。精神力で自制。何度、MA―1フライトジャケットの左脇に手を差し伸べ、見慣れた缶と愛用のマーベラスB/Wを手に取ろうか考えたか知れない。
 尚、肝心の携帯端末は右手側のハンドウォームだ。
 それ以外のポケットにはブリスターパックの実包やバラ弾を押し込んである。
 ベルトポーチは殆どがスピードローダーで埋め尽くされている。大きな商談取引はイコール大きな危険といい聞かせていたからこその準備だ。
 倉庫の隙間の保守用通路を走る。額に汗が薄っすらと浮かぶ。規則正しく白い呼吸が吐き出される。
 喉の渇きを覚え始めた。ニコチン切れなのか、走り過ぎで喉が渇いているのか自分でも解らない。
 追い立てるような銃声……ではない。
 銃声、轟く。今度は早紀を狙っている。MA―1フライトジャケットの裾が弾かれてジッパーのフックが跳ねる。
 足を狙われた。
 拳銃弾と思しき衝撃が爪先から伝わってつんのめって倒れそうになる。
 靴の爪先に被弾した。右足の指先が鈍く痺れる。走るために大きく脚を上げて走っていなかったら脚部のいずれかに被弾して、大きく機動力が削がれているところだった。
 このような幸運は立て続けには起きたりしない。次は、死ぬ。
 死ぬものだと相場は決まっている。
 考えてみればこのロケーションは自分のようなドブネズミが最期を迎えるにはお誂えのロケーションだった。
 背後……そう、離れていない位置に追撃者がいる。
 今度は殺すつもりだ。明確な殺気を感じる。捕縛して端末を奪うとか負傷させて端末を奪うという手加減の気配はない。
 得体の知れない黒い何かが大きな掌を形成して早紀を捕まえようと迫ってくる。そんな絵面が脳裏に浮かぶ。捕まれば死ぬ。
 反射的に体をその場で一回転。
 回転の途中で定まらない銃口にも構わずに、『自分の背後だろうと思われる方向』に発砲。
 鈍い着弾音。肌に食い込む独特の生々しい音ではなく、衣服に砂を叩きつけたような軽い、嫌な音。
 大きく拡散したパターンに、背後を追撃していた人物の全身を捕らえたらしい。
 距離が開いていたので拡散パターンが大きすぎてダメージに到らず、砂を投げつけて目潰しに用いた程度の効果しかなかった。それでも背後の、同じ小道を走っていた人物の追撃続行を大きく遅らせた。
 その追撃していた人物は左手で右目を押さえ、手にしていた自動拳銃をその場で早紀に向かって乱射する。
 9mmパラベラムの猛攻。
 乱射と謂えど、左右に逃げられない狭い空間ではひたすら、9mmの弾頭が自分を除けてくれるのを願うしかない。
 残念ながら先ほどの倉庫のように左右の壁面はそんなに脆くない。
 何しろ腰以上の高さまでコンクリブロックが積み上げられて横倒するのを防いでいるのだ。
 早紀程度の体重と運動エネルギーで、体当たりのみでコンクリブロックは破壊できない。
 左右のコンクリブロックが9mmパラベラムで削られて塵埃を巻き上げる。
 フルメタルジャケットと思われる弾頭が砕け、破片が早紀の頬に細かな切り傷を作る。
 頭を抱えながらの無様な遁走。
 それ以外に彼女に取る術はない……背後の男の自動拳銃が『タマ切れを起こさない限り』。
――――!
――――タマ切れ!
 スライドが後退する音を聞く。音というより、発砲のリズムが停止したのを聞き取った。
 自動拳銃はタクティカリティとしては有用な火器だが、ちゃんとした訓練を積み、ユーザーが万全の状態であり、常に装備の健全性を保っているからこその脅威だ。
 背後の男のように、片目の負傷で、片目片手を塞がれ怒りの感情に任せた乱射では命中は神様頼りでも、再装填という物理的、具体的、能動的動作は自力で行わなければならない。
 自力で行える行為にまで神の力を頼るのは愚行にも数えられない行為だ。
 距離、15m。
 きびす、返す早紀。
 逡巡も躊躇も思考もなく、駆ける。男に向かって。
 距離、7mに縮まる。
 危険を承知で走りつつ撃鉄を起こす。
 距離、6m。
 予備弾倉をジャンパーの後ろ腰辺りから引っ張り出した男と眼が合う。
 男の血の涙が流れる、硬く閉じた右目が早紀の視界に飛び込む。
 距離、5.5m。
 急ブレーキを掛ける仕草も見せず、走りながらの発砲。
 1発目は男の胸部。2発目のダブルアクションでは男の腹部に、命中。
 人体のバイタルゾーンに的確にスネークショットを叩き込む。
 酷く侵徹する粒弾は一粒もない。……ヘビー級ボクサーの渾身のパンチ力をコンスタントに発揮する停止力は男を大の字にして吹っ飛ばした。
 男は体を地面から3cmほど浮かせ、大きく仰向けに倒れる。
 早紀はようやく急ブレーキ。
 急ブレーキをかけた爪先は男の靴裏に触れる。
 もう少しで男と正面衝突するところだった。
 男の腹部は小刻みに上下する。横隔膜に衝撃が伝わったのか、呼吸困難らしい。
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