夜、灯りの後ろにて。
遁走を許した男が電極を当てられたように体を震わせて蜂の巣になる。
――――拙い!
――――忘れてた!
確かに小口径高速弾と思しき銃声も聞こえていた。
その持ち主が出張ってきたのだろう。
逃げられる仲間も自分の手で射殺する観念が理解できない。
いつまでも狭い遮蔽に隠れていては危険。尻から後退を開始する。
後退しながら再装填。スピードローダーは対マカロフで1発用いたのでポケットからバラ弾を取り出して補弾する。
小口径高速弾。風に流されやすいが、それはある程度の狙撃的要素を含んだ射撃のときの話で、乱射連射ではまるで意味合いは違ってくる。
何より、小銃で用いられる銃弾だ。貫徹力は拳銃弾などと比較にならない。
拳銃弾クラスで最高の貫徹能力を持つ徹甲弾のロングカートマグナムでも、その絶対数的性能差は埋められようもない。
ましてや早紀の銃身が2インチしかないS&W M64では……それに装填している38spl+P+では銀玉鉄砲と違法改造のガスガンほどの差がある。
早紀には遁走以外の取るべき術はない。
迷わず脱兎に喩えられる走りをみせる。
彼女の足元や遮蔽の壁や廃材を削り取る銃撃。
左手に携えたS&W M64も早紀に脱出を促しているかのように軽く感じる。
「!」
咄嗟に体が動いた。
西部劇でみるような、腰の辺りで構えて撃鉄を弾いて撃発させる発砲を殆ど無意識に行った。
飛び込もうとしていた倉庫の暗がりの正面に立った瞬間、危険を察知。無意識に左手に構えたS&W M64を腕を伸ばして撃つ真似はせずに、すぐさま、腰の辺りで低く構え、右掌の小指のつけ根で撃鉄を起こして殆ど同時に引き金を引き絞る。
ダブルアクションで撃つといけない気がした。
ダブルアクションだと自分が『死ぬ気』がした。
シングルアクションを素早く用いるのがベストだと本能が囁いた。
発砲。2発。左腰辺りで38口径が吼える。脇腹にシリンダーギャップから噴き出すガスを感じる。
小銃弾と比べれば、愛玩犬が吼える程度の発砲音。38口径は38口径だ。
『それを腹部に2発も受けて立っていられる人間は居ない』。
薬物でもキメていない限り。
暗がりの向こうで誰かが短い呻き声を挙げた。
続いて倒れる音。全てが暗がりの向こうの中でのこと。フクロウやコウモリでない早紀には詳しく確認できなかった。
「!」
――――!
――――囲まれてる!
廃工場の遮蔽物が豊かな場所ほど、不穏に思える。直感で伏兵が潜んでいるのを察する。
……確かに! 確かに今夜は大きな取引だ。
複数の商品、合わせて3億円近い。
金を積んでも手に入らない名品がある。
国が管理するレベルの品物ともなると金だけでは入手できない。
その筋の人脈を長い年月をかけて築き上げて、ようやく一つの品が入手できる。
その手間隙を惜しんで金で解決しようと思ってもどうにもならない。こちらの地下銀行の口座やID、パスといったモノが標的なのだろう。
それにデジャヴュ。小物を従えた自動小銃。一定以上の取引のときにだけ現れる邪魔者。
決まって大きな取引。どこかの何かに関連付けがあるとしか思えない。ふとハンロンの剃刀を当て嵌めて考えろとさえ思ってしまう。
携帯電話の重量を右手で確かめる。確かに有る。状況も健在だ。
この端末の中には、今夜の取引をするのに充分なだけの金額が即座に指定した相手に振り込まれるように専用のアプリを作らせてインストールしてある。
ただのURL転送アプリでもそのアプリの価値こそ天井知らずだ。
――――大きな取引のときだけ鉄火場になってる!
――――……矢鎚と接触する前から、よね?
――――情報屋の中にダブルスパイがいる?
――――『熱烈なファン』って面倒臭いのね……。
神経をわざと分散させて心に余裕が生まれる隙間を作り、周りを見渡す精神的時間を作る。
どこに誰が潜んでいるのか解らない状況に、恐怖と脅威が顎を開けて待っている暗闇に飛び込むのに際して、視野狭窄に陥るのを防ぐためだ。
思考を廻らせながら行動するというのと、思考と視野を分散させて行動させるのは真逆のベクトルだが、窮地に於いてはそのいずれかに極端に偏った者はかなりの確率で生存する。早紀は後者を選択した。中途半端に、生半可に思考を走らせる奴は大概、死ぬ。
――――2人!
遮蔽伝いの移動。倉庫街に入り、倉庫の隙間を縫う。
だだっ広いだけの倉庫間に沿って、狭く黴臭い作業員用通路を走る……壁一枚向こうで、倉庫の内部で誰かが併走しているのが解る。
『この手のいやがらせ』に今まで散々苦しめられた。これは追い立てるためのブラフだ。敵の本隊ではない。
――――!
――――当らない? 厭、当てられない!
今夜の敵襲と、いつもの邪魔者のパターンを比較すると、小さくも大きな差異があることをみつける。
今夜は電子マネーでの取引だ。
故に携帯端末が被弾してしまうと連中の目論見……恐らく地下銀行へのアクセス権を失ってしまう。だから、三下を使って追い立て、一撃必殺の距離でのみ大々的な攻勢に転じる。
先ほど仕留めたバラクラバを被ったマカロフの男たちがその作戦の要だったのだろう。
プロと三下の混成。他人の金品を現場で横から掠め取る強盗。後ろ暗い取引のために警察に頼るなどありえない。
被害者は大抵、泣き寝入り。強盗とみせかけて他の所望する人間が放った刺客というパターンも多い。それを欺瞞するためのプロと三下の混成。身元の割り出しを遅らせる工作だ。
――――しつこい……当たり前、か。
辻の光源だけを頼りに細い道を走る。左右の壁からの突起物に衣服が擦れる。
倉庫の隙間から出ると決まって銃声が追いかけてくる。
早紀を誘導させて袋小路か最難関である自動小銃の遣い手の前に引き出すつもりか。
その度に牽制。倉庫街に入り込んでからはS&W M64の薬室にはスネークショットしか装填していない。
辻の角での出会い頭で遭遇戦に発展すれば、38spl+P+のセミジャケッテッドホローポイントより、スネークショットの散弾の方が有利だと思ったからだ。
早紀が使用するスネークショットは通常の38splで250粒の散弾を撒き散らすモノではない。38spl+P+の初速で150粒の散弾を撒き散らすのだ。
単純に一粒当りの威力は通常の38splスネークショットより強力だ。装薬も多く、一粒当りの大きさもやや大きく『重量がある』。
2インチという短い銃身のためにコローンは形成され難いが、パターンは大きく広がるので、近接する距離では文字通り散弾銃を構えているのと同じ安心感がある……残念ながら、マスターキーとして使うには威力不足だ。従って、状況次第ではブリキの壁一枚すら貫徹できない場合もある。
それでも安心感を利き手に持つという精神的優位性は大きく、冷静に情報を拾うことができた。
3人。遮蔽や、夜陰や、物陰や、壁沿いに追撃してくる伏兵の数は3人と解る。連中は辻の蛍光灯を避けるために不自然な機動で走るものだから、そのたびに手足や肩、バラクラバを被った頭部が見え隠れするのだ。
早紀の、どのポケットに携帯電話を押し込んでいるのか解らない以上、狙撃できる距離でも狙撃はしないだろう。
その優位性も大きい。連中が狙うのなら早紀の頭部か大腿部だ。
的が大きく、一発で動きを封じることができる。早紀が連中と同じ立場ならそうする。
銃弾は相変わらず威勢よく飛来。
皮肉にも早紀に気を使いすぎて小道の左右の壁面を削るだけだ。
――――そろそろかな?
連中は仕掛けてくる。直感が囁く。
危険と解りつつも慎重に走りながら、左手の親指が撃鉄を起こす。
――――拙い!
――――忘れてた!
確かに小口径高速弾と思しき銃声も聞こえていた。
その持ち主が出張ってきたのだろう。
逃げられる仲間も自分の手で射殺する観念が理解できない。
いつまでも狭い遮蔽に隠れていては危険。尻から後退を開始する。
後退しながら再装填。スピードローダーは対マカロフで1発用いたのでポケットからバラ弾を取り出して補弾する。
小口径高速弾。風に流されやすいが、それはある程度の狙撃的要素を含んだ射撃のときの話で、乱射連射ではまるで意味合いは違ってくる。
何より、小銃で用いられる銃弾だ。貫徹力は拳銃弾などと比較にならない。
拳銃弾クラスで最高の貫徹能力を持つ徹甲弾のロングカートマグナムでも、その絶対数的性能差は埋められようもない。
ましてや早紀の銃身が2インチしかないS&W M64では……それに装填している38spl+P+では銀玉鉄砲と違法改造のガスガンほどの差がある。
早紀には遁走以外の取るべき術はない。
迷わず脱兎に喩えられる走りをみせる。
彼女の足元や遮蔽の壁や廃材を削り取る銃撃。
左手に携えたS&W M64も早紀に脱出を促しているかのように軽く感じる。
「!」
咄嗟に体が動いた。
西部劇でみるような、腰の辺りで構えて撃鉄を弾いて撃発させる発砲を殆ど無意識に行った。
飛び込もうとしていた倉庫の暗がりの正面に立った瞬間、危険を察知。無意識に左手に構えたS&W M64を腕を伸ばして撃つ真似はせずに、すぐさま、腰の辺りで低く構え、右掌の小指のつけ根で撃鉄を起こして殆ど同時に引き金を引き絞る。
ダブルアクションで撃つといけない気がした。
ダブルアクションだと自分が『死ぬ気』がした。
シングルアクションを素早く用いるのがベストだと本能が囁いた。
発砲。2発。左腰辺りで38口径が吼える。脇腹にシリンダーギャップから噴き出すガスを感じる。
小銃弾と比べれば、愛玩犬が吼える程度の発砲音。38口径は38口径だ。
『それを腹部に2発も受けて立っていられる人間は居ない』。
薬物でもキメていない限り。
暗がりの向こうで誰かが短い呻き声を挙げた。
続いて倒れる音。全てが暗がりの向こうの中でのこと。フクロウやコウモリでない早紀には詳しく確認できなかった。
「!」
――――!
――――囲まれてる!
廃工場の遮蔽物が豊かな場所ほど、不穏に思える。直感で伏兵が潜んでいるのを察する。
……確かに! 確かに今夜は大きな取引だ。
複数の商品、合わせて3億円近い。
金を積んでも手に入らない名品がある。
国が管理するレベルの品物ともなると金だけでは入手できない。
その筋の人脈を長い年月をかけて築き上げて、ようやく一つの品が入手できる。
その手間隙を惜しんで金で解決しようと思ってもどうにもならない。こちらの地下銀行の口座やID、パスといったモノが標的なのだろう。
それにデジャヴュ。小物を従えた自動小銃。一定以上の取引のときにだけ現れる邪魔者。
決まって大きな取引。どこかの何かに関連付けがあるとしか思えない。ふとハンロンの剃刀を当て嵌めて考えろとさえ思ってしまう。
携帯電話の重量を右手で確かめる。確かに有る。状況も健在だ。
この端末の中には、今夜の取引をするのに充分なだけの金額が即座に指定した相手に振り込まれるように専用のアプリを作らせてインストールしてある。
ただのURL転送アプリでもそのアプリの価値こそ天井知らずだ。
――――大きな取引のときだけ鉄火場になってる!
――――……矢鎚と接触する前から、よね?
――――情報屋の中にダブルスパイがいる?
――――『熱烈なファン』って面倒臭いのね……。
神経をわざと分散させて心に余裕が生まれる隙間を作り、周りを見渡す精神的時間を作る。
どこに誰が潜んでいるのか解らない状況に、恐怖と脅威が顎を開けて待っている暗闇に飛び込むのに際して、視野狭窄に陥るのを防ぐためだ。
思考を廻らせながら行動するというのと、思考と視野を分散させて行動させるのは真逆のベクトルだが、窮地に於いてはそのいずれかに極端に偏った者はかなりの確率で生存する。早紀は後者を選択した。中途半端に、生半可に思考を走らせる奴は大概、死ぬ。
――――2人!
遮蔽伝いの移動。倉庫街に入り、倉庫の隙間を縫う。
だだっ広いだけの倉庫間に沿って、狭く黴臭い作業員用通路を走る……壁一枚向こうで、倉庫の内部で誰かが併走しているのが解る。
『この手のいやがらせ』に今まで散々苦しめられた。これは追い立てるためのブラフだ。敵の本隊ではない。
――――!
――――当らない? 厭、当てられない!
今夜の敵襲と、いつもの邪魔者のパターンを比較すると、小さくも大きな差異があることをみつける。
今夜は電子マネーでの取引だ。
故に携帯端末が被弾してしまうと連中の目論見……恐らく地下銀行へのアクセス権を失ってしまう。だから、三下を使って追い立て、一撃必殺の距離でのみ大々的な攻勢に転じる。
先ほど仕留めたバラクラバを被ったマカロフの男たちがその作戦の要だったのだろう。
プロと三下の混成。他人の金品を現場で横から掠め取る強盗。後ろ暗い取引のために警察に頼るなどありえない。
被害者は大抵、泣き寝入り。強盗とみせかけて他の所望する人間が放った刺客というパターンも多い。それを欺瞞するためのプロと三下の混成。身元の割り出しを遅らせる工作だ。
――――しつこい……当たり前、か。
辻の光源だけを頼りに細い道を走る。左右の壁からの突起物に衣服が擦れる。
倉庫の隙間から出ると決まって銃声が追いかけてくる。
早紀を誘導させて袋小路か最難関である自動小銃の遣い手の前に引き出すつもりか。
その度に牽制。倉庫街に入り込んでからはS&W M64の薬室にはスネークショットしか装填していない。
辻の角での出会い頭で遭遇戦に発展すれば、38spl+P+のセミジャケッテッドホローポイントより、スネークショットの散弾の方が有利だと思ったからだ。
早紀が使用するスネークショットは通常の38splで250粒の散弾を撒き散らすモノではない。38spl+P+の初速で150粒の散弾を撒き散らすのだ。
単純に一粒当りの威力は通常の38splスネークショットより強力だ。装薬も多く、一粒当りの大きさもやや大きく『重量がある』。
2インチという短い銃身のためにコローンは形成され難いが、パターンは大きく広がるので、近接する距離では文字通り散弾銃を構えているのと同じ安心感がある……残念ながら、マスターキーとして使うには威力不足だ。従って、状況次第ではブリキの壁一枚すら貫徹できない場合もある。
それでも安心感を利き手に持つという精神的優位性は大きく、冷静に情報を拾うことができた。
3人。遮蔽や、夜陰や、物陰や、壁沿いに追撃してくる伏兵の数は3人と解る。連中は辻の蛍光灯を避けるために不自然な機動で走るものだから、そのたびに手足や肩、バラクラバを被った頭部が見え隠れするのだ。
早紀の、どのポケットに携帯電話を押し込んでいるのか解らない以上、狙撃できる距離でも狙撃はしないだろう。
その優位性も大きい。連中が狙うのなら早紀の頭部か大腿部だ。
的が大きく、一発で動きを封じることができる。早紀が連中と同じ立場ならそうする。
銃弾は相変わらず威勢よく飛来。
皮肉にも早紀に気を使いすぎて小道の左右の壁面を削るだけだ。
――――そろそろかな?
連中は仕掛けてくる。直感が囁く。
危険と解りつつも慎重に走りながら、左手の親指が撃鉄を起こす。