夜、灯りの後ろにて。

 銃弾、飛び交う。乏しい光源。月は出ていない。
 頼みは時折、瞬く保守点検用通路に配置された蛍光灯と辻ごとに設けられた電灯だけ。
 歩幅からして男が複数。呼吸は聞こえない。風上に立つと拾いきれない情報もある。
 健脚のつもりの早紀だが、歩幅の違いから追撃してくる連中が追いつき始める。
 走りながらの発砲は流石に両者とも無駄だと分かったのか、沈黙のままの追走が展開される。
 時折聞こえる発砲音も風にすぐに掻き消される。発砲したと思われる位置が遠ざかるので、射手は立ち止まって撃ってくれている。その方が助かる。
 不確定要素が多い風が、工場群の間を抜けて吹き込むので尚一層、弾道の低進性を妨害して、真っ直ぐに弾頭が進んでくれないので命中する確率が極端に低下する。
 一流の狙撃手でもこの暗闇で風読みもなしで、複雑怪奇に風がうねるこの戦闘区域では引き金を引くことを躊躇うだろう。
 たった6発の実包。
 再装填している時間を与えてくれるかどうかも怪しい。
 無理、無茶、無謀、無駄、無為な反撃より確実に仕留められる距離で発砲し、ヒットアンドウェイを繰り返す戦法が真っ先に浮かぶ。それも敵勢力が戦意を削がれる程度の打撃は必要だ。
 遮蔽に飛び込んで、リップミラーを突き出して連中との位置を測る。
――――眼の前……。
――――!
 リップミラーが粉砕する。反射する光で位置を特定されて銃弾が飛来したとは考えられない。
 ……それもその筈。
「よう」
「よう」
 2人のバラクラバを被った男が遮蔽にしている廃材の山の角で立っていた。
 腕を伸ばせば殴り合いができる距離だ。
 背格好は似ているが、一方はやや低い。両者とも170cm前後か。そのうちの一人が突き出されたリップミラーを攻撃と認識して思わず発砲してしまったらしい。
 回りこまれたのか先回りされたのかタネは解らない。
 今はこの目前の2人を排撃するのに全力を注いだ。
 2人供拳銃。自動拳銃。シルエットから一般的なマカロフだと推定できる。距離3m前後。男。膂力勝負では負ける。退けない。残念ながら拳銃より膂力勝負でしか反撃できない。
 遮蔽の隅に押し込むように体を逃げ込ませたのが仇となったか。この2人がこの距離まで接近していた目的は早紀の生け捕りか。
 早紀は歯を食い縛って両手を伸ばした。両拳を突き出すイメージ。
 咄嗟に男達はマカロフの銃口を翳す。それぞれの右手に握ったマカロフの先端が僅かに早紀の両手と掠る。一拍の呼吸程度の時間だった。
 右手側に立つ男のマカロフのスライドを握り押し込む。薬室に装填された実包を排出、続けて親指を跳ねさせてセフティを掛けてスライドが戻るのを阻害させる。
 左手側に経つ男のマカロフの銃口とスライドの僅かな隙間をS&W M64のグリップエンドで押し込み、薬室の実包を排莢させるが、こちらはセフティを操作する器用さもなく、代わりにダブルアクションでの発砲で目晦ましとした。
 狭い空間に轟く38口径の発砲音。
 初弾のスネークショットが充分に働いてくれる。
 左手側の男の顔面を粒弾のパターンの端が捉える。
 全弾命中でなくとも顔にこれだけの粒弾が命中すれば大怪我必至だ。思った通りに左手側の男の右顔面が散弾の洗礼を受けてバラクラバが大きな指で引き裂いたように破れる。
 男の右眼球が眼窩からはみ出る。
 通常の弾丸ならこの一発で男の人生は終わっていたが、粒弾の殆どは男の背後に向かって飛んでいき、殴りつける風の力で地面に力なく落ちるだろう。
 右手側の男は早紀の右手を掴んで素早くマカロフのスライドから弾き飛ばすが、早紀も大人しく従わずに、小指と薬指の間に挟んでいたスピードローダーをマカロフの薬室に擦り付けた。
 ラバーが銜え込んだ1発の38口径がエジェクションポートから強制的に挿入されてスライドが定位置に戻るのを妨害。
 セフティを解除しても押し込められた38口径をマニュアルで引き抜かなければ対処できない。9mmマカロフの口径は、ほぼイコール38splの口径だが、薬莢の長さや薬室の長さから発生する無様なジャムに似た現象は右手側の男の予定を大きく狂わせた。
 早紀、素早く跳ね飛び、一歩も無い距離を前方に移動。
 勿論、両脚の着地点は男達の踏み込んでいる爪先だ。
 3人とも体を擦り合わせる。
 お互いが発砲できない距離で、押し合いへし合い。拳や肘、膝を繰り出す。
 早紀は両肘を同時に男達の顎先に打ち込む。男たちもそれぞれ腕を翳して早紀の肘鉄を阻止。
 早紀、体重差で負けて反動で後ろに倒れる勢いをそのまま活かして、後部へ倒れるモーションで膝を折り、しゃがみこむ。
 一気に肘を折り畳み、勢い良く、外側の大振り肘鉄の二連二撃。股間と下腹部に強打を浴びせられた男たちは呻いて体をジャックナイフのように折り畳む……男達の顔面をその先で待っていたのは……拳と拳銃だった。
 右手側の男の顎、厳密には顎より内側に細く小さく鋭く素早く勢いが乗った握り拳がめりこみ、舌骨が折れる嫌な音が拳に伝わる。
 バラクラバの孔の向こうで男の眼がぐるんと回って白くなる。
 左手側の男の顎、厳密には顎より内側に38口径の銃口が押し当てられて絶対に外さない距離で引き金を引く。顎下から延髄に向かって進んだ38口径の弾頭は盲管となり、男は両耳両鼻からピュッと血を噴く。
 2人とも、同時に倒れる。断末魔の痙攣までお揃いだった。
 一息吐く間もなく、追撃が迫る。
 遮蔽の陰で待ち構えていた伏兵二人が、必ず仕留めると解っていてこの場に誘い込まれた可能性が高い。
 連中はほんの数秒間の沈黙の隙間を無駄にしてしまい、『仲間諸共蜂の巣にする機会を失っていた』。
 とっくにカタがついたと思い込んでいるのか、足音が聞こえる。駆ける足音ではない。迫る勢いも感じられない。先ほどの銃声はマカロフのもので、女の転売人は無力化したか、捕縛したか、死んだとでも思っているのだろう。
 辻の光源に男の顔がみえる。
 人数を読まれにくい風下でいる優位性を誇っているのか、銜え煙草だ。3人。UZIを携えた男が1人に大型拳銃の男が2人。
 男たちが余裕綽々に近付いてくるのを殺気を込めた目で遮蔽の隙間から伺う。
 殺気や殺意が銃弾を形成できるのならとっくの昔に連中の額に風穴が開いている。
 勿論そんな漫画じみた能力が有るわけでもなく……カカシを撃つように一番手前のUZIの男が無用心に遮蔽に近付いてきたところを腹部にダブルタップ。
 5mの距離からの被弾。腹部で体を折り、苦悶の表情とともに引き金を引き続けて地面に9mmパラベラムを吐き続けて倒れる。
 9mmパラベラムがアスファルトを削る音と空薬莢が無秩序に転がる金属音がことの重大性を物語る。
 そのときには後続の2人も充分に射程に捉えていた。
 サイティングが難しい距離。
 蛍光ドットでも打ち込んで蓄光させていれば、あるいはアジャスタブルサイトであれば問題無かったかもしれない。今ここにないものを問題視しても仕方がない。半ば、祈りながら引き金を引く。
 後続の一番後ろにいる男の胸部に命中が確認できる。
 男のシルエットが物語る。体を折ったのではなく、弾かれたように空を仰いで虚空に鮮血を噴出させて、膝から崩れ落ちたのだ。
 手前の男は自分1人になった途端に迷わず踵を返した。その男の背中を狙う気にはなれなかった。
 連中が逃げ出すだけの打撃は与えたのだ。後は安全な位置まで引き下がって車を盗んで遠くへ離脱だ。
「!」
 半分緩みかけた気分を再び鉄火場に引き戻す銃声。
 小口径高速弾の連射。
 フルオートからの指切り連射。
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