夜、灯りの後ろにて。

 周防早紀(すおう さき)は引き金を引く。
 躊躇わず、容赦なく、良心の呵責も感じずに、無慈悲に、能面の顔で引き金を引く。
 銃身が極端に短いダブルアクションリボルバーは彼女の左手の中で大きく跳ね上がる。銃声を曳いて38口径の銃口から銃弾を『ばら撒いた』。
 スプレーを吹くがごとく撒き散らされる150を超える小さな粒球。
 スネークショットの俗称で愛される名前の通り、蛇を撃つための拳銃用の散弾だ。
 1粒1粒の威力は大したことがない。
 全弾、人間の胴体に命中したとしても死に到る可能性は低い。至近距離から発砲したとしても、瀕死の重傷を負わせるのが関の山だろう。
 だが、今はそれでよかった。
 正面、至近距離に立ちはだかる、周防早紀を舐め腐った目で見下ろす大男の腹部にヘビーボクサーのボディブローに相当する1発を叩き込めれば充分だった。
 予想を違わず、身長166cmの自分よりも10cmは背が高い男は、彼女を捕まえようとしていた両腕で被弾箇所を押さえ、体を二つに折って前のめりに倒れ込む。
 150粒を超える散弾が全弾命中したとしても、恵まれた体格で運が良くて生命力に満ち溢れているのなら、呼吸を整えれば立ち上がることもあり得る。
 それを見越した周防早紀の第二矢が放たれる。
 足元に蹲り唸るように悶える男の後頭部に向けて発砲。
 今度は本当に熱く焼けた38口径のセミジャケッテッドホローポイントだ。
 1m程度しか離れていない頭部に対し、僅か2インチの銃身は躊躇わず、容赦なく、良心の呵責も感じずに、無慈悲な破壊力を送り込む。
 後頭部の薄い頭蓋骨を叩き割った弾頭は、延髄と脳髄を粉砕した。男の顔面の真ん中――鼻の頭――に射出孔を穿いて体外に飛び出る。
 理想的なマッシュルーミングを見せた、その拉げた弾頭はアスファルトの地面に力無く当って頼りなく転がる。
 即死は免れない。
 頭部を破壊されても適切な救急救命処置が間に合って社会生活を送れるまでに到ったケースもあるが、それは奇跡の上に奇跡が重なった結果だ。
 現況のように人気の無い場所で、深夜に、人体のバイタルゾーンを的確丁寧に破壊された人類が自分で救急車を呼んで、救急搬送されて一命を取り留めるなど、那由他の果ての奇跡が重なってもあり得ない。
 実際に人体の生命維持を司る部分がミキサーに掛けられたかのように破壊され、脳が不随意筋を動かして肺呼吸を行わせる命令系統すら途絶している。
 ほどなく、名前も知らぬ男は絶命した。
 銀色に鈍く光るS&W M64 2インチは厭に眩しくみえる。
 いつもこうだ。人を射殺したときは決まって軽く重く感じ、眩しく昏くみえる。
 護身用にと、中古で買った輪胴式拳銃。
 全長18cmそこそこの、ディフェンスガン。
 早紀自身も護身用以上の使用は想定していないので常にスネークショットを初弾に込めて残りの5個の薬室にはセミジャケッテッドホローポイントを装填している。最初の1発が生死を分ける重責を担わされた安物の拳銃。
 安物ゆえに装填する弾薬でギャップを埋めなければならない。
 自分を強姦するつもりだったのか、押さえつけて金品を引っ剥がすつもりだったのか、今となっては顔も判然としない男から結果的に早紀を救ったのはS&W M64であり、それが弾き出した初弾のスネークショットが決まり手だった。
 近距離で散弾が有効なのは長物の散弾銃が物語っている。
 ポンプアクションでもセミオートでも、チューブマガジンでも脱着弾倉でも、散弾は近距離の接敵や会敵で有効だ。
 大雑把に散弾をばら撒くので、その粒弾が形成するパターンは少々銃口がずれていても銃口の前方にある標的の大体の部位に万遍無く当たる。
 距離が離れても全くの無力ではない。顔面辺りに狙いを付けて引き金を引けば仁丹ほどの大きさの粒弾が相手の眼球を負傷させて視界を奪う。その隙に逃げるなり止めを刺すなり自由にすればいい。
 薬室全てに同じ弾薬を装填しなければならないという法則や公式や規則や掟は無い。
 理性的な愛好家で射撃家ならば初弾は空砲というケースもある。
 早紀のようにスネークショットを用いる人間でも、薬室の数や大きさで装填するパターンは違う場合も往々にしてある。早紀の場合は初弾と次弾でカタがつかない場合は銃撃戦に展開する可能性が高いと想定し、2発目からは通常の弾頭を用いる。
 いざ銃撃戦ともなると悠長にスネークショットを混合させて初弾にスネークショットの薬室が回るようにシリンダーを調整して嵌め込む余裕などないからだ。
 サービスグリップにアダプターを装着した、有り触れたS&Wの輪胴式。
 2インチ。スナブノーズ。6連発。38口径で38spl+P+まで対応。
 嘗てのベストセラーS&W M10のステンレスモデル。
 時代の隆盛により、スチールの肌からステンレスの肌に変わっても、撃発により弾き出される弾頭の威力は遜色無い。
 尤も、銃身の長さが6インチ程度まで長くなると銃身内部での加速と回転により多少の精度アップは見込めるが、その様な長大な銃身の38口径の輪胴式を携行するくらいなら、軍用自動拳銃でも持ち歩いていたほうが効率的で合理的だ。
 あくまで、護身用。それ以上もそれ以下も求めない。 
 ましてや精密な狙撃が可能な命中精度など眼中にない。
 殴り合いができるか否かの近距離で持ち味を発揮してくれさえすればそれでいい……今回のように。
 夜更けの港湾部に乾いた銃声が2発響いたはずだが、沖合いのタンカーが時折鳴らす霧笛の方が圧倒的に五月蝿かった。
 肌を切るような冷たい風が吹きすさぶ港湾区域のコンテナ置き場。
 調子が悪く点滅する水銀灯に照らし出されるそれらは、背丈の低いビル群を連想させる。
 法則性がある配置で廃棄されたコンテナ。
 ここに放置され、野ざらしで10年以上も経過している古株のコンテナもある。
 生臭い潮風に混ざって鉄錆臭い空間に新たな鉄の香りが混じる……今し方、早紀が防衛の末に仕留めた頭部を損壊した男の血液の生々しい臭いだ。
 肩下まで有る黒髪。夜露に濡れそぼったかのようにしっとりとした艶やかな美しさが映える。
 昨今では自慢に値する見事な黒髪を自らの行動を阻害させないように、後頭部よりやや下辺りでシニヨンでまとめている女が周防早紀だった。
 長い黒髪に反して前髪はボリューム豊かに膨れ上がり、彼女の強気な性格を代弁しているかのようで、黙っていても早紀という人物の気性が知れた。
 整った容貌。端正なパーツが小さくまとまりシャープな顎先が、精悍なマスクを引き立てている。それは、どこか抽象的な美しさを放つ。
 内包する意思の強度を表現するかのような眉目。すっと通ったスマートな鼻筋。可憐なれど妖艶さも兼ね備えた小さな造りの唇。眼光に湛えるは暗くも美しい精気の輝き。
 アンファンテリブル且つアクティブでアグレッシブな10代後半といい通しても充分に通用する彼女はこれでも20代後半だ。厳密には26歳。
 顔に差し込む、翳りのあるニュアンスでさえも彼女の魅力を引き立てるメイクとして、彼女の意思とは関係なく機能していた。
 166cmのスレンダーな体躯。今は野暮ったい灰色のパーカーと黒いカーゴパンツで包み隠されており、見事の一言に尽きるしなやかな肢体は伺うことができない。
 強かに鍛え上げられたバネは若鮎が水面に跳ねるように若々しさと瑞々しさを持っており、柔軟なれど膂力も存分に発揮できる理想的なボディだった。……今はそれを外気に晒す必要はない。
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