速やかに、去(い)ね。

「俺の他に倒れていた奴が居ただろう。あいつは多分生きている。ただの重傷だからな。43B、アンタが俺を援護した時に血溜まりを踏んだんだろう」
「屍狗魂にやられたんじゃ……」
 猛美の口からラッキーストライクが零れ落ちる。石部も利根もポカンとしている。
「否。本質は屍狗魂と同じなのだろうが、あいつはヤツの鉤爪でザックリ斬られて出血多量で動けなくなった。な、おかしいだろ? 物理的に攻撃を加える事のできる屍狗魂なんか聞いた事無い。厳密に言えばあのバケモノは屍狗魂と似ているが、別次元の何かかもしれない」
「そんな……『屍狗魂以外の存在』なんて……じゃ、あれは何?」
「妖怪水狐ですよ」
 唐突な利根の一声はその場を白けさせるのに充分だった。
「あー。あのー。本気で言ってるんですが」
「はいはい。根拠は? 何?」
「はい。作戦概要前の資料によると、この山荘を建設するに当たって狐を祀る古い祠を取り壊しています。地鎮祭を開いたそうですが効果は無かったと考えるのが妥当でしょうね。流石、水に関する妖怪を鎮めていただけあって『ココの水分』は中々ですよ」
 利根は床の壁際を指先で撫でた。指先にはスポイトで落としたくらいの水分で湿っていた。
「先程も言いましたが、強度に問題があって水狐の源の水脈が復活したのではないでしょうか?」
「ははーん。で、第3勢力の出現と云う訳ね」
 新しいタバコに火を点けながら、猛美はからかって茶化したが利根は到って真面目だった。
「それで利根博士。解決策は?」
「針の先程の一刺しを水脈に打ち込む。これですね。人間の体のツボに鍼を打つようなモノです」
「呆れた。『神田機関』じゃあるまいし、そんなオカルトな話が通用する訳無いでしょ! 水狐とやらは治められても屍狗魂はどーするのよ!」
 意外にも真面目に話を聞いていた石部の頭の中では一つの博打が浮かんでいた。地下遊技場の非常口から出た先は中庭。其処に確かに祠を祀っているマークが有った。
「利根。その針の一刺しの目印は?」
 石部が突然、口を挟む。
「はぁ? 石部さん!?」
 猛美は半分、タバコの煙で咽ながら石部を見た。
「塩です。清塩です。それを一盛り奉げる。それだけです」
「あのねぇ。何処にそんなものが有るっていうの?」
「有りますよ」
 利根はけろっと答えた。P230から弾倉を抜いて32口径弾を見せる。
「『針の一刺し』。本体に『清塩を塗してあるのと同じ弾丸』を、祀られている悪い狐様を『砕く積りで撃ち込みます』!」
 肩を思いっきり竦めてジェスチャーで却下する猛美。
「よし。それで行こう」
 悪い冗談にも程がある! と顔で非難する猛美。石部が利根の話に大いに乗ってきた。
「あ、あの石部さん? 屍狗魂と言う根本的な問題がですね……」
「利根。話に続きがあるのだろう?」
「「ええ。清塩で治められる対象ならば、水脈を正常に戻し、屍狗魂の発生を止める事が出来ます。勿論、止めるとは言ってもこの近隣地域だけですし、屍狗魂の発生源が対極の地脈であった場合は全くの無駄です。悪い狐を鎮めた後に我々は屍狗魂のエサになってしまいます」
 猛美も22Bも開いた口が塞がらない。全くの博打だ。猛美がふと気が付いて反論する。
「で、でも! 屍狗魂の発生源が地脈と水脈両方だったら?」
「風祭さん」
 利根が今までに見た事が無いくらいに真剣な眼差しで猛美の瞳を射抜く。一瞬、胸が少し締め付けられるような静謐な眼差しに見えた。
 次の瞬間。いつもの間抜け顔でへらっと笑ってこう言った。
「風祭さんは、賭け事は好きですか?」
 猛美の右ストレートが炸裂した。
「痛いです猛美さん……」
「アンタはぁ! 帰ったら覚えてなさいよ! 色んな事を小一時間問い詰めてやるんだから!」
「おーいそこ! じゃれてないでこっち来い! 作戦を練るぞ」
 この場のリーダーが立案した作戦とは、それは名ばかりで酷いものだった。これが作戦で通るなら地球上のあらゆる特殊部隊に申し訳ない。
「概要は話した通りだ。カナメはお前だ」
 猛美に3人の視線がサッと集中する。
 作戦とは以下の通り。
 先ずこの地下遊技場を中庭方面に向かって走り抜ける。
 祠までの30m。射撃の腕前がズバ抜けて一番の猛美を護衛しながら走る。
 屍狗魂の追撃が充分予想される上に水狐の出現も想定内だ。屍狗魂は排撃。水狐は回避。どんな事があっても二人一組を鉄則とする。
 祠まで来たら迷わず悪いご神体に清塩で清めた弾丸を叩き込む。
 後は野となれ山となれだ。「ニンゲンとしての仕事を果たす滅多に無いチャンスだな!」と、何故か勝手に気合が入っている石部。
「なぁ、42Aさんよ。アンタのトコの親分はいつもあんな感じか?」
 22Bが不安そうに猛美に話し掛ける。
「いやー。こんな人じゃなかったんだけどなぁ」
 それから10分後、再び時計合わせが行われて地下遊技場の非常口が開かれた。
「GO! GO! GO!」
 石部と利根が前衛に回って22Bが後衛に回る。その中間でバックアップを猛美が担当する。
 非常口を出るなり四方八方から屍狗魂が襲い掛かってくる。
 銃声がバースト射撃の短機関銃のように連なり32口径のマズルフラッシュが咲き乱れる。4人とも体中に白い灰を被りながら走り抜ける。
「あと20m!」
 石部が叫ぶ。
 祠の前に地面から文字通り涌いてきた巨体の、どうしても狐に見えない妖怪が出現する。
 どこからみても超特大サイズの屍狗魂だ。
 本物の屍狗魂たちは一目散な4人の人間目指して群れを成して駆け寄ってくる。水狐の手前で突然、石部と利根が左右に展開する。少しは知能の有る動物のように一瞬戸惑う水狐。
「後はぁっ!」
「いっけぇ! 風祭!」
 火の点いていないラッキーストライクを噛み潰しながら猛美はより一層猛然と走り、水狐の10m前で芝生の上をスライディングで滑る。
「どうでもなれええぇぇっー!」
 水狐の股間を滑り抜ける。
 地面が湿っていたのか良く滑る。
 流石、水属性の妖怪が占める土地である。水狐の左右から援護する為の銃撃を加える石部と利根。22Bは追撃する屍狗魂を塞き止めるので精一杯だ。
「拙い!」
 石部が絶叫する。水狐の後ろ足がスライディングで通り抜けたと思った猛美の左肩を掠り、体が横転気味なって派手に祠にぶつかる。
「……いつつつ」
 頭を地面に強かにぶつけたらしく軽い脳震盪を起こしている。
「くっ。22Bさんの援護お願いします!」
「おいっ! 利根!」
 利根が水狐に向かって走り出す。
 拳銃を乱射しながら水狐の気を少しでも引こうと何発も命中させるが利根など視界に入っていない素振りでゆっくりと体を180度回転させて自分の本体が祀られている祠に近付く。
「このぉっ!」
 緊急時しか使いたくなかった急造の新兵器である大型ナイフを両手に抜いて水狐の左後ろ足側面からメッタ刺しにする。何かを刺している感触は手に伝わってくるが血らしき物は出てこない。
 水狐は神経が鈍感なのかもしれない。今頃になって利根の攻撃に気が付くとあの恐ろしい咆哮を挙げて空気を邪悪に震わせる。
「来いよ! デカブツ! ほらっ来いよ!」
 蒼白な顔で精一杯の台詞を押し出している利根。足腰が震えて立っているのがやっとだ。
 次にあの雄叫びを聞いたら尻餅を搗いて動けなくなるかも知れない。
 そこで自分の人生が終わるかもしれないのに、そんな事よりニンゲンとしての仕事を果たす滅多に無いチャンスを逃がす事の方が悔しかった。
 自分の仕事……。殴られても貶されても罵倒されてもずっと見つめていたい人が意味も無く魂を喰われて朽ちてゆくのだけは回避したかった。
 それが利根洋一のニンゲンとしての仕事だった。『自分の欲しいものを守りたい!』
「ほら……来いよ……で、デカブツ!」
 自分に向けて鉤爪が振り上げられる。
「……アリガトね。バカの利根」
 小さな発砲音が一つ。屍狗魂を相手にしている銃撃音と同じ質のはずなのにその銃声は利根の耳に美しく響き渡った。
「……これでアンタが賭けに負けたらタバコ1カートン、奢ってね」
 猛美が首の座らない子供のように頭をフラフラさせながら震える足で立ち上がり、御神体に向けて引き金を引いていた。たった一発の銃弾は直径10cm程の石盤を打ち砕いていた。
「や、やれ……よ……」
 利根は目をきっと閉じ、鉤爪が振り下ろされるのを待った。目を閉じていてもまだ水狐の気配を感じる気がした。
 手からナイフが滑り落ちる。
 ぱちん。
 利根の左頬に乾いた音を立てて平手が当たった。
「何やってんだよ。バーカ」
 目の焦点を合わせ様と必死な猛美が目前で居た。
「利根ぇ。アンタ、賭けに勝ったんだよ。胸、張りな」
 利根の背後では石部と22Bが大の字になって地面で息を切らせていた。負傷した訳ではない。緊張が切れたので立って居られないのだ。
 屍狗魂は陰も形も見当たらない。勿論、水狐も見当たらない。
 水狐の最期は誰も見ていない。
 利根は目を閉じていたし、猛美は御神体に照準をつけて引き金を引くだけで限界に近かった。
 石部と22Bに到っては屍狗魂の排撃でそれどころでは無かった。
 二人とも窮屈なBDUを脱ぎ捨ててどかっとその場に座り込み、ばたんと倒れて思い思いの体勢で地面で大きく伸びをした。
 猛美はいつもの見慣れた箱から一本取り出すと口に咥えて大の字で寝そべったまま煙草を吹かした。
「今日も元気だタバコが美味い」
「嫁ぎ先でもタバコですか?」
「あー。差別的はつげーん。お前も吸えよ。バーカ」
「あー。侮蔑的はつげーん。僕は吸いませんよ。ばーか」
 5秒ほどしてから二人は吹き出したのを先途とばかりに、腹の底から大笑いした。


 放り出したBDUのポケットに仕舞い込んでいる無線機から応答を求める声がする。
「応答せよ討伐部隊。応答せよ。今、救援が現場に向かっている! 何としても持ち堪えろ! 繰り返す! 何としても持ち堪えろ!」




≪『速やかに、去(い)ね。』・了≫
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