速やかに、去(い)ね。

「石部さん、このままじゃ……」
 利根が鳴きそうな声で最悪の事態を口にしようとする。そこをお調子者で通っている高谷が制する様に言う。
「奴さん連中は俺達の持ちダマより多いんじゃないのか?」
「ああ。考えたくないがな」
 高谷の言葉に節木が相槌を打つ。
 猛美が所属する4班が暫く警戒しながら山荘内を行く。先ほどと打って変わって屍狗魂の気配……厳密に言えば『出現する』という直感がしなかった。
「タバコ、吸ってもいいかしら?」
 猛美が緊張が混じった微笑を捻り出して冗談混じりに云った積りだった。
「おう。俺も吸いたい」
 節木も同意してくれる。
「そうか。じゃ、小休止。警戒は怠るな」
 石部が二人の言葉を言葉通りに解釈して、突然小休止となった。利根以外のメンバーは煙草を吸う。
 常に3人が警戒しつつ2人が張り詰めた空気の中、味のはっきりしない煙草を吸う。
 安全地帯での休憩ではないので会話など無い。本来のセオリーからすると敵地のど真ん中で小休止を取って煙草を吸うなど有ってはならない事だ。
「生き返るねー」
 高谷が節木から貰ったセブンスターを吸い終えると床に吸殻を落として踵で踏み躙る。
 猛美のメンバーは5人というアンバランスな人数でこれから行軍しなければならない。
 目標は別チームが開放したはずの表玄関。自分達が突入したサンデッキはそこから一番遠く離れている。
 屍狗魂が居なければ歩いて10分程でロビーまで到着するのに屍狗魂の追撃を交し、屍狗魂の数が少ない方向ばかりを彷徨っているとロビーからだんだん離れていく。
 追われ過ぎた結果、追い詰められるように3階の客室フロアを歩いている。
 無線機からは相変わらず撤退命令がひっきりなしに発令されているが残念ながら、この状況で撤退するのは寿命を縮めるだけだ。
 途中、何度も別チームのメンバーの亡骸を発見した。
 その度に背中や右胸の作戦コードを本部に伝えて殉職した事を伝えた。
 亡骸のBDUから弾薬を抜いて自分達のポケットに移す。
 猛美がふと、窓の外を見る。麓に向かって……否、本部に向かって一列になって進軍する様々な個体の屍狗魂が確認できた。
「42A! 本部! 本部! そちらに」
 言葉の途中で利根の銃声が邪魔をした。
「風祭さん! バックアップお願いします!」
 直ぐ様、視線を廊下内に走らせて利根の援護に回る。人間相手の隠密作戦ではないから普通の声を張り上げて会話しても支障は無い。銃撃の音声に負けないくらいの大声で猛美は叫んだ。
「42A! 本部!」
「本部! 42A!」
 直ぐに無線が繋がった。言葉を続けようと大きく息を吸ったが返信されてきた内容に愕然とした。
「本部! 山荘内の全チームに通達! 作戦失敗! 作戦失敗! 本部は『撃退に失敗!』 放棄する! 各自生き残れ!」
 本部からの送信内容の最後は怒号だった。短機関銃のような速射音が聞こえたがSATでも待機させていたか? 術式を施された短機関銃は配備されたと聞いていない。識別機は割と特殊任務を帯びたチームに広く普及していると聞くが、どの道、普通の弾丸をバラ撒いた所で屍狗魂には無力だ。
 長い時間を掛けて清塩で清められた貴重な弾丸を毎分850発前後の速射でバラ撒いても無駄ダマだ。どんなに射撃の腕が確かでも戦力が絶対数的に下回っているに違いない。でなければ残存戦力の撤収を待たずに本部を放棄する等と言う最悪の決断を下す訳が無い。
「そう言う事ね……」
 猛美は下唇を噛んだ。急に屍狗魂の姿を見かけなくなったと思ったら自分達の指揮所を襲撃していたとは。本部では少し前から応戦していたに違いない。
「拙いな」
 石部が呟く。今の状況から各人の心境の全てを一言で表したものだった。
「連中が手薄な隙に逃げよう!」
 節木が警戒を緩めず発言する。
「「警戒。撤退。目標玄関ロビー」
 石部が自分に言い聞かせる様に大きな声で言う。
「了~解」
 猛美はおどけた感じで返答した。階下へ下りる階段目指して走る。
「!」
 階段の方から銃声が聞こえる。言葉にならない怒声も聞こえる。
「なんだ!」
 少し先を歩いていた前衛の利根が階下の踊り場に向かって発砲する。
「下がって……」
 1匹の狼ほどの屍狗魂が大きく飛び跳ねて利根に襲い掛かろうとしていた、その足元では下方から利根を襲うべくもう一匹の屍狗魂が駆け寄っていた。明らかに動転している利根。どちらを攻撃するのか判断できないで居た。
「『上』撃て! 利根!」
 少し離れて前衛に立っていた猛美が、階下から駆け上がってくる1匹を仕留めた。同時に利根も発砲する。絶命した屍狗魂が惰性で利根にぶつかってくる。
 もうその頃には灰化が始まっており、尻餅を搗いた利根は数秒程、灰で真っ白だったが、屍狗魂の亡骸を吸い上げる旋風が灰を何処かへ持ち去った。
「何が有ったの?」
 猛美が利根の手を引いて立ち上がらせながら訪ねる。
「……解った。もういいわ」
 踊り場では2人の他チームのメンバーが倒れていた。警戒しつつ近付いて脈を取るが心臓は動いていない。ワッペンの作戦コードを見ながら見取り図の裏にマジックインキで発見した死体の作戦コードを控えていた節木が深い溜息を吐く。
「ああ…13Bと52Aか。これで1班と5班は全滅だな」
「他の確認できた殉職者は全部で何人だ?」
 高谷が訊ねる。
「えーと……20人、だな」
「48人がたった1時間半で……そんなに…20人も失ったの?」
 猛美は無意識の内に煙草を取り出して咥えていた。火は点けていない。
「無線機からの確認ですが……」
 利根が申し訳無さそうに挙手して会話に入り込む。
「31ABと61ABと63Bは撤退に成功したようです」
 そう言えばどさくさに紛れて誰の頭からも消えていた本部の指令や伝達だが、律儀に覚えている奴がココに居た。銃声が大き過ぎて本部の送信を聞き取れない者が殆どだった中で一人だけ居た。節木が殉職者の作戦コードを羅列した地図の裏に修正を加えた。
「て、コトは…約10人がこの山荘で生存している事になるな」
「私達を含めてね」
「撤退できたとしても、無事にこのヘンから脱出できればいいんだけどなぁ」
 利根が何気なく口にした台詞は今の彼らには重く聞こえる。
 本部が放棄して撤収すると言う無線を最後に何の音沙汰も無い。体勢を立て直すにしても時間が掛かり過ぎだ。勿論、外部と接触できるように通常の無線機も各自が1個ずつ携帯している。
 今までにそれを通じて協力してくれている地元警察を仲介して本部に連絡を試みたが音信は無い。各人が警戒の隙を見て何度か試してみたが無音状態だ。
「さ、行くぞ」
 猛美はもう少しで咥えた煙草に火を点ける所だった。ライターをポケットに仕舞い、煙草を箱に押し込む。
「え?」
 節木は疑問を抱いた一言を発したままその場に崩れ落ちた。その背後にはグチャグチャと咀嚼する屍狗魂が1匹。
 背後からの不意を突いた一噛みは先程まで生きていた人間を絶命させるに充分な威力を持っていた。
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