速やかに、去(い)ね。

 最近起工され完成したばかりの大型山荘だ。今までの様に幽霊屋敷同然の建物ではない。
「どうやら『神田機関』は地脈や水脈まで魔術の対象にしていたようだ」
 屍狗魂の性質として、地縛霊のようにその土地に執着して、その跡に建てられた新しい建造物に出没する例は多数確認されている。例え拠点が有っても人口が少な過ぎてエサとしての良質な魂が捕食できないと野良犬の様に歩き回る事を止めず、嘗ての『三核書篇』の術式を施された地点に巡り合えるまで徘徊するのだ。
「こんな山奥の山荘に纏まった数の屍狗魂が確認されている。現場の地図を見て貰って解る通り人里から少しばかり離れているが、地脈か水脈を伝って屍狗魂が移動しているらしいとの情報を掴んだ。勿論、山荘自体が地上3階地下1階の大型宿泊施設の為に他のチームも駆けつける。予定では警部クラスの指揮官が我々を取り仕切る。これも予定だが全部で8チーム48名の捜査官が今回の任務に参加する」
 節木と云う30代前半のメンバーが軽く口笛を吹く。48人もの保全課捜査官が一堂に会するのは滅多に無い。
 猛美も肩を竦めて見せていたが、内心では口笛を吹いて驚いていた。
 保全課の討伐作戦としては特大規模の大作戦だ。諜報部の過大評価である事を願わずにはいられない。
「配った冊子に作戦概要が書かれている。各自目を通しておいて貰いたい。作戦開始1週間前から突入訓練を開始する。それでは建造物の詳しい見取り図だが……」
 平木は広げた山荘の図面を指しながら山荘の見取り図についての説明を始めた。

   ※ ※ ※

「まぁ、肩の力抜いて行こうや」
 猛美の所属するチームでは一番年長(と言っても30代後半)の石部が角刈りの頭を撫でながら煙草を咥えた。
 確かに、今どんなに焦っても仕方が無い。
 この1週間、みっちり突入訓練を繰り返したし地図無しでも行動できるように頭に山荘見取り図と近隣の地形を頭に叩き込んだ。近辺住民に被害が及ばないように交通規制を敷いた。
 午前10時半。
 秋の深まる紅葉が美しい季節に動き易い私服にBDU(※バトルドレスユニフォームの略。多数の予備マガジンポーチが縫い付けられたベスト)を纏った48人の精鋭が上層部から直接派遣されてきた作戦指揮官の警部の説明を聞き終えて配置に就いている。

ーーーーーーーーーーー10P終了ーーーーーーーーーーーーー

 相手は人間ではない。姿を晒して無防備に近付いても拠点の山荘に踏み込まない限り敵意を剥き出しにする事は無いだろう。それでも屍狗魂の持つ野生の感的能力を警戒して上半身を屈ませて夫々のチームが拳銃を構えながら足音を出来るだけ殺して近付く。
 猛美も初弾を送り込んで安全装置をかけたP230を構えて馴染み顔の5人と突入口であるサンデッキの大型窓に近付く。
 素早く手探りで装備を紛失していないか確かめる。小型無線機、見取り図、予備の拳銃。予備弾倉20本。100発入り弾薬サック2個。応急的な新開発の武器である大型ナイフ2本……出来れば屍狗魂と格闘などしたくはない。
 時計合わせから5分経過。秒針が12を通過した途端、勢い良くドアを蹴破る! ……と云う真似はしない。
 静かにダイアモンドカッターでガラスを必要なだけ切除し手動式のロックを外して潜入する。
 高谷&石部組が前衛を務め節木&十川組がバックアップを務める。
 後衛が猛美と利根だ。 
 日が高いと云う事も有り、マグライトを点灯させる必要は無い。それに水道と電源は生きている。不測の事態に備えてガスだけ供給を予めストップしている。
―――あー。煙草もう一本吸いたかった……。
―――ま、後でいいか。
 猛美はラッキーストライクを押し込んだポケットを一瞬だけ忌々しそうに見た。その視線を戻している最中に屍狗魂と目が合った。
「!」
 体が意識より素早く動いた。
 安全装置を既に解除しているP230が吼えた。中型犬程度の大きさだった屍狗魂はブルドッグのような獰猛な雄叫びを挙げながら灰に帰す。
「42ア(よん・に・エー。猛美の作戦コード)、屍狗魂一体昇天」
 小声でボソボソと喋る。
 喉の声帯の辺りに巻いた振動型音声送信機が猛美の声を拾って逐一指揮官が待機している仮設本部に状況が伝えられる。
 まだこのホールを探索しきっていないのにそれを先途とばかりに全員が何時の間にか円陣を組んで全ての方向に発砲している。
 早くも、細かな報告も出来ないくらいに囲まれたようだ。
 このホールだけが異常ではない。耳に装着した受信機からは他のチームが苦戦している状況が本部を経由して伝えられている。助けに来て貰いたいのはこちらの方だ。
 小指でグリップエンドに有るマガジンキャッチを押して空弾倉を落として新しい弾装を叩き込む。後退したスライドを5mm程引き、スライドを前進させる。
「43A! 囲まれている! 退路を立たれた!」
 高谷が怒鳴る。その声に思わず十川が振り向いた。それが彼の命運を分けた。
「41A! 41Bの十川が喰われた!」
 節木が叫ぶ。未だ15mも前進していないのに一人目の犠牲者を出した。
 十川は外傷も何も無いのにうつ伏せになって倒れ込んでいる。
 BDUの背中に縫いつけた『41B』と云うコードネームを記す大きなワッペンが確かに十川が脱落した事を物語っていた。その証拠に動かぬ十川に全く興味を示さない屍狗魂。
「43B! 4班は前進続行! 皆聞け、退路は無い!」
 皆、体は動いていた。
 一番年長で階級も一番上の巡査部長の石部……43Bの指示に無言で従う。
 猛美と利根が殿を務めながら残りの3人を屍狗魂の姿の少ない山荘の奥へと進ませる。
 どこからどのように涌いてくるのかは知らないが異常な屍狗魂の数を呪わずにはいられなかった。討伐が任務のはずなのにこちらが討伐される勢いだ。
 これが穢れた仙脈の成せる業か? 本当に水脈だの地脈だのをトンネル代わりにして涌いて来ているようだ。
 単純に物量で攻めてこられたらこちらに勝ち目は無い。だから今までの各個攻撃的遊撃捜査が有効だった。連中に拠点を防衛する為に集結するという頭脳が有るとはデータに無い。
 ヒト以外の存在の恐ろしさで引き金を引き絞っていないと自我を維持できない。
「風祭さん!」
「!」
 利根に拳銃を構える腕を引っ張られて我に帰る猛美。
 ほんの短時間で待ち伏せに近い挟撃に合い仲間を一人失った。仲間の為に泣いてやる時間よりも自分達が犠牲にならない為のルートを検索している時間の方が大事だった。
 皆の頭の中では、混乱気味な地図を広げて退路を確保する為の作戦が練られている。
 生気を失い、沈痛な面持ちの表情から誰もが正気の狭間を歩いているのが解る。
 他のチームも同じ目に遭って居るのだろうか? 山荘の麓の仮設本部から撤退命令が出たのは突入してから15分後の事だった。
 無情にもその命令に呼応する返答は少なかった。
 殆どのチームが撤退不可なほどに退路を絶たれて全てのチームが満身創痍なのだ。既に半分の戦力を失ったチームも有る。幾つかのチームとは未だに連絡が取れない。
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