速やかに、去(い)ね。

 残ったのは『呼び出された国土防衛の為の守護者の失敗作たち』。
 戦後の混乱期の為に『主を持たない守護者の失敗作たち』は自分たちの元居た世界へ帰る為に人の魂だけを食らった。
 歪んだ獣を連想させる異形の失敗作は御する者が居なければ唯の餓狼さながらである。
 斯くして日本全国で「ある日突然人が魂を抜かれた様に倒れて他界する」という事件が続発した。
 当初は静観していた米軍も進駐軍兵士が同じ症状で死亡する例を多数確認する様になってからCIAの前身OSS(※アメリカ戦略サービス局)の諜報員を多数投入してこの事件の解決に躍起になった。
 朝鮮戦争が終結した1953年に『神田機関』の存在を初めて確認し、それから2年後に初めて一連の怪事件との関連性を掴んだ。OSSは世界中から自称魔術師を呼び寄せて対策する事を検討し始めた。
 それとほぼ同時期のと或る神社での出来事。
 戦地から引き上げてきた神主の三男が気狂いのように拳銃を乱射する事件が発生した。
 拳銃は内地に引き上げる際に持ち込んだ統制対象の日本軍正式採用拳銃・南部14年式だった。土産代わりに持ち込んだ品物で隠し場所として本殿のご神体の台に隠していた。
 ここなら官憲も調べないだろうと言う思惑だけで隠したのだ。
 三男は突然、その拳銃を持ち出して境内で「何も無い所に向かって」発砲した。次々と発砲した。あるだけの予備弾倉を次々と交換して喚きながら発砲する。
 地元の警官に取り押さえられるまでに30発以上発砲したが死傷者や物的損害は無く、戦場で負った心の創が蘇ったのだと、隔離された。
 隔離病棟で一日の大半、祝詞を唱えているその神社の三男にOSSのエージェントが訪れた。三男がエージェントと面会して最後に言った言葉が「信じてくれるのか?」だった。
 それから進駐軍が日本本土から撤退するまでに執った対抗策は早かった。
 日本の術式で祝福を施された器物に『奴ら』は弱い。
 打撃、斬撃、突き刺し……『奴ら』は物理的攻撃に干渉されずに効果が無く、逆に精神が作用する霊的能力攻撃に弱い。
 『三核書篇』は神田雅一郎の死後、『神田機関』の手に拠って焼却されたらしい。
 故に元を断つ画期的な手段や解決方法は不明。
 当面の対処方法は霊的能力の有る人材に戦闘技術を叩き込んで諜報活動班との連携で虱潰しに『刈り取る』しかない。
 勿論、『刈る」一方ではない。
 命を落とす危険が常に付き纏っている。
 不安定な霊的能力に頼っていた時代は数え切れない位の戦闘訓練を受けた霊能者が姿を消した。だが、冷戦構造が本格化してくる頃になると名称をCIAと改めたOSSが政治的駆け引きから『奴ら』……屍狗魂と呼ばれる存在の討伐を日本警察に委ねた。
 ノウハウをそのまま引き継いだ日本警察は新設した公安特殊警備部の一端に【保全課】と云う名称の対屍狗魂討伐部隊を組織した。
 腕時計型の視認識別機の開発と普及で死亡率は、嘗てOSSが設立した名称不明の霊能者で成る討伐部隊の時代と比べて格段に下がった。
 例えて云うなら拳銃同士でヤクザ5人対自分1人で撃ち合う位の危険度だ。
 屍狗魂は敵意を察知し易い。
 その上、攻撃的な性格。
 初弾で仕留めなければこちらの危険度は飛躍的に増す。兎に角、人間の動体視力が追い付くギリギリの素早さだ。
 個体差も激しく、中型の雑種犬から大型の熊位のモノまで。殆どが清めた弾丸一発で塵芥と化して消え去ってくれるが中には大きさに拘わらず、余程ずば抜けた能力を持っているのか3発程叩き込まないと消えてくれない固体も居るので油断は出来ない。
 風祭猛美はそんな職場で今日も働いている。
 勿論の事、公安の保全課に所轄は無い。
 有るとすれば日本全国だ。
 尚、保全課は暗黙の了解的な存在で、街中を遊撃する特殊部隊である。故に一定の住居を持たず全国のセーフハウスを転々としている。
 日本国民は屍狗魂の存在をタブロイド紙のネタ程度の認識しかしていない。
 屍狗魂を「信じる者は信じるが、信じない者は信じない」。
 部外者で屍狗魂の存在を信じる者は極少数だ。本当に何らかの霊的能力を持っている者にしか見えないのだから仕方が無い。

   ※ ※ ※

 猛美はP230の銃口を素早く左右に振りながら次々と廊下の角を曲がっていく。
 その後ろを三十路男が派手な足音を立てて走ってくる。
 猛美と違って、マグライトを翳しているだけで緊張感が無い。同じく支給されているはずのP230を抜きもしないで間の抜けた声だけが建物の内部に乾いて響く……。

   ※ ※ ※

 風祭猛美。26歳。階級・巡査長。
 運動神経と射撃技術だけを買われて交番勤務から異例の引き抜き。
 後に受けた正規の採用訓練でも問題無くクリア。
 協調性、対人関係にやや問題は有るものの、生来の素質が十分に活かされた職務に配置されたのか屍狗魂の討伐にかけては所属する保全課内部では屈指の手腕を見せる。
 単純に運動神経と反射神経が優れていてそれに射撃術の成績までもが伴っているだけだが……。
 保全課は衆人環視の中、近隣住民に紛れて少数で行動する事が多いので基本的に私服勤務だ。
 幾ら住民に不安を与えない為と言っても屍狗魂が目前で一般人に喰らい付こうとしていれば即座に銃を抜いて発砲する
。何事が有っても市民の命が最優先だ。屍狗魂に対抗する手段を持っているのなら尚更だ。
 だから一般的な警察と違い勤務外でも拳銃と腕時計型識別機は装備している。時々、人混みに紛れてフラついている屍狗魂を見かける事があるからだ。どう言う魂胆かは知らないがエサを物色している事には違いない。
 保全課は一般警察の様に防弾ベストを着込む事は無い。
 屍狗魂の攻撃には物理的防御は無意味だ。屍狗魂の牙や爪や体当たりは直接皮膚に見えない創を付ける。
 例えば、「喉笛を噛み切られる」と云う傷を負って絶命した途端、糸の切れた人形の様にその場に倒れる。つまり、魂を喰われたわけだ。
 傷を癒すには特殊な儀式と製法で造られた薬草が必要だ。
 普通の衣服に直接術式を施して防御を高める手段が研究中だが詳しい経過を余り耳にしない。研究は思わしくないのだろう。

  ※ ※ ※

「風祭さーん」
 うだつの上がらない三十路男……保全課所属で猛美とコンビを組んでいる利根洋一巡査長の声が間抜けに猛美の跡を追ってくる。
 階級は同じだが討伐記録は猛美の方が遥かに上だ。
 そもそも何故、こんなモヤシ男が保全課に籍を置いているのか解らない。本当にあの過酷な訓練を耐えて合格したのか? 今でもCQBの基本陣形を守っていないし未だに銃を抜いていない。
 腕時計型識別機は装備しているはずだから屍狗魂が目前に現れれば視認出来るはず。
 大体、この男が早く来ないから猛美が一人で洋館に乗り込むなどと言う暴挙に出たのだ。
 この洋館周辺で魂を抜かれた死体が数件確認できたので諜報班と連絡を取り合ってこの洋館を根城にしていると思われる屍狗魂を討伐に来たのだ。
 この洋館も戦災を逃れた貴重な建造物だが、そんな物件程臭うモノは無い。
 屍狗魂の種類の一つに、一定の住居を中心に活動する吸血鬼の様な属性のモノが居る。
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