灼熱のストレングス

 光恵が拳銃の腕前と勘を鍛えていた路地裏の密売所では、殆どがこのような展開だった。
 先制しようが遅れを取ろうが、一呼吸分の冷静な時間があればイニシアティブを挽回できる。
 殺し屋に1mの距離から9mmパラベラム以上の弾種で狙われているわけではない。
 盲撃ちやヤクでキマった銃口が標的を正確に捉えることは運に頼るしかない。
 たった5mでの銃撃戦。
 この場は勝利を収めたが、敵の数は依然不明。
 ボストンバッグに空いた弾痕にふと視線を移して寒気がする。咄嗟に2つのバッグを翳していなかったら32口径の餌食になっていた。威力が弱いとされる32口径でも胴体に2発も直撃を受ければ致命的な負傷になりかねない。
 バッグを背負い直してアストラモデルコンスターブルから弾倉を抜く。
 スライドを横噛みにして移動しながら、カーゴパンツのサイドポケットに突っ込んでいたバラ弾を2発掴んで弾倉に補弾する。
 再び弾倉を差し込む。ラブホテル内の階段を探す。
 本来の構造を隠し去る違法建築に舌打ち。何しろ、非常口と書かれた表示板は消防法を潜り抜けるためのブラフで実際には倉庫への入り口だったり、外部から閉鎖されたドアだったりする。
「!」
「!」
 出会い頭に短銃身の回転式を腰の辺りに構えた20代前半の三下と遭遇。
 相手も虚を突かれた、まさかの会敵だったらしく、目と口を大きく開けて悲鳴でも挙げそうに息を呑んだ。
「ほいっ」
 光恵はアストラモデルコンスターブルを構えずに左肩に掛けた大型ボストンバッグを放り投げて三下の男に押し付ける。
「えっ?」
 咄嗟のことでまともな対応が出来ず、そのバッグを両手で受け止める三下の銃口は勿論、明後日の方向を向いている。
 空かさず、アストラモデルコンスターブルがダブルタップで火を吹く。
 廊下に鋭く突き通る9mmショート弾の銃声。
 2発のフルメタルジャケットは2mにも満たない距離でバッグに命中し、弾頭は潰れず、弾道も逸らされるほどではなく直進してバッグを貫通し、若い三下の胸骨と鳩尾にめり込む。
 弾き出された空薬莢が右手側の壁に当たって、更に反対側の壁に当たって床に転がる。
 若い三下は自分が被弾したことも理解できず……自分の体から急激に力が抜けて膝から崩れ落ちる理由も理解できずに蹲り、緩やかなモーションで床にうつ伏せになる。
 その三下の胸の下からボストンバッグを引き抜いて肩に掛ける。
 ボストンバッグの中身は衣類や薬品類、生理用品、洗面用具などが詰まっている。中身は外観の惨状を裏切らずにズタボロだろう。代替の効くものだけをボストンバッグに詰め込んでいて正解だった。
 今し方無力化した三下の鉄錆臭い血液もベッタリと付着している。どこかでカバンと内容物を買い換えないといけない。
「……あった」
 三下が遮蔽としていた角をみると、その奥に階下へと繋がる階段が見えた。
 嘗てのラジオ局やテレビ局のように、テロリストや反社会分子に占拠されることを警戒して階段を疎らに配置するという設計ではあるまい。この階段を駆け下りれば光恵の一応の勝利条件が整う。
 階段を3段飛ばしで駆け下りる。
 足腰に負担がかかるが、早くサイケデリックなキルゾーンを抜けたかった。
 3階へ瞬く間に到着、踊り場のコーナーにある手摺に手をかけ、慣性を制御しながら体を手摺側に腕力だけで引き寄せる。
 大きな荷物を二つも抱えているだけに遠心力は大きかった。
 アストラモデルコンスターブルはホルスターには戻していない。前歯でスライドを横噛みして銜えている。
 口中に硝煙と撃発した雷管の匂いが流れ込んでくる。
 鼻の奥が痒い。
 舌先がステンレススチールの肌に触れ、鉄臭く、ごく僅かに舌先が痺れる感触が伝わる。拳銃は口に銜えることを前提に設計されていないので当たり前の反応だ。
 3階に降りると間髪入れずに銃弾が飛来。
 今度はボストンバッグを放り投げたり遮蔽にしたりする暇もない。
 廊下の向こうからの発砲。
 踊り場の手摺りを植え込んだ、僅かな構造物を遮蔽とするべく滑り込む。
 発砲は尚も続く。銃声は2種類。敵の布陣が何となくみえてくる。
 当初の3人で光恵を無力化させ、頭部を穿いた三下が中継要員となり、階下の広い場所で待機している連中が手を貸して車輌にでも押し込む算段だったのだろう。
 光恵に関しては生死を問わない。
 それは連中が構わず、銃弾を大盤振る舞いしていることから察しがつく。
 要は光恵の『体』を所望しているのだ。
 光恵の命を狙うオヤジこと組長がどんな残虐な仕打ちを考えているのかは解らない。
 だが、自分の目で死体を確認しないと気が済まないのは確かなようだ。
 屋内の脆い建材が紙粘土をハンマーで叩くように破砕されてゆく。 
 発砲のリズムから回転式1挺と自動式1挺だと解る。……それにしても耳障りだ。
 回転式は38口径と思われる。マグナムであればこの程度の建材は簡単に貫通している。自動式の方は32口径だろうか。やや発砲音が小さく38口径に音響で押されている。
 彼我の距離10m。直線の通路。木目調リノリウム張りの床。換気の悪い空間に硝煙の臭いが立ち込める。
 客は部屋から一歩も出る気配がないのが助かる。
 これだけの戦力を流し込んで派手に銃撃させることが予想外だったとしても、オーナーと従業員には賄賂が握らされていると考えた方がいいだろう。
 街中で白昼の宿泊施設で銃撃戦ともなると警察への袖の下も大金になるのは自分たちの業界では常識だ。
 そこまでして、光恵をデッド・オア・アライブで求めるオヤジのやり方に寒気を覚える。
 元を正せば自分の飼い主の身内に手を出した、あるいは見初められた光恵の身分が悪かっただけだ。
 ただの麻薬の密売人が高嶺の花を求めた結果がコレだ。
 恋愛の自由は保障されて然るべきものだが、保障されるのは権利だけでそれを阻害する側にも正当な理由があれば同じく保護者としての権利を行使することも保障されている。
 万物をひれ伏せさせる権利など民主主義と自由主義が混在するこの国には存在しない。
 光恵はその恋愛の自由を貫き通す覚悟が足りなかったのではない。
 その恋愛の顛末には必ず破滅が待っていると直感したから逃げ出した。
 光恵自身の破滅なら構わない。だが、相手もまとめて破滅への道へ進めばそれはただただ、悲しい。
 それならば逃亡者として国外にでも逃走して余生をつまらない最後で締めくくっても惜しくはない。……惜しくはないと感じているのはよくも悪くも光恵がまだまだやり直しのきく20代だからだ。
 どこへ逃げても上手くやっていける自信の根拠も、それ自体がなくて、純粋に若さの到りだけで構成された自惚れだ。
 彼女の体一つでできる範囲は限られている。
 拳銃という非合法なアイテムと隠し持った資金も、彼女の在り方という生命そのものを救済するのには全く役に立たない。
 彼女の携帯電話に登録されているアドレスの8割以上は今回の件で敵側にまわったと思っていい。
 しかも誰が敵で、誰が味方で、誰が中立かも判然としない。
 ……彼女にとってのたった一つの冴えたやり方は逃走だけだ。
「くっ!」
 削られる遮蔽の陰でアストラモデルコンスターブルのグリップを握って歯を食い縛る。
 再装填のロスを待っているのだ。
 少しは頭の廻るチンピラらしく、自動式は回転式を援護するのか、回転式が黙っている間に自動式が散発的な弾幕を張って遮蔽の陰の光恵を膠着させる。
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