灼熱のストレングス

 窃盗した旧型フィアットパンダが、今時珍しいキャンパストップだったのでルックスは悪くないが頭が悪い女をナンパするのは簡単だった。
 女性だけでラブホテルに入るのは身の危険を少なくするための欺瞞だ。オトコをナンパしても……得てして、薄く軽く低い口説き文句で落とせるオトコは、オンナの体以外にも金銭目的だったり、動画や画像を隠し撮りして強請りのネタに使う傾向が多いのでオトコだけは勘弁だった。
 久し振りに演技でオンナを抱いた。中途半端に性欲を焚きつけられて欲求不満だった。
 皮肉なことに、無駄な気遣いと体力を発揮したために、疲労で気絶するように寝落ちしたので頭は冴えてる。目覚めが良い。昨晩の全力疾走での疲労も殆ど回復。
――――さて……。
 使い捨てライターでラッキーストライクの先端を炙る。
 深夜2時にホテルに入り、現在は午前11時30分。
 ここで昼食を摂って出発となる。
 予定としては今夕までに隣県に入って地元のわけあり物件を賃貸して一時のセーフハウスを設けることだ。
「…………」
 セーフハウスを確保しなければ……根無し草では精神的に安定できない。
 仮初でも『帰る場所』があるというのは精神的アドバンテージが大きい。
 同伴したオンナは先ほどからシャワーを浴びている。
 性病を持っているようにはみえなかったが、拾った女と深夜に一戦交える前に密かに抗生物質を服用して抵抗力を高めておいた。
 悪いオンナではない。今時の緩い思考をしたオンナだ。
 寝落ちするまでの印象では抱き心地の良い体だった。
 特に尻の肉が逸品で、揉めば豊満なバストでも揉みしだいているかのように反発して指がふよふよと食い込んだ。嬌艶を多量に含んだ啼き声も鼓膜を柔らかくノックして光恵が情事の最中に寝根落ちする一因となった。
 ビビッドでもなくサイケデリックでもない、シックな雰囲気の落ち着いた部屋。
 一時期はテーマ性を求められたラブホテルではあったが、最近の使用者の傾向では「自宅以外に寛げる自宅」を求めるので、過剰に派手な内装や、矢鱈とガラス張りを多用する室内は好まれないらしい。
 地域差はあるらしいが、光恵もこのような落ち着いたコンセプトでデザインされた部屋は好きだった。
 放棄した自室のベッドより快適で深く眠れたのは有り難い。
 実をいうと資金には困っていない。
 ヤクの売人という職業柄、隠れたヤク中だが社会的地位のある人物から袖の下をもらう機会が多く、非合法薬物の横流しに様々な面で便宜を図ってくれるのでちょっとした財テク感覚で資金が稼げた。
 札束もバッグに放り込んであるがそれと同量を、もっと軽量でもっと価値の安定度が高い貴金属に換えてあるので持ち運びが楽なのだ。
 取り敢えず、衣服を身に纏う。
 昼食時にはラブホテルでは珍しい下着の洗濯サービスに出していた下着や靴下が同時に届けられ、清潔な下着を身に着けられた。もういっそのこと、このホテルをセーフハウスにしたい。
 昼食にガッツリと肉を喰らう。食べるではなく喰らうだ。
 動物性たんぱく質が摂取できる高カロリーな食餌。
 ルームサービスで持ってこさせた豚骨ラーメンに焼肉定食、鶏の竜田揚げに白飯を胃袋に押し込む。同伴していたオンナも半ば呆れ顔だったが、もう半分は男前に健啖を発揮する光恵に惚れ惚れしていた。
 食事を終える頃、一夜限りの口実の為にナンパしたオンナに別れの台詞を切り出すのに困っていた。
 幸いにも、オンナの方から「はい、夢はここでお仕舞い。後は道で遭っても他人だからね」と切り出した。ホッとしたのも束の間、そのオンナにすぐさま、「あ、今安心したでしょ?」と切り替えされて背筋が冷たくなった。そのオンナは言葉を続けた。
「貴女……わけありね? 何も知らなかったコトにしてあげる。誰にも逢わなかったことにしてあげるね」
「え? ……あ、いや、そういってもらえれば助かるけど……」
 鳩が豆鉄砲の直撃を受けたような顔をする光恵。目が点になるとはこういうことだ。
「私の昔のオトコもあなたと同じ匂いがした……危ない匂い。鼻の奥がくすぐったくなる『不思議な香水』だったわ」
 それからしばしし、2人とも視線を絡ませたまま動かない。
 物好きな神仏が存在するのなら、このオンナはきっと天佑として与えられた命綱だ。 
 名前も素性も知らないオンナ。
 だけどこのオンナと巡り逢えたお陰で今こうして生きている。
――――このオンナ……。
――――硝煙の匂いを知っている……。
 ただの頭の悪い尻軽女かと思ったが、鉄火場の惨状に近い位置で棲んでいたらしい。
 別れの直前にオンナの名前だけでも知りたくなったが、その願望をグッと堪える。
「後朝の別れって感じでカッコ良く去りたかったけど……映画みたいに巧くいかないな」
 自分を宥めるように光恵は溜息混じりに呟いた。
 途端にクスクスと笑い出すオンナ。
「?」
「だって……そんなにガツガツ食べて何が映画みたいに、よ。笑っちゃうわ」
 光恵の視線がテーブルに重ねられた皿を見て恥ずかしくてそっぽを向く。
「じゃ、口止め料にここの支払いしてもらって良いかしら?」
 そういってオンナは微笑む。
 光恵も唇を緩めて眉を下げる。
「それじゃ、お先に……」
 席を立ち、部屋のドアに向かおうとするオンナの手を取り、1万円札を何枚か握らせる。
「タクシー代だ。『恋愛料』じゃないよ。受け取って」
 光恵はできるだけ真摯な気持ちで接した。
 それが通じたのかオンナも深く問う真似をせず、紙幣をポケットに捻じ込んで掌を背中越しにヒラヒラと振ってホテルの一室から退散する。
「…………」
――――これじゃ……。
――――わけありだっていってるようなモンだよな。
 パンパンに膨らんだアリスパックに許容量限界まで荷物が詰め込まれたボストンバッグを見て肩を竦めた。
 アストラモデルコンスターブルと予備弾倉はアリスパックのサイドポケットに突っ込み、ホルスターやポーチはタオルに包んで枕元に置いてある。
 少しでも拳銃稼業に近付いた人間なら簡単にプロファイルできる要素が転がっていた。
 ラッキーストライクを銜えながらアリスパックのサイドポケットからアストラモデルコンスターブルと予備弾倉を取り出す。
 そのポケットの底から自宅前の襲撃者から奪った9mmショートの実包を取り出して発砲した1発だけ弾倉に補弾する。
 何日か前に定期的なクリーニングを行ったばかりなので性急なメンテは必要ない。ベルトに予備弾倉のポーチを通してショルダーホルスターに肩を通す。
 出立したのはそれから10分後だった。
  ※ ※ ※
 萱野和雅はメタルグレイが眩しいサーブのクーペのハンドルを握りながら信号待ちをしていた。
 猥雑で雑多なテナントビルが林立する一般道では彼の駆る高級車は少々浮いてみえる。
 彼の今の整い過ぎた身なりからしても、場違いな雰囲気だ。
 ジャケットだけが取り沙汰されやすいスーツのブランドだが、スラックスにも特有の意匠が施されているからこその『スーツ』だ。
 クールビズ推奨の時期に夏物のスラックスを穿いて半袖のYシャツを着ているが、上下とも名のあるブランドのしかる部門に作らせたオーダーメイドだ。
 あり余る資産の端使い方をみせ付けたり自慢しているのではなく、彼ほどの筋骨、体躯ともなればオーダーメイドでなければ背丈に合わないのだ。
 背丈だけではない。腕や太腿の周りも量販店で求められる代物ではオーバーサイズだ。
5/17ページ
スキ