灼熱のストレングス

 所謂、モディファイドプローンの体勢。
 サイトに打ち込んだ蛍光色のドットが蛍の光より心許なく、薄っすらと浮かぶ。予めLEDライトなどの強烈な光源に晒していなかった光恵の失策だ。
 光恵自身に拳銃に関して天稟が有ったのだろう、モディファイドプローンの体勢のまま、じっくりと引き付けてから引き金を引いた。
 撃鉄を起こしてからの軽いトリガープル。
 遮蔽にしている軽四自動車のマフラー付近で発砲したために、不完全燃焼のガスが引火したような発砲音を残して9mmショートは初速毎秒300mの速度で弾き出された。
 天稟。
 拳銃に関する天稟。
 実戦でのみ鍛え上げたのなら、その状況に相応しい射撃術を修得するのは不可能だ。
 我流の射撃術は癖がつくと矯正できない。だから射撃での戦闘を生業とする人物は師に教えを請い、正しいとされるフォームを体に叩き込む。
 稀に実戦でしか拳銃を抜かないのに、経験と勘とイメージだけで射撃術を完成させる素質を有した者が現れる。
 光恵はその素質の片鱗を覗かせている者の一人だ。
 この状況で最大限に遮蔽を利用し攻防一体ではなく、攻防のバランスが取れた体勢で応戦する判断は、ただの麻薬の密売人であると切り捨てるには惜しい。
 ……現に、発砲したたった1発の9mmショートのホローポイントは直ぐそこに迫りくる男の左足首を捕らえて行動不能に陥れた。
 9mmショート程度の弾薬に、一撃必殺の効果を期待しても度が過ぎるのを知っている。
 無力化させるだけの負傷を与えれば光恵の勝利だ。
 相手がトリガーハッピーに陥ったり、臆病風に吹かれれば尚更良し。実売価格として1発20円にも満たない9mmショートが一人を負傷させるだけで形勢が逆転するのなら大儲けだ。
 空かさず次の標的を定めるべく、左右対称の構えで軽四自動車の前輪部分を遮蔽とする。
 状況に応じて左右のスイッチが自在に行えるのも光恵の強みだった。
 発砲。
 光恵の発砲ではない。
 残りの2人の発砲だ。
 発砲のサイクルがおかしいとフロントサイトの向こうの世界を視界に捉える。
 1人の男が足首を負傷した男を背後から抱えて引き摺っている。
 もう1人の男が牽制のつもりか、両手に拳銃を構えて狙いも意味もないにひとしい牽制射撃を行っている。
 それらの拳銃から弾き出される銃弾は移動しながらの発砲で、明後日の方向に孔を穿つだけで虚しく聞こえる。光恵にはなんの脅威にもならなかった。
――――退いたか……。
――――賢い判断だ。
――――それとも逃げたか?
 連中が大型ワゴンで遁走を始める。
 自室の玄関前で伸びていた2人の若者も、愚かにもその大型ワゴンの後ろをこけつまろびつ追い掛け、すぐに息切れで道路に座り込む。
 この静寂の時間帯を破壊した代償は大きい。
 あちらこちらの家屋の電灯が点き、騒ぎ出す家人。
 光恵は一刻も早い遁走の機会を求められる。
 前髪を止めていたヘアピンをアーミーナイフの被覆コード剥ぎに先端を嵌め込んで¬字に折り曲げると、そのヘアピンで近場にあったやや旧いデザインのママチャリのロックに差し込んであっという間に開錠する。
 自転車のデザインが選べないのは仕方がない。最近は自転車といえど、針金だけで盗難できるモデルは少なくなってきた。
 アストラモデルコンスターブルにセフティを掛けると連動したデコッキング機能が働き、撃鉄が安全位置まで戻る。
 財布を内ポケットに仕舞うのに似た手つきで左脇にアストラモデルコンスターブルを収納する。
 一時放置していたアリスパックとボストンバッグを回収し、自転車に跨り、夜陰の続く道を選んでペダルを漕いだ。……最近は闇社会の人間には生き辛いもので、何処に行ってもLEDの街灯が煌々と輝いているので姿を憚らせながら闇夜を往くのも一苦労だ。
   ※ ※ ※
 萱野は無駄に広いだけのシステムキッチンで黙々と朝食の準備をしていた。
 卵3個に、幅広で長い厚切りベーコン5枚を用いたベーコンエッグスを中心にした朝食。
 彼ほどの肉体を維持するのにはそれなりのカロリーを摂取する。
 筋肉を鍛えるだけでは筋肉は養えない。筋肉を形成する栄養も必要だ。
 粗食で痩せ犬のような生活をしているだけでは、養われるのはハングリー精神かルサンチマンだけで具体的物理的栄養学的には何も身につかない。
 喫煙で失ったビタミンはそれを大きく補う栄養素の塊りを経口で摂取。なので、毎朝グレープフルーツ2個をデザートに食べる。
 体を労わりつつ、体に悪いものを摂取する。
 このアンビバレンスもまた背徳心を擽って生活にモチベーションをもたらす、心の栄養となる。
 酒も煙草も嗜まず、ギャンブルにも興味がなく、女と戯れる気概もない人生の何が楽しいのか。
 鯨飲馬食暴飲暴食を下品だとする風潮は結果的に不摂生の反動が怖いから慎みましょうというお題目に取って代わった。
 自分の人生を、自分の責任で、自分だけの問題として解決できない人間が増えてきたのだと嘆く機会が増えてきた。……萱野和雅。彼は見た目ほど『若く』は無い。
「!」
 バターを塗ったライ麦パンに齧りつきながらボウル1杯分のサラダにノンオイルドレッシングをかけている最中に、右手側の傍に置いてあった携帯電話がメールの着信を報せる。
 恐らく情報屋からの定時連絡だろう。
 口の周りのバターをティッシュペーパーで拭きながら本文を確認。
――――ほう。
――――面白い奴なんだな。
――――素直に始末するのが惜しくなってきたぞ。
 殺し屋に似た稼業ではあるが、組織が指定する対象しか殺さない始末屋の萱野としては、久し振りに気骨の有る若者をみつけたと直感で悟る。
 2人を殆ど同時にのし、1人の足首を不具にし、残存戦力を追い払ったというではないか。
 昨今始末してきた粗相の激しい若者は、調査目的の当て馬をぶつけただけで抵抗もせず命乞いに徹した。口を揃えて示し合わせたような命乞いの台詞も聞き飽きてきた。
 もしや、と萱野はキッチンからダイニングの箪笥の下段を見る。
――――久し振りにアレを使うか……。
――――否、腕の立つバカをぶつけてみるか。
――――アレを使うのにはまだ勿体ないかもしれん。
――――オヤジは速やかに消せと息巻いていたが……もう少し血圧を上げてもらおう。
――――血圧の数値が上がりっぱなしなら、少しはまともに健康な食生活に開眼してくれるだろう。
 萱野はフフンと鼻で嗤うと再びライ麦パンに齧りついた。
 本日も晴天。
 最近では39度超えの気温も珍しくなくなってきた地方も多い。
 熱中症対策に塩のタブレットを持ち歩こうと漠然と思う彼。
  ※ ※ ※
 盗難自転車を放置し、青空駐車場で見かけた旧型のフィアットパンダを、拾った曲尺をウインドウに差し込み、ロックを難無く解除した。
 イグニッション系統を接触させて強引に点火。……レトロカーを窃盗して売り捌いていた頃の時代遅れなスキルが錆びていなくて助かったと安堵するのも束の間、そそくさと車を流して隣町との境にあるレズビアンバーで同年代の女子をナンパして言葉少なにラブホテルにイン。
 順調に計算通り進んでいる。
 さて……と、ダブルベッドの上で全裸の状態でラッキーストライクを銜えたまま計画の変更点と留意点を考察。
「…………さて」
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