灼熱のストレングス
ある日突然訪れる理不尽を自力で解決、脱出、反撃するための道具として銃を握る人間と、面白おかしく生きるために銃を握る人間とでは覚悟の次元が違う。
勿論のこと、個人の力量も違う。
必死で修羅場を潜ってきた人間の生命に執着する根性と、劣勢と解るや戦線を簡単に離脱しても悪びれもせずメシを食いに戻る性根。
どちらがメンタル的、スペック的に向上しやすいかは一目瞭然だ。
光恵は前者だと自負している。
……そういえば組事務所で雑用をしていた頃、「最近の若いヤクザは、なんで警備会社に不寝番を頼まないのかと聞いてくる」「カチコミに襲われたら危険手当は出るのか聞いてくるバカが腐るほどいる」と中堅の幹部が嘆いていたのを思い出した。
覚悟の違い……遁走に全てを捧げる人間が、猫に追われるネズミでないことを、猫に追われるだけでないネズミであることを教えてやろうと誓う。
懐で鎮座する拳銃という精緻なメカニズムで組み上げられた無骨な鉄の塊りには、人間の闇底を光りよりも解りやすく形成する魅力がある。力がある。精神的拠りどころがある。
「……いるな……」
玄関の向こうに二つの気配。
この部屋は1階の一番端。
ベランダ側に勿論見張りはいるだろう。
この荷物を背負ってベランダの柵を攀じ登り、繁華街と同じ速度で全力疾走するのは不可能だ。
この状況で今すぐ、鉄火場が開かれても何ら不思議ではない。
連中は恐らくバカだろう。バカゆえにガキの使いみたいな役柄を命じられているのだ。
大体、標的が潜むマンションのドアの前で煙草を吹かすか? 拳銃を右手に提げて左手でスマートフォンのゲームに夢中になるか? ドアの覗き穴から魚眼レンズが気配の元を拾う。
ここまで露骨にバカ丸出しだと、この2人は釣り針に刺されたエサで光恵を誘うための作戦かと疑ってしまう。
――――近いな……。
――――『拳銃では不利』だ……。
覗き穴から目を離すと、傘立てに立ててあったビニール傘を静かに抜く。
フッと一息吸い込む。
左手がドアノブを無駄なモーションなしで捻る。
右手の傘は中ほどを掴んでいた。小指側が先端で親指側が柄の部分。
左手が思い切り、ドアを開放。刹那、右手側に立ってスマートフォンを弄っていた男の腹部に傘の先端がめり込む。男は敢えなく床に膝を突く。左手側に立つ煙草を銜えた若い男はズボンのベルトに差した4インチの回転式のグリップに手を伸ばすが、呼吸が二つ分遅い。
光恵の左手が男の拳銃を抜こうとする右手の肘裏を押し、それ以上腕が上がらないように瞬間的に固定。
男の運動神経が優れていたのなら男自身が体を半歩後退させれば、硬直から解放されていたはずだ。
若い男の反射神経が発揮されることもなく、その男の鳩尾に傘の柄が叩き込まれ、苦痛の呻き声とともに紫煙を吐きながら床に転がる。
床にのされた2人の若い三下は光恵より若いだろう。
これで彼らも少しは学習しただろう。多勢だから万全とは限らないと。
若い男達から拳銃を奪おうと考えるが、荷物が増える方が大変だと諦める。
2人のうち、1人が自分と同じ弾薬を用いていたのでポケットに剥き出しのまま突っ込まれていた自動式の9mm実包を奪って自分のカーゴパンツのポケットに流し込む。
午前1時を経過。
全力疾走の疲労と眠気は気力と体力でカバー。
普通の夜更かしならば問題ない。
玄関に置いたボストンバッグを手に取ると一段と重くなった体を推して踏み出す。
走り来る気配。
健やかな静寂をぶちのめす、銃声。
遠慮もなく発砲されるそれらは1発十数円の仕事もせずに、虚しく空を切る。
1Kマンションの出口付近で大型ワゴン車で待機していたらしい運転手も降車してくる。
――――3人……。
光源が乏しいので顔までは判別できないが、聞いたことがある声が混じっている。
発砲されても怯むことはない。
見当違いの方向に銃弾が飛び去っていくからだ。
連中は走りながらの発砲を繰り返している。
僅かに間延びした間隔の発砲からして回転式を用いているのだろう。ダブルアクションを組み込んだ自動式特有の鋭く短い発砲音ではない。
光恵は駐車場や駐輪場に停めてある車輌を遮蔽にし、身を屈めて移動する。
最近の自動車は電子ロックと電子的セキュリティに守られているので針金ハンガーやハンマーではロックを解除してイグニッションさせることは無理だ。それなりの道具があれば可能だが、持ち合わせにはない。
「!」
着弾が段々と正確になってくる。
低燃費を売りものにしている大手メーカーの軽四自動車のサイドミラーに38口径と思われる弾頭が命中し、ミラーに風穴が開く。
彼我の距離20mでミラーを根元から吹き飛ばしたり、サイドミラーを構成する外装を粉々にしない辺りを鑑みると、マグナムやホローポイントではないようだ。
「……」
ボストンバッグを地面に置き一時停止。
身を一層深く屈める。
猥雑な住宅街に響く銃声。
安眠を誘う調とは対極の位置にある発砲音は、確かに殺意を含んで光恵を目掛けて飛んでくる。
『敵』は遮蔽にしている軽四自動車のドアやウインドウに弾痕を拵えつつ前進してくるのが解る。
足音を消す必要を感じていないのだろう。
光恵は懐からアストラモデルコンスターブルを静かに引き抜き、そろそろとスライドを引いて薬室を確認した。
確かに薬室には9mmショートの実包が送り込まれていた。
セフティカット。
ワルサーPPシリーズの影響を多大に受けたとされ、その発展改良型と目される中型自動拳銃。
遠目にはワルサーPPKと見間違えても仕方がない。
ワルサーPPシリーズのメカニズムを流用した中型オートの中でも特に優れたバランスだと評価が高い。
オリジナルのワルサーPPシリーズには付加していないスライドリリースレバーやトリガーガード根元に移動したマガジンキャッチの位置などが評価され、一応の商業的成功を収めた。
さらなる発展型としてダブルカアラムマガジンが使えるアストラモデルA60が存在するが、コンシールドキャリーとして携行するのならアストラモデルコンスターブルの方が軽量な分、軍配が上がる。
全長が170mmにも満たず、薬室を含めても8発の9mmショートしか装填できない中型自動拳銃だが、同じコンセプトを目指したキリカールセミオートマチックピストルやワラムM84よりは遥かに信頼に足る相棒だといえた。
女性の掌と、日常での携行や使用頻度を考慮すると乾燥重量700g前後のアストラモデルコンスターブルが一番相性が良かった。
……そもそも与えられた拳銃がことごとくマチョズモの塊りで、大型軍用拳銃や長大な銃身を具えた回転式が多かったのも起因している。
そこで自腹を切って組事務所と懇意にしている武器商人を経由し、入手した。
余談だが、その武器商人の窓口で「タクシードライバーのファンかい? M29にしなよ」と助言を貰ったが、果たしてそれが助言なのか冗談なのか挨拶なのかいまだに判然としない。
最近のタクシードライバーは44マグナムを懐に呑み込んでいるのか?
「……2人……3人……3人以上はいないな」
アリスパックを下ろして、体勢を横倒しのニーリングから、軽四自動車のタイヤ部分に全身を隠し上半身を屈めるように折り、アストラモデルコンスターブルを保持した両腕だけを伸ばす。
勿論のこと、個人の力量も違う。
必死で修羅場を潜ってきた人間の生命に執着する根性と、劣勢と解るや戦線を簡単に離脱しても悪びれもせずメシを食いに戻る性根。
どちらがメンタル的、スペック的に向上しやすいかは一目瞭然だ。
光恵は前者だと自負している。
……そういえば組事務所で雑用をしていた頃、「最近の若いヤクザは、なんで警備会社に不寝番を頼まないのかと聞いてくる」「カチコミに襲われたら危険手当は出るのか聞いてくるバカが腐るほどいる」と中堅の幹部が嘆いていたのを思い出した。
覚悟の違い……遁走に全てを捧げる人間が、猫に追われるネズミでないことを、猫に追われるだけでないネズミであることを教えてやろうと誓う。
懐で鎮座する拳銃という精緻なメカニズムで組み上げられた無骨な鉄の塊りには、人間の闇底を光りよりも解りやすく形成する魅力がある。力がある。精神的拠りどころがある。
「……いるな……」
玄関の向こうに二つの気配。
この部屋は1階の一番端。
ベランダ側に勿論見張りはいるだろう。
この荷物を背負ってベランダの柵を攀じ登り、繁華街と同じ速度で全力疾走するのは不可能だ。
この状況で今すぐ、鉄火場が開かれても何ら不思議ではない。
連中は恐らくバカだろう。バカゆえにガキの使いみたいな役柄を命じられているのだ。
大体、標的が潜むマンションのドアの前で煙草を吹かすか? 拳銃を右手に提げて左手でスマートフォンのゲームに夢中になるか? ドアの覗き穴から魚眼レンズが気配の元を拾う。
ここまで露骨にバカ丸出しだと、この2人は釣り針に刺されたエサで光恵を誘うための作戦かと疑ってしまう。
――――近いな……。
――――『拳銃では不利』だ……。
覗き穴から目を離すと、傘立てに立ててあったビニール傘を静かに抜く。
フッと一息吸い込む。
左手がドアノブを無駄なモーションなしで捻る。
右手の傘は中ほどを掴んでいた。小指側が先端で親指側が柄の部分。
左手が思い切り、ドアを開放。刹那、右手側に立ってスマートフォンを弄っていた男の腹部に傘の先端がめり込む。男は敢えなく床に膝を突く。左手側に立つ煙草を銜えた若い男はズボンのベルトに差した4インチの回転式のグリップに手を伸ばすが、呼吸が二つ分遅い。
光恵の左手が男の拳銃を抜こうとする右手の肘裏を押し、それ以上腕が上がらないように瞬間的に固定。
男の運動神経が優れていたのなら男自身が体を半歩後退させれば、硬直から解放されていたはずだ。
若い男の反射神経が発揮されることもなく、その男の鳩尾に傘の柄が叩き込まれ、苦痛の呻き声とともに紫煙を吐きながら床に転がる。
床にのされた2人の若い三下は光恵より若いだろう。
これで彼らも少しは学習しただろう。多勢だから万全とは限らないと。
若い男達から拳銃を奪おうと考えるが、荷物が増える方が大変だと諦める。
2人のうち、1人が自分と同じ弾薬を用いていたのでポケットに剥き出しのまま突っ込まれていた自動式の9mm実包を奪って自分のカーゴパンツのポケットに流し込む。
午前1時を経過。
全力疾走の疲労と眠気は気力と体力でカバー。
普通の夜更かしならば問題ない。
玄関に置いたボストンバッグを手に取ると一段と重くなった体を推して踏み出す。
走り来る気配。
健やかな静寂をぶちのめす、銃声。
遠慮もなく発砲されるそれらは1発十数円の仕事もせずに、虚しく空を切る。
1Kマンションの出口付近で大型ワゴン車で待機していたらしい運転手も降車してくる。
――――3人……。
光源が乏しいので顔までは判別できないが、聞いたことがある声が混じっている。
発砲されても怯むことはない。
見当違いの方向に銃弾が飛び去っていくからだ。
連中は走りながらの発砲を繰り返している。
僅かに間延びした間隔の発砲からして回転式を用いているのだろう。ダブルアクションを組み込んだ自動式特有の鋭く短い発砲音ではない。
光恵は駐車場や駐輪場に停めてある車輌を遮蔽にし、身を屈めて移動する。
最近の自動車は電子ロックと電子的セキュリティに守られているので針金ハンガーやハンマーではロックを解除してイグニッションさせることは無理だ。それなりの道具があれば可能だが、持ち合わせにはない。
「!」
着弾が段々と正確になってくる。
低燃費を売りものにしている大手メーカーの軽四自動車のサイドミラーに38口径と思われる弾頭が命中し、ミラーに風穴が開く。
彼我の距離20mでミラーを根元から吹き飛ばしたり、サイドミラーを構成する外装を粉々にしない辺りを鑑みると、マグナムやホローポイントではないようだ。
「……」
ボストンバッグを地面に置き一時停止。
身を一層深く屈める。
猥雑な住宅街に響く銃声。
安眠を誘う調とは対極の位置にある発砲音は、確かに殺意を含んで光恵を目掛けて飛んでくる。
『敵』は遮蔽にしている軽四自動車のドアやウインドウに弾痕を拵えつつ前進してくるのが解る。
足音を消す必要を感じていないのだろう。
光恵は懐からアストラモデルコンスターブルを静かに引き抜き、そろそろとスライドを引いて薬室を確認した。
確かに薬室には9mmショートの実包が送り込まれていた。
セフティカット。
ワルサーPPシリーズの影響を多大に受けたとされ、その発展改良型と目される中型自動拳銃。
遠目にはワルサーPPKと見間違えても仕方がない。
ワルサーPPシリーズのメカニズムを流用した中型オートの中でも特に優れたバランスだと評価が高い。
オリジナルのワルサーPPシリーズには付加していないスライドリリースレバーやトリガーガード根元に移動したマガジンキャッチの位置などが評価され、一応の商業的成功を収めた。
さらなる発展型としてダブルカアラムマガジンが使えるアストラモデルA60が存在するが、コンシールドキャリーとして携行するのならアストラモデルコンスターブルの方が軽量な分、軍配が上がる。
全長が170mmにも満たず、薬室を含めても8発の9mmショートしか装填できない中型自動拳銃だが、同じコンセプトを目指したキリカールセミオートマチックピストルやワラムM84よりは遥かに信頼に足る相棒だといえた。
女性の掌と、日常での携行や使用頻度を考慮すると乾燥重量700g前後のアストラモデルコンスターブルが一番相性が良かった。
……そもそも与えられた拳銃がことごとくマチョズモの塊りで、大型軍用拳銃や長大な銃身を具えた回転式が多かったのも起因している。
そこで自腹を切って組事務所と懇意にしている武器商人を経由し、入手した。
余談だが、その武器商人の窓口で「タクシードライバーのファンかい? M29にしなよ」と助言を貰ったが、果たしてそれが助言なのか冗談なのか挨拶なのかいまだに判然としない。
最近のタクシードライバーは44マグナムを懐に呑み込んでいるのか?
「……2人……3人……3人以上はいないな」
アリスパックを下ろして、体勢を横倒しのニーリングから、軽四自動車のタイヤ部分に全身を隠し上半身を屈めるように折り、アストラモデルコンスターブルを保持した両腕だけを伸ばす。