灼熱のストレングス

 膝を突いた男に向かって50cmの距離から頭部を正確に確実に丁寧に銃弾を叩き込む。
 射手の視線が低い処刑スタイルだ。
 込められていた実包は自宅の玄関前で襲撃してきた男から奪った9mmショートのフルメタルジャケット。貫通力ならホローポイントの比ではない。
 脳天の頭蓋を叩き割られた萱野は、射入孔から脳内の圧力と被弾の衝撃が原因の圧力で脳漿と血液をビュッと短く噴出させて即死に近い生命の終わりを迎える。
 サンデッキに倒れてからも5秒ほど手足を小刻みに震わせていた。まるで彼の生命力を象徴しているかのような最期だった。左手はフリーダムアームスM83を離すことはなかった。
「…………」
 光恵は、この建築途中の家屋の庭に向かい、水道栓を捻ってホースから水を被る。
 今は早急なクールダウンが必要だ。
 熱中症手前の彼女には物理的な冷却が最優先事項だった。
  ※ ※ ※
 萱野を射殺してから3日経過した。
 あの日、萱野を射殺してから水を被っていた最中に熱中症で意識を失い、地面が目前に迫ってくる映像が最後に見た世界だった。
 再び目を開ける。自分はまだ死んでいないことに気がついた。
 左手に肘裏に刺された点滴。ベッドの上。見慣れたというほどでもない天井。
 やや黴臭いがエアコンが適温で稼動している。
 下着姿。しかし、新しいものと取り替えられている。
 四方はコンクリの打ちっぱなしに、安っぽいクリーム色の壁紙を貼っただけの簡素な部屋。
 視界から得られる情報ではここは光恵が所属する麻薬の胴元の……つまり、組事務所の地下倉庫という名目の地下室。
 内通者や裏切り者を私刑にかけたり拷問して口を割らせるのが主な用途だ。
 その物騒でおっかなくて、違う意味で冷気が漂う部屋で、自分は快適な状況で保護されている。
 残虐な仕打ちを与えるには健康で、逃げ惑い、大声で喚き散らすほど元気な方がよいというわけか。
 闇医者が施したであろう点滴の輸液の残量をみても時間の感覚は掴めない。
――――短い逃避行だった。
――――後はラッキーストライクを1本恵んでくれたらいつでも殺してくれていい。
――――惚れた腫れたのハナシもこの世界じゃ非日常なのだな。
 光恵の頭の中では、緩く、静かに、淡く、走馬灯の上映会が始まろうとしていた。
――――組事務所……否、オヤジが飼っている始末屋の中でも間違いなく最強クラスの一角を撃破したんだ……それを冥土の土産にするかな。
 不意にドアが開く音。
 重い木製のドア。防音のためのバフが作用して、締まる際に音を殆ど発しない。
 倦怠感が酷く、ドアの方へ首を廻すことができない。
「……え!」
 黴臭い部屋にしっとりと漂う控えめなフレグランス。
 スキッとしたレモンを思わせる清涼感の有る香り……そしてこの歩幅。
「姐さん!」
 姐。つまり、上矢律歌の母親。
 初老に入りかけの女性だが、佇まいはその辺の若者より背筋が真っ直ぐで、凛と冴えたオーラを纏っている。
 滅多に現れない彼女が、三下の光恵に護衛も連れずに現れるとは思ってもいなかった。
「あなたが室瀬光恵? 単刀直入にいうわ。萱野を『消した』その腕を買いたいの。重労薄給だけど」
 名前は律子というその姐御はベッドサイドに立ち、冷ややかな目で光恵を見下ろしながら喋り出した。
 台詞の内容は次から次へと信じられないものばかりだった。
「そもそも萱野には留学する予定の律歌のボディガードを割り当てるはずだったの。その萱野をあなたが『消して』しまった。だけどウチの者で萱野以上に遣える腕利きはいない。だからあなたを買いたいの」
「え……え?」
 脈絡のない話の数々に混乱を覚える光恵。
 目元が律歌そっくりの姐御の顔を口を軽くパクパクとさせながら自分の頭を整理させようと奮起する。
「悪いけど、選択肢はあまりないはずよ? 今死ぬか、ウチの飼い犬になって、あの子……律歌が『【正常】に目を覚ます』までボディガードを務めるか……。さあ、『自由に選びなさい』」
 二つしかない選択肢をあたかも多数のカードがあるかのように振舞う、人を喰ったニュアンスを含めて話す様子は律歌そっくりだ。
「姐さんは私を助けてくれるんですかい? 不義を働いた私を」
 腹から声だけでも精一杯に絞り出す。
「助けるなんて言ってないわよ。今死ぬか、娘の弾除けとして死ぬか選べといっているだけよ。さあ、どうなの?」
 考える時間はない。考える余地はない。考える理由もない。
「不肖の命を使っていただけるのなら喜んで弾除けにお使いください」
 軽口風に、しかし声だけはしっかりした意思を含んで返答する。
 姐さん……律子がこの期に及んで登場してきた理由が何となくだが、推察できた。
 あのオヤジに一言申せる人間は律子しかいない。
 その律子が父親と娘の仲裁を買って出たのだ。
 娘のノーマルでない恋愛を押し通すのにどのような魔法の言葉を口にしたのかは推して知るしかない。
 今は命を拾ったのだ。詳細は律歌と合流してから詳しく聞くとする……獣のようなレズセックスの後でじっくりと。




「で、実際はどーよ?」
 上半身の裸体を隠そうともせず、枕元のウエットティッシュを一枚抜き取ると、指に付いた律歌の乾いた愛液を拭いながら光恵は問う。
 律歌は面倒臭そうに気だるそうに眠そうにシーツを独り占めして、芋虫のように丸まった。
「……んー。母さん、『ソッチの人』だった」
「え?」
 放り投げたウエットティッシュがゴミ箱から外れる。思わず振り向く光恵。
「て、いうか……母親の家系の女って多かれ少なかれ『ソッチの趣味』がある人が多いの。生涯独身の人も多いんだって……だから、あのクソオヤジと結婚した母さんは異端だったんだろうなって身内からいわれるくらいよ」
 瀟洒なホテルの一室で散々、お互いの愛の深さを確認しあった後の質問と応答にしては胸焼けがする話しだった。
 初めての唇以外での粘膜の擦り合わせは双方にコツが要ることが判明した上に、69の下側は首が疲れて後頭部が重いとも学習した。
 そんな初めて尽くしの愛の交歓の後に、衝撃の事実をしれっと知らされてはタネ明かしの感動が微妙に低くなる。
 『それではまるで最初から姐御は全てを見抜いて、全てを許して、全てをまとめるつもりだった』みたいだ。
 何もかもが仕組まれた予定調和の収束さえ感じる。
「あーあ。嫌になっちまうよ」
 レモンスライスが浸された水差しから注したガラスコップを大きく呷ると光恵はベッドから離れてそのままシャワールームへと歩む。



 午前7時。
 洋上国際空港が望める一等地のホテルの一室にて。
 今日の昼にはロンドン行きの便に搭乗予定。
 勿論、律歌の留学……という名の海外への疎開だ。


 そのボディガードとしてベッドの中でもバスルームでも常に弾除けの役目を死ぬまで背負わされた光恵の、組織者としての最初で最後で……最高の任務の始まりだった。

《灼熱のストレングス・了》
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