灼熱のストレングス

「!」
 襲撃者の手元から15cmほどの長さに切断したアルミパイプが零れ落ちる。
 光恵は左手で相手の左腕を拉ぎ上げて、後頭部にアストラモデルコンスターブルの銃口を押し当てているが、すぐにそれらを止めて襲撃者の正面を向かせる。
 少女。
 否、僅かに女。
 大人とも子供ともいえない微妙な年齢の顔つき。
 今時のシャープな輪郭の中にあどけなさが抜けない雰囲気が残る女。
 半袖のTシャツにカーペンターベストと麻の短パンを穿いたボーイッシュな出で立ち。やや色素の薄い儚げな黒髪は落ち往く夕日の時間帯では濃い茶色にみえる。その儚げなイメージを裏切って女は活発さを隠さないショートカットがどこかアンバランス。
「…………」
「…………」
 しばし見つめ合う2人。
 光恵は右掌を女の背後にある壁に突いて、顔を近づける。
 女も抵抗の意思を見せずに口をへの字に結ぶ。
 光恵の顔が近付くに連れて5cmほど背が低い女は待ちかねたように目を閉じて唇を突き出す。
 やがて接触する二人の唇。容赦なく、遠慮なく、お互いの唇を貪りあう。
 その姿は恋人同士の邂逅そのもの。
 長らく引き離されていた2人が出会って最初に行う行為。秒針が3周以上経過しても二人の唇は離れなかった。
 光恵の右膝が女の股の間に押し当てられ、そのまま光恵は膝をずり上げる。
 彼女の体重を膝が感じる。
 無遠慮に光恵の左掌が自分のものよりも大きく実った女の右胸を衣服の上から触れた。このときに女は初めてこの場で抵抗の素振りを見せた。
 2人の唇が漸く離れる。2人の唇が尚ももの欲しそうに求める余韻を残す。
 薄く細く長い唾液の糸が2人の唇を繋ぎ、最後の抵抗を見せ、ぷつりと切れる。
「……ここじゃダメでしょ?」
「あ、ああ……」
 彼女の名前は上矢律歌(かみや りっか)。成人に1歳足りないが、れっきとした光恵の恋人だった。
 恋人ではあったが、彼女の父親は老年ながら斬新な司令系統を築いて組織を大型化――巨大化ではない――させてきた暴力団【上矢組】の組長の娘だ。
 勿論、身分が違う二人は房事も睦言も誰にもおくびにも漏らさず密かに紡いできた。
 これが公になればどうなるか? それは火を見るより明らかだ。
 光恵が一方的に屠られる。
 それもそうだろう。使い捨ての三下女が組長の娘とデキているともなればスキャンダルを通り越して看板の威信も失墜しかねない。
 組の看板の失墜だけならまだしも、場合によっては組長である父・上矢龍意(かみや りゅうい)個人の大きな弱点となる。
 可愛い血縁関係なのに、体に瑕一つ残す怪我でもさせたら逆鱗に触れるどころでは済まされない。
 そんな可愛い娘を密売人風情の、それも女に奪われるのは親の人情として許せないのは自然な流れだった。
 上矢龍意が堅気だったとしても同性同士での、喩えプラトニックであったとしてもそれを許すことはなかっただろう。
 上矢龍意は強権を持って狂犬を揮える立場の人間だ。
 なんの躊躇いもなく追っ手を差し向けるのは時間の問題だった。……それらの事情を全て理解していた光恵はいつか訪れる、生命の危機に直結する破滅の可能性を1人で被り、独りで逃走することで、上矢律歌との関係を有耶無耶にして問題自体を自然消滅させればと淡い期待をしていた。
 それを鑑みたうえで、矢律歌本人がこうして光恵と合流してしまった背後に何が潜んでいるのかは解らない。
 単純であり、複雑であり、明快であり、難儀である状況によって引き離された愛し合う2人が出会えば、とにかく、久闊を叙すべく唇を用いて愛の確認を行うのも当たり前だった。
「逢いたかった……」
 到底、拳銃を扱って鉄火場を生き抜いてきた女とは思えない『オンナの顔』をしている光恵に律歌は、鋭く重い、いい感じのボディブローを叩き込む。
「んがっ……」
 何が何だか解らない。あれほどの熱いキスで互いの想いを伝え合ったのにこの仕打ちは何だ? ……鳩尾を中心に広がる鈍い痛みに呼吸が乱れる。
「他のオンナの匂いがする。メス臭い。誰よ?」
 律歌の冷たく吐き出される言葉の意味が理解できないと反論をするべく口を開いたが、一言も発することなく硬直する。冷汗がダラダラと流れる。
――――あ……。
――――レズビアンバーでオンナをナンパしてホテルで一晩泊まった!
 心当たりが大有りだった。
 律歌への愛が揺らいだわけでもなく、一晩の不義という認識もなく、逃走の手段としてや必要な道具として扱ったあのオンナ。
 だからといって反論反駁が許されるわけではない。
 光恵が生きて二度と律歌の前に現れることは想定していなかったとしても、だ。
 体力の回復と僅かな潜伏の代償がこのような形で請求されるとは予想外。
 貞操だけを守るのは不可能だと察してもらいたいが、冷酷な能面を思わせる表情を貼りつけた律歌には中途半端な言いわけは無為。
 正直なところを吐露すれば、光恵は律歌とはキス以上の関係には発展していない。
 唇以外の粘膜同士の接触など一度もない。
 それどころかお互いの裸体を確認したこともない。
 純愛や純情という美しい言葉が似合う世界の古いタイプの恋愛を心掛けているからではない。ただ単に、組織内部での身分が違い過ぎて、長く付き添っていられる時間がないだけのことだ。
 律歌も律歌でことに及ぶのならムードとシチュエーションを重んじるタイプらしく、いつか必ず誰にも邪魔されない静かな場所で長く永く光恵にケモノのように愛されたいと願っていた。
 古いタイプの恋愛観は持っていないが、古いタイプの性愛を望んでいるのが律歌だ。
「……律歌……」
「…………」
 重く永く苦しい空気が2人の間に形成される。
 暫く腕を組んで、僅かに眉目に皺を寄せていた律歌が不意に溜息を吐いて顔の筋肉を解した。
「ま、いいわ。光恵は何も考えなしにオンナと同行するはずもないしね……と、今は理解しておいてあげる」
 やや棒読みの口調が怖かった。律歌が逆鱗に触れた件は不問にしてくれた状況を安堵した。
「ついてきて。隠れ家……ほどじゃないけど、少しだけなら隠れられる場所に案内するわ」
「え? 私に構うとお前まで……」
「黙って! たまには私にもリードさせなさいよ!」
 律歌はコンドームの自販機が置いてある路地の奥へと進んだ。
 光恵も黙って従う。
 鳩尾への鋭い一発のせいか、2つの大きなバッグが鉛でも呑んでいるように重く感じられた。
   ※ ※ ※
 萱野の自宅の一室に設けられたちょっとした工房。
 それは小規模なガンスミスの作業場といった趣だ。
 調度品や家具の類は一切皆無。
 棚とロッカーとデスクがそれぞれ複数置かれた10畳近い空間。
 換気扇やエアコンは勿論、湿度を調整するウオークインヒュミドール用の加湿器も設置されている。
 大きく開いたドアからはベランダに出ることができるが、今は分厚い質素なデザインの遮光カーテンで遮られている。
 そのデスクの一角で萱野は椅子に座り、黙々と作業していた。
 図太く長いシルバーが美しい空薬莢を、さらに太く長く分厚い金属のシリンダーに落とし込み、リム側に雷管が詰め合わせ済みのプライミングチェンバーを差し込む。カチリと音がするまで合わせる。プライミングロッドを空薬莢に差し込んで雷管を押し込む。
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