チョコレート・ゴースト

 連中の射線上に寝転がった犠牲者の少女がいる。
 連中が反撃の発砲を放つたびに脊髄反射のように震える。本当に恐怖で震えているのだろう。
 顔をブレザーで隠してあるために表情は解らないが、何もみえない世界で、音だけで状況を解したらしく、立ち上がるよりこのまま横たわっていた方が安全だと判断したらしい。
 彼女が思ったより賢い頭脳と神経で助かる。
――――突き抜ける銃声……9mmパラベラムと違う。
――――9mmショートが2挺。
 スマートフォンの世界にダイブして集めた情報では1911……コルト社純正のコルト380ガバメントかコルト・380ムスタングしかヒットしない。
 今のご時勢、名門ブランドの拳銃であっても1万円もあれば型落ちや中古品が簡単に入手できる。
 尤も、入手は簡単だが弾薬や予備弾倉などの入手経路の確保で予想以上の金銭を絞り取られる仕組みだが……。
 自分に却っていうなれば、只同然で名門ワルサーのレア物と充分な弾薬を札束付きで入手した。
 この上なく恵まれている。
 里香がワルサーP38ゲシュタポに刻まれたあらゆる刻印やナンバーを調べた所によると、先の戦争中から製造され、銃後で反体制分子狩りに使われていた可能性が濃厚な曰く付きの凶銃だ。
 表面の仕上げには古臭さはなく、古武士然とした無口で無骨な印象すら受ける。
 9mmショートが次々と飛来。
 どんなに性能に開きがある拳銃でも、それが原因で銃弾本来の殺傷力が低下することは、まずない。
 ワルサーP38ゲシュタポから弾き出される空薬莢が床に落ちる音色は美しい、軽やか、清々しいというイメージしか抱かないのに、連中が殺意100%で放つ、合間に聞こえる空薬莢の囀りは実に不愉快。
 殺してやりたい理由がもう一つできた。「この世界にはワルサーP38ゲシュタポ以外の咆哮は必要ない」。
 頭を抱えるだけでなく、里香も反撃。
 同じく突き出たコンクリの柱に体を預け、手鏡を頼りにワルサーP38ゲシュタポで発砲。
 やや無理な体勢からの発砲。命中精度は低く、手首に掛かる負担が大きいが、獲物を膠着させるには充分だ。
 間隔が開く発砲を続ける。
 こちらの弾倉の残弾を悟られないように残弾が3発程度で弾倉を交換して間断ない発砲で連中を釘付けにする。
「!」
 コンクリートの柱の角が銃弾で削られる。
 削岩機で削ったように塵埃が舞う。
「!」
――――『来た!』
 連中の弾倉交換。
 弾倉の弾薬が切れる最小公倍数に近いだけの弾薬を消費させるつもりだったが、意外にも早くその機会は訪れた。
 連中が速射し過ぎで、弾倉が早々に同時に空になる。
 スライドが後退したまま停止する自分の拳銃を見て慌てて腕を引っ込めて弾倉交換に取り掛かる。
 これらを算段立てていた里香からみると、危険を犯し、弾薬を消費し、諦めなかった甲斐がある。
 自分の苦労が報われたが、それを最大限に活かすには発砲して射殺というごく単純な、しかし、快楽が伴う作業しかない。
 2人に牽制を込めた9mmを1発ずつ放つ。
 連中がさらに頭を引っ込め、恐怖が伝播して竦ませるのを目論む。
 駆ける。
 たった7mあまりの距離を全速力で駆ける。
 ワルサーP38ゲシュタポの弾倉には薬室を含めて7発の実包が詰まっている。
 距離が縮まる。あっという間に縮まる。廊下の中央を駆ける。連中の遮蔽の裏側に突き抜ける。
 急転。
 踵が廊下の板張りと擦れて摩擦熱で焦げ臭い匂いを立てる。
 里香の体が180度回転。
 体勢を維持。
 連中の慌てふためく背中が見える。
 2人とも振り返りざまに装填が終わった自動拳銃を出鱈目に翳す。
 だが、遅い。
 調子の悪い短機関銃が咳き込むのに似た速射。
 宙を舞う4個の空薬莢。
 コンクリの柱の陰で同時に銃声が轟いたが、9mmショートと思しき弾頭は標的たる里香を捉えることなく壁を穿つ。
「……」
 連中に被弾。
 いずれも頭部と頚部に致命的負傷。
 おまけのように肩や背中の射入孔。
 2mも離れていない距離からのバイタルゾーンへの被弾。
 今すぐ救急救命手術を開始しても助からない。
 9mmパラベラムによる人体の損壊率は全く知らない里香だが、この2人は絶対に助からないと確信した。頭部に被弾しても助かる例が報道されているが、それは幾重もの奇跡が降り注いだ結果で、実に稀なケースだから九死に一生として取り沙汰されるだけだ。
「……」
――――しぶといヤツ。
 開戦劈頭、後ろ腰を撃たれた少年は自由が利かなくなった下半身を上半身の筋肉と両腕だけで這い、現場から離れようとしている姿を見る。
 里香から4mほど離れた距離。迷わず止めを刺す。唇に薄く白く軽い微笑みを浮かべる。
 時間にして4分も経過していない。だが、早く離脱せねばならない。
 ちらりとレイプの被害者である少女の方をみる。
 彼女自身のブレザーで顔を覆われたまま、我関せずと全身で表現していた。
 鉄火場のど真ん中で気絶のフリができるとは殊勝な肝っ玉だ。
 目撃者が集まる前に遁走を計る。
 思いつきの、成り行きの、無理無茶無謀の末に起こした銃撃戦だ。
 今日中にこのフロアは警官と鑑識で埋め尽くされて生徒や教師も含む一般人は立ち入り禁止となるだろう。
 ドスの利いた造り声で、倒れる少女に顔を近付けて話し掛ける。
「気が付いてるだろ? すぐに逃げるな。気絶のフリをしていろ。今逃げたら面倒に巻き込まれるぞ。少し寝ているフリをしろ……パンツを穿いていない格好だと恥ずかしいだろうが我慢だ」
 里香の台詞の後半に反応した少女は顔を自分のブレザーで覆われたまま、抵抗の意思を見せる。
 半身を起こそうとする少女の腹部に、鋭く鈍く重い拳を叩き込んで気絶させる。人間を膂力で気絶させる芸当は初めてだ。これは今回だけのラッキーパンチだと思うことにした。


「……だろうね」
 校内の廊下で銃撃戦を展開したその翌日。
 通学する高校の保護者会を通じ、全校生徒に自宅待機のメールが配信される。
 また、治安上の問題から3日間の休校も通達される。
 それで大人しく自室に篭って自習に励む生徒は進学組だけだろう。
 進学を希望する生徒を全学年の割合でいえば全体の4分の1ほどしかいない。
 警察の捜査関係者が自宅に訪れたら、任意だろうが逮捕だろうが、直ぐさま、こめかみをワルサーP38ゲシュタポで撃ち抜くつもりだ。
 それで終えなければならないほどの人間を殺した。
 ……だというのに、この世の中を睥睨する自分は何者なのだ、とニヒルを気取る。
 世の中の全てがくだらない。
 何か面白いことはないか。
 自分に何ができる。
 欲しい物は何だ?
 理由のない破壊衝動の根源は?
 自分の内側から何かが引き裂いて出てくるモノの考慮すべきポイント。
 いずれも何も解らない。探求する心を持つ自分自身の右手には常に真っ赤に染まった黒いワルサーP38ゲシュタポが握られている。
 陽炎のように浮かび上がる瘴気が悪魔の笑顔を作る。
 真っ赤なワルサー……。
 血で染まった真っ赤なドイツ生まれの自動拳銃は口角を大きく吊り上げて嗤う。
「……うっ!」
 額に汗。ベッドに仰向け。いつもの天井。部屋着の自分。
 浅い転寝で夢をみていたらしい。
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