チョコレート・ゴースト
ここではコイツは殺してもいいが、そこでは殺しては駄目。やりたいから、殺す。殺したくないから、やる。二極論で片付けられない腑に落ちないモノの正体が解らないまま、授業が終わる。
放課後。
バスケをさっぱりと辞めた里香には感慨深くも未練がない時間帯。
放課後の教室や屋上などというのはフィクションと違って想像以上に融通が利かない場所だ。
早々に鍵をかけられ、何のイベントも発生しない、つまらない場所へと変貌する。
図書室でさえ、何らかの時間潰しや待ち合わせ場所に使われてしまうために、四角四面な勉強の虫が詰めいる空間でもない。
――――つまらない……。
いつから世界はこんなにつまらなく変わり果てたのか。
人通りの絶えた廊下に拵えられたトイレから、生徒であろう男女の情事の吐息が聞こえた時は随分と興奮し、里香も釣られて隣の個室で息を殺して自慰に励んだものだが、今ではその程度では性的興奮は沸き上がらない。
「……」
スクールバッグを左肩に掛けたまま、そぞろに歩く。
自称サバサバ系女子の里香としては、『その光景』を見てもいつも通り、何の興味も持たず――社会通念の観点からの感想は持つが――通り過ぎようと思った。
何処にでもあるイジメの現場が視界に『あるはず』だ。
目前2mの角を曲がれば、そこで行われるイジメの現場に簡単に遭遇できる。
角の向こうから聞こえる会話や鈍い打撃音からして、暴力に屈する弱者が複数から仕打ちを受けている……それは想像に難くない。
湧き上がる好奇心。
自分の膝下より低い位置から手鏡を差し出し、コーナーの向こうを視認。
その先は階段の踊り場下のブランクスペースだ。
――――へえ……。
路地裏で追い剥ぎの社会不適合者の集団に見せたものと同類の、壮絶に悪い笑顔。
4人の同級生――クラスも学科も違うため名前は知らない――が2年生の女子に暴行を働いている。
オブラートに包んだ表現ではなく、本当に暴行を働いているのだ。
1人が女子生徒を正常位で犯しつつあとの2人が脇腹や顔面に嗜虐な笑顔と卑下した笑い声で暴力を振るう。
残りの1人は銜え煙草で見下ろしながら、黒い回転式の短い銃身をした安っぽい拳銃――S&Wの影響を受けた密造スナブノーズ――を弄んでいる。
銃火器に対する浅い知識でもそれは38口径5連発だと判じられる。
口をガムテープで塞がれている女子生徒。
短時間での度重なる暴力に反抗する気力を折られたか、軽い脳震盪でも起こしたのか、抵抗を見せない。
――――コイツら、殺してもいいよね?
女の敵の粛清という表向きの大義名分を得た。
その上、最高とはいえなくとも程々によいロケーション。
敵と認識した勢力は4人。
その内の脅威は回転式拳銃を持つ1人だけ。
この拳銃をちらつかせて女生徒を脅した粗筋が簡単に想像できる。
校舎4階。最上階。西日の当たらない東棟東側の階段下裏。
日当りが悪くとも、光源に不足する時間帯ではない。
遠くで体育会系部員の掛け声や、屋外で練習する吹奏楽部やアカペラ部といった練習場所に乏しい文化系の部活も遠慮なく、屋外や1階の部室棟付近で部活に励んでいる
……事実上、このフロアに用がある生徒はいない。
雨天ならば体育会系が階段の駆け上がりで足腰を鍛えることもあるだろうが、本日は晴天なり。
小さな舌先でちろりと可憐に整った唇を舐めて湿らせる。
連中が一通り、無責任に被害者の中に自分の子種を吐き出して満足すると、さっさと身支度を整えて女子生徒に背中を向ける。
女子生徒は顔に痣を作ったまま虚ろな瞳で中空を瞳孔に映しているだけだった。
彼女の力なく横たわる体に精気らしい雰囲気は感じられない。
生きる屍同然。息をしているだけ。乱れた着衣。貌はオトコとして見るなら中の上といった容貌で少々魅力的。だが、彼女の身の上に興味はない。
興味があるのはいみじくも、むくつけき連中がこちらに背中をみせていることだ。
里香はボロ雑巾が放置されるのに似た犠牲者に、足音をできるだけ殺して近付き、脱ぎ散らかされたブレザーを拾って放心を続ける彼女の顔に無造作にかけてやる。
「……!」
「静かに。じっとしてな」
咄嗟に体が小さく跳ねる彼女の胸を優しく抑えて、台詞に反してドスの利いた作り声でそっと顔面を覆うブレザー越しに囁く。
里香の言葉を噛み分けたのか犠牲者の少女は再び脱力する。
ワルサーP38ゲシュタポ。
スクールバッグから抜きだしたそれは忌々しいくらいに輝いて見えた。
まるで人の生き血を啜る瞬間だけ生命が宿るような都合のいい凶銃だ……。
生き血を啜り、生命を吹き飛ばすためなら使い手すら道具として見下す、鼻持ちならぬ醜い輝きだ。
里香は低い姿勢から両手でワルサーP38ゲシュタポを保持。
初めて両手で保持しての7mからの狙撃。
片膝をついて右半身気味の構え。
直感的に小脇を締めて膝に右手の肘を固定したほうがよりよいと悟る。すぐに実行。
セフティカット。乾いた小さな作動音。薬室には既に装填済み。撃鉄を起こす。引き金が後退する。心地よい作動が掌に伝わる。照門照星越しに標的の背中を捉えている。
彼女が引き金に力学的作用を与える、最低限の作用……閾値は連中が向かう先の別の階段に差し掛かる前だった。
何者にも阻まれず何ごとも起きずに連中は階段へ進む。
――――あのラインを越えたら始まる。
里香の目には廊下にスタートラインでも浮かんで見えているのだろか。
1人がその『ライン』を越えてしまう。
引き金を引いてしまう。
発砲。廊下に轟く銃声。
空薬莢が硬い壁に当たり、すこぶる涼しい金属的な音を聴かせてくれる。
9mmパラベラムのフルメタルジャケットは、短銃身の回転式拳銃を携行している少年の僧帽筋のど真ん中に命中し、背後から不意に鐘搗きが命中したように前につんのめって、うつ伏せに倒れる。
射入孔からの出血により頭部辺りからの出血――口からの止め処もない吐血――により即死に近い状態に陥る。
勿論、里香はそんなコンマ何秒の世界を逐一確認して認識して次のチャプターを視認しているのではない。
彼女の凶銃は次の獲物に襲い掛かる。
階段に一番近い位置に近寄りつつあった男子生徒の背中を狙撃。
何故か腹が立つほどの、軽い引き金。
脳内で素直な弾道を描く9mmパラベラム。
命中。実際には腰辺りで即死には至らず、糸をプッツリと切られた人形のようにその場に崩れる。
豈図らんや。
残りの2人は既に行動に移っていた。
2人の犠牲者を出さなければ気がつ付かない愚鈍を嗤うのは間違いだ。
素人にしては素晴らしく素早く反応したほうだ。
豈図らんや。
2人はブレザーの左脇から――ホルスターではなく、内ポケットから――中型の自動拳銃を抜き出し、左右の遮蔽に展開する。
廊下の左右には等間隔で柱のスペースが突き出しており、これを拳銃弾で貫通させるのは見るからに無理だ。
安い輝きの拳銃。
だが密造銃とは思えない。
何れも撃鉄が滑らかに作動する。
1911のミニチュアを連想させるそれは9mmショートを用いると思われる。
何れも同型。この期に及んで逃げずに抜いたとあらば、それに応えねば無礼だと、彼女の論理が勝手に解釈。
放課後。
バスケをさっぱりと辞めた里香には感慨深くも未練がない時間帯。
放課後の教室や屋上などというのはフィクションと違って想像以上に融通が利かない場所だ。
早々に鍵をかけられ、何のイベントも発生しない、つまらない場所へと変貌する。
図書室でさえ、何らかの時間潰しや待ち合わせ場所に使われてしまうために、四角四面な勉強の虫が詰めいる空間でもない。
――――つまらない……。
いつから世界はこんなにつまらなく変わり果てたのか。
人通りの絶えた廊下に拵えられたトイレから、生徒であろう男女の情事の吐息が聞こえた時は随分と興奮し、里香も釣られて隣の個室で息を殺して自慰に励んだものだが、今ではその程度では性的興奮は沸き上がらない。
「……」
スクールバッグを左肩に掛けたまま、そぞろに歩く。
自称サバサバ系女子の里香としては、『その光景』を見てもいつも通り、何の興味も持たず――社会通念の観点からの感想は持つが――通り過ぎようと思った。
何処にでもあるイジメの現場が視界に『あるはず』だ。
目前2mの角を曲がれば、そこで行われるイジメの現場に簡単に遭遇できる。
角の向こうから聞こえる会話や鈍い打撃音からして、暴力に屈する弱者が複数から仕打ちを受けている……それは想像に難くない。
湧き上がる好奇心。
自分の膝下より低い位置から手鏡を差し出し、コーナーの向こうを視認。
その先は階段の踊り場下のブランクスペースだ。
――――へえ……。
路地裏で追い剥ぎの社会不適合者の集団に見せたものと同類の、壮絶に悪い笑顔。
4人の同級生――クラスも学科も違うため名前は知らない――が2年生の女子に暴行を働いている。
オブラートに包んだ表現ではなく、本当に暴行を働いているのだ。
1人が女子生徒を正常位で犯しつつあとの2人が脇腹や顔面に嗜虐な笑顔と卑下した笑い声で暴力を振るう。
残りの1人は銜え煙草で見下ろしながら、黒い回転式の短い銃身をした安っぽい拳銃――S&Wの影響を受けた密造スナブノーズ――を弄んでいる。
銃火器に対する浅い知識でもそれは38口径5連発だと判じられる。
口をガムテープで塞がれている女子生徒。
短時間での度重なる暴力に反抗する気力を折られたか、軽い脳震盪でも起こしたのか、抵抗を見せない。
――――コイツら、殺してもいいよね?
女の敵の粛清という表向きの大義名分を得た。
その上、最高とはいえなくとも程々によいロケーション。
敵と認識した勢力は4人。
その内の脅威は回転式拳銃を持つ1人だけ。
この拳銃をちらつかせて女生徒を脅した粗筋が簡単に想像できる。
校舎4階。最上階。西日の当たらない東棟東側の階段下裏。
日当りが悪くとも、光源に不足する時間帯ではない。
遠くで体育会系部員の掛け声や、屋外で練習する吹奏楽部やアカペラ部といった練習場所に乏しい文化系の部活も遠慮なく、屋外や1階の部室棟付近で部活に励んでいる
……事実上、このフロアに用がある生徒はいない。
雨天ならば体育会系が階段の駆け上がりで足腰を鍛えることもあるだろうが、本日は晴天なり。
小さな舌先でちろりと可憐に整った唇を舐めて湿らせる。
連中が一通り、無責任に被害者の中に自分の子種を吐き出して満足すると、さっさと身支度を整えて女子生徒に背中を向ける。
女子生徒は顔に痣を作ったまま虚ろな瞳で中空を瞳孔に映しているだけだった。
彼女の力なく横たわる体に精気らしい雰囲気は感じられない。
生きる屍同然。息をしているだけ。乱れた着衣。貌はオトコとして見るなら中の上といった容貌で少々魅力的。だが、彼女の身の上に興味はない。
興味があるのはいみじくも、むくつけき連中がこちらに背中をみせていることだ。
里香はボロ雑巾が放置されるのに似た犠牲者に、足音をできるだけ殺して近付き、脱ぎ散らかされたブレザーを拾って放心を続ける彼女の顔に無造作にかけてやる。
「……!」
「静かに。じっとしてな」
咄嗟に体が小さく跳ねる彼女の胸を優しく抑えて、台詞に反してドスの利いた作り声でそっと顔面を覆うブレザー越しに囁く。
里香の言葉を噛み分けたのか犠牲者の少女は再び脱力する。
ワルサーP38ゲシュタポ。
スクールバッグから抜きだしたそれは忌々しいくらいに輝いて見えた。
まるで人の生き血を啜る瞬間だけ生命が宿るような都合のいい凶銃だ……。
生き血を啜り、生命を吹き飛ばすためなら使い手すら道具として見下す、鼻持ちならぬ醜い輝きだ。
里香は低い姿勢から両手でワルサーP38ゲシュタポを保持。
初めて両手で保持しての7mからの狙撃。
片膝をついて右半身気味の構え。
直感的に小脇を締めて膝に右手の肘を固定したほうがよりよいと悟る。すぐに実行。
セフティカット。乾いた小さな作動音。薬室には既に装填済み。撃鉄を起こす。引き金が後退する。心地よい作動が掌に伝わる。照門照星越しに標的の背中を捉えている。
彼女が引き金に力学的作用を与える、最低限の作用……閾値は連中が向かう先の別の階段に差し掛かる前だった。
何者にも阻まれず何ごとも起きずに連中は階段へ進む。
――――あのラインを越えたら始まる。
里香の目には廊下にスタートラインでも浮かんで見えているのだろか。
1人がその『ライン』を越えてしまう。
引き金を引いてしまう。
発砲。廊下に轟く銃声。
空薬莢が硬い壁に当たり、すこぶる涼しい金属的な音を聴かせてくれる。
9mmパラベラムのフルメタルジャケットは、短銃身の回転式拳銃を携行している少年の僧帽筋のど真ん中に命中し、背後から不意に鐘搗きが命中したように前につんのめって、うつ伏せに倒れる。
射入孔からの出血により頭部辺りからの出血――口からの止め処もない吐血――により即死に近い状態に陥る。
勿論、里香はそんなコンマ何秒の世界を逐一確認して認識して次のチャプターを視認しているのではない。
彼女の凶銃は次の獲物に襲い掛かる。
階段に一番近い位置に近寄りつつあった男子生徒の背中を狙撃。
何故か腹が立つほどの、軽い引き金。
脳内で素直な弾道を描く9mmパラベラム。
命中。実際には腰辺りで即死には至らず、糸をプッツリと切られた人形のようにその場に崩れる。
豈図らんや。
残りの2人は既に行動に移っていた。
2人の犠牲者を出さなければ気がつ付かない愚鈍を嗤うのは間違いだ。
素人にしては素晴らしく素早く反応したほうだ。
豈図らんや。
2人はブレザーの左脇から――ホルスターではなく、内ポケットから――中型の自動拳銃を抜き出し、左右の遮蔽に展開する。
廊下の左右には等間隔で柱のスペースが突き出しており、これを拳銃弾で貫通させるのは見るからに無理だ。
安い輝きの拳銃。
だが密造銃とは思えない。
何れも撃鉄が滑らかに作動する。
1911のミニチュアを連想させるそれは9mmショートを用いると思われる。
何れも同型。この期に及んで逃げずに抜いたとあらば、それに応えねば無礼だと、彼女の論理が勝手に解釈。