Attack the incident

 少なくとも1人は仕留めた。怪鳥のような悲鳴や呻き声は1人以上だ。
 視界の先は、倒れた被害者の体で見通しが悪くなるので立ち上がり、混乱に乗じて5mほど前進。
――――!
 視界の端に捉えた被害者の数。
 3人。たった1発の発砲で、32口径の軽い弾頭で、お世辞にも精密精緻とはいえない狙撃で、3人を仕留めた。
 いずれも足首を打ち抜かれたか深く掠っただけだが、3人も行動不能にさせることができたのは僥倖。
 グリム童話の『一打ち七匹』が何となく脳裏を過ぎったが、最終的に王様になれる器ではないので自嘲した。
 たかが、片足を負傷しただけでよくもこれだけ喚くことができるものだ、と感心していたら年齢層が湊音と同じかそれ以下の若年層で構成された、普通の風体をした少年少女だった。
 素人がなぜ故鉄火場に飛び込む?
 敵の首魁は誰だ?
 ハジキの出処はどこだ?
 様々な疑問が湧く。
 疑問を吟味している暇はなくとも、気になってしまうものは仕方がない。
 弾倉1本を使い果たすつもりで一気呵成の発砲で弾幕を張る。
 早めの一拍間隔での発砲。反撃の銃弾が飛来するが遮蔽としている室外機に掠る銃弾は皆無。
 地面で片足を押さえながらのたうつ被害者を放り出したまま、戦線が崩れる。
 弾倉1本分の火力で、たった8発の32口径で密集する敵勢力は押し返される。
 声や気配からして10人近くはいたはずだが、脆くも戦闘群をなさなくなる。
 正面の辻の左右に数人ずつ分かれて拳銃を構えていた少年少女は我先にと、遁走を図る。
 指弾ほどの速さで空弾倉を交換する。
 空弾倉を尻ポケットに差し込みながらワリサーPPを片手で保持。銃口を左右に振る。
 若年層の集団の残っていた連中も銃口に睨まれた順に拳銃を放り出して逃げ出す。
 目前は呆気なくクリア。
「……終わった? ……かな」
 ワルサーPPの銃口を空に向けてセフティを掛けようとした瞬間、湊音の体は見事に半回転して、右腕を一杯に伸ばして仰け反り気味の不自然なモーションでワルサーPPを発砲した。さながら、無様なバレエ。
 銃声。同時に、湊音の前髪を掠る銃弾。
 重なった銃声。
 飛来した銃弾は惜しくも湊音を外し、虚しく夜陰の奥に吸い込まれる。
 湊音の放った32口径は的確に背後に忍び寄っていた増援の尖兵を仕留めた。
「……」
 湊音は胸部に被弾した少年がスローモーションで倒れる姿を網膜に投影する。
 背後からの増援。
 連中は絶好の奇襲のタイミングが悟られて出鼻を挫かれる。
 倒れた少年の後ろから、続けて走り込んできた少年たちは、急ブレーキをかけてそれまで潜んでいた遮蔽の角に戻ろうとする。
 進むベクトルの急転換でつまづきそうな足取りの少年たちの尖兵――視界に入るだけで合計4人――を射的のように一定のリズムで引き金を引いて一人1発ずつの32口径で仕留める。
 死には到らないだろう。いずれも腹部に被弾している。応急処置が適切であれば闇医者に担ぎ込めば問題なく生き延びることができる。
 尤も、死ぬほどの激痛でしばらくは呼吸もままならないだろうが。
 挟撃にもならず、奇襲にもならず、その少年たちは無残に敗退。
 その背後に控えていた戦力も我先に遁走する。
 角の向こうはみえてはいないが、慌ただしい足音と貧困な語彙の罵声が飛び交う様で理解した。
 その混乱に有り難く便乗し、路地を先に走る。
 ワルサーPPに新しい弾倉を叩き込んで、4発の残弾がある、抜いた弾倉を尻ポケットに差し込む。
 路地を抜けて繁華街の雑踏に出る。
 左腋に右手を差し込んだままだと不自然なので、すぐ近くにあったテナントビルに駆け込んで、ビル内部のトイレに入り、空の弾倉や使い差しの弾倉に補弾する。……そして左脇のホルスターにワルサーPPを挿し込む。
 そのビルの裏手口から出る。
 愛車の原付を駐車してある駐輪場まで足早に歩く。背後を幾度となく視線を向けて警戒するが、追跡されている様子はない。
 原付に乗ってからも自宅に戻るまで、大きく迂回しながら尾行をチェックしたが、サイドミラーに不審な影は映っていなかったので安堵した。


 晩飯の豚骨ラーメンを盛大に吐き戻した夜から2日目。
 自宅に戻って拳銃を手元に不寝番のごとく、睡魔と戦いながら引き篭っていた。全く異常はない。
 朝刊も夕刊も普通に届く。携帯電話に不審な着信は一切ない。
 壁に凭れ、カーテンを締めて頭から毛布を被って、両方の手元にワルサーPPを置いていたが、物音に驚いてグリップを握る以外に出番はない。
 何もかも拍子抜け。
 矢張り、どこかの誰かの仕事上の逆恨みだったのか?
 逆恨み……嫌がらせに近い。それも末端の構成員と思われる戦力を簡単にぶつけてくるだけの『チカラ』がある奴。
 いつものこととはいえ、どこかの誰かの逆恨みであっても、この緊張と、疲労と、眠気と、空腹が継続する時間はいつになっても慣れない。
 2日前の夜に、足首を負傷させた少年たちを恫喝すれば有用な情報が引き出せたかも知れない。
 そう思うと今でも頭を抱えて自分の馬鹿さ加減を呪う。
「……あー……」
――――やっぱり……嫌がらせか?
 腹の虫も五月蝿い。眠い。筋肉が強ばる。
 腕時計をみると午後6時を経過していた。
 2日ぶりに腹にガツンとくる脂と塩分が効いた肉が食べたい。
 想像しただけで涎がダラダラと湧き出る。……しかしながら、外食に頼る湊音が、自炊が得意なわけはなく、狭いキッチンの棚を漁って、レトルトカレーと電子レンジ温めるだけの白飯を取り出す。
「……」
 後ろ腰にワルサーPPを1梃、差し込んで加熱という名の調理にかかる。
 そんなときだ。ふと昔を思い出す。
 家庭が崩壊する前の、10歳頃の記憶だ。
 祖母の言葉だったか?
「旨いモンを食べるのに一手間を惜しんじゃイカン」
 別段、心に響く一言ではなかったが、極々たまに、この一言が急に思い出されて、エサ同然の食事にささやかな華を添える方法を考える。
 こんなに腹が減って、眠くて、面倒臭くて、怠いのに何をやっているのだろうと思いつつも体がキッチンを右往左往する。
 白いカレー皿を煮沸の要領で鍋で温める。
 温まった白飯にシャモジを差し込んでご飯粒を潰さない力で優しく大きく攪拌する。
 温めた辛口のレトルトカレーに小さじ半分の醤油を垂らし、再び温める。今度は湯煎で温める。レトルトカレーと醤油が絡んでむらができないように混ざるまで続ける。
 熱い皿にふっくらとした加工白飯を盛り付けて、湯煎で熱を保っていたレトルトカレーを静かに流し込む。
 仕上げに生卵を1個、白飯とルーの間に落とす。卵は焼いても茹でても高カロリーでたんぱく質が摂取できる上に、そこそこ美味いので常備している。
 何もかもが熱い皿の上で、カレーと白飯の上で、生卵の透明な部分の縁側からうっすらと白身を帯びてくる。……実に艶やかな眺め。
 スパイスが際立っている……と思われるカレーの香りに白飯の扇情。
 折り畳みテーブルを展開していなかった愚かさに気がつくがもう遅い。
 湊音の食欲に理性的な堰は決壊し、温めておいたカレースプーンを掴むと、部屋の真ん中で胡座を書いて座り込み、猛然と掻っ込む。
 卵の黄身に肉欲的美しさを堪能していたのは0.5秒ほどだった。
 カレースプーンを大胆にも温かくなり始めた黄身に差し込んで割ると、白身を絡めながらカレールーを掬い白飯を乗せてから大きな口でそれを包み込む。
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