Attack the incident

 いずれも湊音と変わらぬ年齢の男女5人の編成だった。
 若年層。男3人女2人。
 当代風に傾いた衣服ではなかったが、揃って上着を羽織っていることから、懐に得物を呑んでいるとみておいた方がいいだろう。
 連中は、走りながら左内ポケットや右のハンドウォームを押さえている辺りを鑑みるに、ホルスターすら所持していない社会不適合者らしい。
 目的はなんであれ、風雲急を告げる展開。
 「ラーメン屋を出ると殺されかけています」……と、いう状況だ。
 人影と視線が合ったらしいと思ったら、突然そいつが陰から出てきて、人込みの中を構わずに真っ直ぐ湊音に向かってきた。
 熱烈な告白とは思えない。
 返した視線の端々からバラバラと現われる、敵意を持った視線。そして走る。
 僅かばかりに直感がなまくらであれば、背後に回られてナイフで一刺しされてお終いであった可能性がある。
 「何かが違う気配」を無意識に感じ取ることがなければその日に限って視線を左右に走らせることがなかっただろう。
 そして視界に入った不審な連中を「不審」だと認識しなかっただろう。
 走る。走っている。
 たらふく食べた後のランニングは強烈な吐き気と腹痛を引き起こす。胃袋に鉛玉をブチ込まれなくとも、ボディブロー一発で胃袋の中身どころか、臓腑の全てを吐き出して悶絶死しそうだ。否、するだろう。
 人の波に逆らう走り方。
 道行く人間が障害物。肩が当たろうが、胸に飛び込もうが、足を踏もうが、そのたびに罵倒されようが、お構いなしに走る。
 この界隈は縄張りではなかったが、全く知らぬ街でもなかった。
 路地裏に入り込み一息吐く。堪えきれずに胃袋の中身を盛大に戻す。850円のディナーが地面に産み落とされて異臭を放つ。トッピングの煮玉子やチャーシューの切れっ端を睨みながら、黄色い胃液が出るまで嘔吐する。
 左右の重心バランスが取れていない足取りで路地の奥へと進む。
 口の端の胃液をポケットティッシュで拭う。
 自販機は見当たるべくもないが、ホースが差されていない水道栓があったので有り難くその水で口内をゆすぐ。
 荒い息のまま、胃部不快感に悩まされながら、聴覚と視覚を奮わせて情報を集める。
「……うっぷ……」
 何度か吐き気の残りに襲われる。
 胃液すら出ずにキリキリと胃部が痛むだけ。
 いつの間にかシガリロは口から離れて落としてしまったらしい。
 あらゆる不快を堪えながらジャンパーのジッパーを降ろす。
 左脇の安心できる重量感を確認。
 左脇に右手を差し込んだまま、裏路地を走る。やや覚束ない足取りだが、吐き戻すものがなくなったので少し楽になった。
 このまま路地裏伝いに繁華街から離れ、いくつかの廃屋や廃ビルを転々として遁走に励む……つもりだったが、その目論見は早くも破られる。
 軽い銃声。恐らく9mmショート以下の口径を用いた短い銃身の自動拳銃だろう。
 鼓膜を劈くと謂うより耳障りで小癪な発砲音。
 左手を突いていた左側面のビルの壁が銃弾に削られる。
 コンクリの灰塵に思わず咳き込む。
 遮蔽は幸いにも多い。
 空調の室外機やダクトパイプ、放置された原付バイクなど。さらに曲がり角も多いので辻の角をそのまま遮蔽として使うことができる。
 馬鹿正直に銃撃戦を展開してやる義理はない。
 逃げられる機会があるのなら遠慮なく逃げる。
 この辺りの裏路地はサナアの旧市街地さながらに複雑怪奇なくせに行き止まりも多いので下手に逃げ込めない。
 人目が絶えるのを確認するや否やの銃撃。断続的な発砲。飛来する弾頭。すかさず飛び込んだ背丈ほどもある室外機の陰から戦力を伺う。
――――火力が分散してない。
――――お互いをカバーしていない。
――――5人とも団子状態。
――――この街に詳しくない? 遮蔽を活かしていない。
 スラリと抜いたワルサーPPのスライドを、必要な握力と筋力で必要なだけ引き絞り、ゆっくりとスライドを戻す。
 スライドやコッキングレバーとは案外脆い……脆いパーツと連動しているだけに映画やドラマのように、派手な音を立てて勢いよく引いてパッと手を離し、それらを前進させると銃本体に予想以上の負荷をかけてしまうので危険だ。
 ポケットから取り出した単三電池ほどの大きさのLEDライトで、照門と照星を照射する。
 そこに刻み込んだ蛍光の白色ドットに蓄光させるためだ。
 とばりが降りて間もない時間帯。
 これから先の時間に、『否定的な銃撃戦』を展開するにあたって、視野や視覚や視認の確保は最優先の問題だ。
 グリップパネルに超小型タクティカルライトやレーザーサイトをマウントするアイデア商品のグリップパネルをネットの動画でみたことがあるが、強ちジョークグッズとして笑い飛ばすには尚早なアイテムに思える。正直、欲しい。
 彼我の距離20m。湊音が「働き者」であれば問題のない距離だ。
 こちらの拳銃は1梃。
 それで戦力が低下する湊音ではない。
 状況に応じて2梃拳銃を選択するだけであって、伊達や酔狂で両手を酷使しているのではない。
 従って、彼女のワルサーPPは『実にいい仕事』をする。
 ビルと室外機の隙間からおっかなびっくりに顔を出し入れしている少女のコメカミを32口径の軽い弾頭で弾き飛ばす。
 彼女の首は脛骨が外れたのか、不自然な方向に折れながら左コメカミから少量の血液を吹き出し、その場に倒れる。左眼の眼窩ら眼球が被弾による異常な圧力で飛び出した。
 猛然と始まる銃声の大合唱。雑多な銃声。
 大口径のマグナムリボルバーや大型軍用拳銃はその中に見出すことはできない。
 まともに照準を合わせる気があるのかどうか怪しい発砲。
 吼え猛るだけの無為な発砲。
 決して無料ではない、安くはない、軽々しくない実包が無為に、無用に、無駄に、吐き出されて尽く、遮蔽物としている室外機の表面にめり込んで無力化される。
 マメ弾があたかも、大粒の雹がガルバリウム合金の屋根を叩くのに似た音を立て、湊音に有効打を届かせなかった。
 銃声の散発的な間隔がだんだん大きくなる。
 トリガーハッピーでも引き起こしたか? ……トリガーハッピーとは『発砲している間だけは安全が確保されている』と錯覚して錯乱する状態だといわれているが、敵や状況がみえないケースでのトリガーハッピーは銃声に酔っている場合が多い。
 銃声が轟き、手に腕に体に反動が伝わっている間はその音と体を伝達する衝撃に酔い痴れてしまい、乱射を繰り返す。
 トリガーハッピー気味な連中が相手で、割と簡単に難を逃れそうだと安堵する。
 光源に乏しい路地で連中はワルサーPPの32口径が放たれた辺りを集中して狙っているつもりらしく、暗所暗部を縫うように移動した湊音に気が付いていない。
 今の湊音の背後には路地の角が有るが、この角を進んでも行き止まりだ。
 敵戦力を削りながらの後退をすることに決めた。
 ワルサーPPの銃口がパッパッと瞬く。
 馬が駆けるのに似たシャープな発砲音。重苦しさや鋭角すぎる銃声ではない。いつもの安心できる、任せられる、手応えを約束してくれる発砲音であり反動であった。
 20m向こうで一番、身を乗り出していた少年と思しきシルエットの左胸に2発命中する。軽そうな彼の体は右足を軸に左回転しながら地面に突っ伏す。
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