Attack the incident

「!……」
 顔を青褪めたまま目を白黒させている、表情が忙しない男が一人。橋田雅朋だ。
 その狼狽ぶりは致し方がない。
 何しろ、襲撃者は「飛び蹴りで破壊したドアをサーフィンの要領で制御しつつ、室内の応接セットを薙ぎ払いながら飛び込んできて」、二つの銃口をピタリとこちらに向けている。
 橋田の右手にはスライドが後退したままの1911。
 スライドの刻印からしてスプリングフィールド・アーモリーのガバクローンだろう。その銃口から発せられる45口径の威力は変わらない。 命中精度はやや変わるだろうが、それは射手の腕前でカバーできる。残念なのは、その1911のスライドが後退しており、戦闘時のロスを完全に突いた状態だったことだ。
「う、撃つな!」
 34歳とは思えない老け顔で、痩躯の男は咄嗟に口から、魂の叫びを在りきたりの言葉で表現した。
 狭い室内をドア板でサーフィンの如く滑るアクションを堪能したばかりのバラクラバの人物は、黒い被りものの下で呼吸を整えながら眉目を緩めて失笑の視線を投げる。
 銃口の先4m。彼我の距離4m。標的まで4m。
 一拍ほどの呼吸。
 1秒にも満たない時間。長く感じる時間。
 湊音が男の荒くれた人生を値踏みするのに必要な時間でもあった。
 勿論のこと、同情や温情を感じることはなく、引き金を引くだけなのだ。その前に一言。
「もっとヤクザらしく、金なら幾らでもくれてやるー、くらい喋れよ」
 バラクラバの人物が女だと解った橋田雅朋は呼吸を詰まらせたのを見た。そして、腹部に2発――『素人の右手』によるもの――と右眼窩に1発――『プロの左手』によるもの――を抵抗するまもなく受け、絶命に近い状態に陥る。
 狭い室内の銃撃戦で劈かれそうな鼓膜が、終劇を知らせる空薬莢が、壁に当たるのを聞き取る。
――――さて……。
 『素人の右手』が閃いて右手側の強化ガラスを叩き割る。
 割れた小さなガラス片が地面のコンクリに叩きつけられ。こまかな耳障りな音。それを聞くと、大きな罅が入った窓ガラスを体当たりで叩き割る。
 着衣のブルゾンの脇に得物のワルサーPPを滑り込ませ、両手を自由にさせる。隣のテナントビルの非常階段の手摺を蹴り、落下速度を緩める。
 発生した反動で組事務所の入るビルの雨樋を更に蹴る。
 更に減速される落下速度。
 これを3往復繰り返して、ビル同士の間にある路地より狭い境界に降り立ち最奥へ向かう。
 この先は路地裏が入り組む迷路同然のメンテナンス用の通路だ。
 背後でパトカーや救急車が駆けつけ、増援にきた組員と悶着を起こしている騒ぎが聞こえる。
 それもすぐに聞こえなくなる。騒ぎが収まったのではなく、夜陰と地の利を活かして素早く遠くへ逃げ果せただけだ。
 故に早い段階で騒然とする組事務所から離脱できた。
 制限時間2分20秒。
 腕時計に巻いた腕時計のストップウオッチは2分きっかりを経過していた。
 そのまま表通りに出ずに、裏路地伝いに繁華街を離れ、逃走用に駐車してあった軽四のワゴンに乗り込んだ。
 復旧しつつある停電と混乱。
 僅かなエアポケットをこじ開けて強行した『カチコミに見せかけた暗殺』。
 警察組織が全力を挙げて捜査してもアシがつかないような精密精緻で精査された精巧この上ない計画ではない……。
 ……そのようにみせかけることができれば成功だ。
 白い軽四ワゴンのキーを捻る前にバラクラバを脱ぐ。
 バラクラバの後ろ首の襟には焦げ茶色のドレッドヘアのウイッグが縫い付けられている。首周りに巻いていたネックウォーマーも外す。
「……ぷふー」
 バラクラバの生地を介さない、鼻と口での新鮮な冷たい空気を貪る。 安堵が押し寄せる。
 暗がりの中に停車させた軽四ワゴンの中で、まとっていた衣服を素早く脱ぎ去る。
 頭陀袋に脱いだ衣服を詰め込む。フィンガーレスグラブもそこへ放り込む。指先の指紋はプラモデル用の接着剤を塗って指紋を残り難くさせてある。
 偽装を脱ぎ去った湊音は、助手席に用意していたボストンバッグを開け、スタジアムジャンパーを中心としたいつものファッションで身を包む。
 得物のワルサーPPは安全装置をかけたまま終始、後ろ腰の辺りに差し込んでいた。
 ニコチンの渇望が爆発的に膨れ上がる。
 アドレナリンが落ち着き始めたのだ。
 念願の一服を愉しむ一時を歯を食い縛って堪える。ようやくキーを捻って、黙っているだけのエンジンに火を入れた。


 警察組織が全力を挙げて捜査してもアシがつかないような、精密精緻で精査された精巧この上ない計画ではない。
 そのようにみせかけることができれば成功だ。
 ……厳密にいえば、ライフリングだけが銃火器特定の重大な証拠ではない。
 空薬莢を排莢する際のエジェクターが掻き出すときに空薬莢のリムを引っ掻くが、この痕跡も証拠の一つとなり得る。
 日本の警察が本腰を入れれば、この程度の犯罪はあっという間に検挙できるだろう。
 ……現況を鑑みるに、このような日常化した銃火器犯罪を一つ一つ取り上げて捜査本部を立ち上げていてはキリがない。
 時間も人員も足りない。それにヤクザ絡みの事件ともなると触れたくない、触れられたくない、
 触れられると困ると、敬遠したり煙たがったりする警官も多い。
 中にはヤクザと蜜月の関係にある警官も存在し、そのような警官は大概、立派な椅子に座ってふんぞり返っているキャリアで権力も申し分なく備えている。
 一定以上深く捜査が進めば圧力をかける図式が自然と成り立つ。
 残念ながら日本の治安機構も時代の移ろいとともに腐敗しつつある。
 恋野湊音のようなバッタ屋はそんな司直の手の隙間を縫う、ある意味、ニッチな三次産業だった。


「……」
――――臭ぇなぁ。
 イヤーカフを嵌める湊音。
 眉間に不機嫌な皺を寄せる。
 立っている場所が直下型地震さながらにガタンと揺れていつものスタジアムジャンパーの肩に、埃を吸い込んだ土が落ちて脆く砕ける。
 ここは街中のシューティングレンジ。
 勿論、非合法。
 地下の廃棄された大型下水道の直線部分を勝手に土嚢で埋め、40mのシューティングレンジを拵えている。
 真上は一般道。過積載の大型トラックが通過するたびにこの窖全体が大きく震える。
 加えて換気が悪く、悪臭が立ち込めて黴臭く湿度も高い。
 硝煙の逃がし場所が足りないために、この下水道に通じるマンホール付近には浮浪者や日雇いの万事屋を雇い、たむろさせて人を除けている。
 一般人が寄り付かない間は、マンホールは開けっ放しだ。
 その手作り感溢れるシューティングレンジで湊音は新しく取り寄せたバレルを嵌め込んだワルサーPPのサイティングの最中だ。
 3人並べば満員御礼のシューティングレンジで、天井に無許可で打ち込まれた蛍光灯の電源は地上の発電機から引いている。
 3人のキャパシティを誇るシューティングレンジだが、ブースの板すら省略されて、代わりに目の細かい金網が張られている。
 左隣の射手の空薬莢は防げるが、時折飛び散る火薬滓の塊が左顔面に衝突してその度に顔を露骨にしかめる。
 40m先のブルズアイ。典型的ターゲットペーパー。どんなに穴だらけになろうと15分に1回しか「取り替えてくれない」。
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