Attack the incident
「!」
呼吸が止まる錯覚。
目前を白刃が掠って肝を冷やされる。
曲がり角からの小太刀か脇差による反撃。
角を曲がるべく小脇を緩く締めて、手首を引いた状態で前進していなければ、両手首はその裂帛の気合が篭った一閃で切り落とされていただろう。
左角からの襲撃。
『プロの左手』は素早く反応してさらに脇に深く引き込み、『素人の右手』が散発的な弾幕を張る。
たった3発の牽制。そのいずれもが、至近距離が故に襲撃者の腹部に命中する。32口径の弾頭重量は4.8g。フィヨッキ社製のフルメタルジャケットで初速毎秒290mを誇る。
音速には及ばないが、その銃口から撃ち出される4.8gの金属は196ジュールの初活力を発揮する。
1発では心許ないマメ弾であっても腹部に3発、命中した程度では興奮状態にある成人男性の突進力を相殺させることはできない。
しかし、反撃不可能に陥らせるには充分だった。
その短い日本刀を持った男はヘソを中心に体を折り畳みナイフのように折って前のめりに倒れこむ。
空かさず、『プロの左手』が右脇に奥深く滑り込んで背後に向かって発砲。
湊音の背後で金属バットを振り上げようとしていた二十前後のジャージ姿の青年に熱いマメ弾をめり込ませる。
鳩尾を32口径で穿かれた彼は金属バットを手放し、膝から崩れ落ちた。小さく震えているが死の痙攣ではない。激痛で発声も呼吸もできない。
直線距離にして5m以下の戦闘区域では停止力に不安のある32口径でも充分に威力を発揮する。
散発的。盲撃ち。反撃。応戦。排撃。
組事務所にたむろする組員は条件反射的に、拳銃や近接武器を携えて駆けつけるだけだ。
少し反応の早い組員は必ず存在する。増援の連絡もしているはずだ。2分20秒のエアポケットと謂えど、きっかりとその時間を使えるはずがない。
早ければ早いほどいい。
だが、プロの犯行にみせてはいけない。
理想の理想は全員の命を吹き消して、目撃者や証言者を残さないことだ。
『プロの足跡を残してはいけない』。このカチコミが『暗殺』だと悟られては元も子もない。
橋田雅朋なる標的を仕留めるまでに行うプロセスは、目撃者は殺して湊音の姿を確認していない者は生かしておくことに尽きる。
発砲。襲い来る銃弾。襲われる湊音。
硝煙が渦巻き、独特の臭いが、独特の呻きが、独特の修羅場が極狭の空間に形成される。
脳裏に投影される橋田雅朋が居座る部屋へのルート。
3階建ての建物がこんなにも広い。広く感じる。広く感じるルートを選んでいるのだから当たり前だ。
湊音の要件は2階部分の奥まった部屋にある。
3階からは『援軍は来ないことになっている』。
クライアントがこの日だけは常駐する主要幹部に『襲撃の手筈』を密告しておき、『たまたま、常駐幹部は不在で一時的に責任者代理にあてがわれた橋田雅朋が不幸にもカチコミの巻き添えで死んでしまう』という筋書きを伝えられていた。
従って、橋田雅朋を護衛する組員も、盃を交わしていない者か、盃を交わして日の浅い、価値の低い組員しかいない。
このようなときのために飼われていたといっても過言ではない。いつ切り捨てても惜しくない構成員。ヤクザの世界も想像以上に厳しいものがある。
安っぽい回転式の、安っぽい発砲音。
雑多な自動式の、雑多な銃声。
怒声と罵声。随分と頼りない鉄血。
2階の踊り場を駆け上がる最中に、2階から自動拳銃の洗礼を浴びた。
衣服の端に擦過を感じる。痛みは感じない。恐怖と興奮が入り混じって脳内麻薬が一層、分泌される。
機械仕掛けの玩具のように『プロの左手』が反応して、階段を上りきった場所にある角に本当の殺意を込めた一発を放つ。
聞き慣れた32口径の銃声がいつもと違う重みを帯びていた。
「ちっ……」
気合が乗ったから必ず命中するというのは精神論の根幹だ。
残念ながら、『プロの左手』が放った32口径はコンクリの壁を削っただけで終わる。
湊音に銃撃した人物は踵を返してさらに奥の部屋へと遁走する。
「待て!」
叫んだのは湊音ではない。
階下から4インチ銃身の回転式を携えた20代の男だった。
視線は湊音を向いているが銃口の向きと一致していない。
躊躇わず、『素人の右手』が右肩に1発と下腹部に2発を叩き込んで黙らせる。
この組事務所を襲撃して何人を殺したか?
この組事務所を襲撃して何分何秒経過したか?
この組事務所を襲撃して何度、命を断ち切られそうになったか?
……そのよう冷静に考えようとする自分と、目下の標的だけを狙えと確執する自分が存在する。
この高揚感。
このスリル。
この酩酊。
下腹部に熱い滾りすら感じる。
反して、背中を幾度となく走る冷たいもの。
バラクラバ越しの呼吸が辛い。過呼吸に似た息苦しさも感じる。
標的に追撃。走る。駆ける。飛ぶ。翔る。
目前のドアの向こうに逃げ込むシルエットが添付画像にあった橋田雅朋のシルエットと補正されて重なる。
背後からも前方からも応戦はない。
分厚いベニヤ板を合板にして貼り付けて塗装しただけのマホガニーのドア一枚向こうに標的がいる。
「!」
ドアの向こうからの発砲だろう。
自分の盾となるはずのドアの室内側からくぐもった発泡音が聞こえて、ドアに銃痕を穿つ。
銃弾は性質上、硬い物体に命中すれば砕け散るか、マッシュルーミングを起こすか、貫通しても直進せずに威力を削がれて明後日の方向に弾道を変える。
エネルギーの強いライフル弾ならこの限りではないし、比較の対象もスケールが違う。
閉じられたドアを貫通した盲撃ちに等しい銃弾は運が尽きない限り致命傷を負わせる効果は期待できない。
今し方も45口径と思しき弾頭が湊音の右胸に命中したが、石礫を叩きつけられた程度のお粗末な停止力だった。
湊音が体躯を欺瞞する際、男物の着衣をまとう前に肉厚を持たせるために防弾ベストを着込んでいたのが大きな要因だ。
停止力に定評のある45口径のマッシブな弾頭はドアを貫通する際に殆どの活力を発散し、殺傷力を削いでしまった。
直線で6m50cmの廊下。遮るものは無い。
全速力で駆けながら、『素人の右手』が咳き込むように吠えて32口径を4発撃ち出す。
走りながらの発砲で2発ずつドアの蝶番に命中するという「素人らしからぬ」腕前だ。
スライドストップ。右手のワルサーPPは全弾撃ち尽くした。
薬室は空。滑らかに、右手は再装填の動作に入る。
マガジンキャッチを押し、弾倉が抜けるのを重力に任せず、右手を振ることによる遠心力で空弾倉を弾き出す。口を大きく開けてスライド部を横咥えに。その最中に『プロの左手』がプロらしく走りながらドアノブをたった3発で破壊。……横銜えのワルサーPPに新し弾倉を叩き込んでその手でグリップを弾くように引き絞ってフレーム全体を稼働させて初弾を薬室に送り込む。これにて再装填完了。
――――8!
――――3!
――――充分!
右手と左手のワルサーPPが呑む弾倉の残弾数を、意識よりも早く認識する。
蝶番とドアノブを破壊されたドアは、耳障りに軋む音を立てて始めた。そのドアは、湊音の重心と加速と速度がタップリと乗ったドロップキックで弾き飛ばされる。
呼吸が止まる錯覚。
目前を白刃が掠って肝を冷やされる。
曲がり角からの小太刀か脇差による反撃。
角を曲がるべく小脇を緩く締めて、手首を引いた状態で前進していなければ、両手首はその裂帛の気合が篭った一閃で切り落とされていただろう。
左角からの襲撃。
『プロの左手』は素早く反応してさらに脇に深く引き込み、『素人の右手』が散発的な弾幕を張る。
たった3発の牽制。そのいずれもが、至近距離が故に襲撃者の腹部に命中する。32口径の弾頭重量は4.8g。フィヨッキ社製のフルメタルジャケットで初速毎秒290mを誇る。
音速には及ばないが、その銃口から撃ち出される4.8gの金属は196ジュールの初活力を発揮する。
1発では心許ないマメ弾であっても腹部に3発、命中した程度では興奮状態にある成人男性の突進力を相殺させることはできない。
しかし、反撃不可能に陥らせるには充分だった。
その短い日本刀を持った男はヘソを中心に体を折り畳みナイフのように折って前のめりに倒れこむ。
空かさず、『プロの左手』が右脇に奥深く滑り込んで背後に向かって発砲。
湊音の背後で金属バットを振り上げようとしていた二十前後のジャージ姿の青年に熱いマメ弾をめり込ませる。
鳩尾を32口径で穿かれた彼は金属バットを手放し、膝から崩れ落ちた。小さく震えているが死の痙攣ではない。激痛で発声も呼吸もできない。
直線距離にして5m以下の戦闘区域では停止力に不安のある32口径でも充分に威力を発揮する。
散発的。盲撃ち。反撃。応戦。排撃。
組事務所にたむろする組員は条件反射的に、拳銃や近接武器を携えて駆けつけるだけだ。
少し反応の早い組員は必ず存在する。増援の連絡もしているはずだ。2分20秒のエアポケットと謂えど、きっかりとその時間を使えるはずがない。
早ければ早いほどいい。
だが、プロの犯行にみせてはいけない。
理想の理想は全員の命を吹き消して、目撃者や証言者を残さないことだ。
『プロの足跡を残してはいけない』。このカチコミが『暗殺』だと悟られては元も子もない。
橋田雅朋なる標的を仕留めるまでに行うプロセスは、目撃者は殺して湊音の姿を確認していない者は生かしておくことに尽きる。
発砲。襲い来る銃弾。襲われる湊音。
硝煙が渦巻き、独特の臭いが、独特の呻きが、独特の修羅場が極狭の空間に形成される。
脳裏に投影される橋田雅朋が居座る部屋へのルート。
3階建ての建物がこんなにも広い。広く感じる。広く感じるルートを選んでいるのだから当たり前だ。
湊音の要件は2階部分の奥まった部屋にある。
3階からは『援軍は来ないことになっている』。
クライアントがこの日だけは常駐する主要幹部に『襲撃の手筈』を密告しておき、『たまたま、常駐幹部は不在で一時的に責任者代理にあてがわれた橋田雅朋が不幸にもカチコミの巻き添えで死んでしまう』という筋書きを伝えられていた。
従って、橋田雅朋を護衛する組員も、盃を交わしていない者か、盃を交わして日の浅い、価値の低い組員しかいない。
このようなときのために飼われていたといっても過言ではない。いつ切り捨てても惜しくない構成員。ヤクザの世界も想像以上に厳しいものがある。
安っぽい回転式の、安っぽい発砲音。
雑多な自動式の、雑多な銃声。
怒声と罵声。随分と頼りない鉄血。
2階の踊り場を駆け上がる最中に、2階から自動拳銃の洗礼を浴びた。
衣服の端に擦過を感じる。痛みは感じない。恐怖と興奮が入り混じって脳内麻薬が一層、分泌される。
機械仕掛けの玩具のように『プロの左手』が反応して、階段を上りきった場所にある角に本当の殺意を込めた一発を放つ。
聞き慣れた32口径の銃声がいつもと違う重みを帯びていた。
「ちっ……」
気合が乗ったから必ず命中するというのは精神論の根幹だ。
残念ながら、『プロの左手』が放った32口径はコンクリの壁を削っただけで終わる。
湊音に銃撃した人物は踵を返してさらに奥の部屋へと遁走する。
「待て!」
叫んだのは湊音ではない。
階下から4インチ銃身の回転式を携えた20代の男だった。
視線は湊音を向いているが銃口の向きと一致していない。
躊躇わず、『素人の右手』が右肩に1発と下腹部に2発を叩き込んで黙らせる。
この組事務所を襲撃して何人を殺したか?
この組事務所を襲撃して何分何秒経過したか?
この組事務所を襲撃して何度、命を断ち切られそうになったか?
……そのよう冷静に考えようとする自分と、目下の標的だけを狙えと確執する自分が存在する。
この高揚感。
このスリル。
この酩酊。
下腹部に熱い滾りすら感じる。
反して、背中を幾度となく走る冷たいもの。
バラクラバ越しの呼吸が辛い。過呼吸に似た息苦しさも感じる。
標的に追撃。走る。駆ける。飛ぶ。翔る。
目前のドアの向こうに逃げ込むシルエットが添付画像にあった橋田雅朋のシルエットと補正されて重なる。
背後からも前方からも応戦はない。
分厚いベニヤ板を合板にして貼り付けて塗装しただけのマホガニーのドア一枚向こうに標的がいる。
「!」
ドアの向こうからの発砲だろう。
自分の盾となるはずのドアの室内側からくぐもった発泡音が聞こえて、ドアに銃痕を穿つ。
銃弾は性質上、硬い物体に命中すれば砕け散るか、マッシュルーミングを起こすか、貫通しても直進せずに威力を削がれて明後日の方向に弾道を変える。
エネルギーの強いライフル弾ならこの限りではないし、比較の対象もスケールが違う。
閉じられたドアを貫通した盲撃ちに等しい銃弾は運が尽きない限り致命傷を負わせる効果は期待できない。
今し方も45口径と思しき弾頭が湊音の右胸に命中したが、石礫を叩きつけられた程度のお粗末な停止力だった。
湊音が体躯を欺瞞する際、男物の着衣をまとう前に肉厚を持たせるために防弾ベストを着込んでいたのが大きな要因だ。
停止力に定評のある45口径のマッシブな弾頭はドアを貫通する際に殆どの活力を発散し、殺傷力を削いでしまった。
直線で6m50cmの廊下。遮るものは無い。
全速力で駆けながら、『素人の右手』が咳き込むように吠えて32口径を4発撃ち出す。
走りながらの発砲で2発ずつドアの蝶番に命中するという「素人らしからぬ」腕前だ。
スライドストップ。右手のワルサーPPは全弾撃ち尽くした。
薬室は空。滑らかに、右手は再装填の動作に入る。
マガジンキャッチを押し、弾倉が抜けるのを重力に任せず、右手を振ることによる遠心力で空弾倉を弾き出す。口を大きく開けてスライド部を横咥えに。その最中に『プロの左手』がプロらしく走りながらドアノブをたった3発で破壊。……横銜えのワルサーPPに新し弾倉を叩き込んでその手でグリップを弾くように引き絞ってフレーム全体を稼働させて初弾を薬室に送り込む。これにて再装填完了。
――――8!
――――3!
――――充分!
右手と左手のワルサーPPが呑む弾倉の残弾数を、意識よりも早く認識する。
蝶番とドアノブを破壊されたドアは、耳障りに軋む音を立てて始めた。そのドアは、湊音の重心と加速と速度がタップリと乗ったドロップキックで弾き飛ばされる。