Attack the incident
バーテンダーの制服を着用し、その上にボアの付いたコートを羽織った四十絡みの男――冴えない、うだつが上がらない雰囲気が似合う昼行灯。抑揚を感じさせない平凡な印象――は湊音の姿を確認すると、自分の足元に茶封筒を置き、ショットバーの裏手から店内に戻る。
その茶封筒を拾った湊音は、それをポケットに捩じ込んで元きた道を戻った。小回りが利く優秀な原付でもこの狭い路地で方向転換をするのは毎回疲れる。
標的。
橋田雅朋(はしだ まさとも)。34歳。地元の暴力団の準幹部。シノギを集めて廻る小悪党連中の元締め紛いの仕事を任されている。
入金元や暴力団の勢力図、組員の相関図を少々洗えば、クライアントが誰であるのかもすぐに解る簡単なカラクリ。
クライアントは十中八九、同じ暴力団幹部。橋田はシノギを集める一方で自分の子飼いに麻薬の販売をさせていた。
それが公安にばれるのを防ぐために『体の良い暗殺』で「何もなかった」ことにされるわけだ。
準幹部という地位も、恐らくは子飼いに集めさせた金で買い取ったものだろう。そうなれば組織内部に強い反感を覚える因子も自然と湧き出る。
大方の事情は近からずとも遠からず。込み入った状況が影にあるのだろうが、それは知らない方が身のためだ。
「仕事はちょろい……けど……」
依頼はいつも通り簡単な偽装で済みそうだ。
だが、それと命の安売りは別問題だ。即ち危険。
ショットバーの裏手から近所のネットカフェに入り、茶封筒の中身のUSBメモリを閲覧した後の感想だった。
USBメモリ内部には依頼の詳細がテキストファイルで書き込まれていた。
――――泣き言は後にするか。
ネットカフェ店内で売られている格安のジャンクフードで腹を満たしながら「それらしくみえる計画」を練り始める。
……これがいつもの、いつも通りの、いつもいつの間にかしている習慣だった。
深夜。風を切る。
タイヤが擦れて焦げた匂いを寒風に乗せる。
猛スピード。しかし、ハンドルを取られることなく制御する腕前。
白いペイントで髑髏が描かれた黒いバラクラバを被った人物。
空いた穴から覗く、冷徹怜悧で冷血を感じさせる眼光。
その人物のみが居座る車内。
黒いブルゾン。黒いカーゴパンツ。黒いフィンガーレスグラブ。
荷台が空の4tトラック。
走る。猛スピード。何度も後部をミラーで確認しながらやがて……建造物の正面口に迷うことなく衝突。
深夜の繁華街入口付近での出来事。
どんなに夜が更けてもシャッターの下りることがない地区。
だが、この日は大規模な停電が発生していた。……否、小さな停電が遠因となり、安全確保のために交通が停頓気味になり、無秩序な人混みまでもが整然と整理されつつあった。
結果として、大きな混乱を招かず、日本人の気質として列を乱さない控えめな気質が、猥雑で喧騒が絶えない繁華街全体をエアポケットに喩えられる真空状態を生み出した。
雑音と往来と交通がスイッチを切ったように一瞬だけの静寂を生んだ。
それを先途に始まったドミノ倒しの復旧動作。
その髪の毛ほどの隙間を縫った襲撃。
日常的な時間計測で表示するなら2分20秒。
たったそれだけの時間に、湊音の生命と活力と価値は押し込められて評価を求められた。
4tトラック、衝突。
表玄関に【大誠会】と大仰に書かれたレリーフ看板がへし折れて宙を舞う。
トラックの運転席側のドアが勢い良く解放されるや否や、筒状の物体が細く平たく長い金属パーツと共に2個、投げ込まれる。
半ば正面玄関を破壊し尽くしてトラックの運転席が玄関にめり込んだ状態からの奇襲。
放り投げられた筒状の物体は3秒と待たずに、白く爆ぜ、光と爆音の塊で以て、その場で立ち尽くしていただけの人物たちを無力化した。
目を塞いでいいのか、耳を塞いでいいのか解らない混乱を叩きつけて伏せることも棒立ちすることも許さない。
鼓膜を破らんばかりに爆ぜる物体はスタングレネード。
音と爆音だけで室内を制圧する、インドア戦闘では最もポピュラーなノンリーサルウエポンだ。
それ自体に殺傷力はない。音響に驚いて心臓麻痺でも起こすケースはたまにあるらしいが、無力化された彼ら――その場にいた合計5人――の命を速やかに奪い去ったのは5発の32口径の弾頭だ。
何れも頭部と咽頭部に命中し、速やかな死を提供される。
走る、髑髏柄バラクラバの人物。
衣服の膨らみから肩の肉が大きく、ブーツも27cmサイズの安全靴で闇色で統一されている。
バラクラバの首元の継ぎ目からはドレッドヘアの束が覗く。
バラクラバの人物が握る32口径の拳銃はワルサーPP。
1梃だけではない。両手に1挺ずつ。
今時珍しい2梃拳銃の遣い手だ。
賛否の分かれる2梃拳銃。バカか腕利きしかその術を使わず、腕利きの間でもバカにされる確率が異常に高い2梃拳銃。
バラクラバの人物……男の体格に偽装した衣服を纏った湊音。
駆ける。
標的である橋田雅朋のたむろしていると思われる最短ルートは頭に入っている。今は逆に効率の悪いルートを駆ける。
駆ける。
空薬莢が舞う。馬の蹄が駆けるような軽い発砲音。軽快で涼しい音を立てる空薬莢。確実で安心感のある重量と反動を掌から得る。
右手と左手。それぞれのワルサーPPは決して一発必中一撃必殺を心がけない。
右手は素人を演じるために、無為に壁に穴を開け、左手はプロを演じるためにプロの仕事を演じる。
硝煙の濃度が高くなる。鼻の奥がむず痒くなる。喉が渇く。今すぐにシガリロを貪りたい。アドレナリンの噴出。こればかりは抑えられない。興奮状態なればこそみえる世界もある。冷静を保ったばかりに遅れを取ることもある。
癲癇手術で脳梁を分断したのではないし、それはそんなに都合の良いものでもない。
両手利きだけでは説明がつかない能力。
彼女は、湊音は、襲撃者のバラクラバは、迅速に丁寧に確実に、無駄に、無為に、無様に、銃弾をバラ撒いて無力化し殺害し遁走を許さない。
反撃の隙をみせると、小太刀や雑多な拳銃で反撃が始まる。
その隙すらも許さないのが彼女だった。
『素人の右手』は一人を沈黙させるのに最低2発を必要とし、『プロの左手』は最初の1発の銃弾で一人を屠る。
早々に弾倉の弾薬は空になる。それを見越して、スライドが後退して停止する前に『素人の右手』は牽制の銃弾を吐きながら、左手が片手で弾倉交換する。
……マガジンキャッチを押し、薬室に1発残したままで空弾倉をグラビティで落とし、すかさず右腋に挟んで腰の予備弾倉を叩き込む。それだけのことだ。
アクション映画のような曲芸じみた弾倉交換ではない。
大きな動作は必要ない。このときばかりは『素人の右手』も同じアクションで弾倉を交換する。
毎回のことではあるが、捨てる弾倉が惜しくて心の中で泣いている湊音。
弾倉もタダではない。そして、銃身も毎回捨てる。痕跡を消すためだ。
ライフリングからアシがついてはバッタ屋としては失格だ。
今回は二人組と思われるヤクザがカチコミで組事務所を襲撃したというシチュエーションだ。
弾倉に実包を詰める作業でさえ、スネに傷のない浮浪者に金を渡して詰めさせた。
毎回、拳銃を交換できれば理想だが、現実では経費の前に屈服せざるを得ないのだ。
その茶封筒を拾った湊音は、それをポケットに捩じ込んで元きた道を戻った。小回りが利く優秀な原付でもこの狭い路地で方向転換をするのは毎回疲れる。
標的。
橋田雅朋(はしだ まさとも)。34歳。地元の暴力団の準幹部。シノギを集めて廻る小悪党連中の元締め紛いの仕事を任されている。
入金元や暴力団の勢力図、組員の相関図を少々洗えば、クライアントが誰であるのかもすぐに解る簡単なカラクリ。
クライアントは十中八九、同じ暴力団幹部。橋田はシノギを集める一方で自分の子飼いに麻薬の販売をさせていた。
それが公安にばれるのを防ぐために『体の良い暗殺』で「何もなかった」ことにされるわけだ。
準幹部という地位も、恐らくは子飼いに集めさせた金で買い取ったものだろう。そうなれば組織内部に強い反感を覚える因子も自然と湧き出る。
大方の事情は近からずとも遠からず。込み入った状況が影にあるのだろうが、それは知らない方が身のためだ。
「仕事はちょろい……けど……」
依頼はいつも通り簡単な偽装で済みそうだ。
だが、それと命の安売りは別問題だ。即ち危険。
ショットバーの裏手から近所のネットカフェに入り、茶封筒の中身のUSBメモリを閲覧した後の感想だった。
USBメモリ内部には依頼の詳細がテキストファイルで書き込まれていた。
――――泣き言は後にするか。
ネットカフェ店内で売られている格安のジャンクフードで腹を満たしながら「それらしくみえる計画」を練り始める。
……これがいつもの、いつも通りの、いつもいつの間にかしている習慣だった。
深夜。風を切る。
タイヤが擦れて焦げた匂いを寒風に乗せる。
猛スピード。しかし、ハンドルを取られることなく制御する腕前。
白いペイントで髑髏が描かれた黒いバラクラバを被った人物。
空いた穴から覗く、冷徹怜悧で冷血を感じさせる眼光。
その人物のみが居座る車内。
黒いブルゾン。黒いカーゴパンツ。黒いフィンガーレスグラブ。
荷台が空の4tトラック。
走る。猛スピード。何度も後部をミラーで確認しながらやがて……建造物の正面口に迷うことなく衝突。
深夜の繁華街入口付近での出来事。
どんなに夜が更けてもシャッターの下りることがない地区。
だが、この日は大規模な停電が発生していた。……否、小さな停電が遠因となり、安全確保のために交通が停頓気味になり、無秩序な人混みまでもが整然と整理されつつあった。
結果として、大きな混乱を招かず、日本人の気質として列を乱さない控えめな気質が、猥雑で喧騒が絶えない繁華街全体をエアポケットに喩えられる真空状態を生み出した。
雑音と往来と交通がスイッチを切ったように一瞬だけの静寂を生んだ。
それを先途に始まったドミノ倒しの復旧動作。
その髪の毛ほどの隙間を縫った襲撃。
日常的な時間計測で表示するなら2分20秒。
たったそれだけの時間に、湊音の生命と活力と価値は押し込められて評価を求められた。
4tトラック、衝突。
表玄関に【大誠会】と大仰に書かれたレリーフ看板がへし折れて宙を舞う。
トラックの運転席側のドアが勢い良く解放されるや否や、筒状の物体が細く平たく長い金属パーツと共に2個、投げ込まれる。
半ば正面玄関を破壊し尽くしてトラックの運転席が玄関にめり込んだ状態からの奇襲。
放り投げられた筒状の物体は3秒と待たずに、白く爆ぜ、光と爆音の塊で以て、その場で立ち尽くしていただけの人物たちを無力化した。
目を塞いでいいのか、耳を塞いでいいのか解らない混乱を叩きつけて伏せることも棒立ちすることも許さない。
鼓膜を破らんばかりに爆ぜる物体はスタングレネード。
音と爆音だけで室内を制圧する、インドア戦闘では最もポピュラーなノンリーサルウエポンだ。
それ自体に殺傷力はない。音響に驚いて心臓麻痺でも起こすケースはたまにあるらしいが、無力化された彼ら――その場にいた合計5人――の命を速やかに奪い去ったのは5発の32口径の弾頭だ。
何れも頭部と咽頭部に命中し、速やかな死を提供される。
走る、髑髏柄バラクラバの人物。
衣服の膨らみから肩の肉が大きく、ブーツも27cmサイズの安全靴で闇色で統一されている。
バラクラバの首元の継ぎ目からはドレッドヘアの束が覗く。
バラクラバの人物が握る32口径の拳銃はワルサーPP。
1梃だけではない。両手に1挺ずつ。
今時珍しい2梃拳銃の遣い手だ。
賛否の分かれる2梃拳銃。バカか腕利きしかその術を使わず、腕利きの間でもバカにされる確率が異常に高い2梃拳銃。
バラクラバの人物……男の体格に偽装した衣服を纏った湊音。
駆ける。
標的である橋田雅朋のたむろしていると思われる最短ルートは頭に入っている。今は逆に効率の悪いルートを駆ける。
駆ける。
空薬莢が舞う。馬の蹄が駆けるような軽い発砲音。軽快で涼しい音を立てる空薬莢。確実で安心感のある重量と反動を掌から得る。
右手と左手。それぞれのワルサーPPは決して一発必中一撃必殺を心がけない。
右手は素人を演じるために、無為に壁に穴を開け、左手はプロを演じるためにプロの仕事を演じる。
硝煙の濃度が高くなる。鼻の奥がむず痒くなる。喉が渇く。今すぐにシガリロを貪りたい。アドレナリンの噴出。こればかりは抑えられない。興奮状態なればこそみえる世界もある。冷静を保ったばかりに遅れを取ることもある。
癲癇手術で脳梁を分断したのではないし、それはそんなに都合の良いものでもない。
両手利きだけでは説明がつかない能力。
彼女は、湊音は、襲撃者のバラクラバは、迅速に丁寧に確実に、無駄に、無為に、無様に、銃弾をバラ撒いて無力化し殺害し遁走を許さない。
反撃の隙をみせると、小太刀や雑多な拳銃で反撃が始まる。
その隙すらも許さないのが彼女だった。
『素人の右手』は一人を沈黙させるのに最低2発を必要とし、『プロの左手』は最初の1発の銃弾で一人を屠る。
早々に弾倉の弾薬は空になる。それを見越して、スライドが後退して停止する前に『素人の右手』は牽制の銃弾を吐きながら、左手が片手で弾倉交換する。
……マガジンキャッチを押し、薬室に1発残したままで空弾倉をグラビティで落とし、すかさず右腋に挟んで腰の予備弾倉を叩き込む。それだけのことだ。
アクション映画のような曲芸じみた弾倉交換ではない。
大きな動作は必要ない。このときばかりは『素人の右手』も同じアクションで弾倉を交換する。
毎回のことではあるが、捨てる弾倉が惜しくて心の中で泣いている湊音。
弾倉もタダではない。そして、銃身も毎回捨てる。痕跡を消すためだ。
ライフリングからアシがついてはバッタ屋としては失格だ。
今回は二人組と思われるヤクザがカチコミで組事務所を襲撃したというシチュエーションだ。
弾倉に実包を詰める作業でさえ、スネに傷のない浮浪者に金を渡して詰めさせた。
毎回、拳銃を交換できれば理想だが、現実では経費の前に屈服せざるを得ないのだ。