Attack the incident

 あれだけの連射を繰り返して、一方が空になるたびに再装填を繰り返していれば、発砲した弾数の最小公倍数で「弾倉が2梃とも揃って空になる」のは当たり前だ。
 最小公倍数の195発が訪れる前に予備弾倉が尽きるのも当たり前だ。
 何か隠し球も持っていない限り、あれだけの連射は無為で無意味で徒労な恫喝でしかない。
 ブラフの可能性はない。
 スライドが後退して停止する音を聞いたからだ。
 更にマガジンキャッチを押して2梃とも弾倉を空にした音を聞く。
 2個の空弾倉が確かにコンクリの地面に衝突した。
「やれっ!」
 少年は大声で叫んだ!
 遮蔽の上辺から2梃のワルサーPPを突き出し、2梃の銃口は確実に左右の手にスライドオープンした拳銃を握る少年の方を向き、確かに発砲した。
 紛うことなく、5m目前の少年の腹部に2発の32口径は命中した。銃弾が人体に命中する水っぽい着弾音も聞いた。小振りながら美しい血飛沫の花弁を咲かせた。
 ……だが、少年は笑っていた。
 眉間に微量の苦悶を浮かべて、口元を釣り上げて、目が、頬が笑っていた。
「……」
――――「やれ」だと?
 少年は被弾しても倒れない。
 下半身を安定させて足腰のバネを効かせているのが理由だろうが、発砲しながらも、なぜそれをする必要がある? 筋肉のしなやかさを効かせるために移動中はジグザグなり、蛇行なりの移動で間合いを詰めるだろう……なのに何故?
――――右肩。
――――右足。
 湊音は少年の体勢をみて悟った。
「!」
 はたと、弾かれたように上空をみる。
 大きく滞空する影。
 小さな、しかし大きく羽ばたくようにみえる影。
 遮蔽を乗り越えるには充分な高さ。
 湊音の左手が閃く。
 ワルサーPPにセフティを掛けて地面に落とし、右手のワルサーPPを両手でしっかり固定させる。
 その上で、肩の筋肉は柔軟に。
 『2挺拳銃の少年の右肩をジャンプ台にした』少女のポニーテールが大きく開く。
 中空でスローモーションの時間が流れる。
 彼女はコルトウッズマンを両手で構えた。
 少女の銃口がこちらを向きつつある。
 湊音のワルサーPPのサイト越しにみる彼女は、感覚が「目線のゼロイン」だと伝えていた。
 絶対に当たる距離。
 だが、人間の行動や動線には有り得ない、落下という標的。
 跳ぶ少女の体は放物線の頂点を過ぎ、落下に入る。
 湊音は。
 湊音はプロらしい、しかし、バカらしい迎撃で彼女を迎えた。
 右手のワルサーPPを左側に倒し、少女が落下して通過する中空のポイントを通して見越して発砲。
 湊音のワルサーPPと少女のコルトウッズマンの銃弾が交差する。
「……」
「……」
 お互いは静止したかのように見つめ合う。
 拳銃の横撃ち。
 殆どが前後か横移動しかない動体標的だからこそ、スライドやバレル上部のサイト。
 だが、上下に移動する標的ともなると銃本体と握る手が邪魔で飛び上がったり、落下したりする標的には定めにくい。
 そこで銃本体を倒し、視界を広くしてサイティングを定め易くする……殆ど曲芸レベルの発砲。
 実戦で使える機会や、使おうと考えることも、まず、ない構え方。そして撃ち方。
 その曲芸でも殆ど唯一、使えそうな状況が今だった。
 落下する標的を狙い、落下する先を見越してそこに発砲する。
 地面を足で移動する標的と違い、位置エネルギーで落下する標的は累乗的に加速するのでコンマ5秒先を――勘だけで――狙えるか否かで命中率は違ってくる。
 二人の体が重なり合う。
 少女は湊音の胸に飛び込む形で落下し、湊音も少女を迎える形で胸で受け止めた。
 その場に二人の体は、どうと倒れる。
 二人の右頬同士がこすれ合う。
 ダラリと下がった少女の手からコルトウッズマンが力無く抜け落ちる。
「やっぱ……プロは違う……」
 少女はたったそれだけの言葉を遺して今生を去る。
 少女の延髄から射出孔が開き、滔々と細く熱い血液が流れ出す。
 湊音の32口径が少女の口中に入り、頭蓋と頸部の継ぎ目の柔らかい部分を直進し、破壊しつくして飛び出したのだ。
 少女の唇の端からどす黒い血液が一筋の残滓を作る。
 名前も知らぬ、暗黒社会の掟に憧れただけの、恐らくは荒くれていた少女はここに眠った。
「……」
 湊音はゆっくりと左手で少女のポニーテールを撫でた。
 形容できないセンチメンタリズムが湊音を襲う。
 東の空が白くなる。
 真冬にしては珍しく雲間が大きく晴れている。雲の隙間から朝日が静寂を迎えた倉庫街を照らした。
「……」
 目を開けたまま息絶えている少女の美しい黒髪から手を離して、自分の左耳朶を撫でる。
――――22口径じゃなかったら。
――――あと5cmズレていたら。
――――この子の銃が違うものだったら。
 22口径で半月状に削られた湊音の左の耳朶。痛くも熱い。熱くも冷たい。
 あと5cm左に着弾がずれていたら、22口径ロングライフルの弾頭で眼窩を穿かれ、眼球は破壊され、眼底に到達し、脳髄に致命的な負傷を負っていただろう。
 耳朶の欠けた部位から染み出る血をハンドタオルで押さえ、少女の体を優しく押しのけて半身を起こす。
 気怠そうな湊音の眼差し。
 事後に似た風景だが歴とした死闘の直後だ。
 両手から離れたワルサーPPのことなど頭の片隅にもなく、見慣れた平たい缶をズボンのポケットから取り出し、中の一本を取り出し銜える……銜えたシガリロに火を点けずに脱力に任せて放心を愉しむ。
 
湊音がシガリロに火を点したのは銃撃戦の現場から去って、軽四トラックを運転しながらのことだった。

  ※ ※ ※

 今日も湊音は働かない……というわけにもいかず、働く。
 欠けた耳朶の治療は闇医者では止血もままならない上に感染症を引き起こしやすいので、正規の医療機関にかかり、口止めなどを含む根回しに大金を積んだ。
 想像以上に高額だった。銀行の残高が一桁減った。いかに裏の世界の医者が使い勝手好い職業なのかということを痛感した。
 もちろんのこと、全額、医療機関だけに支払ったわけではない。
 警察関係や警察関係に伝を持つ闇社会の住人にも倉庫街での銃撃戦を揉み消すためにも金が必要だった。
 何より、商売道具のワルサーPPを失った。
 事件を偽装するのが職掌のバッタ屋らしく、転がる死体にワルサーPPを2梃と残った予備弾倉を分けて握らせた。 
計算が合うように2梃の無関係な拳銃も回収した。暫くは捜査当局も若年層の抗争で捜査が進むだろう。
 バッタ屋は売れているとはいえ隙間産業だ。実入りのいい依頼ばかり選んでいたら新しいワルサーPPを揃えるまでに死んでしまう。それどころか、拳銃の密売組織と交渉する際に優位に立つための、みせ金もない。



「さて……やるか……」
 短くなったシガリロを落として爪先で蹂躙する。
 黒いバラクラバを被った湊音は、三日月が雲間から笑う寒い空の下で独りごちた。
 4tトラックの運転席にスマートに飛び乗った彼女は、大きく息を吸ったあと、腹のベルトに差したコルトウッズマンのグリップを探ってから、トラックのキーを捻り、半クラから徐々にギアを繋ぎ、今回の標的が乗る乗用車を目指して吶喊する。



 あの少女の遺したコルトウッズマンは、のちに所有者を転々とするが、その銃で人の命を吹き消した遣い手はことごとく、非業の死を遂げた。

《Attack the incident・了》
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