Attack the incident

 己の怪力自慢だけかと思ったが、意外に先読みできる脳みそを持っている。
 感心しながらも、湊音は突如目前2mの位置に出現した、スピード型レスラーのような体躯をした強面の少年に対して、咄嗟に仰向けに寝転がった。彼に爪先を向ける。
 ハードボーラーの少年は銃口を、至近距離で頭を向けてうつ伏せになっている湊音に合わせたが、彼女の全身の瞬発力に虚を突かれた! 突如の仰向けに口をぽかんと開ける。
 湊音の頭がヘソを見るように跳ねて足の先に発生した位置エネルギーで跳ね起きる。
 発砲。
 45口径の腹に響く銃声は、鼓膜に強烈な振動を与え、聴覚が一瞬途切れる。
 図太い弾頭はそれまで湊音の頭があった位置のセメント袋に叩き込まれてしまう。
 跳ね起きすぎても22口径の狙撃が待ち構えている。ドラム缶より高い位置に脳天を晒さないように留意し、左肘、左膝で地面を強く押し、その場で体をくるりと一回転させる。
 回転が始まる刹那から一回転するまで……。
 合計6発のワルサーPPの速射が開始され終了する。
 低速回転の短機関銃が吼えたのかと勘違いする速さ。
 少年の45口径は合計2発放たれたが、何れもトリッキーで定まらぬ標的に躱され、たった2mの距離でも命中弾を浴びせることはできなかった。
 返して、湊音の32口径は左右平等に発砲した3発ずつの32口径を少年の太ももから下腹部に全弾命中させ、機動力と戦闘力を奪う。事実上の無力化をされた少年。
 ハードボーラーの少年は舌をせり出させたまま、苦痛で出ぬ声を押し出そうと足掻きながらうつぶせに倒れる。
 大小、不規則な痙攣を起こす少年。死にきれない苦しみに悶えているのだ。
 生憎、止めを指している時間はない。
 空薬莢が転がるコンクリの地面から再び這う。無様な匍匐前進。
 直線上のルートで苦しんでいる少年の手元から、ハードボーラーを取り上げて弾倉を抜き、薬室を空にして捨てる。それからそそくさと少年のガタイの上を這いながら前進する。
――――思ったよりどいつもこいつも冷静だな……。
――――もっとタマをばら撒くかと思ったけど。
 弾薬切れを誘う作戦も心の端に置いていたが、その作戦は望みが薄そうだ。
 人間、最初から贅沢や潤沢を知ると碌な落伍者にはならない。
 知り得る限りの労苦を体感してから、物資の有り難さと運用を覚えればいい。……生きていれば、な。
 冷え込みが一段と強くなる。夜明けが近い。風が穏やかだ。そして……シガリロが吸いたい。
 型になっていない匍匐前進。ワルサーPPを銜え、一方ずつ確実に弾倉を交換する。
 弾倉は空ではなかったが、相手は舐めて掛かると大怪我で済まない相手だとみた。だからこそ弾倉は常に満タンの方が心強い。
「ちっ!」
――――小癪!
 9mmパラベラムと22口径の合唱が、ドラム缶や木製のパレットを削り飛ばす。
 湊音の潜む位置まで貫通するには相当な弾薬を消費しなければならないが、片面が凹むドラム缶や頭上のトタンを連打する癪な金属音は精神衛生が不安定になりそうだ。
――――?
――――散開した?
――――気配が分散した……。
 リップミラーをパレットの隙間から覗かせて周囲を観察。 
 状況を早く飲み込むために、視覚と聴覚に飛び込む情報を分析。
――――影が……。
――――影が不自然だ。
 確かに3人いる。
 だが、小さな鏡の世界の3人は配置がおかしかった。
 遮蔽にはなるが、盾にはならないビニールシートが被せられただけの小さな廃材の山から銃撃をする者がいる。
 銃撃するもの……その9mmパラベラムを発砲する間隔も、発砲する向きもおかしい……直感ではなく、実際に、突き出た銃口が牽制しか行っていない。牽制だけだ。
 その左手側4mの位置で小さなマズルフラッシュが瞬くが、これは本気で狙撃している弾道だ。
 不自然な9mmの射手の右5mの位置にある廃材をうずたかく積んだ山の隙間からもう一人の9mmの遣い手がいる。
 連中との距離は目前の二車線の作業車通路を挟んで6mから7mの距離。
 お互い、心許なくもそれぞれの遮蔽を得て、出方を伺っている状態にみえた。
 その状況を不自然だと湊音は勘ぐった。
 9mmの……ポジションからして一番湊音に近く、一番制圧力を発揮できるはずの位置にいる9mmが散発的な発砲しかせず、湊音に押しも引きもさせていない。
 衣擦れ。……そんな上品な表現はそぐわない。
 ずるりと布が、裾や袖が、衣服が擦れる柔らかい音を聞いた。
 背中を羽毛で撫で上げられる感触。同時に走る寒気。腋の汗がにじみ出れるのを感じる。
「……」
 背後に、匍匐前進のスタイルのまま停止する湊音の背後に誰かいる。
 誰かいると認識し、生体電流の速さで危険を予知し、筋肉や末端組織に命令を下し、右手側に半身を転げさせてから左手を伸ばしてワルサーPPの引き金を一度引くまでに要した時間は2秒もない。
 乾いた銃声は夜明け直前の空に吸い込まれる。
 鉄パイプを振り上げていた少年の咽頭部に32口径は命中し、少年の体は立ったままビクンと震えた。
 少年の末期は助命でも命乞いでもなく、その両手に強く握って振り翳した2m近い鉄パイプを全力で振り下ろすことだけだった。
 文字通りの死に体であっても、全力で振り下ろされた鉄パイプには裂帛の気合が篭っていた。
 破壊力云々ではワルサーPPのマメ弾では勝負にならないほど強力な一撃だ。
 鉄パイプという簡素な打撃武器に、死神の鎌が秋水を湛える瞬間を見た湊音。
 鉄パイプは湊音が無様な匍匐前進の格好で俯せになっていた場所に叩きつけられ、その少年の今生の生き様を地面に深く刻んだ。
 ……湊音が咄嗟に避けつつ発砲しなければ頭を叩き割られている。
 その頭部辺りに鉄パイプが振り下ろされ、コンクリに大きなヒビを造った。
「……」
 湊音を凝視したまま崩れる少年。
 どこにでもいる不良のレッテルを貼った、三下の風体ではあったが、死に際に見せたその眼力は、睨まれているだけで湊音の心臓を掴んで離さなかった。
 少年が倒れてから尚も、起き上がり、再び鉄パイプを握って襲ってくる幻覚に捕らわれる……恐ろしい遣い手だった。
 『自分の拳銃をカカシ(陽動のための囮)』にさせて銃を手放し、自身が本陣に乗り込んでくるとは。胆力の座り方が尋常ではない。
 不覚にも少年の気魄に呑まれて尻が窄んだ湊音。銃撃の最中だと今更ながらに正気に戻り、反撃のために移動を再開する。
 5mほど、銃撃に晒されながら移動。
 放置されて朽ちているフォークリフトに辿りついたとき、一層、銃撃が激しくなる。
 歯を食い縛って、弾薬の切れ目を待つ。
 この銃声は9mmパラベラムだ。
 恐らく2梃拳銃。ベレッタM92FSとH&K P7M13を携えているのだろう。
 鉄パイプの少年がカカシとして置いていたのを、遺品として引き継いだに違いない。
 空弾倉の交換の度にベレッタM92FSとH&K P7M13の作動音の違いが解ってくる。
――――いち。
 耐えろ。きっと短い時間でソレはくる。
――――に。
 銃声や弾幕に揺るがない、といい聞かせる。
――――さん。
 読め。弾倉交換を読め。必ず隙はある。読め。
――――し。
 銃声は近づいている。だが、焦るな。必ず弾切れは訪れる。
――――ご。
 「……!」
 スライドが後退する音。
 必ずその音は重なる。
 相手の足音すら聞こえる距離。男……少年の足音が一つ。一人でラッシュをかけているのか。
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