Attack the incident

 チョコレートの、甘い香り。
 漂うそれは湊音が愛飲するシガリロの煙。人工甘味料を隠そうともしない機械巻きに多い、甘い香り。
 風上だろうか。倉庫街の真ん中で警戒するあまり、自然と緩い円陣を組み始めた若人連中をゆるりと紫煙がまとわりつく。
――――さあて……。
――――始めるぞ!
 20人を超える連中に姿をみせずに、遮蔽を伝いながら移動を開始。小石や空き缶を蹴り飛ばし、それをトタンだけの壁材で拵えれた倉庫の壁を派手にぶつけ、連中にとって肝を冷やす鈍い金属音を立てる。
 それを先途に連中の殆どは、手にした雑多な拳銃で音のする方向へ発砲する。既にその場所には湊音はいない。
 漂うシガリロの臭いから、連中はこの場は危険だと察知し、蜘蛛の子を散らすように散開する。援護や牽制のカバーもない、素人同然の動作。
「!」
 だが、少数派に分類されたり、例外に類する存在はどこにでもいるもので、たった6人の人影はその場に伏せ、横転を繰り返して近くのパレットやドラム缶などの遮蔽に転がり込む。
 少しは腕に覚えがあるのか、使っている拳銃も遠目にはっきり解る、独特の形状をした大型自動拳銃を携えていた。
 自分を殺し屋かガンマンとして橋田の所属していた組織の上位に売り込むのを夢見ていたのだろうか?
 シガリロの臭いがする範囲は危険だと察知したその他大勢は、大きく散開したが、向かう先は同じだった。
 駐車場。
 この近場には駐車場が一箇所しかなく、バイクや車で乗り入れられる道路も一本しかないので湊音にとってアンブッシュはたやすかった。
 右手と左手のワルサーPPは『両方共、プロの働きを見せる』。右手に右手の、左手には左手の眼球と頭脳が与えられたように、容赦なく引き金を引く。
 ダブルアクションから感じる、初弾の重いトリガープルが去った後は、引き金が後退しているのでフェザータッチで撃鉄が撃芯を叩く。
 2挺拳銃と謂えど、鴨撃ちを楽しんでいるのではない。
 生きた人間に、動き回る人間に、確実な死を提供するために、的確な命中を遂げなければならない。子供だろうが女だろうが関係ない。
 決して早い発砲ではない。
 決して美しいリズムの発砲ではない。
 決して恐ろしい咆哮を挙げる発砲ではない。
 淡々と、単調に、事務的に、無味乾燥に引き金は引かれる。
 遁走を開始した若年層集団からすれば悪夢だろう。
 倉庫街から30mは離れている駐車場のゲートを目前にして、自分たちの進行方向に人影が転がり出たと思えば、片膝を突いて2梃の拳銃を構える抽象的な美貌をした若い女が、凄惨な笑みを浮かべているのだから。
 そして、その人物こそ恋野湊音その人だと、脳内のあらゆる思考部位が断定した途端、32口径のマズルフラッシュが、泡を食って急ブレーキを掛ける彼らをことごとく撃ち倒す。
 湊音と集団の距離20m,。
 ホンの、瞬き3回分の時間。
 左右別々に、左右違う、左右をカバーし合っている銃声が調子の悪い短機関銃のように必殺の32口径を弾き出す。
 彼らからすれば、湊音の体は根が張ったように固定されて腕も腰も動いていないのに、『何故か自分の方向に銃口が向き、発砲され、被弾し、脱力とともに瀕死の重傷に陥っていた』としか認識できない。
 軽い銃声。軽いタマ。……だが、そのような、小癪な、たった4.6gの金属が、実際に命中すれば人間はどのような状態に陥るのか、という素朴な疑問を体感できる貴重な体験をした。
 そして奇襲を受けた全員が全員、暗黒社会に憧れた自分を愚かだと嘆く前に、薄れる意識の中で命乞いをしていた。
――――リロード!
 左右のマガジンキャッチを同時に押し、小さなモーションで左右のワルサーPPを左右それぞれの方向に手首のスナップを効かせて振る。
 自重で落下するはずの空弾倉に運動エネルギーが加えられて勢いよく空弾倉が飛ぶ。
 些か芝居がかった動作。両方のワルサーPPをズボンのポケットに差し込む。ベルトのマガジンポーチから予備弾倉を抜いて目視せずにマグウェルに叩き込む。撃鉄が起きた状態でセフティもかけずに行う大変危険な行為だ。
 そして一番危険だったのは……。
 上着に羽織っていた黒いブルゾンの左脇に孔が開く。
 普通なら脇腹に被弾して、大きな痛手となった。
 が、直前の仕事で体躯を隠すために羽織っていたオーバーサイズの男物の作業用ブルゾンだ。開いた孔から胴体まで10cm以上も離れている。
「……」
 あの6人。
 この期に及んで、逃げ出す若者連中の中にあって、逃げずに遮蔽に身を隠した6人。
 あの連中こそ本当に銃弾を呑み干す覚悟ができた強者だろう。
 実際に、いい腕をしている。
 背後も警戒していたつもりだが、移動した気配を感じさせずその場から……30m以上離れた位置からの拳銃での狙撃してきた。
 湊音の顎先が空を向き頸部が右にゆっくりと折れる。彼女の眼球が右を精一杯廻り、その視界の端で彼らをみた。
 6人と同時に覚えた自動拳銃のシルエットを記憶のデータベースと照らし合わせる。
 コルトウッズマン・マッチターゲット。
 ベレッタM92FS。
 1911。
 グロックG17L
 ハードボーラー7インチバレル。
 H&K P7M13。
 ……いずれも状況は違えど実戦で性能が証明された拳銃ばかりだ。
 32口径の乱舞に敢え無く果てた連中が持っていたサタデーナイトスペシャルや、野良犬も殺せないベストピストルとは格が違う。
 銃も遣い手も格が違う。……使われるべき人間に使ってもらえる拳銃は幸せだ。
 故に、彼らは強敵だ。
 強敵だろう。
 強敵に違いない。
 それは湊音の買い被りや過大評価であってほしい。銃だけに金を掛ける伊達モノであってほしい。
「……」
 きっかり3秒の後。
 湊音は脱兎のごとく左手側の遮蔽に飛び込んだ。
 それと同時に湊音が先程まで片膝を突いていた位置に火線が集中する。
 呼吸が合っていたから躱せたようなものだ。 
 呼吸がずれていたら……想像したくない。
 ドラム缶とパレットで構成される遮蔽の陰で、吹き出る汗を抑えられずに寒気に似た感触と戦う湊音。
 少なくともあの6人は放っておけば、執拗に命を狙うだろう。
 連携が取れてはいないが、撃つべきタイミングを知っている。
 鉄火場の経験は少ないだろうが、完全な素人ではなさそうだ。男4人に女2人。
 当年22歳の湊音でさえ、バッタ屋でカチコミや殺し屋の真似事を生業として生活している業界だ。
 自分と大して変わらぬ年齢層のアンファンテリブルが集まっていても不思議ではない。その才覚を自覚して発揮していてもおかしくはない。
 連中が隠れる遮蔽はそれぞれ、32口径では貫通できない。ワルサーPPでは想定外に遠い距離だ。
 近接を試みながら各個撃破するしか名案がない。
 遮蔽を縫うように走り、駐車場付近から離れて、連中が盾とする遮蔽の背後に回るために迂回する。
「!」
――――気配が『動いた』。
 連携が取れていないからこそ、各人が個別の動きをするからこその流動的な動線。
 即席でチームを結成する柔軟な思考も持っていたか。
 ほんの一瞬。背後を取れるだけの隙を突けばこの勝負は呆気なく決する。
 イニシアチブの奪い合いになる。……湊音は確信した。
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