Attack the incident

 そう。この機会を待っていた。
 この機会を伺えるか否か……それも含めてバッタ屋の仕事だ。
 外部の人間が押しかけて標的を暗殺。
 決して、『内部の人間が対抗馬を消すために採った』手段だと悟られてはならない。
 依頼人は地回りのヤクザ。正確にはシノギを集約する胴元。舎弟の盃を貰うか否かのスケールの小さな抗争だが、本人達にとっては只事ではない。
 このレースに誰が生き残るか? という主題で、組織内の上層部でも賭場が開かれているくらいだ。
 娯楽がないのではなく、誰が何をどのように使ってどの程度、どれくらいの本気を出すのかがみてみたいという主題の実技試験なのだ。
 情報収集の段階では複数のバッタ屋や殺し屋や内通者の名前も上がってきた。
 キニーネの香りが立ち込める話だ。畢竟、キナ臭い。
 パワーで押し負けることが少なく、割と扱い易く頑丈な4tトラック。
 盗難車を扱うブローカーをマネーロンダリングのごとく、書類がクリーニングされた、大きな車体に乗り込む。土木現場なら珍しくないどこにでもあるトラック。
 そのハンドルを握り……半クラからギアを繋ぎ、アクセルを踏み込んで急発進。
 夜。午後11時。地図上では国道を併走する一般道での出来事。
 一般道を法定速度で走る大型ワゴンが2台。その後ろの1台の脇っ腹にトラックのバンパーが、フロントが、運動エネルギーがたっぷり乗ったトラック前部がワゴンを跳ね飛ばす。
 互いの車内は轟音に包まれる。その衝突音は金属が耳障りに擦れながら爆ぜてへし折れる音としか認識できない。
 近所の住民が通報するまで1分もない。
 所轄の警察署のしかるべき部署が出動するのに5分。
 それに加え『警察への根回し』をクライアントが施してくれるらしい。が、それでもプラス3分の猶予だ。
 目撃者がいることを想定して男の体躯に変装する。黒いバラクラバを中心に体型や足の長さ細さを隠せるように衣服を重ねている。
 ……そして、本気の度合いを示す、バカな2梃拳銃。
 トラックのドアを蹴り飛ばす。
 引き千切れんばかりにドアが悲鳴を挙げる。先ほどの衝突で幾らか歪んでいたのだろう。彼女の蹴りで簡単にドアがちぎれ飛ぶ。
 ハンドルから離れた両手は既にワルサーPPを握っている。高い位置の運転席から転げるように飛び降りる。
 難を逃れたワゴンが急停車。タイヤの焦げる匂いが立ち込める。
 体勢を立て直すと、ひたすら、『プロの左手』と『素人の右手』の独壇場だった。
 標的、市浦雄三。地回りのヤクザ。年齢は32歳。長身で優れたガタイを持っているが、ヤクザ特有の虚栄心は既に備えており、舎弟候補とされる使いっぱしりをいつも引き連れている。
 今夜もそれに漏れず、ワゴン2台分の人数を引き連れて移動中だ。
 そこへ湊音が襲撃。
 トラックの衝突で横転したワゴン内部に市浦は閉じ込められたまま。 そのワゴンへ近付こうと駆けだすと、無事だったもう1台のワゴンからわらわらと5人の取り巻き連中が押しだされるように飛び出してきた。
 取り巻き連中からの発砲が先手だったが、奇襲に慣れていないのか連携がバラバラでことごとく、『プロの左手』で頭部や胸部に秒速290m前後の32口径を叩き込まれて戦線を離脱してゆく。この世から離脱した者もいる。
 ここまでは計画通りだ。
 離れたワゴンの戦力は『プロの左手』が仕留める。そして、横転したワゴンの標的を含む全員は、【混乱気味を演じる『素人の右手』】が仕留める筋書きだ。
 慈悲が一切、入り込めない右手のワルサーPPは8発を放って、静止する。
 マガジンキャッチを押し、自重で滑り出す空弾倉を口に横銜えに受ける。その間にセフティをかけ、空いた左手で銜えた空弾倉を取り、流れる手つきで後ろ腰のダンプポーチに押し込むと、ベルトのマガジンポーチから新しい弾倉を取り出し、腹のベルトに差してある『プロの左手』用のワルサーPPのマグウェルに叩き込んで、再びそれをベルトから抜く。……そしてセフティを解除。
 その間にも『素人の右手』は素人らしい仕事に余念がなかった。
 無意味に横転したワゴンに弾痕を拵える。
 弾倉2本分を無為に浪費する。……浪費しているようにみえるが、ワゴンから逃亡を図ろうと身を乗り出す車中のヤクザ連中を発砲による威嚇で押し戻している。
 『素人の右手』弾倉交換はもっと早い。
 基本的には左手の動作と同じだが、口で空弾倉を銜えないだけだ。
 ズボンのポケットにワルサーPPを差し込み、マガジンキャッチを押して手首のスナップでグリップを振り、遠心力で飛び出た空弾倉を引き抜く。その抜いた手のまま、後ろ腰のダンプポーチに空弾倉を押し込み、戻る手で右腰のベルトに通したマグポーチから新しい弾倉を抜き、ズボンの右ポケットに差し込んでいるワルサーPPのマグウェルに叩き込む。
 一般道での銃撃。
 驚いた対向車やワゴン車の後ろを走っていた車は次々と急ブレーキをかけて止まる。
 急ブレーキに驚いた後続も、接触事故を起こしながら騒然とする。
 人だかりができるのも時間の問題だ。警察への通報も幾分早くなるだろうが、それも計算のうちだ。
 2梃の銃口を横転したワゴンに向け、やや右半身で歩きながら近付き、車中で負傷しているヤクザを『素人の右手』が次々と屠殺する。
 銃口を向ける者もいたが、それは『プロの左手』がヤクザの銃を握る手や腕に銃弾を叩き込んで無力化させて、『素人の右手』が屠る。
 特に、依頼のメールから情報を得た画像の中にあった市浦雄三その人に対しては3発もバイタルゾーンに銃弾を叩き込み、瞬間的に重体に陥れる。
 どんなに救急救命が頑張っても市浦雄三の生命を救うのは無理だろう。
 存分に本領を発揮した湊音は上着の男物ブルゾンのポケットに突っ込んでいたスモークグレネードを四方八方に投擲し、大きな煙幕のゾーンを形成する。
 舞台になった一般道の車のヘッドライトは龍がとぐろを巻くのに似た煙幕を神々しく照らし出したが、その隙に夜陰へと飛び込む湊音の姿は正確に捉えられなかった。
 現場からの逃走用に駐車させておいた軽四トラックに乗り込み、バラクラバを脱ぐと、ラジオを点ける。
 今し方、自分が起こした事件が「どれだけ正確に報道されているのかを知るためだ」。
 検問を避ける意味でしばらくの間、私道や小径を選びながら走る。
 ラジオからは未だ事件は報道されない。それとも昨今では珍しくなくなったヤクザの抗争など事件の記事にもならないのか?
「……」
――――ん?
 ラジオから興味を引くニュースが流れてくる。
 要旨は、数日前に湊音が襲撃し、殺害した橋田雅朋の仕切る麻薬密売組織が摘発され、橋田雅朋から麻薬を買っていた購入層が他の売人組織へ流入しているという。
 報道では警察の麻薬撲滅キャンペーンが功を奏したと締め括られているので失笑を禁じえない。
 その報道を聴いて何かが脳裏を過る。橋田雅朋に関して何か重要なピースがピタリと嵌らないもどかしさが湧き上がる。
――――橋田……。
――――麻薬……。
――――顧客の流出……。
――――橋田は勝手に麻薬組織を作っていて……。
――――見せしめのために私に殺された?
――――では、橋田を喪って困るのは?
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