冬空越しの楽園
ショウウィンドウを覗くふりをしたり、ポケットから小物を落としたふりをしてわざと背面に視線が回る隙を作り追跡者の数を伺う。
――――5人……。
――――素人臭いねえ。
男女混合で5人。男3人。女2人。年齢は一番若い顔つきで20代前半。一番歳高と思われる者で40代前半。
やや人相の悪い顔つきであったが、この雑踏の中でまばらに追跡するのには問題のない人選だった。早くも動員されている総数を由子に嗅ぎ分けられるあたり、金か麻薬で雇われたチンピラだ。
由子も同じ、一山いくらの小悪党として雇われることが多いので、連中のその気苦労を先に心配した。
顔馴染みでもなんでもない、練度も士気も違う即席メンバーで一つの対象を追跡すれば必ずボロが出る。
依頼内容を半分も達成する前に作戦は破綻して成功報酬は払われることがなくなる。
追跡作戦が破綻してもいいから尾行しろと依頼されたか、別口のグループがこまねいている『穴』に誘導させるために、わざと使い捨ての駒で追い立てをさせているのか。
どのみち、ノコノコと自宅に戻っても何も発展しないだろう。
由子は腕時計を見るふりをして立ち止まると、何かを思い出したふりをしてバス停に並ぶ。
焦る追跡者。
バスで一気に引き離されては元も子もない。間もなくバス停にバスが止まり、迷わず乗車する。追跡者の性急な足音が背後から聞こえる。
――――乗ってきたか。
――――まあ、バスの中ならいきなり得物を抜くこともないだろうね。
バスと路面電車を乗り継ぎ、自分が縄張りとしている界隈を大きく外れる。
人の往来が少なくなったとはいえ、まだ午後の陽が高い時間。
面倒事はここに限る、といわんばかりの闊歩で裏路地経由でシャッター街の中型商業施設に入る。
この商業施設も閉店セールはとうに終わり、解体を待つだけの運命だ。
天井のアーチからの陽光以外に光源が確保されない絶好のロケーション。
装飾の壁材ははがされ、寒々しい打ちっぱなしのコンクリの壁がちょっとしたダンジョンを連想させる。電気系統は全て死んでいるのかどのスッチを押しても反応しない。
一騒ぎ起こして騒がしくなったどさくさに逃げてやろうとスプリンクラーのセンサーをオイルライターで炙るが反応がない。……それも予想の範囲内。
スッと息を殺す。聴覚を澄ます。
路地裏側の勝手口付近でおっかなびっくりの反応をしていた追跡者が覚悟を決めたらしく『ご入場あそばされる』。
漏れ聞こえる声が伽藍堂の空間に軽くこだまする。
携帯電話を使う声も聞こえるが、増援の要請ではなく、追跡の続行をいいつけられたのか、小さく罵る声も聞こえる。
直線距離にして、由子から追跡者の一団まで20m。
豊富な遮蔽物のおかげで実測は難しかった。それは向こうも同じだろう。
埃と湿気を帯びた空気。長居しているだけで心肺機能が冒されそうだ。
「……」
フィールドコートの左脇から財布でも取り出すようにモーゼルHSc-80を抜く。
余計な音は立てたくない……できるだけの微力でセフティを解除する。
薬室には実包が装填されている。……恐ろしい話に由子はモーゼルHSc-80のセフティを『掛けただけで』携行していた。
引き金は後退したままで撃鉄は起きたままでの携行。
理屈上、モーゼルHSc-80にコック&ロックは存在しない。
携行している最中に軽くなったままの引き金が何かの拍子で引ききったとしても撃鉄が空撃ちをして暴発にいたらないが、射手からすれば精神衛生に悪い事態だ。
しかし、鉄火場に臨む際の現実としては、こちらの方が即応性に優れている。
セフティをカットすればいつでも軽いままの引き金に撃発の命令を下せるのだ。
耳を澄ませる。いやに甲高く聞こえるコッキング。連中も得物を抜いた。大方、口を訊くことができるのなら半殺しでもかなわないと注文されているのだろう。
遮蔽の陰からリップミラーを突き出して確認。
大型の自動拳銃を握る5人を全員、捕捉できた。
いくらでもある遮蔽物を利用せずに、各自がカバーをせずに、銃口と視線を連携させずに忙しなく声をかけ合って由子の所在を質問し合う。
その銃声一発で萎みそうな恐怖の色は、初めてお化け屋敷を体験する小学生のそれだった。
一人残らず『無力化』させるのは簡単だ。
はっきり応答できる程度に負傷させて情報を引き出すとなれば少々難しいが。
先ほど、携帯電話で連絡を取っていた男――30代半ばの男――だけに標的を絞って他を排撃する方針を選択。
――――また、ノリンコか……。
――――使い捨ての駒も楽じゃないね。
――――ま、9mmでも45口径でも当たれば同じだけど。
連中の手の中に握られているのはノリンコのハイパワー。コピーとはいえ9mmの威力は変わらぬ。
近年ではノリンコは懐古主義者向けの市場を展開したとかで、ルガーP―08やワルサーP-38のコピーも製造しているらしい。
勿論、カタログに大々的に掲載すればアウトラインの版権上、賠償問題に発展するので『製造販売していないことになっている』。
外貨獲得のために手段を選ばない商魂に化け物じみた執念を感じる。
5人の追跡者は3人と2人に分かれて散開した。
由子が狙うのは3人組の方だ。
5人とも薄暗い環境なので、表情ははっきりと解らない。交わされる言葉から随分と周章狼狽な心中が見て取れる。
鉄火場に巻き込まれるのは初めてなのだろう。
由子も一山いくらの安い戦力で雇われたときはそうだった。
駆け出しの頃は22口径のロームRG-14でせっせと恐喝と強盗に明け暮れていた。
いくつかの文句があるとはいえモーゼルHSc-80に買い換えるまでは苦戦を強いられた。
路上の突発的な強盗行為で、22口径が見せる銃口の『説得力』と9mm以上の持つそれとは比較にならない。
だのに最近はスポンサーがアシが付くのを恐れ、いつでも使い捨てできる安価で強力な拳銃をあらかじめ、ばらまくことが多くなっている。
個人が用意した銃火器では入手経路がバラバラで確保しているルートも違い、スポンサーが飼っている子会社の密売組織から芋づる式に摘発されるのを恐れてのことだ。
もちろんその際にはライバル組織やバックボーンが皆無の組織の銃火器を持たせるわけだが。
できるものなら由子もそのスポンサーの縁故にあやかりたい思いだった。組織本体の庇護下に組まれるのはご免被るが。
同じ9mmの13連発でも、実戦を経験している軍用実包と、民間でのセルフディフェンスしか想定していない実包では火力が違う。
由子の拳銃は主に恫喝用だ。
1万円脅し取るのに5万円の銃を使っていては本末転倒だ。
安い銃を買って『安物買いの銭失い』なら笑い話で済むが、アンダーグラウンドを渡り歩くための護身用ともなればそれなりの火力も必要だ……そしてなし崩し的にモーゼルHSc-80に帰結したが……はっきりいって一対多数の銃撃戦は元から想定していない。
背中に冷たいモノが走る。
口角は引き釣り気味に笑うが眼は笑っていない。
足音を殺して遮蔽を移動しながら、3人組の背後に廻るべくストーキング。
「!」
突然の発砲。それも3人のうち1人が床に向かっての暴発だ。
――――5人……。
――――素人臭いねえ。
男女混合で5人。男3人。女2人。年齢は一番若い顔つきで20代前半。一番歳高と思われる者で40代前半。
やや人相の悪い顔つきであったが、この雑踏の中でまばらに追跡するのには問題のない人選だった。早くも動員されている総数を由子に嗅ぎ分けられるあたり、金か麻薬で雇われたチンピラだ。
由子も同じ、一山いくらの小悪党として雇われることが多いので、連中のその気苦労を先に心配した。
顔馴染みでもなんでもない、練度も士気も違う即席メンバーで一つの対象を追跡すれば必ずボロが出る。
依頼内容を半分も達成する前に作戦は破綻して成功報酬は払われることがなくなる。
追跡作戦が破綻してもいいから尾行しろと依頼されたか、別口のグループがこまねいている『穴』に誘導させるために、わざと使い捨ての駒で追い立てをさせているのか。
どのみち、ノコノコと自宅に戻っても何も発展しないだろう。
由子は腕時計を見るふりをして立ち止まると、何かを思い出したふりをしてバス停に並ぶ。
焦る追跡者。
バスで一気に引き離されては元も子もない。間もなくバス停にバスが止まり、迷わず乗車する。追跡者の性急な足音が背後から聞こえる。
――――乗ってきたか。
――――まあ、バスの中ならいきなり得物を抜くこともないだろうね。
バスと路面電車を乗り継ぎ、自分が縄張りとしている界隈を大きく外れる。
人の往来が少なくなったとはいえ、まだ午後の陽が高い時間。
面倒事はここに限る、といわんばかりの闊歩で裏路地経由でシャッター街の中型商業施設に入る。
この商業施設も閉店セールはとうに終わり、解体を待つだけの運命だ。
天井のアーチからの陽光以外に光源が確保されない絶好のロケーション。
装飾の壁材ははがされ、寒々しい打ちっぱなしのコンクリの壁がちょっとしたダンジョンを連想させる。電気系統は全て死んでいるのかどのスッチを押しても反応しない。
一騒ぎ起こして騒がしくなったどさくさに逃げてやろうとスプリンクラーのセンサーをオイルライターで炙るが反応がない。……それも予想の範囲内。
スッと息を殺す。聴覚を澄ます。
路地裏側の勝手口付近でおっかなびっくりの反応をしていた追跡者が覚悟を決めたらしく『ご入場あそばされる』。
漏れ聞こえる声が伽藍堂の空間に軽くこだまする。
携帯電話を使う声も聞こえるが、増援の要請ではなく、追跡の続行をいいつけられたのか、小さく罵る声も聞こえる。
直線距離にして、由子から追跡者の一団まで20m。
豊富な遮蔽物のおかげで実測は難しかった。それは向こうも同じだろう。
埃と湿気を帯びた空気。長居しているだけで心肺機能が冒されそうだ。
「……」
フィールドコートの左脇から財布でも取り出すようにモーゼルHSc-80を抜く。
余計な音は立てたくない……できるだけの微力でセフティを解除する。
薬室には実包が装填されている。……恐ろしい話に由子はモーゼルHSc-80のセフティを『掛けただけで』携行していた。
引き金は後退したままで撃鉄は起きたままでの携行。
理屈上、モーゼルHSc-80にコック&ロックは存在しない。
携行している最中に軽くなったままの引き金が何かの拍子で引ききったとしても撃鉄が空撃ちをして暴発にいたらないが、射手からすれば精神衛生に悪い事態だ。
しかし、鉄火場に臨む際の現実としては、こちらの方が即応性に優れている。
セフティをカットすればいつでも軽いままの引き金に撃発の命令を下せるのだ。
耳を澄ませる。いやに甲高く聞こえるコッキング。連中も得物を抜いた。大方、口を訊くことができるのなら半殺しでもかなわないと注文されているのだろう。
遮蔽の陰からリップミラーを突き出して確認。
大型の自動拳銃を握る5人を全員、捕捉できた。
いくらでもある遮蔽物を利用せずに、各自がカバーをせずに、銃口と視線を連携させずに忙しなく声をかけ合って由子の所在を質問し合う。
その銃声一発で萎みそうな恐怖の色は、初めてお化け屋敷を体験する小学生のそれだった。
一人残らず『無力化』させるのは簡単だ。
はっきり応答できる程度に負傷させて情報を引き出すとなれば少々難しいが。
先ほど、携帯電話で連絡を取っていた男――30代半ばの男――だけに標的を絞って他を排撃する方針を選択。
――――また、ノリンコか……。
――――使い捨ての駒も楽じゃないね。
――――ま、9mmでも45口径でも当たれば同じだけど。
連中の手の中に握られているのはノリンコのハイパワー。コピーとはいえ9mmの威力は変わらぬ。
近年ではノリンコは懐古主義者向けの市場を展開したとかで、ルガーP―08やワルサーP-38のコピーも製造しているらしい。
勿論、カタログに大々的に掲載すればアウトラインの版権上、賠償問題に発展するので『製造販売していないことになっている』。
外貨獲得のために手段を選ばない商魂に化け物じみた執念を感じる。
5人の追跡者は3人と2人に分かれて散開した。
由子が狙うのは3人組の方だ。
5人とも薄暗い環境なので、表情ははっきりと解らない。交わされる言葉から随分と周章狼狽な心中が見て取れる。
鉄火場に巻き込まれるのは初めてなのだろう。
由子も一山いくらの安い戦力で雇われたときはそうだった。
駆け出しの頃は22口径のロームRG-14でせっせと恐喝と強盗に明け暮れていた。
いくつかの文句があるとはいえモーゼルHSc-80に買い換えるまでは苦戦を強いられた。
路上の突発的な強盗行為で、22口径が見せる銃口の『説得力』と9mm以上の持つそれとは比較にならない。
だのに最近はスポンサーがアシが付くのを恐れ、いつでも使い捨てできる安価で強力な拳銃をあらかじめ、ばらまくことが多くなっている。
個人が用意した銃火器では入手経路がバラバラで確保しているルートも違い、スポンサーが飼っている子会社の密売組織から芋づる式に摘発されるのを恐れてのことだ。
もちろんその際にはライバル組織やバックボーンが皆無の組織の銃火器を持たせるわけだが。
できるものなら由子もそのスポンサーの縁故にあやかりたい思いだった。組織本体の庇護下に組まれるのはご免被るが。
同じ9mmの13連発でも、実戦を経験している軍用実包と、民間でのセルフディフェンスしか想定していない実包では火力が違う。
由子の拳銃は主に恫喝用だ。
1万円脅し取るのに5万円の銃を使っていては本末転倒だ。
安い銃を買って『安物買いの銭失い』なら笑い話で済むが、アンダーグラウンドを渡り歩くための護身用ともなればそれなりの火力も必要だ……そしてなし崩し的にモーゼルHSc-80に帰結したが……はっきりいって一対多数の銃撃戦は元から想定していない。
背中に冷たいモノが走る。
口角は引き釣り気味に笑うが眼は笑っていない。
足音を殺して遮蔽を移動しながら、3人組の背後に廻るべくストーキング。
「!」
突然の発砲。それも3人のうち1人が床に向かっての暴発だ。