冬空越しの楽園

「私が……この汚い世界に入った理由。解決する糸口がみえそうなの」
「……」
 とつとつと喋る留美。みつめる由子。
「ある日突然妹が消えてね……誘拐だった。私が18のときで妹は10歳。身代金は要求されていない。八方手を尽くしたけど何も解らずじまい。警察や興信所もお手上げ。地方の新聞の小さな記事にもなったわ……本当に、本当に可愛い妹なの」
 留美は眉根に鎮痛な皺を寄せて俯く。
――――『妹なの』……か。
――――留美の心の中では死んでいないのね。
 留美がいかに妹を溺愛していたか、言葉の端から垣間みれる。
 この世界ではよくあるストーリーだが、当事者にとっては人生を擲ってでも解決したい問題だ。
 家庭崩壊の末に根無し草同然の生活をしている由子には、この手の『お話』は時間が無駄なほど出会ってきた。
 得てしてバッドエンドで『お話』は終わる。
 それも知っていた。予想できた。そして留美のこれからいわんとする願いも半ばで折れるだろう。
「……でね、この暗い世界に入って自分で情報を集めれば何か解るんじゃないかって、ね。主人を持たない連中から情報を拾おうと思って『職業の斡旋』とかを生業にしている自分を『演じた』……」
「そして、その妹の行方を知るかもしれない組織の情報をアンテナがキャッチしたのね」
「そうよ……後は想像通り。他人の依頼の情報を『自分に横流しして』あなたに回収してもらう予定なの」
――――『予定なの』……か。
――――留美はまだ私を使うつもりなのね。
 苦い笑いを押し殺す由子。
 留美がいかに焦り、いかに気が急き、いかに普段の自分のキャラ性を維持することを忘れているのか解る。
――――ああ。必死だ。
――――使えるのなら友人の私も……。
――――いや、私も手駒にするために友人のポジションに座っていたのかな?
 『裏切られているのを知らない友人』として助言することは何もみつからなかった。
 留美はただ、自分に足りない機動力と戦闘力に、由子を代入することで解決しようと目論んだだけだ。そして、闇社会の職業窓口たる留美のその判断は間違えていない。
 適時適宣に適当な人材を適度に投入し、己のエゴを満たすのもこの世界では珍しくない。
 正直にいえば、少々、傷ついた。
 報酬の上前をはねる。だのに仕事内容は面倒……それは『いつも通りだった』。
 いつも通りの中の小さな違和感から始まった友人の『よくある話』。そして職業上のつきあいとしてはそれを叶えてやるに不足な現実をどうやって突き返すか考え倦ねる由子。
 残念だが、『留美の依頼』は受けられない。留美が持ってきた本来の邸宅に潜入してからの金庫破りなら、手勢を集めれば『可能』だが……単純にギャラの発生源の違いだ。
 依頼人に通す信頼信用はあっても、それを留美に無償で提供する義理人情はない。そして立てる仁義もない。
 依頼人より上回る金額を提示して由子を雇うのなら話は違ってくるが、留美が隠している本当の額面を推測するにそれも適わないだろう。
「『話は聞いた』。けど、それだけね。別口を探して。悪いけど、私もドサンピンなりの矜持があるの」
 由子は席を立つ。時間の無駄だ。
「待って! ここにアイツらの組織図が! これがあればコネと金の流れが!」
 留美は首にさげたボールチェーンの先端を抜き出して由子に見せる。
「セキュリティは私しか知らない! これを使えば交渉が対等にできる! もっと優位に立つために」
 そこから先の会話が途切れた。
 強襲する銃弾。
 分厚い合板のドアが爆発音に似た音と共にずっこけるように外れる。 ドアが蹴倒されてカジュアルな服装に身を包んだ男たちがなだれ込んでくる。その数6人。何れも拳銃で武装。
 入室するなりの狭い空間であるにもかかわらず、銃撃。由子も咄嗟にモーゼルHSc-80を抜き放ち発砲。
 即応性を問われていた『ハンマーデコックさせない安全装置をかけただけのモーゼルHSc-80』で応戦。
 効果は上々。即座に先頭の2人を無力化させる。
 9mmショートより少しばかり強力なだけの9mmウルトラでは一発ずつ叩き込んだくらいでは絶命に到らせるには不足だが、戦線から離脱させるには充分だ。
 空薬莢が無秩序に転がり、壁に跳ね返り、フローリングの床に落ちる。
 たった7mの距離でも練度の低い遣い手ならば移動する標的に被弾させるのは至難の業だ。
 グリップパネルとスライドの側面の仕上げが荒い、みるからにノリンコのコピーだと解る1911が吼える。
 由子の姿どころか、影を捉える45口径は皆無だった。
 練度が低いどころか、今日が発砲が初めてなのか、トリガーガードの角を蹴り上げられるような反動を片手で必死に抑え込もうとしているので、撃てば撃つほど銃口は跳ね上がる。
 明らかに上半身と下半身の連携が皆無。
 それで45口径の獰猛な停止力が低下するわけではない。四肢を掠るだけでも大打撃だ。
 遮蔽物のない場所での銃撃戦。なにより驚いたのは、『聖域』であるはずのこの場所にまで押し込む勢力が存在していたことだ。
 この部屋を出て路地から出た途端に狙撃されたり拉致されたりという話はよく聞くが、問答無用で押し込む輩は聞いたことがない。
 状況の把握と理解が追いつかない由子は、散発的な弾幕を張り、攻め込む勢力を押し返すことだけで頭の中が一杯だ。
 寧ろ、余計な混乱を招かないためにも、目前の襲撃者の撃退という課題を頭脳に与えたほうが混乱を抑止できる気がした。
 トリガーハッピーと変わらぬ襲撃者。
 見たことのない顔ばかりだったが、服装や顔つきからして雇われただけのゴロツキだと雰囲気で理解する。手に持った1911が弾切れを起こし、スライドが後退したまま停止すると、由子から視線を離してその場で突っ立って再装填に必死になる。
 遮蔽のない場所での襲撃に、運を天に任せてジグザグのステップを踏んで連中のサイティングを攪拌していたが、弾切れを起こした奴から丁寧に9mmウルトラを叩き込む。
 決まって腹部に一発だ。
 腹腔を銃撃されれば鈍く重く激しい苦痛で呼吸もままならず簡単に無力化できる。
「…………」
 時間にして30秒ほどの銃撃戦。
 波状攻撃の予定はなかったのだろう。二波三波の気配がない。
 モーゼルHSc-80のグリップの重心から弾切れが近いことを知り、新しい弾倉と交換する。
「!」
 背中に氷のナイフを突き立てられたように振り向く。
「……」
 留美が一人掛けのソファの後ろで臥せっている。勘を働かせて一足先に最良の方法を選んだのだと、半ば胸を撫で下ろす。
 ……だが、現実は非情である。
「おい!」
 床に伏せる留美の腰の辺りから赤い血液が溢れる。
 横溢したそれはコルクを抜いたように止まることを知らずに床を赤く染め上げる。鉄錆と硝煙だけが席巻する狭い空間でなお、惨状を広げる。
 腹と胸に一発ずつの被弾。駆け寄って頚動脈に手を当てるが脈拍は非常にか細い。
 青い顔に玉の汗を浮かべる留美は片目を辛うじてこじ開けて、ちぎれたボールチェーンと一緒に握ったフラッシュメモリに視線を向ける。その手を握ろうと由子は身をかがめる。
「? ねえ! なに?」
 荒くなる留美の吐息。聞かずとも解っている。留美が死の痙攣に襲われる前兆を発症したのだ。
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