冬空越しの楽園

「普通に考えてもみなよ。丸投げじゃなくて、アガリの4割も持っていくんだろ? で、仕事するのは私だけで振込みをみるのはお前だろ? 信じられる要素はどこにもないよ!」
 襟足がやや長いマッシュウルフのショートカットをゴムで束ねた由子は、非難の色を込めたセリフと視線を対面に座る、自称友人に向けて放つ。
 ともすれば喉笛を噛みちぎらん勢いの凶相を前にしても、平然とコーヒーを掻き回す由子と大して年齢に開きがないと思われる女性の心胆に喝采だ。
「私は何でも屋じゃないよ。それにギャラはどこから発生してるのよ。問題が起きた時の『根回し』にも経費が適用されるの?」
 ショートカット系列の髪型の由子と対極に、健康的という表現が似合う、今どき珍しい黒髪のロングを腰付近まで伸ばしたその女は、プンスカと感情を吊り上げる由子に対して何も反論はしなかった。
 由子のいうことは尤もだ。
 無理難題を由子に押し付けて成功報酬だけを山分けするのは道理が合わない。
 人脈の構築と展開を苦手とする彼女に代わり、コネクションの代行を買って出たといっても詭弁にもならない。
「なあ、留美。あんたは悪いヤツじゃないけど、『憎らしいヤツ』だ」
 一通りの悪態をぶつけ終えた由子は、この席が雑踏に面したオープンカフェであることを思い出したのか、自分の声の大きさに今更ながらに顔を赤らめる。
 そして静かに自分のコーヒーカップに口をつけて渇き気味の喉を潤わせる。
 サマージャンパーのように薄い生地で拵えたフィールドコートに袖を通している。気温が上昇するに連れてそれをすぐに脱ぎたいと襟に手を掛けるが、すぐに引っ込める。
 ……左脇にはモーゼルHSc-80を呑み込んでいる。
 衆人環視の中でそれを晒すのは自殺行為に等しい。
 カーディガンを軽く引っかけたデニムスカートの、自称友人の出で立ちが羨ましかった。
 何というブランドの何というコーディネートなのかは知らないが『見た目だけしおらしい彼女』にはピッタリと当て嵌まる装いなので余計に腹が立つ。
 留美という名前らしい自称友人が涼しい視線でじっと由子を優しくみつめている。
「な、何よ……そんな顔しても無理なものは無理!」
 高部留美(たかべ ともみ)。これでも由子と同じ闇社会の人間だ。
 職掌は由子のようにはぐれているチンピラに『働き口』の紹介や斡旋を行うこと。
 無論、それはボランティアではない。
 殆ど全ての、提供する現場は鉄火場か土壇場か修羅場のど真ん中で留美の懐に入る金額は相当なものだ。
 十把一絡げな説明をすれば切れ長の黒髪美人・留美の仕事は一山いくらで売り買いされる、使い捨ての駒を調達する薄汚い仕事だ。
 なおそうであっても、この業界では需要と供給が成り立つ。留美のような存在も由子のような存在も必要不可欠だ。
 ただ、由子にだけ贔屓して、ある程度の情報を無料で提供している。いつかこの恩を着せる行為が大きな金品となって自分に返ってくることを目論んでの黒い算段だが。
 その『気の置ける』友人の持ってきた新しい仕事とその条件、経費等に由子は文句を並べずにいられなかった。
 とある邸宅に忍び込んで金庫を破り、目指す内容物を奪って依頼人に渡すだけだが、どうも臭い。
 それを嗅ぎ取ったのは成功報酬の件だ。
 アガリが山分けということは、この仕事は簡単だという無言のアピールでアプローチ。「この程度の仕事ならあなたならいくらでもこなせるでしょ?」と言外な表現。
 由子はそこに違和感を覚えた。
 普通なら引き受けている。しかし、留美の視線や指先が不穏だ。
 人間観察は得意ではないが、友人を自称する人間の挙動から裏側を模索するスキルはそこそこのモノだと自負している。
「何か……何か隠しているわね?」
 先ほどの噴出する感情を忘れたような物静かなトーンで由子は問う。
「…………」
「…………」
 コーヒーから完全に湯気が消えるほどの長い沈黙。
 時計の秒針が何周したか。
 由子の眼をいまだに直視しない留美。
 当初、「面倒だから」と嘯いたのは枕詞かブラフか。留美にも含むところがあるらしいのは確かだ。
 小癪に見えて牽強付会することを好まない留美だ。友人の由子には憚られる何かが働いているのだろう。
「……言ってみな。『何か』あるんでしょ?」
 再び問う。
 留美の顔色は相変わらずだが、指先が忙しなく組み替えられる。テーブルの振動から爪先も心が穏やかでないことを物語っている。
 ニカラグアのいい豆を使っているはずのコーヒーも、これだけ冷めれば流石に本領を発揮できない。
 由子は冷たいコーヒーを嚥下すると喉の奥から立ち上る芳醇で香ばしい香りを鼻腔から抜いて最後の余韻を記憶に残す。
「……人身売買……」
「?……」
 声色を努力して平静に維持している。そんな顔だ。
「人身売買組織の資料一式。それを奪うのが今回の仕事なの。私はその資料が欲しいの。コピーでもいい……たった一個のフラッシュメモリに書き込まれたそれを奪って欲しい……」
 理由よりも大きな誤りが一つ。
 留美は確かに「資料が欲しい」と明言した。
 報酬の上前をはねるよりも凶悪な違反だ。
 信用を看板にするこの商売で、自らの努力をドブに捨てる発言。……依頼者の目的の横取り。横紙破りな非道。なんでもありの闇社会でもいくつかある例外のうちの一つ。報酬の上前をはねるよりも許されない。
「……場所を変えようか」


 オープンカフェから徒歩で2分ほどの場所にある路地裏への入口で、寝転がって往来を塞ぐ浮浪者。
 見かけは浮浪者でも腹や腋に得物を呑んだ『警備員』だ。
 この先のカビ臭い路地へ進むにはこの浮浪者数人を抜けなければならない。
 が、由子はハーフコートの内ポケットから封を切ったクラッシュプルーフボックスのラッキーストライクを取り出して『死んだ魚の目を演じている浮浪者』の一人にそれを渡した。
 蓋を開けても煙草が詰まっているだけだが、その隙間に万札が数枚、忍ばせてある。これが『入場料』だ。
 心付けを抱いた煙草を渡すと浮浪者は中身の煙草を仲間に分け与えるふりをして、込められた『誠意』を数えて路地の脇に背中をもたれさせる。これで通行が可能だ。
 その路地の最奥付近。
 ビル群の裏路地で薄暗くカビ臭く空気が澱んでいる。
 とあるテナントビルの裏手口と思われるドアを開ける。由子と留美はためらわずに入る。ここへくるために大枚をはたいたのだからためらう必要はない。
 重要な議題を抱えたときは大体、ここで話にケリをつける。
 テナントビルの一室に入る。
 カーテンで日差しが完全に遮られ、電灯を点けなければならない。
 約束事の一つとしてカーテンや窓の開放は厳禁とされている。
 それらも知ったところで、15平方メートルほどの会議室の真ん中に置かれた場違いな応接セットに遠慮せずに対面で座る。
 誰も居ない。この部屋に来るまでに人の気配は皆無。勿論、茶の一杯も出てこない。
 誰が清掃管理しているのか、床や応接セットは清潔に保たれている。
 テーブルを挟んで対峙。
 二人共、一人掛けのソファに腰を下ろす。
 マホガニーの重厚なテーブルの上にはバカラの灰皿と卓上ガスライターがぽつんと一式。
 ここは知る人ぞ知る、闇社会御用達の会議室。盗聴も盗撮も心配ない。
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