冬空越しの楽園

  ※ ※ ※
 時間が経過した。
 少なくとも由子が目を覚ますのに充分な時間が経過した。
 目が覚めるきっかけは苦痛の波状攻撃。
 それが自らを叩き起さんための手段だと錯覚しての油の切れたオモチャのような硬い起き方だった。
「…………?」
――――生きてる!
 尻から進行する急激な冷え。
 両肩の高熱と錯覚する銃創が外気に当てられ相反する、寒いという痛覚を伝える。
 それに加え、失禁したらしい股間の異様な冷たさと、左内太腿の疼痛。
 喉の渇きが酷い。微熱も引いていない。倦怠感は恐らく維持されたまま。
 だが、普通に目が覚めた。
 意識をなくしたというより、少しばかり眠りに落ちたといった方が当て嵌る。
 少しばかりの気絶かもしれない眠り。以前より頭がはっきりしている。
 状況は何も変わっていない。
 自分は、あの寂れた町の一角にある、広い更地の一辺で座り込んでいるだけだった。
 否。
 状況が変わっている事項が一つ。
 由子の両脇、5mの位置で2人の人影が苦しそうな呼吸で、焼けたフライパンの上に放り込まれた芋虫のように身をよじっている。
 2人とも、被弾しているらしい。
 男も女も脇腹に9mmを叩き込まれて額に大粒の汗を浮かべている。
「!」
 今なら逃げられる! と、勢いをつけて立ち上がろうとするが、腰に力が戻っていないらしく、数cm浮かしただけでペタンと座ってしまう。
 両肩を深く銃弾にえぐられた怪我を無視し、忙しなく視線を両脇で倒れる男女に走らせる。
 男は30代後半。女は……20代にも満たない少女だった。
 冷血な弾頭は非常にも、悪運にも、無意識下で放った由子の銃弾の餌食となり、無力化に近い負傷を負わされた。
 赤茶けたセミロングの少女の方がやや傷が浅い。
 この少女は状況から察するに9mmウルトラで負傷したらしいが、この体躯程度の容積を停止させるには充分な威力を発揮したらしい。
 呼吸のたびに八重歯を剥いて激痛を堪える。
 体を半身、起こして自分が手放した拳銃の方へと這いずる。
 男の方はやや深く……バイタルゾーン近辺に被弾したのか、自分の拳銃を探す余裕すらなさそうだ。射入孔からの出血が激しい。
 一体どれだけの時間、眠りに落ちていたのか、意識を飛ばしていたのかは解らない。自分や連中の流出する血液も正確に測れない。
 解ることは、破れかぶれと、頭の中の『五月蝿い警報を掻き消す行為』と、最期に残しておきたいなにかをしたかったと言う曖昧な要素と、単純に『当たれ!』と願う博打根性が働いただけだ。
 そして博打に勝った。……とはいえない。
 それなりの代償を払った。ベットする代金が大きい割に払い戻しが少なかった。
 両肩の負傷。骨には達していないだろうが、筋肉繊維を大きく削られた銃創が風に滲みる。血液の流出は大したことがない。痛みが問題なだけだ。フィールドコートの両肩は血で染まる。痛々しい姿。
「う、う……撃て!」
「!」
 苦悶の表情を浮かべた男が脇腹の銃創を両手で押さえながら、首だけを廻してこちらを睨む。
 慌てて右手側のモーゼルHSc-80を拾うべく素早く身を屈めると、風に撫でられた頭髪の襟足が発砲音と共に軽く揺れた。
「!」
――――ちっ!
 両肩の痛みを、歯を食いしばり耐える。
 モーゼルHSc-80を握り、左手側5m向こうで発砲した少女に銃を向ける。
 ノリンコT-R9を握りきれていない小さな掌。
 銃を握り込めていない。牽制やカバー専門で実際の止めはこちらの男が担当だったのかもしれない。
「…………」
「…………」
 両者とも苦痛を堪えての対峙。
 不自然な体勢でのにらみ合い。
 一方は座り込んだまま上半身だけを捻り、もう一方はうつ伏せに寝そべった体勢から上半身だけを左手で浮かし、右手で重い大型自動拳銃を保持。
 両者の銃口が震える。
 両者とも狙いが定まらない。
 苦痛。疲労。意識の低下。
 あらゆるマイナスの要素が両者のサイティングを鈍らせる。
「撃て! 早く撃て!」
 負傷して銃を握れない男が気力を振り絞って少女を急かす。
 少女の目には何が原因なのか、涙すら浮かんでいる。まさかこの期に及んでこの業界で生きてきたことを後悔しているのではなかろうな?
「…………撃て……」
 男は再び苦痛にもがき始める。
「撃て……その標的が……お前の最初の標的だ!」
 なおも男は苦悶の合間に少女に叫ぶ。
「……お前の……お前の最初の……標的だ……『かの』!……」
――――!
――――『かの』?
――――あの、『かの』か!
 高部留美の中で妹という設定になっていた、架空のはずの人物。『高部かの』。
「ああああああっ!」
 あらゆる呪詛を込めた絶叫とともに『かの』と呼ばれた少女は揺れる銃口のまま引き金を引く。
 放たれた6発の9mmパラベラムは1発も掠ることなく弾切れを告げる。
 後退したままのスライドのノリンコT-R9が徐々に力なく落ちていき、地面にぶつかる。下がる銃口は彼女自身の戦意の低下を標しているようだった。
 大粒の涙を流しながら地面に顔を沈める。
「…………『かの』」
 由子はモーゼルHSc-80の銃口をさげて抑揚のない声で話しかける。
「『かの』……留美の『妹』の『かの』」
 短い鎌かけ。
 すぐに反応がある。
「な、なんで……アンタ……留美……アンタ、留美の何なの? アンタ、『誰』?」
 下唇を噛んで由子を睨む少女。
 中々に野性的な、女ウケする顔つきだ。美少女足りえないが、にじみ出る魅力を感じる。大きな双眸に突如、灯る精気。
「……あー。そういうことか」
「な、何がよ?」
 由子の思考回路が随分と久しぶりに音を立てて計算しだした。
 この少女は『高部かの』だ。
 あのアンダーグラウンドの組織が経営する、孤児院の施設という建前の『組織者の培養機関』で、留美と『かの』は存在した。
 留美が妹と呼ぶほどに愛情を注いだが、留美が先に引き離されて非合法な斡旋業に関するスキルを叩き込まれて闇社会にデビューさせられた。
 だけど未練がある留美はどうしても『かの』と会いたかった。
 その『かの』は一方でこうして鉄砲玉要員としてデビュー……男のセリフから鑑みるに、見習い期間中で鉄火場に際しても人を手にかけたのは皆無らしい。
「……そう……いうコト……ね」
 煙る由子。『かの』という人物と安っぽくも衝撃的な出会い。
 今、彼女に何を話すべきか? 留美は死んだと伝えるのか? 事情を知ることなく駆り出された彼女に由子がこの地にいる目的を話すか? それとも思い切って命乞いでもしてみるか?
 2人の間に波状攻撃のように寒風が襲いかかる。
 由子はモーゼルHSc-80を手放し、バンダナで右肩に前歯と左手で、自分の止血を悠々と始めた。
「ち、ちょっと! ……なによ、その余裕!」
 『かの』の非難を横目に小さくクスッと笑う。
――――へえ……。
――――留美ってこういうのがシュミだったんだ。
 場違いな微笑み。
「ねえ、『かの』」
「アンタに『かの』って呼ばれたくない!」
「コレ、あげる。大事にしなさいな。どんな麻薬よりも金になるかもよ?」
 由子はそういうと、首からフラッシュメモリがぶら下がっているボールチェーンを取ると、『かの』に投げて寄越した。
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