冬空越しの楽園

 2人のうちどちらかが毛糸を足に引っ掛けたらしい。
 2人とも鉄パイプの雪崩に襲われるが、体に覆いかぶさった重さは知れている。大した動作もせずに折り重なる鉄パイプを自力でどけて立ち上がる。
 由子からの銃撃で止めを刺すには鉄パイプが2人の体を護る役目を果たしているので、ノリンコT-R9の9mmパラベラムで止めを刺すことはやや難しい。この暗がりだと尚更だ。
 そこで……。
 マフラーの残りの部位で緩く、この遮蔽まで運び込んだ鉄パイプをもたげ、鉄パイプの一端を倒れている男の背中の真ん中にあてがい、もう一端の方にノリンコT-R9の銃口の周りを軽く触れる程度に押し当てて引き金を絞る。
 銃声。甲高い金属音が鉄パイプを通り抜ける。
 鉄パイプを通過した9mmパラベラムは男の背中に外れようもなくめり込み、射入孔を作る。
 意外な方向からの銃撃になすすべもなく、致命的な負傷を負う。鉄パイプをもう一人……女の顔面に向ける。
 体に被さる鉄パイプ群は邪魔でもこうすれば確実に9mmを叩き込める。
 女の目が裂けんばかりに大きく見開いた瞬間に引き金を引く。
 ざらついたトリガーフィーリング。
 発砲される9mmパラベラムは鉄パイプ内部を何箇所か削りながら女の額に導かれる……そして……うつ伏せの死体が2つでき上がる。
 鉄パイプを間接的に握るマフラー。これが緩衝材だ。これがなければ鉄パイプ内部を通過する際に内部を削る9mmの弾頭の衝撃で掌に激痛が走る。それに近い銃口からほとばしる銃火で手を火傷してしまう。
 鉄パイプを捨て、振り返る。
――――さあて……こちらにもいたな。
 内心の余裕を誇示しているわけではない。
 空元気に近いものを奮い出して自分を焚きつけないと恐怖が鎮まらないのだ。
――――あと、4人。
――――男2人。女2人。
 武者震いでない震え。寒気が走る背筋。左手のボストンバッグもやや軽くなってきた。
 弾倉の残弾を確認。モーゼルHSc-80の予備弾倉は残り1本。
 グリップに収まっているのは7発。ノリンコT-R9の予備弾倉は13本。50発入りバラ弾のブリスターパックが3個、有る。
 いずれも新品。空弾倉に詰めさせてもらえる時間はくれないだろう。
 そもそもノリンコT-R9の銃身の寿命が心配だ。粗悪品の粗製濫造に定評のあるノリンコなだけに。
 9本の弾倉を消費したノリンコT-R9。
 薬室から伝わる熱が引き金周辺まで伸びてくる。
 銃身の寿命はとっくに過ぎていると仮定する。
 目前で倒れる死体が放り出した拳銃に視線を走らせる。
 ノリンコT-R9。掌の甲でスライドに軽く触れて『酷使』の度合いを熱で測る。幸い、2梃ともそんなに熱を帯びておらず、機構も健全だ。
 2梃とも奪いたいが時間がない。直感でどちらかを選ぶ。予備弾倉も奪いたかったが、鉄パイプの隙間から2つの死体を掘り出して衣服を漁る時間はない。
 折角、サイトの癖を掴みかけたノリンコT-R9を捨て、拾得したノリンコT-R9を握る。
 この連中のスポンサーなり上位組織は兵站を重視してのことか、同型のモデルで統一しているらしい。確かにトカレフやマカロフや1911やベレッタが混ざっていると兵站に支障が出る。
 仲間と弾倉と口径が共用できる銃はそれだけで『大きな武器』だ。長丁場の銃撃戦でも仲間同士で弾薬を再配分できる。
 新しく手に入れたノリンコT-R9を握る。
 違和感はない。グリップパネルが生み出す角ばった感触にも慣れてきた。
 このノリンコT-R9の死んでしまった遣い手は、サイトに蛍光白色ドットを打ち込んでいる。今までの乱射や盲撃ちじみた発砲より多少は照準を定めやすいだろう。
「!」
 翳すボストンバッグ。咄嗟の行動。
 わずかに……極々わずかに遅れて聞こえる銃声。
 爆ぜる音。ボストンバッグの中身の『何か』が爆ぜた。
 由子は頭部に掲げたボストンバッグを即座に放棄。体が咄嗟の行動を起こす。
 由子のノリンコT-R9が刹那の遅れに吼える。
 拾得したときにコンディションや薬室、弾倉の状況を確認しておいて正解だった。
 ハリウッド映画よろしくの横撃ちだったが、外しようのない距離まで迫っていた人影の胸部と腹部の中間に9mmパラベラムを叩き込むのには充分な距離だった。タイミングは紙一重だったが。
 背後から迫る1人を討ち取る。
 男の声。悲鳴と罵詈雑言を同時に吐き出すような呻き声。
 スローモーション気味に膝から倒れる。無力化に成功。
 気を抜かずに牽制の弾幕を放つ。押し返されるもう一つの人影。
 呼吸や歩幅からして女だろう。
 先程自らで作り出した2つの死体のうち、捨て置く予定だったもう1梃を拾って左手に構える。
 肩にかけたボストンバッグがバランス悪く揺れる。
 左手のノリンコT-R9がラッキーパンチを放つ。
 女と思われる遮蔽に潜む人物の身体の一部を9mmの弾頭が深く掠ったらしく、血飛沫が飛び散る脂分多めの水音と、くびり殺されそうな悲鳴が聞こえる。
 上腕部か太腿の肉の厚い部分を負傷したのだろう。
 由子はそれを先途に、その女が潜む遮蔽に向けて駆ける。
 どのみち、そこを通過しなければこの障害物競走から無事に脱出できない。
 女の呻き声が聞こえる。
 なおも右手のノリンコT-R9で『頭を抑える』。
 無論、数秒でスライドが後退して停止。構わず右手のノリンコT-R9を棄てる。
 念のためと拾っておいた左手のノリンコT-R9も先程の銃撃でどれだけ実包を消費したか想像がつかない。
 ならば、と左脇に滑り込む右手。
 慣れたグリップフィーリングと丁度良い重量感のモーゼルHSc-80を抜き、安全装置を解除する……非情で冷淡にも、遮蔽の影で左の軸足、左大腿部に被弾して動けないでいる20代前半と思しき女の顔を一瞥すると、その女が侮蔑の言葉を弾丸として口から吐き出すより早く、9mmウルトラのダブルタップで頸部と顔面中央を穿ち即座に黙らせる。
 人命をかき消した一抹の虚無より、随分と久しぶりに聞く気がする9mmウルトラの軽快な発砲音とマイルドな反動に癒された。
 アドレナリンが沸騰していなければ、左太腿の負傷が原因の微熱と倦怠感で機動力が低下しているところだ。
 寒風の冷たさも忘れたときにフィールドコートのハンドウォームに突っ込んだ使い捨てカイロがほんのりと温暖を伝えて提供してくれる。
――――走れ!
――――走れ!
――――早く速く走れ!
――――どこに走るんだ?
 意識の混濁が始まる。軽いめまい。
 壁面の基礎部のコンクリートに背中を任せて座り込む。
 急激に脱力。炎症が悪化したのではない。緊張の糸が切れたわけでもない。
 めまぐるしく計算を繰り返す思考が、脳内麻薬の興奮作用とコンフリクトし、軽い解離症状を引き起こした。
 思考のエアポケット。
 五つの感覚から得られる情報を元に、殆ど好戦的本能的能動的に脳内で分析した答えを、微生電流に乗せて身体を動かしてきたが、突如の解離。
 普通なら恐慌に陥って気絶していてもおかしくない状況をなけなしの気力でカバーしていた。
 ……彼女の言葉を借りるなら『身の丈以上のコト』をした結果、脳と心と体が悲鳴を上げた。
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