冬空越しの楽園
――――埒が開かない!
一進一退すら感じられない銃撃戦。
暗がりの資材の隙間を乏しい光源を頼りに駆ける。
「!」
――――挟み撃ち!
目前30mの位置にある遮蔽と思われる陰から人影が伺えたと思った途端、銃弾が飛来する。
頬を掠り、耳朶を浅く削られる。
飛び散る血飛沫が軽く脱色した短い髪に飛び散る。首元のマフラーの端が弾頭にはたかれて毛糸が弾ける。
目前の遮蔽物。身長を超えるパレットの山にブルーシートを被せただけ。その隙間から2人の影が伺える。
効果的な一撃は望まず、咳き込むような速射で弾幕を張る。
走りつつ、ボストンバッグを肩に引っ掛けた左手でアーミーナイフを取り出してスモールブレードを弾いて展開させる。
その小さくもカミソリのような切っ先で、遮蔽物を通り過ぎざまにブルーシートを縛り付けているザイルを切断した。
寒風に煽られたそれは、狙いを違わず、由子がパレットの遮蔽を通り過ぎる頃にはブルーシートがその陰に潜む2人を頭から覆い尽くして、視界を完全に塞いだ。
スライドがオープンホールドのノリンコT-R9のスライドを口に銜え、空いた右手でモーゼルHSc-80を抜く。
人の形をかたどる造形物に盲撃ちを叩き込む。5.6発程度の至近距離からの銃撃。
9mmウルトラのマズルフラッシュがブルーシートを炙って高熱で解ける。
9mmウルトラの咆哮に掻き消されたが、うめき声の一つも聞こえなかった。……ところが不思議なもので、距離を問わず、自分が放った銃弾が標的に命中したときは経験と勘が『命中の手応え』を教えてくれる。
血が詰まった革袋がブルンと震える振動を肌で感じ取るのに似ている。……敢えなく、ブルーシートに包まれたままの2人はその場に崩れた。
『命中の手応え』だけを勘で確認する。振り向かず、モーゼルHSc-80を左脇に戻し、左手のアーミーナイフのスモールブレードを押し畳んでフィールドコートのハンドウォームに戻す。
背後からの銃撃に肝を冷やされながら、遮蔽物を伝い、不規則なジグザグを描く。遁走に似た駆け足を続ける。
その間にノリンコT-R9の弾倉を交換する。
間断なく続く銃撃は脅威。しかも互いの弾倉交換のロスもカバーし合っての発砲。
ゆえに矯激極まるトリガーハッピーは存在しない。
今し方仕留めた2人がたまたま、最弱の駒だったのかもしれない。
――――計算と記憶が正しかったら……。
――――残り6人!
頭上で叢雲が晴れて満月が顔を出す。
叢雲を従えた冬の満月も風流なものだが、今はそれに心を残す余裕はない。
精々、僅かなりとも明かりを提供してくれてありがとうといったところだ。
間抜けな障害物競走。
四角い壁沿いに、お互いが遮蔽物を利用して銃弾を消費しながら走っているだけなのだ。
呼吸を整えようにも肺が空気を貪るほどの時間も与えてくれない。
白い吐息。冷える指先。駅の売店で使い捨てカイロを買っておいて正解だった。
指先の血流が鈍ると引き金を引くのにロスが生じる。極々僅かな時間だが、その刹那で自分の命が消えると思えば何にでもすがりたい気分だ。
右頸部がスースーと涼しく、右頬がこそばゆいと思ったら、先程の銃撃でマフラーの端が弾かれてその毛糸のほつれが頬を撫でていた。鬱陶しいと手をかけたが、しばし考えて障害物競走を再開。
「!……回り込むか!」
右手の空き地中央を駆ける2つの影。援軍ではない。対角線上の残り戦力の内、2人が由子の行く手の先回りを図るつもりなのだ。
このまま由子が真正面の小さな飯場だと思われるプレハブ事務所に飛び込めば終わりだ。
遮蔽も何も無い。全方位から満遍なく発砲される。
首からスルリと黒いマフラーを解くと、セフティをかけてハンマーデコックさせたノリンコT-R9を腹のベルトに差す。
再びアーミーナイフを取り出し、ハサミを展開させる。
走る。乱れ気味な呼吸を整えようと努力して走る。
衣服の端を銃弾が弾き飛ばし、揺れる髪を弾頭が抜けるとその度に尿道が緩んで一滴二滴ばかりの失禁。
無為に空を裂くあの8gばかりの、音速を少しばかり超える金属の粒が、1発十数円の実包から解き放たれる弾頭が、頭部に命中する恐怖を想像するなという方が無理な相談だ。
パチン。パチン……軽く涼しく美しい断ち切りの音色。
遮蔽の陰から陰へ伝いつつ、アーミーナイフのハサミを奮ってマフラーの解けた毛糸を更に長く解く。
早く……早く完了せねば、先回りされる2人によってこの障害物競走は強制的に終了させられる。
銃撃は容赦がない。
走りすぎて左内腿の負傷箇所が開いた。その部位が熱を帯びる。血がにじみ出るのが解る。疼痛が始まる。この負傷が原因の倦怠感や微熱も回復したわけではない。
廃材なのか放置されたままなのか判然としない様々な直径、長さの鉄パイプの山。
その積み上げたオブジェを固定するのは、地面に四方に打ち込まれた4本の短い鉄パイプのみ。
鉄パイプの上辺など、今にも転げ落ちてきそうだ。
そのうちの中腹の一本にマフラーから解いた毛糸を結びつける。
鉄パイプ、握る。力任せに内径が20mmほどの細い鉄パイプを抜く。
長さは3mばかり。それを1本左手に携える。右手首に毛糸の一端が結ばれている。
重く長い錘をぶら下げたまま遮蔽に入り、息を整えながら、鉄パイプを寝かせて遮蔽にしている錆の浮いたドラム缶と壁面の間から追っ手を伺う。
「……」
――――来い!
――――来い来い!
敵は素早い。連携が取れている。
足を遅らせるだけでは、連携を崩すだけでは勝てない。形成している2人1組のバディも、多くの修羅場を潜ってきたに違いない。奇を衒うだけの戦法では一瞬の足止めだ。
『ドサクサまぎれの小癪で確実な一撃』が求められる。
背後に気配が複数。距離40m。
遮蔽に足元を取られての鈍足気味。
空き地中央を走り抜けた2人だろう。
目前10m以下に2人。散発的、牽制には充分な銃弾を連中に対して撒き散らす。
鉄パイプを遮蔽のドラム缶と、体が入り込める幅がある壁面の隙間に横たえる。
――――来た!
ノリンコT-R9を握る右手首勢いよく引く。
「!」
手首の毛糸が引き絞られたままビクともしない。
全身の毛穴が開いて冷たい汗が吹き出る。失敗!?
目前5m前後に迫る2人。
鉄パイプの山を雪崩させて生き埋めにしてやる算段が崩れた。
焦る。焦燥が突如、小さな優位性を崩壊させた。ノリンコT-R9を左手に持ち替え、ドラム缶から潜望鏡のように突き出して盲撃ちで距離を置く。
しばしの激しい銃撃が交差する。
ドラム缶の片面を貫通した弾頭は、もう片面を貫通させることなくドラム缶の内面にへばりつく。
貫通する力がないとはいえ次々に盛り上がる着弾痕をみると腰から恐怖に脱力する気分。
お互いの銃撃が止む。お互いが後退して停止したスライドを見て遮蔽に身を隠す。
相手の2人組も一気に畳みかけるつもりで連携を捨て、銃撃していたようだ。
「うわ! 何だ!」
舌打ちと共に聞こえる男の声と女の悲鳴。
そしてがなり立てる全く美しくない金属音。重々しく転がるそれは鉄パイプの山。
一進一退すら感じられない銃撃戦。
暗がりの資材の隙間を乏しい光源を頼りに駆ける。
「!」
――――挟み撃ち!
目前30mの位置にある遮蔽と思われる陰から人影が伺えたと思った途端、銃弾が飛来する。
頬を掠り、耳朶を浅く削られる。
飛び散る血飛沫が軽く脱色した短い髪に飛び散る。首元のマフラーの端が弾頭にはたかれて毛糸が弾ける。
目前の遮蔽物。身長を超えるパレットの山にブルーシートを被せただけ。その隙間から2人の影が伺える。
効果的な一撃は望まず、咳き込むような速射で弾幕を張る。
走りつつ、ボストンバッグを肩に引っ掛けた左手でアーミーナイフを取り出してスモールブレードを弾いて展開させる。
その小さくもカミソリのような切っ先で、遮蔽物を通り過ぎざまにブルーシートを縛り付けているザイルを切断した。
寒風に煽られたそれは、狙いを違わず、由子がパレットの遮蔽を通り過ぎる頃にはブルーシートがその陰に潜む2人を頭から覆い尽くして、視界を完全に塞いだ。
スライドがオープンホールドのノリンコT-R9のスライドを口に銜え、空いた右手でモーゼルHSc-80を抜く。
人の形をかたどる造形物に盲撃ちを叩き込む。5.6発程度の至近距離からの銃撃。
9mmウルトラのマズルフラッシュがブルーシートを炙って高熱で解ける。
9mmウルトラの咆哮に掻き消されたが、うめき声の一つも聞こえなかった。……ところが不思議なもので、距離を問わず、自分が放った銃弾が標的に命中したときは経験と勘が『命中の手応え』を教えてくれる。
血が詰まった革袋がブルンと震える振動を肌で感じ取るのに似ている。……敢えなく、ブルーシートに包まれたままの2人はその場に崩れた。
『命中の手応え』だけを勘で確認する。振り向かず、モーゼルHSc-80を左脇に戻し、左手のアーミーナイフのスモールブレードを押し畳んでフィールドコートのハンドウォームに戻す。
背後からの銃撃に肝を冷やされながら、遮蔽物を伝い、不規則なジグザグを描く。遁走に似た駆け足を続ける。
その間にノリンコT-R9の弾倉を交換する。
間断なく続く銃撃は脅威。しかも互いの弾倉交換のロスもカバーし合っての発砲。
ゆえに矯激極まるトリガーハッピーは存在しない。
今し方仕留めた2人がたまたま、最弱の駒だったのかもしれない。
――――計算と記憶が正しかったら……。
――――残り6人!
頭上で叢雲が晴れて満月が顔を出す。
叢雲を従えた冬の満月も風流なものだが、今はそれに心を残す余裕はない。
精々、僅かなりとも明かりを提供してくれてありがとうといったところだ。
間抜けな障害物競走。
四角い壁沿いに、お互いが遮蔽物を利用して銃弾を消費しながら走っているだけなのだ。
呼吸を整えようにも肺が空気を貪るほどの時間も与えてくれない。
白い吐息。冷える指先。駅の売店で使い捨てカイロを買っておいて正解だった。
指先の血流が鈍ると引き金を引くのにロスが生じる。極々僅かな時間だが、その刹那で自分の命が消えると思えば何にでもすがりたい気分だ。
右頸部がスースーと涼しく、右頬がこそばゆいと思ったら、先程の銃撃でマフラーの端が弾かれてその毛糸のほつれが頬を撫でていた。鬱陶しいと手をかけたが、しばし考えて障害物競走を再開。
「!……回り込むか!」
右手の空き地中央を駆ける2つの影。援軍ではない。対角線上の残り戦力の内、2人が由子の行く手の先回りを図るつもりなのだ。
このまま由子が真正面の小さな飯場だと思われるプレハブ事務所に飛び込めば終わりだ。
遮蔽も何も無い。全方位から満遍なく発砲される。
首からスルリと黒いマフラーを解くと、セフティをかけてハンマーデコックさせたノリンコT-R9を腹のベルトに差す。
再びアーミーナイフを取り出し、ハサミを展開させる。
走る。乱れ気味な呼吸を整えようと努力して走る。
衣服の端を銃弾が弾き飛ばし、揺れる髪を弾頭が抜けるとその度に尿道が緩んで一滴二滴ばかりの失禁。
無為に空を裂くあの8gばかりの、音速を少しばかり超える金属の粒が、1発十数円の実包から解き放たれる弾頭が、頭部に命中する恐怖を想像するなという方が無理な相談だ。
パチン。パチン……軽く涼しく美しい断ち切りの音色。
遮蔽の陰から陰へ伝いつつ、アーミーナイフのハサミを奮ってマフラーの解けた毛糸を更に長く解く。
早く……早く完了せねば、先回りされる2人によってこの障害物競走は強制的に終了させられる。
銃撃は容赦がない。
走りすぎて左内腿の負傷箇所が開いた。その部位が熱を帯びる。血がにじみ出るのが解る。疼痛が始まる。この負傷が原因の倦怠感や微熱も回復したわけではない。
廃材なのか放置されたままなのか判然としない様々な直径、長さの鉄パイプの山。
その積み上げたオブジェを固定するのは、地面に四方に打ち込まれた4本の短い鉄パイプのみ。
鉄パイプの上辺など、今にも転げ落ちてきそうだ。
そのうちの中腹の一本にマフラーから解いた毛糸を結びつける。
鉄パイプ、握る。力任せに内径が20mmほどの細い鉄パイプを抜く。
長さは3mばかり。それを1本左手に携える。右手首に毛糸の一端が結ばれている。
重く長い錘をぶら下げたまま遮蔽に入り、息を整えながら、鉄パイプを寝かせて遮蔽にしている錆の浮いたドラム缶と壁面の間から追っ手を伺う。
「……」
――――来い!
――――来い来い!
敵は素早い。連携が取れている。
足を遅らせるだけでは、連携を崩すだけでは勝てない。形成している2人1組のバディも、多くの修羅場を潜ってきたに違いない。奇を衒うだけの戦法では一瞬の足止めだ。
『ドサクサまぎれの小癪で確実な一撃』が求められる。
背後に気配が複数。距離40m。
遮蔽に足元を取られての鈍足気味。
空き地中央を走り抜けた2人だろう。
目前10m以下に2人。散発的、牽制には充分な銃弾を連中に対して撒き散らす。
鉄パイプを遮蔽のドラム缶と、体が入り込める幅がある壁面の隙間に横たえる。
――――来た!
ノリンコT-R9を握る右手首勢いよく引く。
「!」
手首の毛糸が引き絞られたままビクともしない。
全身の毛穴が開いて冷たい汗が吹き出る。失敗!?
目前5m前後に迫る2人。
鉄パイプの山を雪崩させて生き埋めにしてやる算段が崩れた。
焦る。焦燥が突如、小さな優位性を崩壊させた。ノリンコT-R9を左手に持ち替え、ドラム缶から潜望鏡のように突き出して盲撃ちで距離を置く。
しばしの激しい銃撃が交差する。
ドラム缶の片面を貫通した弾頭は、もう片面を貫通させることなくドラム缶の内面にへばりつく。
貫通する力がないとはいえ次々に盛り上がる着弾痕をみると腰から恐怖に脱力する気分。
お互いの銃撃が止む。お互いが後退して停止したスライドを見て遮蔽に身を隠す。
相手の2人組も一気に畳みかけるつもりで連携を捨て、銃撃していたようだ。
「うわ! 何だ!」
舌打ちと共に聞こえる男の声と女の悲鳴。
そしてがなり立てる全く美しくない金属音。重々しく転がるそれは鉄パイプの山。