冬空越しの楽園

「…………」
――――8人……か。
 無為に散策を楽しんでいたわけではない。
 何度か角を曲がりながら足音を耳で数えていた。
 常に3人が尾行。角を曲がるたびに2人ずつ入れ替わる。その足音の重さや歩幅を覚えた。覚えた結果、8人の尾行者がいることが判明する。
 男5人に女3人という人選も傍目からのきな臭さを消すための配慮だろう。
 尾行がバレるのが前提の追跡。
 下手を演じているのが解る。
 これだけ連携ができる集団が自分たちの頭数を知らせる下手は打たないはずなのに、だ。
 足音跫然。この町にとっては全く無縁の出来事が確実に到来している。この町にとっての非日常がすぐそこで手をこまねいている。
 鉄。オイル。硝煙。
 この3つが混ざった香りは正に『反吐が出るほど、キナ臭い』。
 高部留美の出生にまつわる、彼女自身の義侠心に興味を持った結果がこれだ。
 全くツイてない。ことの成り行き上、どうしても留美の情報を知る必要があったとはいえ、全くツイてない。
 陽が暮れる。
 元からの曇天。
 帳が降りると一気に寒くなる。
 駅の売店で買った使い捨てカイロがこんなに早く役に立つとは思わなかった。それをフィールドコートのハンドウォームの中で揉んで暖をとる。
 早々と店仕舞いし始める、店構え自体が傾いだ駄菓子屋に駆け込んで腹の足しになるものを物色する。
 数百m間隔で乱立するコンビニがどれだけありがたいか身に滲みる。
 どんなに視線を走らせても、高カロリーと腹持ちが確保できる食品はチョコレートとポテトチップスくらいしか置いていない。
 団子やおはぎの単品包装もあったが、いずれも賞味期限が2週間以上前に切れている。
 店番の老婆に握り飯でも作ってもらおうかと本気で考えた。……が、視界の端をうろつく尾行を確認するとすぐに腹一杯の食料は諦めた。
 このまま背後から熱い銃弾でもお見舞いされて、運悪く未消化物が大量に詰まった消化器官を命中する様を想像すると、その末路を想像せずにいられない。
 即死に到らない悶絶死が待っているだけだ。
 割とマシな板チョコを1枚だけ買うと前歯で包装を破りながら歩き出す。
「…………誘うか、ねえ」
 板チョコを食みながら今時珍しい、土管とコンクリブロックが積まれたままの空き地にくる。
 街灯が灯り出す。乏しい光源。結局一度も顔をみせなかった太陽。
 寝かされた土管に腰を下ろす。
「……来たね……」
 広大な空き地。4LDKマンションが一棟くらい建築できそうな広さ。
 そこに散らばる土管やコンクリブロック、リフトのパレットなど。恐らく、建設計画が浮き上がったが、中途放棄されたのだろう。
 車輪の轍が縦横に走っている。
 折りたたまれた養生塀が身の丈ほどに積まれている。
 それぞれの資材類が、鋼板の壁で囲まれたこの空き地の端々に放置されているわけだが、遮蔽物として利用するには申し分ない。
 この空き地の端から端まで的確に狙撃するには条件が『揃いすぎていない』。
 高い壁。対角線上に300mはある、見通しの利かない直線。
 長物を振りかざすには不向きな動線。
 短機関銃や散弾銃を持ち出されても初撃で被弾する確率が低い。
 長物や拳銃より大きく強力な火器を奮うには遮蔽が邪魔だ。
 飯場のように大きなプレハブの事務所が寒々しく隅の方で佇んでいる。
 気配。殺意。敵意。
 明らかな襲撃の予感。
 この空き地に入るには2箇所の出入り口を通過しなければならない。その内、1箇所は先ほどから由子が睨みつけているのを察しているのか、そこから侵入してくる気配はない。
 その付近で2人が金網の門扉を遮蔽に伺っているだけだ。
 右手側のもう一方のゲート付近から足音がなだれ込んでくる。
 自分達の正体を隠すつもりはないらしい。
 今までの経緯を鑑みるに由子を殺す気は無いようだが、捕縛されれば死ぬよりも辛い拷問が待っている気がする。
 易々と捕まるものか。捕まってたまるものか。
 殺すつもりはなくとも、殺す勢いで襲撃を敢行するだろう。
 風に乗って軽いコッキング音が聞こえる。
 目前の遮蔽に潜む2人も懐の獲物を抜いたようだ。
 挟撃を目論んでいるのは一目瞭然。
 由子はボストンバッグを引っ張り、仰向けに倒れるように土管から姿を消す。
 土管の裏手を遮蔽としてボストンバッグからノリンコT―R9を引きずり出してコッキングする。
 使い慣れたモーゼルHSc-80と勝手が全く違う大型自動拳銃の重みに橈骨と尺骨がズシリと沈む。
 サイティングも終わっていないノリンコT―R9。元からタイトな射撃を前提に作られていないとはいえ、癖を掴めるだけの習熟を済ませておきたかった。
 遠慮のない銃撃が、始まる。
 前方の遮蔽の2人は膠着させるための要員として睨みを利かせている間に、背後付近に近付いた1人が発泡したのだ。
 寒空に吸い込まれる、乾いた発砲音。
 ノリンコT―R9を咄嗟に発砲。
 出鱈目な牽制ではなく、照準を定めての発砲。
 暗くて着弾の実測は不可能だった。解ったのは9mmウルトラとは比べ物にならない大きな発砲音と反動。右手だけで抑えるのは苦労する。
 完全に尻を搗いて座った状態から低い姿勢でボストンバッグを左手に引き、走る。
 発砲が散発的に続く。
 閃くマズルフラッシュの数から戦力を算出。4人。自動拳銃だろう。 空薬莢が資材やフェンスに当たる音も聞こえる。
 濃厚な硝煙の香りを風下の由子の位置まで運ぶ。4kg以上の錘と変わらないボストンバッグの中身は大半が9mmパラベラムの実包とノリンコT―R9の予備弾倉だ。
 予備弾倉にはバネがヘタるのも構わずにそれぞれに14発の9mmパラベラムを呑み込ませてある。どうせ捨てる拳銃だ。惜しくはない。
 音響の方向から敵火力を分析。今のところ強力なマグナムリボルバーや長物は感知できない。
 先ほどまで、睨みを利かせていたゲート付近の遮蔽物から人影が消えている。この戦闘区域に侵入してきたと考えるのが普通だろう。
――――マズイ!
――――コイツら……強い!
 発砲音は聞こえる。足音も潜伏先も解る。なのに、具体的な『人間のシルエット』が確認できない。
 影と光の演出を巧みに使い、男か女かの判断すら鈍らせる。
 どこにどれだけ、展開しているのか解るのに先制を打てない。
 もしも連中が暗殺に転じればサプレッサーを使わずとも優秀な特殊部隊へと変貌するだろう。
 頭を低くして遮蔽物のコンクリブロックやパレットを伝う。
 空気を裂く特徴的な音が聞こえないだけ、自分の至近に弾道が描かれていないということだが、それは連中の牽制作戦としては成功だ。こうして著しく由子の機動力が削がれる。
 追跡する足音が複数。
 小癪にも、互いをカバーしながらの移動を繰り返す。
 由子を追い立てる銃弾。
 新しいフィールドコートの裾に孔が開く。立ち止まらず、追い払うような反撃。虚しく9mmパラベラムは闇に消える。
 戦闘区域たるこの空き地の条件上、四角い敷地の四辺に放置された遮蔽物を利用しなければ、途端に集中砲火を浴びる。
 中央突破し、更地の広大な空き地を目指した途端に終わりが訪れる。
 由子、弾倉交換。スライドが後退してからの交換。日頃のモーゼルHSc-80と随分と勝手が違う。スライドオートリリースが組み込まれていないノリンコT-R9を故障したかと勘違いしたくらいだ。
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