冬空越しの楽園
朝食を終えると自分の携帯電話――スマートフォン――を取り出し、アングラ関係のサイトを徘徊する。
何かの糸口をみつけるためだ。
深い情報は必ず有料でログもしっかり残るので、あまり携帯端末からアングラサイトには潜りたくないのが実情だ。
「!」
ふと脳裏をかすめる。以前にも同じ違和感を覚えた。
何かを忘れている。何かを欠落している。
その正体が判明する。携帯電話で『情報を探る』という行為そのものに違和感を解くヒントがあった。
――――!
――――『何者だ?』
『高部留美に向けての』疑問疑惑が急速に沸き立つ。
この世界では人物の過去を詮索すると必ず火傷を負うので事情に深入りしないのが常だが、今度ばかりは違った。
ブラフとも出まかせとも思えるセリフを持ち出してまで、由子を留めようとした彼女は……すでに死んでしまった彼女は、攫われた妹を探しているという彼女は、『一体何者だ?』
あらゆる疑念の矛先が高部留美に集約される。
あの日、いつも通りにその日の仕事を斡旋してもらおうと留美と落ち合った。
そして唐突に会話の流れが不穏になり、会話の場所を『聖域』に移した。
そして襲撃に遭い、留美は命を落とす。
留美は死んだ。末期を看取ったのは他ならぬ由子だ。
留美は自分に迫る危機を感じ取り、平静を装いながらも由子に助力を頼もうとした。
それでも彼女にできたことはフラッシュメモリを手渡すことと妹と思われる人物、『高部かの』の存在を示唆しただけ。
抗生物質と解熱剤を口に放り込み冷水で嚥下する。
だるい体に喝を入れ、急いで身支度を整える。
携帯端末から偽名を使って高額な情報屋にアクセスして依頼の要件を投函しておく。
値段はかなりの金額に上る。
払えぬ額ではないが、その情報屋から一切の情報を提供してもらった途端に財布は羽のように軽くなるのは見えている。だが、命には変えられない。
この短時間で由子の周辺を押さえることができる組織力を持つ連中だ。
地球の裏側に逃げても時間をかければ潜伏場所も割り出すに違いない。
ならばこちらから積極的に交渉の機会と余地を設けるべきだ。
まずは『全て』を知る必要がある。
その一歩として根源の高部留美を洗い直す必要がある。チクリと心が痛む。致し方なし。
薬効が廻ってきたのか体が軽い。薬が効いている間にプランを立てる。
※ ※ ※
雇った情報屋が依頼人の個人情報の横流しをしていないことを祈りつつ乗り込んだ特急。
ノリンコT―R9を奪ったときに一緒に失敬した財布の中身で小旅行の足しにする。
特に麻薬のパケは大いに助かった。換金すれば随分と懐が暖かくなった。
特急のボックス席で腕を組んで寝こけている乗客を装う。右手はいつでも懐のモーゼルHSc-80を握っている。
寒い風景が車窓を流れる。
隣県とはいえ、随分と風景が違うものだ。
積もるほどでないにしろ、雪がちらつく。鉛色の厚い雲。右手の遠くに荒いしぶきを上げる海辺が見える。
大きなターミナルの駅から下車。バスを乗り継ぎ1時間ほど移動。
高部留美の記録上の実家を訪れる。
……そして、予め情報屋から仕入れていたとはいえ、口をへの字に曲げたまま渋い表情をする由子。
孤児院。保護施設。呼び方はいくらでもあるが、その閉鎖された建物は親無し子……孤児を保護して養育する施設のはずだった。
その門扉が閉鎖された建物を目前に寒空の下でしばし佇む。
『高部留美は孤児だった』。
『血縁者はいない』。
『保護施設で虐待を受けていた』。
「……そうか……そういうことか……」
情報屋には高部留美の出生と直近の近辺を洗うように依頼していた。その情報通りに、『高部留美は孤児で不遇な環境で育ち、絵に書いたように暗黒社会に陥った』のだ……だが、情報屋の助言もあり抱えていた大きな問題の一つが解明した。
高部留美をはじめとして保護されていた孤児は『売られていた』。『商売道具として培養されていただけ』だ。
さすが高額な料金を請求する情報屋。『情報は正しかった』。
わざわざ高部留美の出生を探るため、にこの寂しい灰色の建物をみにきた甲斐がある。
まず、由子の知る高部留美は背後に有力な組織を持つ下位組織の斡旋業者だ。
今までに敢えて深く、どこの組織の息がかかった下位組織なのかは聞かなかった。
高部留美の仕事の達成率……闇商売の斡旋事業……一山いくらでどれだけ優秀な人材を集められるかという業績に関していえば優秀な部類だった。
小悪党と謂えど由子レベルの闇世界の住人と何人も連携を取っていた。姑息な業務内容でも120%の完成度と達成率で留美を満足させ、引いては顧客を満足させていた。
背後の組織にとって優秀な『鉄砲玉をかき集める機械』。それが高部留美。
高部留美は長い時間をかけて組織の信用を得て、長い大願を成就させようと虎視眈々と狙っていた。
自分を育てた孤児院という体をした闇組織の人材育成機関を叩き壊したかった。
留美は自らの出生と境遇に悲観していただけでなく、『同じ境涯』の孤児たちを救い出したかった。
高部かのなる妹の設定の人物も由子を釣るためのブラフとして前々から用意していたワードだったに違いないが、由子が想像以上に警戒が強く、留美の意識的縄張りの内側に入ってこなかった。留美は由子が……友人ですら一線を引いているとは思わなかったのだろう。
おそらく時間をかけて由子を人情話で絆すつもりだったのだろうが、『聖域』での襲撃で敢えなく自分が死亡。
フラッシュメモリが持つ秘匿性と重要性は本物だ。
『現に、今こうして視線を感じる』。
午前8時に根城の1Kマンションを出て8時間。
現在午後4時。
意識して人の多い往来を利用した結果、寂寞漂う町までくることができた。
切り離されたように過疎が進む町では、追跡者たちもわざと気配を殺していない足取りで付いてくる。
閑静な住宅街……ではない。
民家より廃屋が多いだけの町。
交通機関も、商業施設も、目印になるシンボリックな建造物も見当たらない。
孤児院が閉鎖した時期は3年前に近郊の一番近くにある小学校が廃校してからだという。
近郊に教育機関がないのに児童を保護する施設がいつまでも存在することで勘繰られるのを防ぐために移転しただけだろう。
「…………」
――――寒くて、寂しい。
――――なのに留美は『熱かった』んだ。
やや強くなる寒風。足元から冷える。それに加え、負傷箇所から発する炎症の熱源が自然と足取りを重くする。
鎮痛剤の多用は控えるために昼の粗食後に服薬してからは、無事に潜伏できる場所が見つかるまでは飲まないつもりだ。
路ですれ違う何人かの地元の人間は、揃って生き字引を自称できそうな老人ばかりだった。
「…………ふん」
――――参ったね。
――――これじゃセーフハウスもアウトだね。
フィールドコートにマフラー、裏地がフリース生地のカーゴパンツ姿の由子。左肩には身の回りのものとノリンコT―R9一式を収めたボストンバッグを掛けている。
町内を散策する足取りで歩く。
風光明媚とは遠く離れた町。風景は眺めているだけで寂寥感を掻き立てられる。
随分と廃屋が多い町だ。近いうちに近隣の町と合併されるかもしれない。幾つかの自動販売機が通電もせずに風雪に晒されて機能を停止していた。
何かの糸口をみつけるためだ。
深い情報は必ず有料でログもしっかり残るので、あまり携帯端末からアングラサイトには潜りたくないのが実情だ。
「!」
ふと脳裏をかすめる。以前にも同じ違和感を覚えた。
何かを忘れている。何かを欠落している。
その正体が判明する。携帯電話で『情報を探る』という行為そのものに違和感を解くヒントがあった。
――――!
――――『何者だ?』
『高部留美に向けての』疑問疑惑が急速に沸き立つ。
この世界では人物の過去を詮索すると必ず火傷を負うので事情に深入りしないのが常だが、今度ばかりは違った。
ブラフとも出まかせとも思えるセリフを持ち出してまで、由子を留めようとした彼女は……すでに死んでしまった彼女は、攫われた妹を探しているという彼女は、『一体何者だ?』
あらゆる疑念の矛先が高部留美に集約される。
あの日、いつも通りにその日の仕事を斡旋してもらおうと留美と落ち合った。
そして唐突に会話の流れが不穏になり、会話の場所を『聖域』に移した。
そして襲撃に遭い、留美は命を落とす。
留美は死んだ。末期を看取ったのは他ならぬ由子だ。
留美は自分に迫る危機を感じ取り、平静を装いながらも由子に助力を頼もうとした。
それでも彼女にできたことはフラッシュメモリを手渡すことと妹と思われる人物、『高部かの』の存在を示唆しただけ。
抗生物質と解熱剤を口に放り込み冷水で嚥下する。
だるい体に喝を入れ、急いで身支度を整える。
携帯端末から偽名を使って高額な情報屋にアクセスして依頼の要件を投函しておく。
値段はかなりの金額に上る。
払えぬ額ではないが、その情報屋から一切の情報を提供してもらった途端に財布は羽のように軽くなるのは見えている。だが、命には変えられない。
この短時間で由子の周辺を押さえることができる組織力を持つ連中だ。
地球の裏側に逃げても時間をかければ潜伏場所も割り出すに違いない。
ならばこちらから積極的に交渉の機会と余地を設けるべきだ。
まずは『全て』を知る必要がある。
その一歩として根源の高部留美を洗い直す必要がある。チクリと心が痛む。致し方なし。
薬効が廻ってきたのか体が軽い。薬が効いている間にプランを立てる。
※ ※ ※
雇った情報屋が依頼人の個人情報の横流しをしていないことを祈りつつ乗り込んだ特急。
ノリンコT―R9を奪ったときに一緒に失敬した財布の中身で小旅行の足しにする。
特に麻薬のパケは大いに助かった。換金すれば随分と懐が暖かくなった。
特急のボックス席で腕を組んで寝こけている乗客を装う。右手はいつでも懐のモーゼルHSc-80を握っている。
寒い風景が車窓を流れる。
隣県とはいえ、随分と風景が違うものだ。
積もるほどでないにしろ、雪がちらつく。鉛色の厚い雲。右手の遠くに荒いしぶきを上げる海辺が見える。
大きなターミナルの駅から下車。バスを乗り継ぎ1時間ほど移動。
高部留美の記録上の実家を訪れる。
……そして、予め情報屋から仕入れていたとはいえ、口をへの字に曲げたまま渋い表情をする由子。
孤児院。保護施設。呼び方はいくらでもあるが、その閉鎖された建物は親無し子……孤児を保護して養育する施設のはずだった。
その門扉が閉鎖された建物を目前に寒空の下でしばし佇む。
『高部留美は孤児だった』。
『血縁者はいない』。
『保護施設で虐待を受けていた』。
「……そうか……そういうことか……」
情報屋には高部留美の出生と直近の近辺を洗うように依頼していた。その情報通りに、『高部留美は孤児で不遇な環境で育ち、絵に書いたように暗黒社会に陥った』のだ……だが、情報屋の助言もあり抱えていた大きな問題の一つが解明した。
高部留美をはじめとして保護されていた孤児は『売られていた』。『商売道具として培養されていただけ』だ。
さすが高額な料金を請求する情報屋。『情報は正しかった』。
わざわざ高部留美の出生を探るため、にこの寂しい灰色の建物をみにきた甲斐がある。
まず、由子の知る高部留美は背後に有力な組織を持つ下位組織の斡旋業者だ。
今までに敢えて深く、どこの組織の息がかかった下位組織なのかは聞かなかった。
高部留美の仕事の達成率……闇商売の斡旋事業……一山いくらでどれだけ優秀な人材を集められるかという業績に関していえば優秀な部類だった。
小悪党と謂えど由子レベルの闇世界の住人と何人も連携を取っていた。姑息な業務内容でも120%の完成度と達成率で留美を満足させ、引いては顧客を満足させていた。
背後の組織にとって優秀な『鉄砲玉をかき集める機械』。それが高部留美。
高部留美は長い時間をかけて組織の信用を得て、長い大願を成就させようと虎視眈々と狙っていた。
自分を育てた孤児院という体をした闇組織の人材育成機関を叩き壊したかった。
留美は自らの出生と境遇に悲観していただけでなく、『同じ境涯』の孤児たちを救い出したかった。
高部かのなる妹の設定の人物も由子を釣るためのブラフとして前々から用意していたワードだったに違いないが、由子が想像以上に警戒が強く、留美の意識的縄張りの内側に入ってこなかった。留美は由子が……友人ですら一線を引いているとは思わなかったのだろう。
おそらく時間をかけて由子を人情話で絆すつもりだったのだろうが、『聖域』での襲撃で敢えなく自分が死亡。
フラッシュメモリが持つ秘匿性と重要性は本物だ。
『現に、今こうして視線を感じる』。
午前8時に根城の1Kマンションを出て8時間。
現在午後4時。
意識して人の多い往来を利用した結果、寂寞漂う町までくることができた。
切り離されたように過疎が進む町では、追跡者たちもわざと気配を殺していない足取りで付いてくる。
閑静な住宅街……ではない。
民家より廃屋が多いだけの町。
交通機関も、商業施設も、目印になるシンボリックな建造物も見当たらない。
孤児院が閉鎖した時期は3年前に近郊の一番近くにある小学校が廃校してからだという。
近郊に教育機関がないのに児童を保護する施設がいつまでも存在することで勘繰られるのを防ぐために移転しただけだろう。
「…………」
――――寒くて、寂しい。
――――なのに留美は『熱かった』んだ。
やや強くなる寒風。足元から冷える。それに加え、負傷箇所から発する炎症の熱源が自然と足取りを重くする。
鎮痛剤の多用は控えるために昼の粗食後に服薬してからは、無事に潜伏できる場所が見つかるまでは飲まないつもりだ。
路ですれ違う何人かの地元の人間は、揃って生き字引を自称できそうな老人ばかりだった。
「…………ふん」
――――参ったね。
――――これじゃセーフハウスもアウトだね。
フィールドコートにマフラー、裏地がフリース生地のカーゴパンツ姿の由子。左肩には身の回りのものとノリンコT―R9一式を収めたボストンバッグを掛けている。
町内を散策する足取りで歩く。
風光明媚とは遠く離れた町。風景は眺めているだけで寂寥感を掻き立てられる。
随分と廃屋が多い町だ。近いうちに近隣の町と合併されるかもしれない。幾つかの自動販売機が通電もせずに風雪に晒されて機能を停止していた。