簡略アイロニーと狭い笑顔
唯衣はミニUZIを携え、牽制射撃を繰り返しながら港湾部の更に寂れた区画へと走る。
――――この先は退路から離れる!
――――『上等じゃないの!』
「……」
大型の埋込み式トラックスケールを路面に埋設した廃ビル。
元は計量事務所だ。3階建ての小さな佇まいの鉄筋コンクリートの建造物。
――――『臭い』。
悠子の情報通りなら一ところで賞金首がガタガタと震えていそうなのに。……悠子が揃えた地図を脳内で広げる。賞金首が潜んでいそうな臭うポイントや三下連中の配置を展開する。
地図通りならこの建物が一番籠城にもってこいだ。
辺りはバラックより酷い錆が浮いた倉庫。
ブリキの壁が錆で落ちている。隠遁に向く建物はここしかない。港湾の岸壁にはランチを繋留させる桟橋がある。今は小型ボート1隻も浮いていない。
2本目の20連発弾倉を叩き込む。タクティカルライトをオンにする。
全ての窓ガラスが割れた廃屋に踏み込む。
ガラス片や砂利を踏みしめる音が静寂に突き通る。
ダブルハンドで構えたまま、進軍。博打に近かった突入だ。
懐中電灯を照らしながら進めるホラーゲームを連想させるほど、現実感がない。
遠くで短機関銃の唸り声が聞こえる。
唯衣がまだ健在で陽動を続行しているのだろう。
遠くの銃声が余計にこの空間の非現実感を掻き立てる。
歩けば歩くほど現実から解離する感覚。恐怖からくる麻痺ではない。全周囲から突き刺されるような視線を感じるのに、いまだにその根源を捉えられない焦りと、それを抑える自分自身。
――――確かに居る。
――――数は少ない……。
――――『強い使い手』。
――――だとすれば……。
だとすれば、この建物自体がブラフ。……そこに考えが及んだとき、タクティカルライトの照射範囲外からの銃撃を受ける。
サプレッサーを装着した拳銃からの発砲。
右肩の肉に浅くめり込む。
空かさず、次弾が襲い掛からない遮蔽にバックステップで飛び込む。右肩に走る衝撃と痛みから銃のスペックを割り出す。
――――22口径!
――――音速に干渉しないロウベロシティ。
――――弾頭はイエロージャケット。
カランビットナイフで右肩の小口径の豆弾を抉り出す。
硬い真鍮で拵えられたイエロージャケットが赤い血で脂っぽく輝く。焼け火箸を押し当てられた痛みを感じるが、感覚が鈍るので鎮痛剤は飲まない。
――――ちょっと無理しましょうか……。
亜美はタクティカルライトのスイッチをオフにした。
辺りは暗闇に閉ざされ静かな空間が広がる。
静寂、静謐な空間。
耳が閉塞する錯覚。消音拳銃の使い手が移動している気配は無い。
空薬莢が転がる音がしなかったことからカートキャッチャーを装備しているのか。
沸騰しかけのアドレナリンを抑える為に1本140円の安葉巻を銜える。無造作にジッポーで着火。
ニコチンが生理的挙動で10秒以内に脳髄をニコチンで鎮静させる。
――――さて、どうしたものか……。
しばしの膠着が訪う。
唯衣はようやくペットボトルの薄めたスポーツ飲料を飲む。
体が欲しているので喉を鳴らして飲む。亜美の注意を思い出して飲み口から唇を離す。
既に半分の弾倉を消費した。
片側の弾倉帯ばかり利き手で操作していると、片方の腰の荷重が大きくなって余計に疲れることを学んだ。弾倉を左右均等に分けて挿し直す。
遮蔽物の陰で自分を追う銃火を聞く。
銃火。よく聞き分ければ脅威レベルが低いことに気がつく。
連携不備からくる牽制射撃の皆無。弾倉交換の大きなロス。ワークスペースを確保していない、走りながらの発砲なので地面を無為に削る弾頭が多い。
よく思い返せば、自分の体を掠る銃弾は『意図した弾道から外れたもの』が多い。
流れ弾に似た、運に頼った発砲。そんな印象だ。
勿論、唯衣とて陽動として、反撃を繰り出し、何人かを仕留めた。肉体に9mmパラベラムが食い込む、湿った着弾音は聞こえなかったが、『よく見えた』。
人間に銃弾が命中すると想像以上に血煙が爆ぜて地面を汚す。そして映画のように派手に吹っ飛ばない。ただ、脱力してその場に膝から折れて地面に突っ伏すだけだ。
初めての鍛錬で走り抜けるだけの陽動を任されたが、学ぶことは多かった。学びえたことも多かった。
乱射連射をするにも射界制限を確保しなければ射角の跳弾で自分の弾で怪我をする。
ミニUZIの頼りないワイヤーストックでも、正しく活用ば反動を効果的に制御できる。
陽動で走るルートさえ、先読みで覚えておけば疲労度は少ない。
一時的な反撃に転じる場合、攻撃対象に優先順位をつければパニックに襲われることはない。
『使い方』を覚えたばかりの手鏡を翳して追撃してくる勢力を数える。……が、数の少ない外灯では咄嗟に数えることができない。おまけに左右が反転した世界を情報として解析するのには修練が必要だ。
「?」
唯衣を追撃する集団は15人程度。挙動がおかしい。今更ながらに気がついたが、連中が唯衣の遁走と転進を繰り返す方向に釣られるように進む理由が解らなかった。
何も律儀に唯衣を仕留める必要はないはずだ。
陽動が失敗したときの退路を塞がれたと思ったが、落ちついて脳内で地図を広げる。敵勢力に捕獲されたときの危険を減らすために地図やデータの持ち歩きは許されなかった。
――――おかしい。
――――このルート……。
――――何故、あんなに大挙してやって来るの?
――――排撃や応戦とかそんなのじゃない!
――――ううん……。
――――突撃?
――――何故?
更に手鏡を左右に翳して観察する。
「……」
唯衣が潜む方向から僅かに逸れたルートを団子状態で駆けてくる一団。
唯衣が撃たなければ反撃も追撃もない。
「……?」
――――何?
――――『浮いてる』。
その集団の中心部に場違いな人物が2人。
自動小銃や短機関銃に守られる中、その2人は発火式モデルガンより頼りなく見えるコルト25オートを右手に握っている。
目を凝らさないと、何を大事に右手に握っているのか解らないくらいにその拳銃は小さすぎて、無力感が漂う。
外灯の明かりに照らし出されるその顔は、亜美に何度も、頭に叩き込めと怒鳴られた今回の賞金首の顔だ。
辺りの取り巻きはこの2人を警護するための、そして彼らなりの退路に進むための精鋭というわけだ。
道理で躍起になったトリガーハッピーが多いはずだ。
取り敢えず弾幕を張って自分達の退路の前に立つ五月蝿いハエのである、唯衣を追い払いたかっただけらしい。
単眼鏡を出して覗く。
その世界に映るのは暗い世界に人工的な灯りのみ。
脳内の地図と照らし合わせ、外灯の位置から連中の退路を算出する。
先回りすればイニシアティブはこちらが優位に奪える。功を焦るなとも教えられていたが、若く鯔背な唯衣のはやる心を止める者はここにはいない。
「……!」
目前で銜えた葉巻の火種が弾けた。
暗がりでマズルフラッシュの瞬きを読み取りながらの銃撃戦が続く。
サプレッサーを装備していると思われる、姿が捉え難い男の背後の階段。
そこを駆け上がれば一気に本陣に殴り込める。
今までに屠ってきた敵戦力を考慮すると、亜美が倒すべき絶対数の戦力は僅かだ。
亜美がこの建物に固執する理由。
背後で、暗がりから、遮蔽の陰から……「早く殺せ!」と檄が飛んだのを聞いたからだ。
――――この先は退路から離れる!
――――『上等じゃないの!』
「……」
大型の埋込み式トラックスケールを路面に埋設した廃ビル。
元は計量事務所だ。3階建ての小さな佇まいの鉄筋コンクリートの建造物。
――――『臭い』。
悠子の情報通りなら一ところで賞金首がガタガタと震えていそうなのに。……悠子が揃えた地図を脳内で広げる。賞金首が潜んでいそうな臭うポイントや三下連中の配置を展開する。
地図通りならこの建物が一番籠城にもってこいだ。
辺りはバラックより酷い錆が浮いた倉庫。
ブリキの壁が錆で落ちている。隠遁に向く建物はここしかない。港湾の岸壁にはランチを繋留させる桟橋がある。今は小型ボート1隻も浮いていない。
2本目の20連発弾倉を叩き込む。タクティカルライトをオンにする。
全ての窓ガラスが割れた廃屋に踏み込む。
ガラス片や砂利を踏みしめる音が静寂に突き通る。
ダブルハンドで構えたまま、進軍。博打に近かった突入だ。
懐中電灯を照らしながら進めるホラーゲームを連想させるほど、現実感がない。
遠くで短機関銃の唸り声が聞こえる。
唯衣がまだ健在で陽動を続行しているのだろう。
遠くの銃声が余計にこの空間の非現実感を掻き立てる。
歩けば歩くほど現実から解離する感覚。恐怖からくる麻痺ではない。全周囲から突き刺されるような視線を感じるのに、いまだにその根源を捉えられない焦りと、それを抑える自分自身。
――――確かに居る。
――――数は少ない……。
――――『強い使い手』。
――――だとすれば……。
だとすれば、この建物自体がブラフ。……そこに考えが及んだとき、タクティカルライトの照射範囲外からの銃撃を受ける。
サプレッサーを装着した拳銃からの発砲。
右肩の肉に浅くめり込む。
空かさず、次弾が襲い掛からない遮蔽にバックステップで飛び込む。右肩に走る衝撃と痛みから銃のスペックを割り出す。
――――22口径!
――――音速に干渉しないロウベロシティ。
――――弾頭はイエロージャケット。
カランビットナイフで右肩の小口径の豆弾を抉り出す。
硬い真鍮で拵えられたイエロージャケットが赤い血で脂っぽく輝く。焼け火箸を押し当てられた痛みを感じるが、感覚が鈍るので鎮痛剤は飲まない。
――――ちょっと無理しましょうか……。
亜美はタクティカルライトのスイッチをオフにした。
辺りは暗闇に閉ざされ静かな空間が広がる。
静寂、静謐な空間。
耳が閉塞する錯覚。消音拳銃の使い手が移動している気配は無い。
空薬莢が転がる音がしなかったことからカートキャッチャーを装備しているのか。
沸騰しかけのアドレナリンを抑える為に1本140円の安葉巻を銜える。無造作にジッポーで着火。
ニコチンが生理的挙動で10秒以内に脳髄をニコチンで鎮静させる。
――――さて、どうしたものか……。
しばしの膠着が訪う。
唯衣はようやくペットボトルの薄めたスポーツ飲料を飲む。
体が欲しているので喉を鳴らして飲む。亜美の注意を思い出して飲み口から唇を離す。
既に半分の弾倉を消費した。
片側の弾倉帯ばかり利き手で操作していると、片方の腰の荷重が大きくなって余計に疲れることを学んだ。弾倉を左右均等に分けて挿し直す。
遮蔽物の陰で自分を追う銃火を聞く。
銃火。よく聞き分ければ脅威レベルが低いことに気がつく。
連携不備からくる牽制射撃の皆無。弾倉交換の大きなロス。ワークスペースを確保していない、走りながらの発砲なので地面を無為に削る弾頭が多い。
よく思い返せば、自分の体を掠る銃弾は『意図した弾道から外れたもの』が多い。
流れ弾に似た、運に頼った発砲。そんな印象だ。
勿論、唯衣とて陽動として、反撃を繰り出し、何人かを仕留めた。肉体に9mmパラベラムが食い込む、湿った着弾音は聞こえなかったが、『よく見えた』。
人間に銃弾が命中すると想像以上に血煙が爆ぜて地面を汚す。そして映画のように派手に吹っ飛ばない。ただ、脱力してその場に膝から折れて地面に突っ伏すだけだ。
初めての鍛錬で走り抜けるだけの陽動を任されたが、学ぶことは多かった。学びえたことも多かった。
乱射連射をするにも射界制限を確保しなければ射角の跳弾で自分の弾で怪我をする。
ミニUZIの頼りないワイヤーストックでも、正しく活用ば反動を効果的に制御できる。
陽動で走るルートさえ、先読みで覚えておけば疲労度は少ない。
一時的な反撃に転じる場合、攻撃対象に優先順位をつければパニックに襲われることはない。
『使い方』を覚えたばかりの手鏡を翳して追撃してくる勢力を数える。……が、数の少ない外灯では咄嗟に数えることができない。おまけに左右が反転した世界を情報として解析するのには修練が必要だ。
「?」
唯衣を追撃する集団は15人程度。挙動がおかしい。今更ながらに気がついたが、連中が唯衣の遁走と転進を繰り返す方向に釣られるように進む理由が解らなかった。
何も律儀に唯衣を仕留める必要はないはずだ。
陽動が失敗したときの退路を塞がれたと思ったが、落ちついて脳内で地図を広げる。敵勢力に捕獲されたときの危険を減らすために地図やデータの持ち歩きは許されなかった。
――――おかしい。
――――このルート……。
――――何故、あんなに大挙してやって来るの?
――――排撃や応戦とかそんなのじゃない!
――――ううん……。
――――突撃?
――――何故?
更に手鏡を左右に翳して観察する。
「……」
唯衣が潜む方向から僅かに逸れたルートを団子状態で駆けてくる一団。
唯衣が撃たなければ反撃も追撃もない。
「……?」
――――何?
――――『浮いてる』。
その集団の中心部に場違いな人物が2人。
自動小銃や短機関銃に守られる中、その2人は発火式モデルガンより頼りなく見えるコルト25オートを右手に握っている。
目を凝らさないと、何を大事に右手に握っているのか解らないくらいにその拳銃は小さすぎて、無力感が漂う。
外灯の明かりに照らし出されるその顔は、亜美に何度も、頭に叩き込めと怒鳴られた今回の賞金首の顔だ。
辺りの取り巻きはこの2人を警護するための、そして彼らなりの退路に進むための精鋭というわけだ。
道理で躍起になったトリガーハッピーが多いはずだ。
取り敢えず弾幕を張って自分達の退路の前に立つ五月蝿いハエのである、唯衣を追い払いたかっただけらしい。
単眼鏡を出して覗く。
その世界に映るのは暗い世界に人工的な灯りのみ。
脳内の地図と照らし合わせ、外灯の位置から連中の退路を算出する。
先回りすればイニシアティブはこちらが優位に奪える。功を焦るなとも教えられていたが、若く鯔背な唯衣のはやる心を止める者はここにはいない。
「……!」
目前で銜えた葉巻の火種が弾けた。
暗がりでマズルフラッシュの瞬きを読み取りながらの銃撃戦が続く。
サプレッサーを装備していると思われる、姿が捉え難い男の背後の階段。
そこを駆け上がれば一気に本陣に殴り込める。
今までに屠ってきた敵戦力を考慮すると、亜美が倒すべき絶対数の戦力は僅かだ。
亜美がこの建物に固執する理由。
背後で、暗がりから、遮蔽の陰から……「早く殺せ!」と檄が飛んだのを聞いたからだ。