簡略アイロニーと狭い笑顔
「……唯衣だっけ? あなたの目的の所在は?」
自分を抑えつつ亜美はチキンラーメンの汁を拭いながら尋ねる。
「アンタを殺せるほどの強さが欲しい。懸賞金をかけたのはヤケで腹癒せだから」
不貞腐れた顔で、しかし、はっきりと発音する唯衣。
殺意や殺気は微弱で未熟ながら感知できる。だが、その程度の……『その程度の意思だけでは』どうにもならないことを彼女自身も理解しているのだろう。
だからこそ悠子に説得させられてここまで引き摺られてきたに違いない。
悠子に真意を問うだけでは無駄だ。
情報収集を生業とする女ではあるが、ただのスリル中毒でしかない。本業の情報屋より早く安く鮮度が高い情報を入手することに快感を得ているだけだ。
悠子が、亜美が連れてきたばかりの唯衣を即座に撃ち殺しても、「生卵を床に落として割った」くらいの安い悲壮感しか抱かないだろう。
笑顔を絶やさない冷血人間。それが相沢悠子という女だ。皮肉なことに鉄火場で切った張ったを生業にする亜美の方が幾分か人間的だ。
「唯衣だったかしら? 『殺したい人間が居る』のは解ったわ。『その人間に殺し方を教えてもらうこと』に関して不満や文句はあるかしら?」
亜美が卓袱台の上にグロックG20SFを静かに置きながら尋ねる。
「……」
逡巡の色をみせる唯衣。
晴れない無聊を抱えていても仕方がない。
自らが慕う女性を窮地に立たせている女のもとで、へつらう生き方を強いられるのかも知れないのだ。
「……この世界はね。弱肉強食だけじゃないのよ。初志貫徹や不撓不屈、臥薪嘗胆も必要なの。……あなたを突き動かすものは悠子に唆されただけじゃないでしょ? 私を本気で憎む心は認めるけどね……私に銃口を向けても『弾の装填されていない薬室からは何も出ないの』」
亜美の、迂遠な、揶揄。
今のあなたでは殺す前に殺される。殺す技量も不足。精神論では殺せない。『目的を達するのが目的』ならば、意志と心の所在に則った行動をしないさい。
それは、唯衣が論破された瞬間だ。
暗喩されたフレーズとセンテンスは難解でも、その背後の真意は突き刺さるように理解できた。ああ、これが本当のプロの一言か。銃弾のように痛烈だ……。
『何もかもが高い位置にない!』
それが唯衣にとって苦しかった。気づかれたくない自分の弱さが見透かされた。見たくない現実を直視させられた。
だから安易に亜美を賞金首にした。
殺せる機会が迫っていたのに、あろうことか、実包まで売り払っていた。
暗黒社会から遁走できる考えも持っていた。槙都香苗の庇護ならどこでも生きていけると勘違いしていた。なのに、塒と糊口の糧を奪われただけで逆恨みした。
雪崩が発生するように、恥ずかしくて消え入りたい自分が露呈する。
唯衣は肩を落としてコルトガバメントの弾倉を引き抜いた。
そこには1発の実包が出番を焦がれていた。これが唯衣の全火力だ。
それすらも、この期に及んで、惜しんだ。
刺し違えても、一矢報いる覚悟の不足。
亜美に銃口を向けた時点で、銃口のその奥に佇んでいるべき実包の弾頭が無いのを瞬間的に見破られたのを、『弾の装填されていない薬室からは何も出ないの』というフレーズから始まる諭し文句で心を挫かれたのだ。
「……ごめんなさい」
ようやく絞り出した唯衣の言葉。
「ふん。可愛げがあるのは槙都香苗から聞いていた通りね。面白いわ。悠子の口車に乗ってあげる。あなたに、殺されるために、あなたを鍛えてあげる。私に殺される覚悟ができたなら、また出直しておいで。ね?」
唯衣がその言葉を履行するのに1週間もかからなかった。
※ ※ ※
「走れ走れ。止まるな。撃つな。振り向くな。残弾は銃全体の重さで把握しろ」
亜美はスロートマイクで指示を出す。
月夜の晩。夜更けの港湾。
懸賞金目当てのいつもの仕事。
今夜は少し違った。
亜美はグロックG20SFで、鬼の槌を思わせる破壊力を振り撒いて的確に雑魚を片付ける。
雑魚といえど、手にした短機関銃やカービン銃の威力までもが雑魚ではない。1発でも被弾したら生命に関わる。
首に巻いたスロートマイクでボソボソと喋る。相手には……唯衣には鼻詰まりの怒鳴り声に聞こえるはずだ。
スロートマイクは空気の振動を拾わずに喉の振動を拾って電気信号に変換して発声する装置だ。殆どの国の特殊な任務に就く軍や警察の部署で多用されている、一般的な通信手段。常にハンズフリーなので用途が広がるのだ。
太平洋が先にみえるはずの、港湾部の廃棄された区画で、コンテナと積み上げられたパレットの間を縫いながら標的との距離を縮める。
遮蔽物の影から様々なマズルフラッシュが咲いて弾き出される空薬莢が無機質な金属音を奏でる。
――――動いてよ! 唯衣!
短機関銃やカービン銃の軽快な咆哮が連なる中、時折聞こえる5、6発の指切り連射。
雑魚連中が行うトリガーハッピー気味の乱射ではない。
他方向で陽動を受け持っている唯衣の短機関銃だ。
小型軽量で反動を制御しやすく、みた目に反し火力も大きいミニUZIを持たせているが、腰にぶら提げた弾倉帯に振り回されて度々、膠着を起こす。
連中の数は30人前後。複数の賞金首が結託して一山いくららの安いチンピラを雇ったのだ。
スライドが後退して停止するグロックG20SF。
特製弾倉の20連発弾倉を差し込んでスライドをリリース。オリジナルのグロックG20SFにはない重々しい金属めいた作動音がする。
ポリマーフレームのグロックシリーズは耐用年数がどんなに良好でも30年だといわれている。
第1世代のグロックは既に寿命を迎えている計算だ。亜美の使うグロックG20SFは第3世代と第4世代の中間の特色を持ったモデルなのだが、ポリマーフレームの軟弱性は完璧に改善されとはいい難い。
フレームだけの状態なら体重62kgの男性が踏みつけても歪む。尤も、弾性限界が高いので直ぐに歪は戻る。フレームの単純な硬度なら日本製トイガンの方が上だ。
耳に差し込んだイヤホンから唯衣のスロートマイク越しの小さな悲鳴が絶え間なく聞こえる。
亜美は唯衣を鍛えてやるとはいったが、悠長に手とり足とり、一から十まで、手解きから、イロハから、箸の持ち方から教えない。
事前に頭に作戦概要を叩き込ませ、すぐに実戦に投入。
『1日の実戦は1ヶ月の訓練に相当する。』……それが亜美の持論だ。命が有ったらその喜びを噛み締め、次の戦い挑め。生き残れば更に戦い、更に生き残ればまた戦う。人間を撃ち殺す覚悟など戦いの中で完了させる。
「……」
遠ざかる銃撃の宴。
時折、圧倒されつつも再開する反撃の指切り連射。
長物を持った連中は予想通り、唯衣が引き付けている。
賞金稼ぎという職業柄、勝利条件は賞金首の捕獲だ。雑魚を撃ち殺しても特別な場合でもない限り必要経費が払われない。
唯衣には複数の退路を教えている。……いずれも危険度は高いとブラフをかけてある。簡単に逃げ果せられる退路だと教えれば心に隙ができる。
心に隙ができるとあっという間に死神の大鎌に刈り取られてしまう。小学生の遠足宜しく、懸賞金の振込みを確認するまでが仕事だ、ともいい聞かせてある。
自分を抑えつつ亜美はチキンラーメンの汁を拭いながら尋ねる。
「アンタを殺せるほどの強さが欲しい。懸賞金をかけたのはヤケで腹癒せだから」
不貞腐れた顔で、しかし、はっきりと発音する唯衣。
殺意や殺気は微弱で未熟ながら感知できる。だが、その程度の……『その程度の意思だけでは』どうにもならないことを彼女自身も理解しているのだろう。
だからこそ悠子に説得させられてここまで引き摺られてきたに違いない。
悠子に真意を問うだけでは無駄だ。
情報収集を生業とする女ではあるが、ただのスリル中毒でしかない。本業の情報屋より早く安く鮮度が高い情報を入手することに快感を得ているだけだ。
悠子が、亜美が連れてきたばかりの唯衣を即座に撃ち殺しても、「生卵を床に落として割った」くらいの安い悲壮感しか抱かないだろう。
笑顔を絶やさない冷血人間。それが相沢悠子という女だ。皮肉なことに鉄火場で切った張ったを生業にする亜美の方が幾分か人間的だ。
「唯衣だったかしら? 『殺したい人間が居る』のは解ったわ。『その人間に殺し方を教えてもらうこと』に関して不満や文句はあるかしら?」
亜美が卓袱台の上にグロックG20SFを静かに置きながら尋ねる。
「……」
逡巡の色をみせる唯衣。
晴れない無聊を抱えていても仕方がない。
自らが慕う女性を窮地に立たせている女のもとで、へつらう生き方を強いられるのかも知れないのだ。
「……この世界はね。弱肉強食だけじゃないのよ。初志貫徹や不撓不屈、臥薪嘗胆も必要なの。……あなたを突き動かすものは悠子に唆されただけじゃないでしょ? 私を本気で憎む心は認めるけどね……私に銃口を向けても『弾の装填されていない薬室からは何も出ないの』」
亜美の、迂遠な、揶揄。
今のあなたでは殺す前に殺される。殺す技量も不足。精神論では殺せない。『目的を達するのが目的』ならば、意志と心の所在に則った行動をしないさい。
それは、唯衣が論破された瞬間だ。
暗喩されたフレーズとセンテンスは難解でも、その背後の真意は突き刺さるように理解できた。ああ、これが本当のプロの一言か。銃弾のように痛烈だ……。
『何もかもが高い位置にない!』
それが唯衣にとって苦しかった。気づかれたくない自分の弱さが見透かされた。見たくない現実を直視させられた。
だから安易に亜美を賞金首にした。
殺せる機会が迫っていたのに、あろうことか、実包まで売り払っていた。
暗黒社会から遁走できる考えも持っていた。槙都香苗の庇護ならどこでも生きていけると勘違いしていた。なのに、塒と糊口の糧を奪われただけで逆恨みした。
雪崩が発生するように、恥ずかしくて消え入りたい自分が露呈する。
唯衣は肩を落としてコルトガバメントの弾倉を引き抜いた。
そこには1発の実包が出番を焦がれていた。これが唯衣の全火力だ。
それすらも、この期に及んで、惜しんだ。
刺し違えても、一矢報いる覚悟の不足。
亜美に銃口を向けた時点で、銃口のその奥に佇んでいるべき実包の弾頭が無いのを瞬間的に見破られたのを、『弾の装填されていない薬室からは何も出ないの』というフレーズから始まる諭し文句で心を挫かれたのだ。
「……ごめんなさい」
ようやく絞り出した唯衣の言葉。
「ふん。可愛げがあるのは槙都香苗から聞いていた通りね。面白いわ。悠子の口車に乗ってあげる。あなたに、殺されるために、あなたを鍛えてあげる。私に殺される覚悟ができたなら、また出直しておいで。ね?」
唯衣がその言葉を履行するのに1週間もかからなかった。
※ ※ ※
「走れ走れ。止まるな。撃つな。振り向くな。残弾は銃全体の重さで把握しろ」
亜美はスロートマイクで指示を出す。
月夜の晩。夜更けの港湾。
懸賞金目当てのいつもの仕事。
今夜は少し違った。
亜美はグロックG20SFで、鬼の槌を思わせる破壊力を振り撒いて的確に雑魚を片付ける。
雑魚といえど、手にした短機関銃やカービン銃の威力までもが雑魚ではない。1発でも被弾したら生命に関わる。
首に巻いたスロートマイクでボソボソと喋る。相手には……唯衣には鼻詰まりの怒鳴り声に聞こえるはずだ。
スロートマイクは空気の振動を拾わずに喉の振動を拾って電気信号に変換して発声する装置だ。殆どの国の特殊な任務に就く軍や警察の部署で多用されている、一般的な通信手段。常にハンズフリーなので用途が広がるのだ。
太平洋が先にみえるはずの、港湾部の廃棄された区画で、コンテナと積み上げられたパレットの間を縫いながら標的との距離を縮める。
遮蔽物の影から様々なマズルフラッシュが咲いて弾き出される空薬莢が無機質な金属音を奏でる。
――――動いてよ! 唯衣!
短機関銃やカービン銃の軽快な咆哮が連なる中、時折聞こえる5、6発の指切り連射。
雑魚連中が行うトリガーハッピー気味の乱射ではない。
他方向で陽動を受け持っている唯衣の短機関銃だ。
小型軽量で反動を制御しやすく、みた目に反し火力も大きいミニUZIを持たせているが、腰にぶら提げた弾倉帯に振り回されて度々、膠着を起こす。
連中の数は30人前後。複数の賞金首が結託して一山いくららの安いチンピラを雇ったのだ。
スライドが後退して停止するグロックG20SF。
特製弾倉の20連発弾倉を差し込んでスライドをリリース。オリジナルのグロックG20SFにはない重々しい金属めいた作動音がする。
ポリマーフレームのグロックシリーズは耐用年数がどんなに良好でも30年だといわれている。
第1世代のグロックは既に寿命を迎えている計算だ。亜美の使うグロックG20SFは第3世代と第4世代の中間の特色を持ったモデルなのだが、ポリマーフレームの軟弱性は完璧に改善されとはいい難い。
フレームだけの状態なら体重62kgの男性が踏みつけても歪む。尤も、弾性限界が高いので直ぐに歪は戻る。フレームの単純な硬度なら日本製トイガンの方が上だ。
耳に差し込んだイヤホンから唯衣のスロートマイク越しの小さな悲鳴が絶え間なく聞こえる。
亜美は唯衣を鍛えてやるとはいったが、悠長に手とり足とり、一から十まで、手解きから、イロハから、箸の持ち方から教えない。
事前に頭に作戦概要を叩き込ませ、すぐに実戦に投入。
『1日の実戦は1ヶ月の訓練に相当する。』……それが亜美の持論だ。命が有ったらその喜びを噛み締め、次の戦い挑め。生き残れば更に戦い、更に生き残ればまた戦う。人間を撃ち殺す覚悟など戦いの中で完了させる。
「……」
遠ざかる銃撃の宴。
時折、圧倒されつつも再開する反撃の指切り連射。
長物を持った連中は予想通り、唯衣が引き付けている。
賞金稼ぎという職業柄、勝利条件は賞金首の捕獲だ。雑魚を撃ち殺しても特別な場合でもない限り必要経費が払われない。
唯衣には複数の退路を教えている。……いずれも危険度は高いとブラフをかけてある。簡単に逃げ果せられる退路だと教えれば心に隙ができる。
心に隙ができるとあっという間に死神の大鎌に刈り取られてしまう。小学生の遠足宜しく、懸賞金の振込みを確認するまでが仕事だ、ともいい聞かせてある。