簡略アイロニーと狭い笑顔

 特製弾倉を1本空にして後退。
 先ほどダブルタップで仕留めた男の太腿を後退する踵でうっかり蹴り飛ばしてしまったが、ピクリとも動かなかった。
 胸骨の部分が擂り鉢状に陥没している。柔らかく変形しやすい弾頭は男の心臓に達したと思われる。当然、速やかな死が訪れ、苦しみから瞬時に解放されたはずだ。
 男の放り出したベレッタM92FSが転がっているが、撃鉄が起きているのに暴発しなかった幸運に感謝した。
 後退の途中、やけに鉄錆臭い部屋があったと思ったら、右肩を弾かれた男とソファで息絶えている男が居た。
 右肩を負傷した男は呼吸があったが、矢張り脳震盪で朦朧としているのか大の字で寝そべったまま、起き上がる気配がない。
 裏手口のドア付近まで後退。遮蔽を確保。外へ通じるドアの内側では頭蓋骨を陥没させた男が昏倒している。
 振り回しやすいノーマルマガジンを差し込んで迎撃に備える。
 この裏手口の窓から見える非常階段への監視も怠らない。
 この階に賞金首がいないのなら、伝って逃げる道は非常階段しかない。
 もしも、この階に潜んでいるのなら手下を連れて堂々と退路を確保させている。
 それをせずに全戦力に近い人数を投入するのだから、亜美という襲撃者の排除が遁走の絶対条件だと踏んだのだろう。
 壁に背を預けて深呼吸を繰り返す。
 前進して丁字路に出てから一部の記憶がない。
 意識が飛んでいたのではと、自我を疑う。時々、極度の興奮状態に陥れば脳の命令より早く……否、脳の命令と末端組織の挙動が一髪の間で合致しない現象を体感する。
 アドレナリンの分泌量に関係があるのだろうが、鉄火場と修羅場を渡り歩く上での必須技能だと思っている亜美にはそのギャップが体に馴染んでいないだけだ。
 上級者になれば脳内麻薬の分泌で新陳代謝を自在に操り、神経を過敏にさせたり急場の痛み止めとする荒業を会得しているらしい。
――――!
――――きた。
――――くるよね、やっぱり。
 背中伝いに感じる複数の足音。
 ダミ声や酒焼けの声が混じる下品な罵声が混じる。威嚇のつもりか、銃声も聞こえる。
――――3人、か。
 無為に使われる可哀想な実包の弾頭が壁を削る。
 いずれも9mmパラベラムの軽快な発砲音。今頃始まるトリガーハッピー。
 亜美の心に余裕が出てきた。いつもの癖で左手で左脇を探ってしまう。いつもなら上着のポケットがそこにあって、愛飲する葉巻が収まっているはずなのだが。
 忌々しそうに舌打ちする亜美。
 葉巻の紙箱が収まったベストは山荘の外で脱いできたのを失念していた。
 道理で背筋からバストの頂点まで開放的だと思った。
 豊かな胸はそれはそれで悩むことが多い。
 ショルダーホルスターを装着しても定位置より下方に銃の収まるホルスターを下げないと抜き辛い。かといって定位置では銃の隠蔽には向いていても咄嗟に抜き放つには胸が邪魔で即応が遅れる。
 ゆえに隠蔽の必要がない状況ではレッグホルスターを多用する。
「……!」
 窓の外に影。
 視界から離さなかった非常階段から降りてきた影。
――――逃げられる!
 亜美は駆けた。
 賞金首に逃げられたら、この夜陰が深い山間部で逃げられたら捜索は困難だ。
 だが、いつ、どうやってそこに現れた? まるで『亜美に見つけてくれといわんばかりの足音』……足音は確かに女だ。
 長い山歩きを想定していない軽いパンプス。
 様々な違和感。
 耳から聞こえる情報や戦術的優位性を図る行動としての違和感。……だが……何より、発砲。
 空かさず、ダブルタップ。狭い空間がオレンジ色のマズルフラッシュに彩られる。
 1発目の50口径は窓ガラスを叩き割り、近しい弾道を描いた2発目が窓のカーテンに浮いた人影に確実に命中する。
 肉にめり込む、生々しい、湿度を含んだ音。
 外光は月の白い明かりが光源を提供する。タクティカルライトで一瞬、視認が遅れたが、人影が力無く倒れるモーションを確認する。
――――やった!
――――死なないでよ!
 マンターゲットでいうところのバイタルゾーンは外して放ったつもりの50口径だが、賞金首の命が不安になる。死んでしまっては元も子もない。
 外気が吹き込む。
 カーテンが靡く窓に向かって体の向きを変えた瞬間。
 銃声。前髪が衝撃波に揺れる。
 軽い金属音。弾き出された空薬莢が壁とフローリングを跳ねる。
「!」
――――な!
――――なんで!
――――『近い!』
――――『誰だ!』
 窓の向こうで悶絶しているはずの標的が気になったが、自分を『ほぼ、至近距離で襲撃した手練』にも神経が割かれて行動が鈍る。
――――フレグランス。
――――女か!
 右手側に振り向きざまに、グロックG20SFの銃口を向ける。フェイントをかけて左手が尻ポケットからカランビットナイフを抜き放つ。 姿を黙認していない襲撃者に突き立てるべく、正拳突きに似たモーションで『気配が濃厚なその場所に向かって拳を叩き込む』。
「!」
 亜美のカランビットナイフは襲撃者の翳した大型自動拳銃で防がれる。
 火花を散らしてエマーソンカランビットのブレードが大型自動拳銃のスライドを削る。
 ジェットエンジンのベアリング材として開発されたステンレス鋼を用いたエマーソンカランビットナイフのブレードが嫌な音を立てて刃零れしていくのを手の感触で実感した。
 亜美の反撃は、それでネタ切れではない。
 相手が拳銃を使うことから距離を保てば不利だと判断した。続けて右足を軸に左膝による腹部への打撃を試みる。質量を捉える。人間。恐らく女。薄暗い向こうに自分と同じスタンスの女がいる。
 鈍い衝撃。心地良いヒットではない。相手も同じく膝蹴りを繰り出し、亜美の膝蹴りをブロックした。
――――援軍?
 暗い空間で、亜美のグロックG20SFのライトだけが光を提供する世界に怒声が飛び込む。複数の男の声だ。
――――いや、この声はさっきも聞いた!
 目前の人を象る旋風のような襲撃者に対応するので精一杯の亜美。
 銃口を向けるたびに押しのけられ、銃口を逸らされる。
 互いに引きも押しもする攻撃的膠着。
 亜美が数発の発砲を浴びせられ、熱い火薬滓で手の甲を何度か火傷した。その一瞬だけ、ライトが襲撃者の顔を捉えた。
――――賞金首!
――――槙都香苗!
 警護される側だから必ずしもガタガタと震えているネズミではないと学習した。
 槙都香苗。
 かなりの達者な腕の持ち主だ。
 何十合かの衝突。
 槙都香苗は自分の獲物のパラオーディナンス LDAを瑕だらけにしながら、微笑みすら浮かべる愉悦の表情で亜美にクリティカルな一撃を叩き込むべく発砲する。
 その発砲するタイミングは絶妙で、亜美がカランビットナイフの打突でパラオーディナンスLDAの銃口を逸らさねば、顔面に45口径を確実に叩き込まれる銃撃ばかりだ。
 弾頭が顔を掠めるたびに、銃火が髪を焼くたびに心臓を握り潰される。
 亜美も防戦だけを強いられている訳ではない。
 常に指トリガーのグロックG20SFは3度火を噴いた。
 その時点で装填しているノーマル弾倉は残弾4発だ。
 悠長に弾倉を交換している時間は与えてくれないだろう。
 亜美はカランビットナイフをバリソンナイフに似たアクションで小指を軸にブレードを素早く回転させ、至近接を試みる、槙都香苗の黒いジャケットやTシャツをズタボロに切り裂いていく。
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