簡略アイロニーと狭い笑顔

 他にも介達外力で肋骨が折れたのか、冷や汗が額に吹き出る。
 肋骨への衝撃の伝達で肋骨が折れることでクッションとなり、心挫傷や心破裂を引き起こしてショック死を引き起こす確率は低い。ただ、呼吸のたびに、身じろぎのたびに激しい痛みに襲われて頬を痙攣させる。痛みのためか、両目尻に涙が浮かぶ。
「できるだけ柔らかい弾頭を用意したつもりだけど……でも、良いお灸になったわね」
 唯衣の胸骨を砕いたのはトレーニングで使われるウッドチップ弾頭だ。
 金属弾と同じ弾道を描きつつアーマーベストの表面で砕ける脆い木製の弾頭である。
 勿論のことだが、至近距離で人間に被弾すれば『下手をすれば即死に到る』だけの初活力を持っている。
 痣が残る左肘付近の痛みを超える激痛が亜美の左胸を襲っている。
 果実のように実った見事な造形の乳房に45口径のハンマーのような弾頭が左乳房の左側面から命中し、血と肉片を撒き散らした。
 外気に触れた傷口からボタボタと鮮血が滴る。
 さながら、果実を搾って果汁を溢れさせている様を連想させる。
 傷は塞がっても醜い瑕が残る。だが、その様な心配は後だ。
 お互いの着ている衣服や唯衣のバンテージを作業用に温存しているアーミーナイフで切り裂き、唯衣の胸部と肋骨を固定してやる。
 山荘内部に飛び込み、副え木の代用になるものを探す。
「痛い? 痛いでしょうね……もう少し頑張ってね……」
 唯衣に応急処置を施してから自分の負傷箇所に応急的な処置を施す。亜美は、自分の負傷の方が深刻だというのに、負傷したという心理的ショックが大きいはずなのに、唯衣の応急処置に集中することで、痛みと意思を解離させて、自身の負傷を見て見ぬふりをした。
 いつも持ち歩いている鎮痛剤を唯衣の口に押し込み、充分な唾液を分泌させて唇を経由して送り込み、無理矢理嚥下させる。


「終わった?」
 仕事道具のグロックG20SFを放り出し、疲労と激痛を孕んだ気息で、大の字に伸びる亜美と唯衣を見下ろし、遅れてやってきた悠子は別段、変化のある表情をみせずに亜美に問う。
「終わったわ……自己満足のレベルだけどね……。この子に植えつけたプリンティングがこれで解消されるとは思わないけど、私は満足よ。……これで命拾いしてまた私を殺しにくるのなら今度こそ殺す」
「随分とお優しい教師様で。……でもね、この子にはこれで本当に居場所がなくなったのよ?」
「違うわよ。新しい居場所を探す術を与えたといって欲しいわね……『唯衣は若い。何度でもやり直せる』」
 亜美がそこまで喋ると、数人の作業着を着た男達が簡易担架を担いで斜面を降りてきた。
「オーダー通りに、運び屋と闇医者と万事屋を手配したわ。後で会いましょう」
「……世話をかけたね。悠子」
「本当に世話だわ。あなたがいないと私はただの情報屋になっちゃうもん」
 それに対して亜美は黙ったままだった。
 担架で先に運ばれる唯衣を見送りながら、疲労と負傷で急激に脱力し、半眼のまま、死体さながらの眠りに落ちる。
  ※ ※ ※
「……うむ!」
 全裸で、姿見の前で自身の裸体を観て悦に浸る亜美。
 背中の皮下脂肪を欠けた左乳房側面に移植して一部をシリコンで形成し、完全に治癒した……とはいえないが、悠子に弄らせてもお互いに違和感がないほどの再建率を誇っていた。
 ただ、左乳房の再建のために、背中の腰部付近の肉を切り取ったために、薄い切除跡ができたが、皮膚が盛り返せば肌と同じ色に変わるので問題ないらしい。
 それに後ろ腰と背中に執着する覗き魔はいないだろう……と信じたい。
 見事な裸体を晒けだす。
 痣や生傷が絶えないが、矢張り女心として肌に瑕が残れば精神的に苦痛だ。
 彼女にとって、あらゆる瑕は暴力を生業にする者としての勲章であるという割り切りの思考は弱い。皆無ではない。弱いだけだ。
「!」
 亜美の部屋のドアノブが小さな甲高い金属音を立て、無造作に開け放たれた。
 だが、驚きはしない。
 この程度の、共同住宅の簡素なドアノブの鍵をヘアピンだけで7秒でピッキングして開錠するのは難しいことではない。
 そしてそれを平然とやってのけ、ニヤケ顔で上がり込んで猫が主人に擦り寄るように近付く人種ともなれば怒鳴る勢いも湧いてこない。
 彼女にとってはそれは日常茶飯事だ。
「あーみーちゃーん。今日もキレてるねぇ」
「……」
 呆れ顔の混じる苦笑いを浮かべ、亜美はタブレット端末を脇に抱えた悠子に視線を鏡に反射させて向ける。鏡の中で2人の視線が合う。
「で、今日のホットなニュースは?」
 亜美は構わず、自分の裸体のチェックを続ける。
 三十路とはいえ未婚の女性が朝の9時から全裸で行う行為ではない。 社会通念上では怪しい境界線だが、オンナとしては痴態に見えるその行いを戒めて然るべきだ。
「ホラ、あの子。唯衣ちゃんがアシ、洗って半年になるじゃない?」
「それが何?」
 唯衣の胸骨に50口径の木製弾頭で、一時的大打撃を叩き込んでから半年が経過した。
 唯衣は順調に回復し、アンダーグラウンドから抜ける決心をして社会復帰を目指している。

 闇医者に運ばれて雑魚寝部屋で入院し、同時に退院して別れの言葉もアイコンタクトもなく、別々の方向へ歩き去った。
 ……それが半年前。
 退院した翌日に悠子が出歯亀で唯衣を追跡した結果、唯衣は捨て子で施設で不遇な生活を強いられていた事実を知り、さらに平賀唯衣という名前も槙都香苗に与えられたものだと判明していた。
「久し振りに唯衣ちゃんに逢ってみない?」
 悠子の悪戯っぽい微笑み。
 だが、断る亜美。
「そう……そうだね。逢わない方がいいかもね」
「ええ。そうよ。だからあの子のことはもう何もいわないで。何も調べないで」
 やや冷気を帯びる亜美の言葉に眉目を緩めながら微笑み返すだけの悠子。
 
 そう。
 終わったのだ。
 
 後は唯衣自身の人生の選択だ。
 他人の口出しで彼女の明るい前途を叩き潰してはならない。
 そのために『拾わせた命』だし『選ばせた生き方』だ。


 目的通り。
 何もかも亜美自身が満足している方向へ進んでいるのだからこれ以上……平賀唯衣という社会的立場を確立した大人にこれ以上は蛇足だ。


 寒い気候。
 3月。
 唯衣という少女と出会って7ヶ月。
 昔日に語ることができるほどの懐かしさ。


 本日はインディアンサマー。
 高く青い空が大きく広がる。

「いらっしゃいませー」
 亜美の銜えていた細巻きの葉巻が唇から離れて落ちる。
 明るく気風のいい娘が働く小料理屋があるというのでき来てみれば……このザマだ。
「どうぞお入りくださいな」
 その店員、平賀唯衣はニコニコというよりクスクスという可愛らしい笑顔を可愛らしい仕草で愛嬌たっぷりに振り撒きながら亜美を最大限に歓迎した。
 鰻の寝床のような小さな店構え。
 偶々、今日は熱燗で煮炊きものでも突つきたいと思って隣町まで足を伸ばした。
 ……それがこのザマだ。
 あの平賀唯衣が作務衣に腰エプロン姿で接客をしている。
 その店の奥では突然、爆発する笑い声が聞こえた。
 笑い声を噛み殺せぬまま、厨房からでてきたのは小料理屋の女将らしく、和服に割烹着姿の槙都香苗だった。
「まあまあ。ゆっくりしていきなさいな。積もる話もあるでしょ?」
 直ぐに回れ右をして帰宅する気力すら失った亜美は腹の底から大きな溜息を吐いて店内に一歩踏み込んだ。

《簡略アイロニーと狭い笑顔・了》
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